第24話  キム・ヘスン/金 惠順 『死の自叙伝』 詩は死を葬送する 


キム・ヘスン/金 惠順 『死の自叙伝』 クオン 刊


 魂があるなら、その前髪をつかまれて暗い淵を引きずり回される。あなたの孤独など屑籠に投げ入れるほどの価値もないのよと肩を叩かれる。そんな、インパクトのある詩人が韓国にいる。

「君は、そんな暗い詩が好きなのかね……?」と問われれば、胸を張って言いましょう。「その通りです。この詩は素晴らしいです。」韓国文学には全く無知な僕だけれど、このような著作が日本で出版されたことを喜ぶほかない。

 こんな文学に出会えるのは嬉しい。彼女は書く。「まだ死んでいないなんて恥ずかしくないのかと、毎年毎月、墓地や市場から声が湧きあがる国、無念な死がこれほど多い国で書く詩は、先に死んだ人たちの声になるしかないではないか (本書あとがき)」と。そして、彼女は、詩の中でこのように書く。あなたの心臓は川岸の小石のように、川岸の砂のように死ぬ、あなたの呼吸は細い月のように止まる。そして、あなたの背後であなたになれなかった日々が泣き叫びながら波打つと。

 彼女の無念や残念が、何時から生まれ、何処へ去来するのか、寡聞の僕には分からない。しかし、いくつかのヒントはある。その一つは、光州事件だった。軍事政権を率いた全斗煥は、民主化運動のリーダーだった金大中を逮捕し、戒厳令を布告した。1980年5月18日、それに抗議するデモ隊と軍との衝突によって死者を出したことから、市民の抵抗運動は全羅南道一帯に広がり、5月27日には抵抗する市民への射殺命令が下され、ついに鎮圧された。彼女が25歳の頃だ。死者は200名とも2000名とも未だに分からない。この犠牲者の追悼のために作曲家のユン・イサンが、交響詩『光州よ、永遠に』を作曲したことでも知られる事件だった。彼女は、そのことも詩に書く。「布団の中には緑色の服で銃剣を持った兵士の行列/陰部の中には血走った瞳がいくつもころがり‥‥あんなに殴ったのに/あんなに突き刺したのに  あの人たちが泣いている‥‥(吉川凪 訳)」



著者 キム・ヘスン/金 惠順




キム・ヘスン/金 惠順(1955- ) フランクフルト 2019


 キム・ヘスン/金 惠順は、1955年、韓国の慶尚北道は蔚珍 (ウルチン) で生まれた。訳者の吉川凪 (よしかわ なぎ) さんの訳者解説からご紹介する。古くから韓紙の生産で知られる江原道原州 (カンウォンドウ ウォンジュ) で少女時代を過ごしたが、十代で病を得て療養のために海に近い母の実家に移った。祖父が、その街で書店を経営していたことが彼女の人生を決めた。ヘスン少女は、そこで日がな本を愛でる少女となったのである。詩に目覚めたが、誰の詩だったのだろう。ソウルの建国大学・国文科に入学する。三年生の時、東亜日報新春文芸に評論が当選し、志を強くしたようだ。


原州にある雉岳山 (チアクサン)と山頂 ソウルからも日帰りできる紅葉の名所


 卒業後の1979年には季刊誌『文学と知性』に詩が掲載され、詩人として早いデヴュ―を果たしている。出版社で働きながら大学院に通い、モダニスト、民主詩人として知られる金洙暎 (キム・スヨン) の研究で博士号を取得した。苦学したのだ。最初の詩集『また別の星で』、その後『カレンダー工場の工場長さん、見て下さい』、『悲しみ歯磨き 鏡クリーム』、『花咲け ! 豚』、『翼の幻想痛』など十三冊の詩集を出版している。邦訳は、いまのところ本書だけのようだ。金洙暎文学賞、素月文学賞、未堂文学賞、大山文学賞など韓国で詩人に与えられるほとんどの賞は受賞しているという。そして、2019年には著名なカナダのグリフィン詩賞、2021年にスウェーデンの文学賞 Cikada Prize を受賞していて国際的な評価を得ていることが分かる。現在は、ソウル芸術大学文芸創作科の教授であられる。



『死の自叙伝』



 このキム・ヘスンさんの詩集は、死者の霊を弔う四十九日に見立てて詩集を構成したものだ。著者はこの四十九篇を一篇の詩として読んでほしいと願っている。四十九日は、現代の韓国でもその期日を待って忌開きとする家庭も多いと言う。儒教での喪はもっと長い。この最初の詩は、彼女が地下鉄の駅で気を失ったときの体験がその底にあるようだ。本人はこう書いている。

 「私は死ぬ前に死にたかった。目覚めていても身体が死の世界を漂うのが感じられた。電車でめまいを起してホームで倒れたことがある。その時、ふと浮かび上がって自分自身を見下ろした。あの女は誰だ。哀れな女。孤独な女。その経験があってから、死の次に訪れる時間をおろおろと記した (吉川 凪 訳)。」その詩、第一日目の『出勤』を抜粋でご紹介する。

出勤
一日目

地下鉄の中で あなたは目を見開き一度眼球を動かした それが永遠だ

ぎらり の永遠の拡張

ドアの外に押し出されたようだ あなたは死ぬらしい

死にながら考える 死にながら聞く


おや この女 どうしたんだ?  通りすぎる 人々
あなたは倒れたゴミ ゴミは見ないふりをするものだ
地下鉄が出てゆくと老いた男が近づく
男はあなたのズボンの中に黒い爪をスッと入れる
‥‥
死は外から内に襲いかかるもの 内の宇宙のほうが広い
深い しばらくするとあなたは内から浮かび出す


彼女があちらに横たわっている 捨てられたズボンのように
あなたが左脚を入れればあなたの右脚が遠く走り去るズボン 縫い目もない服
ファスナーもない服が転がっている 出勤途中の地下道の隅に
哀れだ 一時はあの女を 骨が骨髄を抱くように抱きしめたのに
ブラジャーが胸を抱くように抱いたのに

‥‥

あなたはあなたから逃げ出す 影を離れた鳥のように
あなたはもうあの女と暮らす不幸に耐えないことにする

あなたはもうあの女へのノスタルジーなどなくなれと叫んでみる
それでもあなたはあの女の生前の眼光を一度ぎらりと放ち
職場目指して歩き出す 身体なしに

遅刻しないで着けるだろうか 生きないはずの人生に向かって歩く

(吉川 凪 訳)

 
 ぎらりと眼光が走る永遠の時、それは反転されて死の時に裏返る。死は外から襲いかかり、内の宇宙から自身がゆらりと抜け出た。今度は外から、男のような目で、この哀れで孤独な女を別人のように、ゴミのように眺める。皮膚に包まれた肉体、縫い目もファスナーもない服を着た死体、今ではコロナウィルスの犠牲者を思い出させるが、過去にSARSなどが韓国でも話題になったこともあったろう。幽体離脱なら普通の人には大した体験だろうが、彼女は、そんなことに構ってはいられない。遅刻しないだろうかと心配になる。そこに現代人の悲哀が影を落とすというわけだ。そう、生きないはずの人生に向かって急ぐ。彼女の詩には、なにか、エミリー・ディキンスンの詩が木霊してくるような気がする。


 ディキンスンは、30歳を過ぎると隠棲して眼の治療以外に「屋敷」を出ることはなかった深窓の令嬢、生きながら伝説と化したアメリカの女性詩人であった。

生の一撃は死の一撃
死ぬまで目覚めなかった者には――
生きたとしてもずっと死んでいて
死んではじめて生が始まるものには――

(エミリー・ディキンスン 816番 新倉俊一 訳)

軽やかな気球は 大地からの
解放以外に 何も求めはしない
そのために存在した上昇
その舞い上がる旅――
そのように 霊は自分を
永い間縛っていた肉体を
憤慨しながら 見下ろす
丁度 歌をだましとられた
小鳥のように――

(エミリー・ディキンスン 1630番 古川隆夫 訳)

彼女はこの世に帰ってきた
しかしあの世の色彩をおびて―
ちょうど芝生がスミレを娶るような
いと複雑な物腰で―

夫というより むしろ天国に
嫁いでいった花嫁は
おずおずと 半ば地中の
半ば地上の暮しをするのだった

(エミリー・ディキンスン 830番 新倉俊一 訳)

 キム・ヘスンさんにとってもう一つの重大な事件は、セウォル号の沈没だった。2014年、仁川 (インチョン) から出港した船は彼女が教える大学がある安山 (アンサン) 市の高校生325人と教員14名も乗せて済州 (チェジュ) 島に向かっていた。修学旅行だった。しかし、朝鮮半島の南西部の端にある観梅(クァンメ)島沖で船は沈没する。乗客、乗員合わせて476人のうち死者は、その半数を超えた。事故原因は、船の無理な改造、積荷の超過とそれに伴うバラスト水の抜き取りにあった。バラスト水は船のバランスをとるため船内に積み込まれる海水である。これに加えて、乗員の操作ミスと適切な避難誘導が行われないという人的ミス、海洋警察庁の杜撰な対応が重なり韓国史上最大の海難事故となる。


セウォル号海難事故を追悼する黄色いリボン 2014


 この事故では、修学旅行生らが船の沈んでいく様子を携帯電話で訴えた。それは沈没の恐怖を生中継されている感があったと言う。この事件があって一年程は韓国の詩人、小説家は皆文章を書くことができなかったと訳者の吉川さんは述べている。2015年に谷川俊太郎さんと四元さんが、日・中・韓の詩人に呼び掛けて連詩を創作した時、彼女は、そのさなかにいた。それも、連詩のテーマは「海」だったという。

‥‥
千日目もあの島に着けない
あなたはまだあの島に到着できない
もうすぐ下船だと思った瞬間
あなたはまた真夜中 小さなキャリーバックを引いて旅客船に乗る
‥‥

(『あの島に行きたい 二十日目』より 吉川凪 訳)


 連詩における彼女の詩は、セウォル号事件の高校生たちに関するものを思い起こさせるものばかりで、どんなに他の情景に振られても彼女は、そのテーマから抜け出せなかった。ようやく最後に聾唖学校の生徒たちをテーマに何か光のようなものを見せて四元さんを安心させたと言う。本書にも『水に寄りかかります 四日目』、『あの島に行きたい 二十日目』というタイトルで、この事件に関連すると思える詩が掲載されている。ちなみに、彼女はグリフィン詩賞の受賞講演に際して「国家の助けを得られずに死んでいった多くの哀れな霊魂にこの栄光を捧げる」と述べたと言う。彼女の書く死は、私の死や特定の個人の死もないわけではないけれど、訳者の吉川さんの言葉を借りれば、多くは「ある集合体の死」なのである。

 彼女の詩のもう一つの特徴は穴だ。白いウサギは血を流して赤いウサギに変る。しばらくすると赤いウサギは腐って黒いウサギになる。大きな雲のようにもアリのようにも自在な大きさになれる死んだウサギ。その小さくなったアリウサギを耳の穴に入れてみる。耳鳴りがして耳は死んでゆくと、ウサギは血の付いた生理用品に生まれ変わり、その死んだウサギの耳のように匂う泣き声を毎月壁に掛ける。これが『カレンダー 二日目』という詩の概略である。


川原繁人『「あ」は「い」より大きい !? 』



 それに、彼女には「ア・エ・イ・オ・ウ」という詩について述べた身体の穴に関するコメントがある。母音は身体中の穴と結びついていて、特に女性の身体と死の身体は限りなく変性し生成しながら他の身体と交流し入り混じると言う。身体が名前を失い、公民権を剥奪され、追放された時に、死の言語、女性の言語か生まれると言うのだ。ア・エ・イ・オ・ウは「川原繁人『「あ」は「い」より大きい!? 』音象徴とコトの葉」でそのうちご紹介するけれど、五つの母音の順番が、それを発音した時に口蓋の中にできる空間の大きさの順になっている。身体の穴に関する言葉は、この詩集でも散見される。

「黒い喉に清らかな足の爪にも似た何かが」「男の眉毛の下で震えていた汚いブラックホール」「陰部の中には血走った瞳」「母の鼓膜を食べようと待っている」「あなたの鼻孔に下りれば 腐った墓」「舌が口の中で熔ける女が」、このほか、頭蓋骨の中の幽霊、ビーカーの脳といった表現もある。身体、特に裸体と残酷の関係を闡明にしたのは僕の大好きな美術史家ディディ=ユベルマンだった。

 ヴィーナスの裸体画のイメージがキリスト教化された時、そのイメージは貞潔に塗り替えられる。しかし、ヴァールブルクは、ボッティチェリの描くヴィーナスに「密やかな誘いかけ」と「近寄りがたさ」という二重性を見ていた。その晴れやかな裸体も外部は直接的に内部の形態から生じていることは明らかだろう。ジョルジュ・ディディ=ユベルマン (1953-) は、『ヴィーナスを開く』で、ディドロの絵画論の一説を引く。



 「生命体の外部とは、不断に変化する内部の出現でないとしたら、一体何だというのか。この外観、この表皮は、内部の、多様で、複雑で、繊細な構造とぴったり合致しているわけで、それ自体が内部をともなっているのだ。というのも、内部と外部のふたつの規定は、完全な静止のうちにあっても、激しく運動していても、常に直接のかかわりを持っているからだ (宮下志朗・森元庸介 訳)。」内部は外部に反転する。

 そして、「近寄りがたさ」はフロイトが指摘する「裸体に触れることのタブー」に繋がる。強迫神経症は、エロティックな接触を追求しながら退行を経て、攻撃という形の偽装の接触を追求する。そこには、魅力と欲望が作動する「気まずさ」「人を惑わす連想」が存在するという。無意識的な欲動は脳の深部に由来するものだ。イメージとは何よりも作動し続ける張力であり、「不純なる」状況であり、稼働中のプロセスなのだとディディ=ユベルマン言う。キム・ヘスンさんの穴は、外部にある内部であり、それはまさしく稼働するイメージなのである。

 その裸体に、バタイユの言うような純潔に対極する不純といった異質性や端的にエロスに対するタナトスを見るのは、まだ早い。ディディ=ユベルマンは、ボッティチェリが描いた『ナスタージョ・デリ・オネスティの物語』に登場する、ある場面を紹介する。しかし、アシスタントの筆がかなり入っていると言われるが、なんだがロレンツォ・デ・メディチの死後、彼の作品はとっても冴えない。


サンドロ・ボッティチェリ
『ナスタージョ・デリ・オネスティの物語』
第二話 部分 1483年


 それは騎士に追いかけられ、背中を割られた裸女の絵であった。ボッカッチョの『デカメロン』五日目第八話のエピソードで、地獄での罰によって恋の闇路に惑う騎士が自分を顧みない冷淡な女を殺戮することを永遠に繰り返す「地獄狩り」の話である。ボッティチェリのこの絵はヴィーナスに象徴される女性の裸体を切り開き、心臓をあばいてみせるといったもので、永遠の業罰もここまでくると凄い。この穴は身体にまつわる欲動が残酷へと反転する象徴と言えるのではないか。エロティシズムが裸体に宿る残酷さを開く。ヴィーナスを開くのである。身体そのものに残酷さが宿っている。それは、バタイユが『エロティシズム』の中で述べたように「己を引き裂き、消失させる、存在の過剰 」へと結びつくからである。

 キム・ヘスンさんの詩について、四元さんは、彼女のひとつひとつの言葉は難解ではないし、具体的で、明示的で、曖昧さが一つもないと言う。その言葉から表象されるイメージの変性は、強い生理的なファンタスムを作動させる。それは、イメージの物質性とも呼ぶべきものではないだろうか。イメージの衝突や夢の中の変容というより、イメージの異質性を照らし出す張力である。「この女性詩人の視点は教わったものではない、ナマのものです」などという男性評論家の言葉など彼女は一蹴する。女性詩人が、ナマの声を持っているなどとはお気楽な指摘だというのである。それは発声方法の違いであり、そのような視点を得るための不断の努力の結果だと言うのである。

 さて、彼女の詩に戻ろう。詩集も大詰めを迎える四十六日目である。彼女はここで、奇想天外な仕掛けを見せてくれる。この『窒息 四十六日目』の詩は、接続詞の次に「息」という言葉が接続される18行もの羅列になっている。息が詰まりそうだ。しかし、彼女はその最後に、この上ない皮肉を死に浴びせかける。詩が死を葬送するのである。詩人はこう述べている。「現実の死が、詩の中の死によって打撃を受けることを願った。」最後の三行をご紹介する。

死は息をして あなたは夢を見たけれど

もう死から人工呼吸器をはずす時間
もう夢を壊す金槌が必要な時間

(『窒息 四十六日目』より 吉川凪 訳)


 「死はこの世でたった一つの嘘」、「あなたがむずかる幼い死たちに乳をくわえさせる」など鮮烈なイメージを撒き散らしながら彼女は書く。そして、ついに「あとがき」の最後のほうにこう書いた。「もう死を記したから、再び死など書きたくない」と。だけど、僕はもっと彼女に死のことを書いて欲しいと思っている。何故なら、沢山の災害やパンデミックで、多くの人が死に、多くの人が悲しみに沈む。その痛みを共有しうるのは、その悲しみに深く打ちひしがれた者の持つ感情だと思っているからである。死を扱わない文化、不死だけを言祝ぐ文化は浅い。

リズムの顔

死んだほうがましだと思っても
突然苦痛が終わると心細いのです
死んだほうがましだと思っても
突然苦痛が終わると苦痛が思い出せないのです
死んだほうがましだと思っても
突然苦痛が終わると死にたくなります

死もこれより深く私の中に入ることはできないから

(キム・ヘスン/金 惠順 詩集『翼の幻想痛』より 「リズムの顔」から第一連  吉川凪 訳)


本書は、韓国の現代文学を紹介するために立ち上げられたクオン/CUONから出版されている。東京の神保町にある出版社で、書店もあるらしいので近くの方は覗いてご覧になると良いと思う。それから、日本語訳をなさった吉川凪さんの手腕も素晴らしい。このような著作が日本でどんどん出版されることを望んでいる。

まだ、コロナが猛威を振るっていた2022年2月に投稿したものを再録しました。



夜稿百話

参考図書



『韓国三人詩選』金洙暎 (キム・スヨン)、金春洙 (キム・チュンス)、高銀 (コ・ウン)



『エミリー・ディキンスン詩集』新倉俊一(にいくら としかず)訳編

日夏耿之介、新倉俊一、岡隆夫の訳で114篇の詩が収録されている。訳の良さでは、この詩集がお薦めです。


対訳『ディキンスン詩集』亀井俊介 編

対訳『ディキンスン詩集』亀井俊介 編

50篇の詩を「人生」「愛」「自然」「時間と永遠」の四つのテーマに分け、その原文と訳が収載されている。対訳『ディキンスン詩集』亀井俊介 編


岩田典子『エミリー・ディキンスン』わたしは可能性に住んでいる―

岩田典子『エミリー・ディキンスン』わたしは可能性に住んでいる―

ディキンスンの伝記を知る上で重要な評伝で、ボリュームもあって有難い。


ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『時間の前で』

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『時間の前で』

ジョルジュ・ディディ=ユベルマンは極めて特異な美術史家である。イメージ人類学者と呼ぶ人もいるが、彼はイメージを象徴としてではなく、徴候と捉える。これは、ヴァールブルクとベンヤミンに連なる系譜と言ってよい。その首尾一貫したテーマは、歴史記述におけるアナクロニズム、つまり時代錯誤の復権であった。


ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ』

ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ』

極限の優美として知られるステファノ・マデルノの『聖カエキリア』、ベルニーニの法悦の『福者ルドヴィーカ・アルベルト―二』、ジュゼッペ・サマルティーノ 『ヴェールに包まれたキリスト像』、これら聖なる像からニンフの衣というべき衣装が脱落し、排水溝の襤褸布やゴミといった被写体として撮影されるまでを描いて歴史の二重のレジームを映し出すイメージ哲学。




参考図版


光州事件


光州事件の中心地であった全羅南道旧道庁前広場

1980年5月に韓国の全羅南道の道庁所在地だった光州市 (現:光州広域市) を中心に起きた事件。軍事政権に対する市民による民主化要求のための蜂起だった。
第二次大戦後の1948年建国以降発生した「済州島 四・三事件」や「保導連盟事件」と同様に、韓国軍が自国民を大量虐殺した事件の一つであり、軍による一斉射撃などで一般市民に多数の死者を出した。この光州事件では、民主化達成と軍事政権の打倒はできなかったが、7年後の1987年に軍事政権側が「民主化宣言」を出し、言論の自由と大統領の直接選挙を認めた。


光州事件の犠牲者が埋葬された国立墓地



セウォル号海難事故

2014年4月16日に大韓民国の大型旅客船「セウォル」が転覆・沈没した事故。仁川広域市の仁川港から済州島へ向かっていた清海鎮 (チョンヘジン)海運所属の大型旅客船「セウォル (世越)」が全羅南道珍島郡の観梅島 (クァンメド) 沖海上で転覆・沈没した。セウォルには修学旅行中の京畿道安山市の檀園高等学校2年生生徒325人と引率の教員14人のほか、一般客108人、乗務員29人の計476人が乗船しており、車両150台あまりが積載されていた。


事故後引き上げられたセウォル号

セウォル号沈没事故の行方不明者捜索・救助活動

セウォル号沈没事件の行方不明者捜索・救助活動






サンドロ・ボッティチェリ『ナスタージョ・デリ・オネスティの物語』
1483年



1483年にルクレツィア・ビーニとの結婚式の際にジャンノッツォ・プッチに寄付するようロレンツォ・デ・メディチから、ボッティチェリが依頼された、4点のシリーズの絵画。ジョヴァンニ・ボッカッチョによるデカメロンの5日目の8番目の物語から取材されている。

ラヴェンナの貴族である『ナスタージョ・デリ・オネスティの物語』は、パオロ・トラヴェルサーリの娘が、一旦はナスタ―ジョの求愛を拒否するが、別の女性が恋人に対する同じ冷酷さの罪によって地獄の刑罰を受けるのを目撃した後、気が変わり、ナスタ―ジョと結婚式を挙げるというストーリーになっている。



物語の第一話は、ラヴェンナの町の周辺にある松林を舞台にしている。ナスタージョは、自分の片思いの恋愛に失望して街を去り、一人で悲しみつつ彷徨う。彼は、騎士と彼の犬に追われている女性の突然の出現に驚く。ナスタ―ジョが彼女を守ろうとするにも関わらず、犬は彼女に噛みつく。



第二話で、ナスタ―ジョは、女性が犬に内臓を食われた後、生き返り、ふたたび騎士と犬に追われるのを目撃する。



第三話では、ナスタ―ジョがトラヴェルサーリの娘の気持ちを自分になびかせようと、この騎士に追われる女性の幻影を見せる。



第四話、この光景を見たトラヴェルサーリの娘は気持ちを変え、ナスタ―ジョと結婚し、ハッピーエンドとなる。


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