“Entenrakai” Moving Spiral, Rotating Circles  In Memory of Yutaka Matsuzawa/円転螺廻 ― 松澤 宥 の思い出に―  

Non-Linear Modern


Op.3
2006   162cm×130.5cm
ER-3
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Entenrakai 8

Op.8
2006-2007 227cm×182cm
ER-8
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Entenrakai 9

Op.9
2006-2007 227cm×182cm
ER-9
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Op.12
2006-2007  65cm×50cm
ER-12
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Op.14
2006-2007  53cm×42cm
ER-14
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Op.16*
2007
130.5cm×97cm
ER-16
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Entenrakai Variation

Op.1*V
2007  73cm×51.5cm
ENV-1

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variation of enterakai 9

Op.9*V
2007  73cm×51.5cm
ENV-9

Private Collection


Op.10V
2007      61cm×50cm
ENV-10

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Op.3*V
2007  73cm×51.5cm
ENV-3

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Op.18*V
2007  73cm×51.5cm
ENV-18

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Op.19V
2007-22  73cm×60.6cm
ENV-19
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Op.20V
2007-22 117cm×117cm
ENV-20

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Production materials/制作素材


基底材  綿キャンバスに和紙 アクリル下地
     * パネルに紙 アクリル下地
絵具   オリジナル絵具(天然樹脂、油、蜜蝋)油彩

Original paint (made from resin, oil and beewax), Oil, Acryl
Japanese paper on cotton
*Paper on panel 


“Entenrakai” Moving Spiral, Rotating Circles  In Memory of Yutaka Matsuzawa/円転螺回


2006-2007 これらの作品を 松澤宥の思い出に捧げます。

植田信隆+松澤宥 撮影 長沼宏昌

 「何故あんなに美しく飛べたのだろう?」 駿河ジョニーは、松澤宥 (まつざわ ゆたか)の死に際してこのように語ったという。確かに美しい生き様ではなかったか。その人は、炎のように軽やかで、春の日のように暖かだった。今、私は、その思い出のためにこの文章を書いている。
 
 松澤宥と最初に出会ったのは、2002年の春、東京は、東高円寺のギャラリーだった。白髪の小柄な老紳士が、手作りの私の展覧会のパンフレットにしばらく目を通した後、もの柔らかに2,3質問するのだった。紹介される前から松澤宥その人だと分かっていた。すでに久しい以前から松澤の名声は、コンセプチュアルアートの創始者として国の内外に響き渡っており、一種近づきがたい厳しさとストイックなイメージが作品とパフォーマンスの写真から際立ってくるのだが、それまでの私にとっては遠い存在でしかなかった。しかし、話をしてみて驚いた。あまりに優しく、謙虚な人柄ではなかったか。(松澤氏については、不穏な原子核ベクトルモデルたちにも述べている。「消滅するヒロシマに捧げる九つの詩」を制作させていただいた。また、この文章を書いた時より後のことだが、松澤家のご協力を得て、広島のギャラリーGでコラボレーション展を開催させていただいている。

『松澤宥+植田信隆 展』2020年、ギャラリーG/広島
『松澤宥+植田信隆 展』2020年、ギャラリーG/広島

次の日だったと思うのだが、松澤を核とした「九つの柱」という出版物に参加するように人づてに知らされた。その後、広島市現代美術館で当時の学芸係長だった出原均(ではら ひとし)さんの骨おりで松澤宥の実質的個展となったキュレーション展と出版物とリンクした展覧会「松澤宥と九つの柱」が2004年の暮れから2005年にかけて開催されることになった。その時、出原さんが展覧会のカタログを予算を遣り繰りして作ってくださったことを今でも感謝している。

 原爆投下が、松澤宥にとって創作の原点とも言える出来事であったことは、知っていた。今でも驚きだが、電話で原爆をテーマにした作品の意図や概略を説明した翌々日には作品が、私の自宅にFAXで送られて来た。早い。例の九字九行の曼荼羅形式の文字による作品である。当時80歳を超えていたが、なお現役の作家であることを窺い知ったのである。

 松澤宥の作品は難解だという人も多くいる。しかし、その全体像を紹介する展覧会や出版物がほとんどなかった。これは作家の責任というより、周囲の美術関係者の責任ではなかろうか。唯一、私がその全体像を知りえたのは、斎藤記念 川口現代美術館が開催した展覧会「スピリチュアリズムへ・松澤宥 1954-1997」のカタログを通してだけだった。このカタログの編年体の年賦はすばらしいが、これだけでは、他の出版物と読み合わせることができないので視点に偏りができてしまうおそれがある。本格的な作業を切望する次第である。これも後のことだが2022年に待望の回顧展が長野県立美術館で開催されている。

『生誕100年 松澤宥』展カタログ 長野県立美術館


 松澤の作品は、大きく分けて二つに分類することができる。オブジェとそれ以後である。42歳の時、夜中に「オブジェを消せ」という声を聞いたという(松澤の研究者である富井玲子さんは、オブジェというこの言葉が、いつ、どのように定着したのかはっきりしていないという指摘をなさっている)が、1964年のことである。それ以後、物質から観念へと作品は、移行していった。色のない絵画、形のない彫刻、パフォーマンスと文字のみによる作品、これらは一体何を意味するのだろうか? 一つの手がかりは、松澤が過ごした時代の美術の流れであるモダニズム、それが、どういう衝動を内に抱えた存在であったかということである。それは、より純粋さを求める還元主義的性格を持っていた。いいかえると、より無駄のない関係性と完全性を求めるという性格である。最先端の物理法則を思い浮かべてもらえばよい。より広範囲に適用される最も簡潔な宇宙方程式、それを求める科学者のようにアーティストたちは簡潔さを求めた。だから、モダニズムの申し子であるミニマリズムから数歩の所に松澤のコンセプチュアルアートはある。形はより単純化され、物質的形状を失い、やがて量子の領域へと突き進むことになる。最先端の物理が注目しはじめた世界は、物質と意識が不分明な領域であった。松澤がこの領域を扱う芸術、すなわち「量子芸術」へと到達するのは、論理の上からは当然のなりゆきではある。しかしながら作品として、いわば受肉させることは松澤の天才をもってはじめてなし得たと言わざるをえない。「量子芸術宣言 芸術のパラダイムシフト」が刊行されたのは、1988年、66歳の時であった。
 

 還元主義と最先端の科学に関する飽くなき追求、そのほかに松澤の作品世界を彩る特色は、諏訪の土俗性であるように思う。それも呪術性を伴うような何かだ。地域性と呼べるような中途半端なものではない。松澤は、生涯のほとんどを下諏訪で過ごした。ニルヴァーナとよばれる松澤宥ゆかりの作家たちに何人か出会ったが、同じ雰囲気を感じるのである。瀧口修造の命名した、あの有名な「プサイの部屋」の雰囲気、松澤家の奥座敷のそれを思い浮かべてもらえばよいのではなかろうか。

Ψの部屋 撮影 長沼宏昌
Ψの部屋 撮影 長沼宏昌

Ψの部屋 撮影 長沼宏昌
Ψの部屋 撮影 長沼宏昌


 モダニズムの還元性と諏訪の土俗性とを両極とすれば、その間を取り結んで高みに引き上げたのが、真言密教を核とする仏教思想ではないかと私は思っている。文字のみの作品の多くが曼荼羅形式に則って制作されている。物質偏重の文明への批判や価値転換のマニフェストのなかに、非有、非空、非々有、非々空、などの仏教用語が散見されるのも偶然ではないだろう。空海研究の第一人者である宮坂宥勝氏が中学時代の同級生であることもまた。
 
 それに、まだまだ付け加えなければならないことは沢山あるのだが、一つだけ。松澤の文字による作品を結晶のような高質な美しさに煌かせているものは、言葉のセンスなのである。例えば、このような作品を読んでいただければ、それで分かっていただけると思う。

「この一枚の白き和紙の中に」
この一枚の白き和紙の中に白き円を観じ
そをあわれ死に臨める白鳥としてここに
白鳥の歌を聞けよ
         
「この作品は」
この作品は空の空より生まれし故
空の空に帰るべし

 松澤宥 (まつざわ ゆたか)が、日本の中で余りに評価されていないのが気にかかっている。世界の美術史に名をしるす人であるのに。フルブライト留学生でありながら、栄達の道を求めず、生涯、定時制高校の数学教師であり続けた天才的芸術家の生き方を次の世代にも是非知ってほしいと思っている。

2021年 ギャラリーG/広島における『松澤宥』展 (イェールユニオン組織開催) オンライントーク
●富井玲子によるスライドトーク「松澤宥における非物質・不可視の追求」展示作品《私の死》《白鳥の歌》《九想の室》についての解説 司会 植田信隆
●アラン・ロンジノ「松澤宥ー量子芸術の周辺を考える」
https://youtu.be/0hPcMG4epxk 前篇
https://youtu.be/dVXm0pMnW_s 後編

                        
2009年 2月(一部加筆)