Reversed Internal Interface/反転する内界面

Non-linear Modern


Op.1*
2001  73cm×51.5cm
RI-1

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Op.2*
2001  73cm×51.5cm
RI-2 Private Collection


Op.3*
2001  73cm×51.5cm
RI-3

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Op.4
2001  194cm×194cm
RI-4

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Op.5
2001  194cm×194cm
RI-5

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Op.8
2001  194cm×392cm
RI-8

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Op.6
2001 162cm×130.5cm
RI-6

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Op.7
2001 162cm×130.5cm
RI-7

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Op.9*
2001
117cm×117cm
RI-9

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Op.18*
2002  65cm×53cm
IR-18

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Op.21*
2001  53cm×45.5cm
RI-21

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small works Op.7*
2001  19cm×24cm
SRI-7

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small works Op.6*
2001  19cm×24cm
SRI-6
Private Collection


small works Op.4*
2001  19cm×24cm
SRI-4 Private Collection


small works Op.8*
2001  24cm×19cm
SRI-8 Private Collection



Production materials/制作素材


基底材  綿キャンバスに和紙 アクリル下地
     * パネルに紙 アクリル下地
絵具   オリジナル絵具(天然樹脂、油、蜜蝋)油彩

Original paint (made from resin, oil and beewax), Oil, Acryl
Japanese paper on cotton
*Paper on panel 


Reversed Interrnal Interface/反転する内界面
2001-2002 反転する内界面によせて

時には、手袋を裏返すように全てを裏返してみては
どうだろうか? 
 

 このシリーズを制作している時には、まだインヴァージョン(反転運動)という言葉を知らなかったのではないかと思うのだが、その言葉を聞いたのは、確か、カスパー・シュワーベさんからだったと記憶している。手袋を裏返すように形をひっくり返してみる事を指す。彼は、スイス出身の立体幾何学を研究するデザイナーであり、バックミンスター・フラー展を開催したディレクターでもある。それに、神戸の大学でテンセグリティー(張力統合体)を教えてくれたぼくの先生なのである。

 一度、この「裏返す」をテーマに展覧会をしてみたかったのであるが、何故このことに興味を持ったかと言うと、人間の胎児の体の器官が形成される時、眼はやがて脳になる脳胞と呼ばれる一部から切り離されて、裏返りながら眼球になるという離れワザをやってのけてるらしいということを知ったからなのである。まるで、ボルボックスが親から生まれ出る時に裏返って外界に飛び出てくるようで面白かった。そう言えば、眼には情報を処理する能力があることが知られているが、元々脳の一部なのだから当然のことなのかもしれない。顎の骨の一部が頭の内部に引き込まれてできる耳の器官とは成り立ちが、かなり異なっている。骨をトポロジックに裏返したらどうなるかを、ルドルフ・シュタイナーが言っていることも頭の隅に残っていた。脊椎骨を裏返して頭蓋骨になると想像してみる。これも離れワザである。それから、解剖学者の三木成夫(みき しげお)さんの、植物の姿は、動物の内側に手を突っ込んで手袋を引っくり返すように反転させ、粘膜の穴から内臓を引張り出した形に重なるという指摘、これにも頭をガーンとやられた感があった。三木さんについては原形態のところで少し述べている。

 肝腎の器官や消化管を根や葉に見立てる発想は、栄養吸収の働きを動物のなかの植物過程としてみる見方が古くからあることを考えるとさほど驚くべきことでもないのかもしれない。しかし、それを反転運動として捉えたのは驚きだった。三木さんのことを知ったのはもう亡くなられてからのことで、ご存命の間にお会いしたかった人である。著作は、主著が「生命形態の自然誌」、うぶすな書院から刊行されている。

カスパー・シュワーベ © Ueda Nobnutaka

それから、シュワーべさんと同じスイス人のパウル・シャッツという幾何学者が発見した「裏返された立方体」(図版1) の運動。動画で見ると面白い動きをするのがよくわかる。立方体から切り出された形態をつなぎあわせて回転させるのだが、三つの太った菱形がモゴモゴ言いながら回転している風で、なかなかユーモラスな感じがする。これについては、シュワーべさんの著書「ジオメトリック・アート」(工作舎)を参考にしていただければよいと思う。

図版1 パウル・シャッツ『裏返される立方体』

 ボルボックスの反転運動の写真をどうしても掲載したかったので、この研究では第一人者と思われる西井一郎(にしい いちろう)さんにこの文章を書いている間にお願いしてみたのだが、快く了承してくださった。ぼくの絵とボルボックスとの関係はよく分からないが、面白そうなのでいいですよということだった。とても嬉しかった。写真と動画を送っていただいたのだが、画像の質がとてもいい。動画は掲載するのが難しかったので一部を静止画に直したものを載せさせていただいた。分裂を完了したボルボックス(図版2)の子供(胚)の表面の一つの極には、十字の切れ目を持つ口があり、その口の周りが外側に反り返ることからインヴァージョン(反転運動)がはじまる(図版3)。

図版2 分裂を完了したボルボックス
© 西井一郎
図版3 ボルボックスの反転運動  
© 西井一郎

反り返り運動がもう一方の極に徐々につたわり、最後には表裏が逆転するそうである。化学的な仕組みを知りたい人は、「生命誌ジャーナル」のサイトなどを御覧になるとよい。西井さんの記事が出ている。画像で見ると綺麗に反転している様子がわかる。ちょっとメレット・オッペンハイムが作った毛皮で覆ったコーヒーカップのオブジェを連想させたりもする。この場をお借りして画像をお送りいただいたお礼申し上げたい。それから、西井さんは、反り返って裏返る球体モデルも作っておられるらしいのだが、それもいつか見せていただけることを願っている。

図版4 液滴の落下 © Ueda Nobutaka

 液滴の水中落下を撮影してる時に、液滴が月面宙返りをしているようで面白かった(図版4)。この図版の場合は、液滴に砂糖の含まれていないコンデンスミルクを水で薄めて使っている。水面に落下すると魚のように水中に滑っていくのだが、すぐに逆さになった落下傘か上下逆のお椀状のクラゲのような形態に変わる。やがて、トーラス状(ドーナツ型)になると微妙に揺れて拡がり始め、トーラスの何ケ所かが膨らみはじめて、まるで子供を作るように小さな塊が糸を引きながら落下しはじめる。その逆落下傘からトーラス状に微妙に揺れ始める間のことなのであるが、水の抵抗を受けて落下傘のすそが内側に渦を巻いて入り込もうとしているように見える。つまり、反転運動しているようにみえるのである。
この動きが面白くて仕方がなかった。

今からの話は、通常の落下傘の形とは上下が逆さまなので注意してほしいのだが、液体の落下傘のすそが内側に巻きはじめて、落下傘の中心部の液は巻き取られて希薄になり、やがてミルクのドーナツになるというシナリオではなかろうか?だが、完全に反転しきらない内に子供ができてしまう。ドーナツ自身が重くなり過ぎて重力に負けてしまうのだろう。ボルボックスの反転運動に比べると早産ということになってしまうのかもしれない。このような流体の世界に興味を持ったのは、テオドール・シュベンクの影響なのだが、生物の器官と流体の作る形の類似性を教えてくれたぼくの大好きなドイツの流体力学者である。二つの流体が作り出す界面には感覚器官の萌芽ではないのかとさえ思えるほどのセンシティブさがあるという。シュベンクについては、UZUMEを参照してください。勿論、ダーシー・トムソンの先駆的な仕事も忘れてはならない。 

 反転運動は、一般にはあまり馴染みのない言葉だが、バックミンスター・フラーは、運動の6つの自由度として、軸運動、回転運動、膨張と収縮運動、トルク(ねじれ運動)、プリセッション(コマの首ふりのような動き)、そして反転運動を挙げている。宇宙の基本的な運動の一つなのである。フラーについては、不穏な原子核ベクトルモデルたちでも触れている。彼は、正四面体をあらゆる総三角形化された多面体の中で裏返しになって自らの鏡像を作れる唯一の多面体であることを称賛しているのであるが、宇宙における最小システムがこの正四面体であるという深い確信を持つフラーにとって、この二重性は宇宙にくまなく浸透している根源的な性質だった。拡散するエントロピーに対して、統合するシントロピーの相が相補的に存在するのと同じように、そこにはまた、物理的要素と超物理的要素の両方が存在するという。本質的にデュアルなのである。そこに単一性はない。彼によれば、超物理的な存在には、経験はできるが大きさから独立している重さもエネルギーもない存在、量ではなく質的な存在を含んでいると言う。つまり、情報やスピリチュアルなものを含むのである。物理的要素と超物理的要素は、一つのシステムとしての統一体(unity)を構成するのであるが、その構成体の一方に情報や精神的な要素を持つゆえに観察者と被観察者との間にある結合が生じて、他者性への意識と生命への認識が生まれるというのである。液滴は静止水と自らとの間に渦を作る。内と外との間にあるコミュニケーションがある。ボルボックスは親である内界から外の世界へと反転して飛び出していく。そこにはどんなコミュニケーションが存在するのだろうか?
 

 時々、自分の見ている光景、自分の住んでいる町の街並みや、電車から見える風景などが、一種の先の塞がったチューブのようなものであって、それを手袋のように反転させたらいったい世界は、どのように見えるのだろうかと考える時がある。突き詰めると、宇宙を反転させたらどう見えるかということなのかもしれないが、そうなった時のアナザーワールドを期待してしまうのは、人間の悲しい性(さが)なのだろうか。宇宙は、統一体で反転しようがないのだから、自分が反転して宇宙をのみ込むしかないのかもしれない。こうなれば、自分の人生もインヴァージョンしてみたいと妙な気になったりもする。

2009年 3月