第50話 今道友信『ダンテ「神曲」講義』Part 1 地獄篇 ― 嘆きの都市



今道友信(1922-2012)
『ダンテ「神曲」講義』

ダンテ『神曲』 平川祐弘


 今道友信(いまみち とものぶ)さんの講演を聞くことができたことは、幸福な思い出となっている。今でも忘れがたい。2001年の北九州市立美術館での講演だと記憶している。演題は『東洋の美学――二十一世紀の課題として――』だった。その格調の高さと親しみやすさが入り混じった語り口、国内外の詩・文学を縦横に引用しながら全く違和感なく話の中に滑り込ませる力量にすぐに引き込まれた。こんな話ができたらいいなあと淡い憧れをいだいたものだ。講演の後、挨拶のような言葉を二言・三言交えた、そんな刹那が、代え難い瞬間になることもあるのだ。

 講演の中での驚天動地の言葉は、これだった。「日本が必ず21世紀に独立国として残るかどうか保証はないんですね。歴史を見ればどんな国でも800年も続いたという国は滅多にないのです。‥‥どうしても皆が守らなければならないのは私どもの、多くの方の母語である日本、これを大事に続けていかなければなりません。日本が国家として盛んになっても、日本語が乱れて日本の文化が無くなってしまうのだったら、滅びても日本語が残って、日本の文化が残っていることが余程人類のためになりますね。」

 今道さんは、自分は修道院に入ったこともあるけれど、召命がなくて世俗の中で哲学をするようになったとおっしゃっていた。カトリックの敬虔な信者であった。ダンテの神曲については、多くの本が書かれているのだろうけど、キリスト教の教義に関して、僕も含めて日本人は詳しくないと思う。それで、神曲の宗教哲学に関する部分は、不明なことが多い。今道さんは、本書『ダンテ「神曲」講義』で、特に「天国篇」に関する解説を分かりやすくしてくださっている。今回は平川祐弘さんの訳をもとに神曲全体をご紹介するけれど、特に天国篇は今道さんならではの解説ではないかと思っている。

 


オーギスュスト・ロダン(1840-1917)
『地獄門』石膏  1880-1917 オルセー美術館

地獄編

地獄の道連れ 第一歌から三歌

 時は、1300年の聖金曜日、ダンテは暗い森の中に行き暮れていた。あるのは、自分は誠の道を踏み外してしまったのだという悔恨だけだった。一匹の斑紋のある美しい豹に向いあったが、朝陽に救われた。今度は獅子が、続いて狼が現われた。色欲、権力欲、貧欲をそれぞれ象徴している。ダンテは谷底まで逃げる途中、「今は人ではないが、かつては人であった」者に出会った。これから永劫の場所へ連れて行ってやるという。それがローマの偉大なる詩人ウェルギリウスであった。彼については、小川正廣さんの『ウェルギリウス研究 ローマ詩人の創造』で、そのうちご紹介する。ホメロスをウェルギリウスは讃え、ウェルギリウスをダンテは手本とした。ここに三重の輪がある。(第一歌)


ダンテ・アレギエーリ (1265-1321) フィレンツェ


 ダンテは1300年にフィレンツェのプリオーレ(長官)の職に選ばれた。こちらは史実である。この時、フィレンツェは神性ローマ帝国皇帝を支持する皇帝派のギベリン党と教皇を支持するグェルフィ党とが勢力を争っていたが、そのグェルフィ党も黒派と白派とに分裂した。黒派は白派と教皇との切り離しに成功する。ダンテは、この白派の指導者だったのである。彼は、欠席裁判により税金の使い込みと教皇に対する陰謀罪を問はれ、罰金と2年間の追放刑を宣告されたが、この裁定を不当として当局への出頭に応じず、1302年、3月15日に死刑(火刑)宣告され、4月4日にフィレンツェを脱出した。そして、ほぼイタリア全土を逃亡する者となり、フィレンツェに一度も帰ることなく、最後はラヴェンナで領主グィド・ダ・ポレンタにかくまわれ、子供たちと2年ほど一緒に暮らしたのち1321年に亡くなっている。1265年生まれだから56歳前後で亡くなったことになる。

 ウェルギリウスへ地獄めぐりに対する不安を吐露するダンテだったが、天国にいる人たちが、自らも地獄めぐりの体験を持つヴェルギリウスに依頼したのだと語り、彼を安心させる。(第二歌)

 


ウイリアム・ブレイク(1757-1827)
『神曲』 地獄篇 第三歌

地獄門

われを過ぎひとは嘆きの都市へ。
われを過ぎひとは永遠(とわ)の嘆きに。
われを過ぎひとは亡者にいたる。
正義は至高の主を動かして、
神の権能と最高の知と
原初の愛が、われを創った。
われに先立った被造物とは
永遠のものだけで、われ永遠に立つ。
ここに入るもの望みを捨てよ

(1-9/今道友信 訳)

 神曲の中の名句の一つであるが、ここでも「われを過ぎて」は三度繰り返されている。地獄の門をくぐるものはここに一切の希望を置いて進めというのである。天、天使達、不滅の諸要素、純粋質料は永遠のものである。しかし、天使ルチフェルは堕落し、その者を幽閉するために地獄はつくられた。それゆえ地獄は永遠に存在する。(第三歌)

 地獄は神の義と愛によってつくられた。中国で言う義とは英語の responsibility 、つまり応答できる能力を指していると今道さんは言う。正名(正しい定義)にこだわってきた人らしい。ヨーロッパにおいて、この responsibility という単語は19世紀には哲学辞典にさえない言葉だった。この主体的応答性に客観的な公平が前提とされる時、正義となる。義歯とは正義の歯のことではない。歯の機能に応答してくれるもののことであり、不義とは不正ではなく応答性の負、つまり裏切りであった。人々を善導しようとする神ゆえに、地獄は因果応報の正義を重んじる神の愛の所産であった。ダンテには罪を忌む厳しい思い、裏切りに対する仮借ない怒りがあった。地獄はそのような罪を犯した者が入る絶望の府としたのである。

 地獄は永遠に存在する。そして、そこでは溜息や泣声や声高の叫びが星もない空中に鳴り響いていた。神曲において星とは希望である。希望とは徳目であった。トマス・アクィナス、さらにさかのぼってアウグスティヌスの頃から聖パウロが述べる「信仰」「希望」「愛」は、神に対する徳、対神徳と呼ばれていたのである。地獄は、それが無い嘆きの都市であった。希望の無いところは地獄となる。私たちは、自らに対して、あるいは他者に対して地獄の門になっているかもしれないのである。


辺獄から愛欲の圏谷へ、そして泥水に沈む者たち 第四歌から九歌 


ウイリアム・ブレイク『神曲』地獄篇 辺獄 1824-27

 アケロン(三途の)川でカロンの渡し場が描かれた後、第四歌に入って、辺獄(リンボ)が歌われる。善良な人々であったが、キリスト教の洗礼を受けられなかったために第一の谷に住まう人々であった。ウェルギリウスは、自分がこの谷に来て間もなく、キリストがアダムやアベル、ノア、モーゼらイスラエルの善良な民とそれに忠実に仕えたものたちを祝福し連れ出したとダンテに語る。それ以前に人の魂が救われた例はないと。

 ウェルギリウスは、ホメロス、ホラティウス、オウィディウス、ルカヌスらとしばらく談笑して別れた。高い城壁に七重に囲まれた高貴な城のなかには、エレクトラ、ヘクトル、アエネアス、カエサル、サラディン、それにアリストテレス、ソクラテス、プラトンらギリシアの哲学者や学者たちが次々と現れた。二人は静寂の中から出てゆらめく大気の中に入り、光明の無い場所へと入っていった。(四歌)

 二の谷へと入る。その入り口では罪業を吟味するミノスが仁王立ちで歯噛みしている。閻魔大王の役割をしているのだ。その中空には肉欲の罪を犯した者の魂の群れが止むことのない地獄の黒い飈風(ひょうふう)に煽られている。ティドやクレオパトラがいて、パリスやトリスタンが見える。愛ゆえに現世を追われた幾千もの魂たちだった。ダンテはその内の一組に目をとめ、話しかけた。知りたいとお望みならとフランチェスカは話しはじめた。

 


アンリ・マルタン(1860-1943)
『パオロとフランチェスカ』


 「ある日私どもはつれづれに、ランスロットがどうして愛にほだされたか、その物語を読んでおりました、二人きりで別にやましい気持ちはございませんでした。その読書の途中、何度か私どもの視線がかちあい、そのたびに顔色が変わりましたが、次の一節で私どもは負けたのでございます。
あの憧れの微笑みにあのすばらしい恋人が接吻(くちづけ)る
あの条(くだり)を読みました時に、この人は、私から永久に離れることのないこの人は、うちふるえつつ私の口に接吻(くちづけ)いたしました。」(第五歌125-136/平川祐弘 訳)

 ラヴェンナの城主グィド・ダ・ポレンタの娘フランチェスカはリーミニの城主ジャンチオット・マラテスタに嫁した。しかし、彼女は騙されて美男の弟パオロと見合いをしたのであり、嫁した後、兄で醜男のジャンチオットの連れ合いになったことを知った。しかし、フランチェスカはパオロと相思相愛になる。そして、二人ともジャンチオットに殺されたのである。(五歌)


ウイリアム・ブレイク「地獄篇」ケルベロス


 大粒の雹や濁った水や雪が降りしきる三の谷、貪欲に飽食をしてきた者たちが三つの頭のある怪物、地獄の番犬ケルべロスに食いちぎられていた場所だった。(六歌)

 冥府の神ハデスであり鉱物の守護神でもあるプルートンが現われるがウェルギリウスの一喝で倒れてしまう。四の谷に降りると貪欲な人間と浪費家たちが渦巻きのように互いに逆方向に向かって重い荷物を転がしながら走り、円周上の一点で出会うと互いに罵り合い殴り合ってまた来た道を逆走するのである。青紫よりも暗い色の水が流れ落ちて薄暗い陰惨な崖の下で川はステュクスと言う名の沼になっている。泥まみれの裸体は怒気を含んだ表情でたがいに殴り合い、蹴り合い、歯で相手の肉を噛み千切っている。憤怒に破れたものの魂だった。(七歌)

 


ギュスターヴ ・ドレ(1832-1883)
『地獄篇』 第八歌 沼を渡すプレギュアス


 沼の船頭プレギュアスがダンテとヴェルギリウスを向う岸に渡す。途中、フィレンツェの亡魂フィリッポ・アルジェンティが現われるが体を引き裂かれ汚水の中に沈んだ。そして、二人は地獄の下層ディースの市(まち)に着く。五の谷である。そこの城門には千人余りの悪魔が道を閉ざしていた。(八歌)

 三人の復讐の女神エリニュスたちが塔の上に現われた。やがて、天上からの使いが登場して地獄の内門を杖で叩いて開けると悪魔たちを一喝して立ち去った。門の中には至る所に墓があり炎を噴いている。六の谷である。それは異教異端の徒がその派ごとに埋められていたのである。(九歌)


リアム・ブレイク『地獄篇』第九歌



地獄の内門から悪の十濠へ 第十歌から十八歌

 


ウイリアム・ブレイク 『地獄篇』第十歌


 墓所では皇帝党の党首であったファリナータ、そしてダンテの友人の父親カヴァルカンティと会話する。傲岸なファリナータも自己の党派の敗北を知り、そのことが、この焔の床よりも自分を苦しめると叫ぶのだった。(十歌)

 ウェルギリウスが地獄の分類と地理をダンテに語り、天が許さぬ三つの性質、放縦、邪悪、狂おしい獣性が説明される。そして、高利貸しが神の慈愛に背く理由を説く。(十一歌)

 怒りに狂うミノタウロスの横をすり抜けて岩間から道を降りると孤を描いた濠にケンタウロスの群れが見えた。その中の一人ネッソスに血の川を案内させた。そこでは煮えたぎる湯に、人の血を流し産を奪ったものが漬けられていた。アレクサンドロス、シチリアを制したディオニュジオスがいる。深い淵には、アッチラやピロス、セクストゥスらがいた。ここは七の谷の三つの円の一番目である。この七層以下の谷は悪意による罪人が堕ちる地獄でそれ以前の六層に比べてより一層凄惨なものとなる。(十二歌) 


ギュスターヴ ・ドレ(1832-1883) 『地獄篇』 第十三歌


 七の谷の二番目の円へ到る。自殺者は自分に暴力をくわえた者であり、彼らは、節くれだって曲がった木となる。棘のある一本の大木の枝を折るとどす黒い血にまみれて「なぜ私をひきちぎる」と声がした。ウェルギリウスはダンテにかわってその木の一つに尋ねた。どうしてこのような幹の中に囚われたのだと。

 「激した魂が自らの手で命を絶って肉体から離れた時、ミノスは第七の圏谷(たに)へ、その魂を送り込む。落ちていく先はこの森だが、席は別に定まっていない。
運命のままに飛ばされたところで荒麦の粒のように芽を出し、若枝となり野生の大樹となる。
すると鳥身女面の怪鳥がその葉をついばみ、苦痛を与え、苦痛に排け口を与える。
[最後の審判の日に]皆と同様、私らも亡骸を探しに行くが誰一人それを身につけることはできない。自分で捨てたものをつけるのは道理にあわぬからだ。」(第十三歌 94-105/平川祐弘 訳)

 その時、木々の枝を折りながら、黒い牝犬に追い立てられてきた者があった。自分の財産を無理やり蕩尽した者が噛みつかれ、引き裂かれて悶絶した。別のもう一本の木は未来のフィレンツェの不幸を語る。(十三歌)

 


ギュスタ―ヴ・ドレ『地獄篇』 第十四歌


 七の谷の二の円から荒涼とした砂漠である三の円へと至る。熱砂の上では神と自然の法に叛いた者たちが火の雪を浴びていた。その中にテーバイ攻めの7将の一人カバネウスが瀆神の言葉を吐き続けている。ウェルギリウスは、かつて清らかな世界であったクレタのイダ山とそこに聳えたつ巨人とその涙からなるアケロン、ステュクス、プレゲトンの三つの川について語る。(十四歌)

 川沿いに進むと自然に叛いた性を望んだ者たちの群れが現われる。その中にダンテの師であり『宝辞典』を著したブルネット・ラティー二がいた。彼はダンテの将来を明かして身の処し方を諭す。(十五歌)

 七の谷が終わり、八の谷に到る場所で、川は滝となる。そこでは、グィド・グエラら三人のフィレンツェの亡者たちと出会い、フィレンツェの成り上がった俄か大尽どもの気風を嘆いた。やがて深い谷に行きあうとヴェルギリウスはダンテの腰縄をその淵に投げ落とした。(十六歌)

 


バルトロメオ・ピネッリ (1771-1835)『地獄篇』第十七歌


 その淵から怪物ゲリュオンが現われた。ウェルギリウスはゲリュオンの手を借りて谷底に降ろしてもらう交渉を始める。その間にダンテは首から財嚢をぶら下げ、苦患の炎に身を焼かれる高利貸したちを見て回った。話はまとまり、ゲリュオンは二人を背に乗せ、苦悩の叫びを発する第八の谷に降りていった。(十七歌)

 八の谷は十層のマレボルジュ[悪の濠]に分かれ、十種の罪人が罰せられている。全て鉄色をした岩からできている。絶壁に囲まれ、その魔性の荒野に巨大な穴がある。この魔性の荒野は十の濠に分かれていて、その濠を石橋が繋いでいる。一の濠では女衒たちが角を生やした鬼たちに鞭打たれていた。その中にボローニャの教皇党の首領の息子、ヴェネディーコ・カッチャネミーコがいた。エステ家のオビッツォ二世のために実の妹を斡旋したのだ。石橋の下では金羊毛のイアソンら女たらしと呼ばれた者たちがいる。二の壕には、ルッカの貴族アレッシオ・インテルミネイがいた。こんな所に俺が沈んだのは倦むこともないオベンチャラを繰り返したせいだと言う。そこには遊女タイスら阿諛追従の徒らが糞尿の中に沈んでいたのである。(十八歌)


地獄の構造



ミケランジェロ・ガエター二『地獄図』1885

A 地獄の門
B アケロン川とカロンの渡し場
① 辺獄

地獄の外円
②-⑤ 第一の谷から第五の谷(それぞれ愛欲、飽食、貪欲、憤怒が罰せられる。
C 第四と第五の谷の間にプレギュアスが渡すステュクス川の流れ込む沼がある。

地獄の内円/内門とディースの都市
⑥ 第六の谷(異端)
⑦ 第七の谷(他者・自己・神と自然への暴力/三つの円)―― プレゲトン川と渡し ――
怪物ゲリュオンによる降下↓
⑧ 第八の谷《10の濠/女衒・阿諛追従・聖職売買・占い・汚職・詐欺・瀆神・権謀術数・中傷・贋金作りが罰せられる》
巨人アンタイオスによる降下↓
⑨ 第九の谷 凍てついたコキュトスと呼ばれる地(裏切の四つの円/肉親・祖国・客人・主)

 


サンドロ・ボッティチェリ『神曲』地獄図
地獄の9つの圏谷を横から大地を透して描いている。

 ダンテの構想した地獄は九つの谷、九層に分かれている。聖書外典のペテロの黙示録の影響もあると言われるが、それは独創的で精緻な構造の地獄である。そのような構造に史実や当時世を騒がせた風聞や醜聞を織り交ぜて現実感を持たせた。いささかは自らの溜飲を下げたことであろう。アリストテレスは、徳はブロネーシス(実践的理性)によってなるとし、悪徳はパヌウルギア(奸知)によって生まれるとした。実践知に長けた者は容易に奸知に陥る。地獄には大臣や教皇などの高位の人々も堕ちている。キケロは義務を重視し、「何に忠実であるか」つまり、「何が義務であるか」を間違えてはならないと言ったが、後にアベラールやトマス・アクィナスは、一番大切なものは志向性、つまり意図だとした。明確な悪意を伴う罪が最も重い。さらに重い罪は背信である。トマスは、アウグスティヌスの考えを受け継いで「人間は神に向けられて創られている」と言った。それゆえ、神に背くこと、裏切ることは最悪の罪であり、ダンテにとっても裏切りは最も重い罪なのである。



凄愴の濠から極限へ

 


ウイリアム・ブレイク『地獄篇』 第十九歌


 三の濠には聖職売買の徒が罰せられている。ダンテの憤りは激しい。そこでは元法皇ニッコロ三世が穴の中に突っ込まれ燃える両脚をばたつかせていた。

「おお魔術師シモン、おお哀れなシモンの徒よ !
本来は美徳と結ばれて花嫁となるべき
聖物や聖職を、おまえら盗人は
金や銀と引き換えに売りひさいでいる。
おまえらが三の濠にいる以上、
いまこそ宣告のラッパが高鳴ってしかるべき時だ。」(第十九歌 1-6/平川祐弘 訳)

 シモンとは聖フィリッポに洗礼を授けられたサマリアの魔術師だったが、使徒たちが手を置くことで「霊」が与えられるのを見て、金でその力を授けてもらえるように懇願したという。その記載が聖書の使徒言行録にある。(十九歌)

 四の濠では生前未来を占った者たち、魔術妖術を行った者が、胴体に頭を前後逆さにつけられて後ろ向きに歩いている。テーバイを攻めた預言者アムピアラオス、オイディプスに予言したティレーシアスらが見える。(二十歌)

 五の濠では汚職収賄の徒が煮えたぎる瀝青(チャン)の中に漬けられている。黒い鬼がルッカのサンタ・ジーラの長老の一人をそこに漬け、浮かび上がると百余りの鉤で頭を引っ掻けて沈めるのだ。(二十一歌)

 


ウイリアム・ブレイク『地獄篇』 第二十二歌


 同じ濠をダンテたちは10匹の鬼たちと進んだ。彼らが近づくと詐欺師の亡者たちは瀝青の中に身を潜める。だが、愚図っていれば鉤で吊し上げられた。そういった男の一人に上手く逃げられてしまうと鬼たちは互いに諍いを始めた。(二十二歌)

 ダンテたちは八の谷の六の濠へ逃げ延びた。そこでは、偽善者たちが外は金着せで、内は鉛という重い服を着せられてのろのろと歩いている。地面にはユダヤの大司祭カヤバが磔刑にされていた。(二十三歌)

 七の濠では盗賊たちが毒蛇に咬まれ、責めさいなまれていた。咬まれれば、忽ち火を発し灰となって焼け落ちるのだ。ピストィアの教会堂から聖器類を盗み出したヴァンニ・フッチがダンテに予言する。白党の人々は皆傷つくだろうと。(二十四歌)

 


ウイリアム・ブレイク『地獄篇』 第二十五歌


 瀆神のフッチにそれ以上は言わさぬと蛇が絡みつき縛り上げるが、彼は逃げだし、その後をケンタウロスの一人カクスが追った。フィレンツェの三人の亡者のうちの二人に蛇が襲いかかる。一人には六つの脚を持つ大蛇が背後から締め付け、二つの姿は一つに融け合い見たこともない姿へと変わりはてた。もう一人には胡椒のような青黒い蛇がへそに噛みつくと、人は傷口から、蛇は口から煙を激しく吐き、蛇は人に人は蛇に成りまさっていったのである。(二十五歌)

 八の濠にやって来た。谷あいには権謀術策を事とした亡者たちが一人ずつ焔にくるまれて焼かれていた。その中の一つは先が二つに割れて燃えている。トロイの木馬を企てたオデュセウスとディオメデスが二人一緒に焼かれていたからだった。(二十六歌)

 別の焔がロマーニャの地の安否を問う。グィド・モンテフェルトロは、法王ボニファチオ八世にパレストリーナ陥落の策を教えた。グィドが死んだ時、聖フランチェスコが迎えに来てくれたが、黒天使の一人が彼に言った。連れていくな。おれの権利を侵すな。こいつは瞞着の助言をした上は俺の奴隷たちの間に落ちるのが定めだと。(二十七歌)


ウイリアム・ブレイク『地獄篇』 第二十八歌


 八の谷の九の濠。生前中傷し不仲を煽った亡者たちが、ある者は頤から屁をひるところまで真っ二つに裂かれ、ある者は咽喉を裂かれ、鼻をえぐられ、ある者は両手を切り取られていた。ダンテを見て「ああ」と叫ぶ者があった。イギリス王ヘンリー二世の王子に父への反逆をたきつけたベルトラン・ド・ボルンだった。切られた首を手に捧げ持っていた。(二十八歌)

 そこは八の谷の最後、十の濠。贋金作りを罰する悪疫の蔓延する谷だった。疥癬に苦しめられる者たちの内の一人が錬金術で贋金を作ったカポッキオの亡霊だった。(二十九歌)

 飢えた豚が檻から解き放たれたようにある亡者はカポッキオのうなじに噛みついた。そして石だらけの谷底を腹這いのまま引きずっていった。それは他人の遺言状を偽造したジャンニ・スキッキだ。もう一人噛みついてまわる亡者は、父親に道ならぬ恋をいだき他人の姿に成りすましたキプロスの女王ミュラ。贋金作りたちは互いにいがみ合い、殴りあった。(三十歌)


コキュトスの魔王へ 第三十一歌から最終三十四歌

 


ウイリアム・ブレイク『地獄篇』 第三十一歌

 角笛が聴こえるとわずかしかない視界に塔のようなものが聳えているのが見えた。巨人たちである。その中の一人アンタイオスに向ってウェルギリウスは冷気でコキュトスの水が凍っている地底に我々を降ろしてくれるように頼んだ。(三十一歌)

 九の谷は裏切りの谷である。凍てついた厚いガラスのような氷に覆われた地は同心円状に四つに分かれている。第一の円はカインの国、カイーナと呼ばれる肉親を裏切った者の堕ちる所だ。第二の円はアンテノーラと呼ばれる祖国を裏切った者の行く所である。百姓女が落穂拾いを夢に見る頃、水中から顔だけ出してガアガアと鳴く蛙のように頬まで鉛色になり、歯をガチガチと鳴らす亡者たちが氷の中に浸かっている。ダンテはそんな頭につまずくのである。(三十二歌)

 これらの頭が並ぶ中に、一つの穴に二人が氷漬けになった者たちが見えた。飢えた男がパンを貪るように上になった方が下の者の脳蓋に噛みついている。噛みつきながら憎悪のたけをぶちまけていた。それは、ウゴリーノとルッジェーリ大司教の二人だった。

 三の円はトロメーアと呼ばれる。客人を裏切って殺したアルベリーゴやブランカ・ドーリアらが涙もろともに眼球を凍りつかせている。肉体はまだ地上にありながら彼らの魂はこの地へ堕ちている。13世紀末、ピサではグェルフィ党(教皇派)が主流で、その中でもウゴリーノ伯とその一族のニーノ・デ・ヴィスコンティの二つの派に分かれていた。一方、ギベリン党(皇帝派)の代表は同市の大司教ルッジェーリだった。市の覇権を握るためにウゴリーノはルッジェーリと共謀してニーノを追放するが、今度はルッジェーリがウゴリーノとその子、孫五名を塔に幽閉し、彼らは餓死するのである。こちらは史実だ。

 


オーギュスト・ロダン 『地獄門』 部分
ウゴリーノと子供たち 


 「この憂いの牢獄の中にも かすかな光がさして、四人の子供の顔にも この俺と同じような表情が見えた、
彼は悲嘆のあまりわれとわが腕に喰らいついた。
すると子供たちは空腹のあまり
そうしたと思い、すぐ立ちあがっていった、
『父さん、父さんが僕たちを食べてくれたら、それだけ僕らの苦しみも減る、父さんが着せてくれた  このみじめな肉だもの、父さん取っておくれよ』
子供たちを悲しませまいと俺は心を静めた、その日もその翌日もみな黙りこくっていた。
ああ冷酷な大地よ、なぜおまえは口を開かなかったのだ ?
五日目と六日目の間に、ほかの三人は一人また一人 俺の見ている前で倒れた。それから俺はもう目が見えなくなったが、一人一人手探りで探った、子供らが死んでから二日の間はその名を呼び続けた、それから、苦悩には負けなかった俺も絶食に敗れた。」(55-75/平川祐弘 訳)(三十三歌)

 地獄篇最終歌、九の谷の第四円はユダの国ジュデッカと呼ばれ、恩人を裏切った者が全身を氷漬けにされている。ある者は横たわり、ある者は起立し、ある者は爪先立ちしていてガラスの下の藁のように透けてみえた。さらに奥に進むとこの苦悩の王国の帝王が見えた。胸の半ばから上を氷から出し、腕の長さは巨人の背丈を凌いでいる。三つ頭があり、中央は朱、右は白と黄色の間、左は黒色だった。蝙蝠のような羽で羽ばたくと風が起こり、コキュトスの水を全て凍らせていた。血の混じったよだれの垂れる口に罪人を一人ずつ咥え、かみ砕いている。中央は爪で裂かれて皮がはげ背骨が顕わになったユダ、黒い顔に咬まれているのはブルトゥス、もう一つの顔が噛み砕いているのは、やはりカエサルを裏切ったカシウスだった。(三十四歌)

 


地獄篇 第34歌 アルトネンシス写本 14世紀


 だがもう夜がまためぐってきた、いよいよ立ち去らねばぬらぬ、私たちは全てを見たのだ。そう言うとヴェルギリウスはダンテを首に抱きつかせ魔王の脇腹から下の地殻へと降った。途中で脚と頭の位置を逆さにして今度は登った。それから岩の穴から出るとその縁に腰を下ろした。上を見るとなんと魔王ベルゼブルの脚が上に向って伸びている。


ギュスタ―ヴ・ドレ 『地獄篇』 第三十四歌


 こうして聖金曜日の夕暮から始まった地獄への苦難の行旅は翌土曜日の夕方をもって丸一日の旅路を終えたのである。穴から出た場所は、南半球であり、ユダの国の裏面にあたる。向うの夕方はこちらでは朝であった。岩間から聞こえるせせらぎの音をたよりにこの暗い道をひたすら上った。そして、円い孔から天上にある美しいものが見えた。そこを通って再び外へ出ると空に暁の明星を仰いだ。それは希望の星である。

 さて、次回は12世紀の初頭に確立された領域と言われる煉獄が登場します。当時、人々は真面目に煉獄の場所は何処かと探したと言います。この世の何処かにあると考えられていた。それゆえダンテの煉獄篇にも星が見え、空が見えるのです。




夜稿百話

今道友信 著作一部

『美について』
「様式」の原語である stilus は元来、蝋板に文字を書き込む鉄筆を意味している。その字を書きこむ道具から、その筆によって書かれた字体の意味に変わり、キケロは書かれた文章の趣きや話し方にこの語を用いた。この頃には文体、様式の意味が出来上がりつつあった。ビュホンやヴィンケルマンによって芸術に関する基本概念となった。しかし、友信さんは様式とは、芸術的価値を表出するための手段であって、決して価値そのものではないという。一定の様式をどれほど模倣しても、幾つかの複数の様式を集めて繋ぎあわせても、その手続きだけで価値が輝き出ることは絶無である。ホメロスの詩法に基づいて、それと等しい韻律でローマ民族の発祥をうたい上げたヴェルギリウスの『アエネイース』は傑作であるが、ローマ世界で、その様式をあみだしたのはナエヴィウスやエンニウスであった。同様のことは、ヴィヴァルディとバッハにも言える。様式においてはヴィヴァルディの方が一歩先んじて新たな様式を作り出していた。



『東洋の美学』

『論語』において孔子が勧めた思想運動は「正名」である。それは概念を明確にすることであり、定義できないもの、すなわち天 (神)、鬼 (霊魂)、性 (人間的実存)、運命 (天命) に対しては哲学的探求を避けた。一方で『論語』の三分の一は芸術に関わる文章である。孔子は詩による象徴的思索によって、定義できないものを「概念」とは別の「観念」として宿そうとする。従って詩は、定義で終わる学問の限界を超えるものであった。詩を学んで概念の限界を突破した人間は、さらに礼を学べと言う。典礼とは、詩的象徴によって把握した神や祖先の霊に対して人間が如何なる態度をとるかを教示するものであった。それは、史的な出来事や神話の出来事を象徴的行為によって再現することだったのである。従って典礼とは演劇的感動をもたらすものとして考えられていた。人が如何に神に供物を捧げ、如何に語りかけ、それに応じて神が如何に恵みを垂れ、如何なる形で祈りを聞き届けたが反復される。それは、カトリックの美学者たちが言う「典礼美学」であり、孔子はその先駆者であったと言う。




『芸術と想像力』

想像力の飛翔の後に、その軌跡を悟性が追う。夜空に神話の想像力が躍動しなければギリシアの天文学は成立しなかった。数比が音階を生み出すという想像力が無ければ、天球の音楽と中心火の想定も生み出されなかった。空海もプラトンもアポリア (哲学的難題) を詩的イメージやミュトス (神話) 的想像力で克服し、パルメニデースは理性による真理に至るために光の女神の像を使わなければならなかった。女預言者ディオティーマの神話や前世のアナムネーシス (想起) の神話なしには、後期プラトンのイデア論への展開もなかっただろう。思索は、想像力によって悟性の限界を超えて理性の自由な創造的思索に向かうことができる。「神話はその最後の根を以って人の原意識の中へと成長してゆく」とシェリングが言う時、人間の限定的意識の根源を拓いてゆく想像力の底知れぬ力強さが創造の迫力として期待されるのである。(「想像力の機能と構造」より)




『未来を創る倫理学 エコエティカ』

Eco-ethicaの語源のエコ(eco)は生態学の意味のエコロジー(ecology)におけるエコと同じく地理学、動物学、植物学、生物学を含み、広くは生息圏の意味も含む。倫理学の意味のエティカを合わせた生圏倫理学としてのエコエティカであり、今道さんの造語である。2010年に刊行された23世紀のための新たな倫理学を目指した著書。





関連図書

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平川祐弘『ダンテ「神曲」講義』

本書は文化センターでの平川さんの講演を集めたもので大部の本だが平易に説かれている。章立てをご紹介しておく。

第一回 ダンテの『新生』
第二回 仏教の地獄とキリスト教の地獄
第三回 作品の冒頭
第四回 地獄の門
第五回 三途の川 辺獄
第六回 肉欲の罪
第七回 大食らいの罪、貧欲と浪費の罪
第八回 忿怒の罪、地獄の下層界へ
第九回 異端の罪、暴力の罪
第十回 自殺者の森、熱砂の砂漠
第十一回 男色者たち
第十二回 悪の濠、欺瞞の罪
第十三回 聖職売買、汚職収賄
第十四回 鬼どもの行状
第十五回 異形の者
第十六回 オデュセウスの詩
第十七回 ダンテの自己中心的正義
第十八回 地中海世界と寛容の精神
第十九回 氷の国、裏切の罪
第二十回 地獄の底、煉獄到着
第二十一回 煉獄前地
第二十二回 『神曲』と複式夢幻能
第二十三回 七つの環道
第二十四回 地上楽園から天国へ
第二十五回 天国篇

第二回 「仏教の地獄とキリスト教の地獄」から簡単にご紹介しておきます。

日本に最初に『神曲』を生き生きと紹介したのは、森鴎外が訳したアンデルセン原作の『即興詩人』と言われる。実はダンテが全ヨーロッパで読まれるようになったのは19世紀からとだと平川さんはいう。アンデルセンは、そのダンテ・リヴァイヴァルに接したし、鴎外もドイツ留学中に『神曲』を読んで感動していたために鴎外訳は素晴らしかった。

東西の地獄のイメージには共通点が多い。鴎外は燃えたつような目をした渡し守のカロンを「羅刹」と訳したけれど、仏教地獄の閻羅人の「目の炎は燈の如く、鈎(まが)れる牙は鋒のごとく利し」など、仏教地獄を連想させるイメージは枚挙にいとまがない。共通して用いられる用語として以下のものが挙げられている。魔王、悪鬼、毒龍、罪人、亡者、牢獄、呵責、墓碣 (ぼけつ) 、毒泡、瘴烟、颷風 (ひょうふう) など漢訳仏典で用いられた言葉を鴎外はそのまま使っている。明治の日本人にとってキリスト教の地獄への理解はスムースだったと言える。

千年近く前の985年に天台僧の源信による『往生要集』が世に出る。「厭離穢土」「欣求浄土」を旗印に大きな影響力を発揮した。そこには、等活、黒縄、衆合、叫喚、焦熱、大焦熱、無間の八地獄が、畳みかけるように描写されていた。ダンテの九つの地獄ほど整然としたものではないにしても、かなり近い。違いはキリスト教の地獄が永遠に続くのに対して、仏教の方には、そこに永く留まるにせよ別の地獄なり、六道の別の道へと輪廻転生があることだった。この『往生要集』の地獄のインパクトは道徳的カタストロフだったと言ってよいのかもしれない。後に歌人たちはこのように詠った。

あさましや剣の枝のたはむまで こは何の身のなれるらん (和泉式部)

罪は世に重き物ぞときゝしかど いとかばかりは思わざりしを (赤染衛門集)

つくりこし罪をともにてくる人も なくなく超ゆるしでの山哉 (西行)

関連画像

『ダンテの肖像』
アンジェロ・ブロンズィーノ 1530頃




『六人のトスカーナ詩人』
ジョルジョ・バザーリ 1544




コッポ・ディ・マルコヴァルド(1225-1276)『地獄』
フィレンツェ洗礼堂のモザイク画
ダンテ在世当時の地獄図として貴重な作品。

大魔王 『地獄』部分



『神曲』アルトネンシス写本 14世紀



アレッサンドロ・ヴェルッテロ 
『ルチフェル』 1534





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