遂に手を出してしまった『ユダヤ神秘主義』、いずれは読まなければならないと思っていたけれど、かなりハードルが高い。ユダヤ文化内の狭い範囲だけでなく世界的なスタンダードとして、ゲルショム・ショーレムの名を国際的に高めた著作です。「訳者後記」の言葉を借りれば、ディアスポラ (民族離散) ユダヤ人の中に連綿として生き続けてきた一筋の真紅の血潮のようなユダヤ魂。その核心をなす内発的系譜を繋ぎ、ユダヤ民族に流れる真の伝統を再生する。そのことによって、現代から未来への新たな展望を開くべく書かれた確信的マニフェスト。この訳者たちの力の入れようは尋常ではない。
カバラーの世界への扉は、19世紀のユダヤ啓蒙期に事実上閉じられてしまっていた。一方で、エリファス・レヴィ (本名/アルフォンス・ルイ・コンスタン) やアレイスター・クローリーとその一党のような山師たちのあらんかぎりの妄想や突拍子のない絵空事の主張が行われるようになった。この等閑に付された分野に改めて歴史的研究の揺るぎない尺度をもたらすことが、自分に課せられた課題だとショーレムは述べている。この熱意と意気込みが、この冷静な著述の底にある。
著者 ゲルショム・ショーレム
ショーレムは、1897年ベルリンに生まれている。父は、ユダヤ教から完全に離れた中産階級のユダヤ人で印刷業を営んでいた。ベルリン大学で数学、物理、哲学を学ぶ一方で、ヘブライ語を学び始める。エルンスト・ブロッホの『ユートピア精神』に示された「ゾハール」に感激し、自己の根源に触れんとしていた同じ頃、ヴァルター・ベンヤミンとの友情を深めていた。ベルリンの「ユダヤ民族ホーム」での、とある講演のことだった。会後の討論の折、偶々、カフカの恋人のフェリーツェ・バウアーがいて、カフカにショーレムの発言を手紙に書き送っていた。その返信が50年後にカフカの手紙として公刊された時、ショーレムの驚きは例えようもなかったという。
第一次大戦後、バイエルン国立図書館のカバリスト手稿などの一大コレクションに惹かれてミュンヘン大学でカバラー研究を行った。博士論文は、12世紀プロヴァンスで編纂された *3 『バーヒールの書』で、その後の研究に40年を費やしたという。しかし、その図書館で発見したものの中には、盗賊や故買家といった下層社会におけるユダヤ人と非ユダヤ人との密接な絡み合いをみた。彼は、秘教文書の中にこそ、ユダヤ哲学の中で歪曲されてしまった民衆の中に息づく確かな真実があると確信するようになる。この1916年から1918年までが、ショーレムにとって決定的な時期だった。
彼は、カフカの作品の中に「現代の精神におけるカバラ的世界感情の世俗的表明」を見ている。カバラーの中には高い水準の本質的なものがあり、自分の世代には知覚できないにせよ、私たち自身の最も人間的な経験に触れずにはおかない領域があると考えるようになったのである。
1923年に英領パレスチナへ移住し、数学の教師よりも俸給の少ない司書の職を選んだ。ここでユダヤ神秘主義の研究に没頭する。イスラエル国会図書館のヘブライ・ユダヤ文献部門の責任者となり、後にエルサレムのヘブライ大学で、教鞭を執るのである。
第一章 神秘主義 ― 魂内の神との直接的な結合
神秘主義とは神を直接知覚すること、あるいは、その実在の直接的体験に基礎を置く宗教――これが定義です。トマス・アクィナスは、神を経験することから得た実験的な知としている。神秘家たちは、一般のイメージにあるような信仰の枠を打ち破るアナーキストではなく、大きな宗教の忠実な息子たちであったとショーレムはいう。*1 タルムード時代 (紀元350年~500年頃) とその後に一つのグループを成した最古のユダヤ神秘家たちは、忘我の直観によって至高の神と天の玉座へ至る魂の高揚を見た。これは、本来のカバラーが形成される以前の時代に由来する神秘主義である。この古きユダヤ・グノーシス派の人々から *2 ハシディズムの神秘家に至る遥かな一筋の道が通じているとショーレムは言うのである。
神的なものと人間的なものの分離以前の、いわばエデンの園の段階が宗教の第一段階とすれば、神秘主義が登場するのは、人間が神に対して相対することになり、無限の神と有限の人格との間に深淵が誕生する時代である。その割れ目を閉じるべく登場するのが神秘主義なのである。宗教の創造的時代といっていい。その舞台は、人間の魂であり、絶たれてしまった神話の世界と啓示の世界との統一を再び打ち立てようとする。硬化した血管に新たな脈動を伝搬させ、古き価値に新たな解釈をもたらすと言える。
ユダヤ神秘主義は、神への道を宇宙創造説から辿って回帰しようとする点において歴史を往還しようとするものである。宇宙創造という前進と終末論という帰還とが一つの運動となり、収縮と拡散を繰り返す宇宙の生命として表象される。この点で新プラトン主義に接近する。このユダヤ神秘主義は、「伝統」を意味するカバラ―という名で知られるようになった。一見、個人的な内密な知が伝承された知として理解されていた。それは、秘教として極く少数者に制限されていたものではあったが、ある時代には民衆全体をその影響下に置こうとする。それは、古代ヘレニズム時代の秘教崇拝と似ているというのである。日本の中世に密教が御利益を求める大衆の心を掴んだのに似ているのかもしれない。
カバラ―とは、宇宙論や終末論、メシア思想を伴う神秘主義と言っていい。ユダヤ神秘主義はカバラーと同義のように思われる向きもあるが、非ユダヤ的カバラ―もある。それらはキリスト教的カバラーとヘルメティック・カバラーである。ユダヤ神秘主義は、啓蒙思想の反動ではないとショーレムは断言する。哲学と、それとは異なるラビ的なユダヤ教の精神的遺産の中で働く様々な力とは、いわば、互いにがんじがらめになりながら交差しあってきた。哲学は生きた神を見失いそうになり、神秘主義は迷路の中に迷い込みそうになりながら互いに発展してきた。神秘主義は、哲学者によって哲学的概念の誤解のようなものだと小馬鹿にされるが、それが、カバリストの宗教的感覚からすれば、尊厳と偉大さをもたらすことになるのである。その気分は、この言葉に集約される。「あんた方はあの哲学者たちの学問を賞めるがね、あの連中は、われわれが始める処で止めちまっているだってことを知らにゃいかんよ (ブルゴスのラビ・モーセス/13世紀末)。」逆説的だが、しばしば、カバリストの誤解は、オリジナルな教説への道を開いてきた。
*3 バーヒールの書 1651年版
宗教的思想の内に神話をクローズアップし、一神論者に抵抗していたグノーシス派の最後の一派が、ユダヤの神秘家にその言語表象を授けた。授けられたカバリストの象徴は常に神話的性格の異質な世界に強く関係していて、 *3『バーヒールの書』の編者たちに、ひいてはカバラ―全体のために遺産として残してくれた古い神秘的な形象は、その秩序を破壊してしまった律法を打ち破ることを志向していく。カバリスト神学には神話の復活と再構成への注釈があり、まさにそれがユダヤ史におけるカバラ―の成功の秘密であるとショーレムは言う。合理的哲学が、応えることのできなかった素朴な人々の生の不安や死の不安にカバラ―は寄り添った。
悪の存在は、哲学者とカバリストを分ける試金石である。神話と魔法の中で宗教意識が脅かされた危険がカバラ―の発展の中で一度重大な形で現れる。カバラ―に深く入ろうとする者は、ある時は感銘し、ある時は嫌悪する、その感情の分裂を振り切れないという。つまり、両義的性格を持っているのである。今回 part1 は、カバリスト以前のメルカーバー神秘主義とユダヤのグノーシステキストを概観したい。
第二章 メルカーバ―神秘主義とユダヤのグノーシス
ヨハナン・ベン・ザッカイ(紀元1世紀に活躍)の像
1. メルカーバーと賛歌
ユダヤの神秘主義はパレスチナに始まる。紀元1世紀の終わりころ、*a ヨハナン・ベン・ザッカイの弟子たちのサークルから出たミシュナー (口伝律法) の教師たちから最も重要な担い手たちが現れる。その精神的遺産は、新たな宗教的世界像となり、3世紀から6世紀の時代に、と或るサークルによって文学的遺産として残されることになるのである。彼らは、自らを明かすことなく、ヨハナン・ベン・ザッカイや *b アキバ・ベン・ヨセフといった先人を神秘的行者や秘密の叡智の担い手や伝達者に仕立て上げて、著述していった。
ユダヤ秘教の最も古い文学の中心は *4 メルカーバー文献である。天の軍団、天使の国家、幾重にも層をなす天上空間、大帝の王座などが登場する玉座神秘主義と呼ばれる。この玉座世界は、宗教史では *5 グノーシスや錬金術との関係が深いといわれ、ヘレニズム期の初期キリスト教の神秘家たちのいうプレローマ (充溢) と同じ潜勢力や *6 アイオーンや支配力を備えた神聖の光と同じ性格を持つ。それは、ローマ帝国時代におけるエジプトでのギリシア語やコプト語で書かれた魔術の呪文などの記述と解きがたく結びついていた。それは、旧約聖書の *4『エゼキエル書1-26』や聖書外典の *7『エノク書』にも見出すことができる。
エゼキエルの「戦車のビジョン」 テウス・メリアン (1593-1650) 画
その典拠は離散した大小の断片でしかないが『*8 ヘハロースの書』と呼ばれている。ヘハロースとは、天上の宮殿を指していて、その7番目の宮殿に神の玉座がある。聖書外典や黙示録文学の伝統にあるこの書には聖書の詩句解釈が登場せず、直接的な宗教的体験を記しているらしい。この運動の消滅段階になって逆に聖書解釈の要素が支配的になっていくという。このメルカーバー神秘主義に関わるのは、自分たちの秘密の知識であるグノーシスを倫理的人格的な条件を満たす者にのみに、その伝達を許す観想的な神秘家の学派だった。ヘハロースが書かれた大小の断片の内、大きいものが『大ヘハロース』だが、その匿名の著者たちにとっての最重要事項は、このグノーシスを *9 ハーラーハー (ユダヤ法) を行動の導きとするユダヤ教のなかに植え付けることだったと言われる。
メルカーバー神秘主義の文章は、元来、天上の七つの宮殿、そして神の玉座への天路遍歴における光景描写とそれへの準備や技術が書かれている。2~3世紀のグノーシス派の人々や錬金術師が目指したのは、地上から宇宙の敵対的惑星天使や支配者の領域を抜けて神の光の世界の『充溢』の内へと、その神的故郷に帰り着く魂の上昇だった。メルカーバーは、それをユダヤ的に変質させたものだとショーレムは言うのである。
最高天には七つの宮殿があり、非ユダヤのグノーシスでは七つの惑星界となっている。そこの支配者たちは、門番を置き、救いを求める魂たちが通行証を持たないなら追い返させる。特に、第六の宮殿の門は難関だった。参入者は、門のところで計り知れない大量の水が押し寄せてくるのを見るのだが、そこには一滴の水もなく、光り輝くエーテルと宮殿の透き通った大理石があるばかりだった。その水の意味を天使に尋ねようものなら嘘つき呼ばわりされ鉄の棒で頭を殴りつけられるのだった。第六の門の前で石と水とを勘違いしてはならないと *b ラビ・アキバは注意を促している。陶淵明の曽祖父・陶侃(とうかん/259‐334)は夢の中で身に八翼が生えて天に昇り、九重の天門のうち八つまで登ったが、最後の門の所で門番の杖に打たれて地上に落ち、その左翼を折って中には入れなかった(『晋書』陶侃伝)というが、中国でも似たような話が残っている。その通行証は、魔術封印で創造主の玉座に火の柱のように立っているという。最古のヘハロース・テキストである『小ヘハロース』には、このような魔術的要素に満ち満ちているといわれる。
天上に君臨する王はゾハラリエルとかアディリロン、テトラッシュ、テトラスといった名で呼ばれ、そのような名で神の栄光の色々な側面が理解されたと思われる。これは、巫術への変質を物語っていた。秘密の名が支配力を持つようになり、巫術師が「神の風格をもった君主」を魔法で呼び出す際に執政官に向かって「いと高き、畏れかしこい、身もふるえる君主」と呼びかける。気高さと畏怖とが、このサークルの宗教感情の鍵となるという。その雰囲気を知る上で、最も重要な要素は祈祷や賛歌である。簡単明瞭な神への呼びかけであったり、メルカーバー世界に在る者と神との対話とその描写であったりするが、シナゴーグの詩歌 (ピーユート) の最も古いものの一つであるこれらの賛歌は、奇妙なほど内容が乏しいのにも関わらず詠唱されると祈る者に魔術的効果を及ぼすと言われる。こんな詩句だ。
万能と至誠は永遠なる生者のもの
明察と至福は永遠なる生者のもの
高貴と偉大は永遠なる生者のもの
知識と弁舌は永遠なる生者のもの
美観と偉観は永遠なる生者のもの
‥‥
これは、ひたすら神の名誉称号を忘れまいとするかのような賛嘆の積み重ねなのである。いや増しに高まる呪文の繰り返しの中に、祈禱者の忘我の境が用意されているという。それに、この賛歌は神に語りかける被造物の最初の言葉と考えられ、救済された世界では全ての生き物は賛歌で語るという預言的思想が浸透していると言われている。ここにヘブライにおける原言語の聖性の意味の一端が明らかになる。
2. シェキーナーの体とその寸法 (シウル・コーマー)
シェキーナーは輝くという意味だが、もともとは「留まる」「宿る」という意味だという。神の栄光が人間の間に留まる、あるいは宿るということから神の内在と関わる。しかし、メルカーバーにはシェキーナーも神への愛もない。そして、神の玉座の方が、その世界創造よりも優位に置かれるのである。メルカーバー神秘家は、飛翔しながら天使よりも奥へ突き進み、ラビ・アキバに示された神を見る。大ヘハロースには、「シウル・コーマー (身体の寸法) 」として伝えられる挑発的とも言える人間に擬せられた創造主の姿がある。当然、神秘主義的傾向を持たないサークルからの強い反発と憤りがあった。その手足の寸法は、色々なテキストでどうしようもないほど混乱している途轍もなく大きな数値で、神の指尺は全世界を包括するという。この「シェキーナーの肉体」を想像することは不可能とされている。
2~3世紀の降神術を信仰しているグノーシスのテキストにも「父の肉体」とか「叡智の身体」に関するよく似た神の擬人観が見られるらしい。これは、シウル・コーマーに劣らず異常で不可解だという。*4 エゼキエルはメルカーバーの玉座に人間らしきものを見たが、この「シウル・コーマー (身体の寸法) 」は、イランに伝わる「原人」と一致するものかもしれないとショーレムはいう。近東で広まった思想をユダヤ教に逆輸入した試みの残滓ではないかというのである。この玉座の神には世界創造者の属性が意図的に付与されている。しかし、世界創造者は「真の神」に敵対していない。デミウルゴスは神秘的に擬人化されているが、実現できない現し身として、シェキーナーの肉体の寸法として定義される。それは、ユダヤ・グノーシスの最も古い要素の一つと言われる。これについては、アダム・カドモンの身体との関係も注目される。
3. メータトローン神秘主義
モデナ大聖堂の西ファサードの碑文 12世紀 左 エノク 右 エリア
全ての天使の内で最高の天使である *10 メータトローン。ノアの種族からシェキ―ナ―の風に運ばれ第7天アラボースの宮殿に運ばれたエノクが見たものは、シェキーナーの玉座であるメルカーバーであり、怒りと憤怒の軍団、炬火のケルビーム、燃える炭のオンファニーム (原意は車輪/神の王座を守る天使)、炎の家来、閃光のセラフィームたち、天使団だった。この記術は、『エノク書』と深くかかわっている。エノクの肉は炎に、血管は燃え盛る火に、その睫毛はほとばしる閃光に、瞳は燃える炬火となる。エノクは神の玉座の隣を与えられ、メータトローンという新たな名で呼ばれることになるのである (『エノク書』「エノクの夢に示された異象」)。天使に高められたエノクは、紀元2世紀の初頭には、天使ヤーホーエルまたはヨエルと同一視されるようになるが、ヤーホー/ Jaho は、テトラグラマトン (聖四文字) JHWH の略語であり、神の名の一部を含んでいる。しかし、最高の被造物ではあっても創造主ではない。
エチオピア語やスラブ語で書かれたエノク書にあるエノクの天の遍歴は、メルカーバー神秘家のエノク書では別バージョンとなっていて、メータトローン自身が、自己の忘我と変容、天使と玉座の世界のヒエラルキー構造をラビ・アキバに語る形式に変わっている。
もう一つ、ラビ・アキバがメータトローンについて語る重要な要素に宇宙の帳あるいは、幕がある。神の玉座の前に架かり神の栄光を天使の群れから隔てている。この幕の起源は、かなり古く、2世紀の *11 アッガーダー (聖者伝説) の中に、それらしきものがあるし、コプト語のグノーシス文献『ピスティス・ソフィア/知恵としての進行』にも同様にあるという。それは、創造の日々以来、天上世界に潜在的に存在しているあらゆる事物の形象を含む幕である。弦理論の研究者であるオランダの物理学者ヘラルデュス・トホーフトのホログラフィー理論を思い出させるが安易に結び付けるのはやめよう。ともあれ、この幕を見る者はメシアの救済の秘密にも通じると言われる。過去と未来のすべての歴史的経過はこの幕の中に形成されていると言われる。
こアーカーシャ的な幕の存在によって、神の玉座の知識も、包み隠されているトーラーの戒律の理由も、メシアの時代には明らかにされると言われ、メルカーバー神秘主義の原動力の大きな要素となった。そして、アイオーンの連鎖の中で展開するグノーシス派のプレローマは、宇宙の直接創造と関わっているが、メルカーバーでは、宇宙創造との関りは、この幕を通じてでしかないとショーレムは述べている。グノーシスでは「我々は何処から来て、何になったのか、我々は何処に居たのかあるいは、何処に置かれたのか、我々は何処へ急ぐのか、何処から我々は救い出されたのか」という認識への努力がなされたが、ミシュナー (口伝律法) が禁じている「上に何があり、下に何があるか、以前に何があり、後に何があるか」という問いとメルカーバーとは関係がありうるのだとショーレムは言うのである。
4. 神秘的宇宙創造説 ―「イェツィーラー」
アイオーン思弁の残滓を留めるものにカバラ―文学最古のテキストと言われ、特異で晦渋なことで知られる12世紀の *3『バーヒールの書』があるが、『ラーザー・ラッバー/偉大な秘密』(詳細未詳) という東洋の文献が直接の典拠とされている。そこには、グノーシスの術語、象徴、神話のモチーフがどのように12世紀のプロヴァンスにもたらされたのかを説明してくれるという。
メルカーバー神秘主義の外縁にはグノーシス的な理論的テキストとして『バーヒールの書』があるように、アマッセ・ベレーシース (宇宙創造説) の外縁にあるのが、3~6世紀に成立した *12 『イェツィーラー/創造の書』である。この小著は、セフィロースと呼ばれる10の原数と22のヘブライ語のアルファベット文字の持つ秘密の力の組み合わせによって、宇宙創造がなされたとしている。それが、「32の叡智の秘密の道」なのである。それぞれの文字の秘密の意味を論じ、人間、星辰世界、季節の循環における各文字の秘密の関わりを開示するという。後期ヘレニズムか、もっと前の後期新プラトン主義の数秘主義の理念が文字と言葉に関するユダヤの思想と結びついているといわれる。しかし、セフィロースに関する記述は、あいまいで、宇宙創造の根本においてさえ、セフィロースからの流出、あるいは、その相互作用による神からの流出説を唱える者もあれば、全く反対する者もいると言った具合だった。セフィロースを、神の神霊、エーテル、水、火、空間の六つの次元と直接同一視する者もあれば、それらの相互関係を見る者もいる。どちらにしても、古典的メルカーバーの遍歴者が全く知らない新しい要素であった。この書に関わる魔術や巫術もあり、天と地の秘密、デミウルゴスの寸法と容積などと同様に、あらゆるものを支配する力を与える秘密の名は魔術的作法の中で忘我に接することになるのである。
こうして、メルカーバー神秘主義が純粋な魔術に傾斜していく支流が形成される一方で、もともとヘハロース・テキストが天界への上昇と道徳的完成度の段階とを同一視していたことを受けて、8世紀のバビロニアでは、贖罪行為としての上昇が取りざたされるようになる。また、4世紀のキリスト教神秘主義者の一人であるエジプトのマカリウス (アントニウスの弟子でスケティス修道院の創始者) が、人間を神の栄光の担い手とし、魂を栄光の玉座と考える転換と内在化を図っている。このようないくつかの支流の形成はあっても、元々のヘハロースのメルカーバー神秘主義には、人間そのものには取り立てて関心がなかった。
何回かに分けてお送りするゲルショム・ショーレム『ユダヤ神秘主義』ですが、次回 part2 は、舞台をドイツに移し、ハーシード (敬虔者) を巡って、その宗教的理想像、中世伝説のゴーレム、それに関わる数秘術と没我体験、激しい贖罪主義、汎神論的神の遍在、そして内的栄光 (見える光、見えない光) などの内容で中世ドイツのハシディズムをご紹介する予定です。
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