夜稿百話+α4『李賀詩集』 離騒を飛越え鬼に至る


『李賀歌詩編』
1 蘇小小の歌 2 独吟聯句 3 北中寒

 宣歙 (せんきょう/現在の安徽省南部) の観察使沈伝氏 (しんでんし) の属僚であった杜牧 (803-852) は李賀の朋友に頼まれ、彼の詩集のための序の中でこう書いた。李賀は生まれて二十七歳で死んだ。世の人は皆言う、もう少し生きてその詩に理を加えたなら『楚辞』をも奴僕にし得ただろうと。かなりの煽り方だったが、李賀と『楚辞』とは確かに関りが深い。

 今回の夜稿百話+α は唐中期の逸格の詩人李賀を取り上げ、彼の詩の特異性と屈原との関連に焦点を当てたいと思っている。詩訳は、主に新修中国詩人選集5『李賀 李商隠』の荒井健氏のものを一部変更して掲載している。それ以外の訳は注記しています。


新修中国詩人選集5『李賀 李商隠』

李賀の風貌

 李賀より二十一歳年下で熱烈な李賀ファンだった李商隠は『李賀小伝』の中で賀の姉の話をこう伝えている。長吉 (賀のあざな) はやせ細り、両眉が一直線、いつも小柄な僕童を連れてくたびれた騾馬に乗り、詩句ができると古い錦の囊 (のう) の中に放り込む。一旦できた詩は見直すことはなかった。よく一人騎乗して長安と洛陽の間を往来したという。そんな日常だった。李賀は『開愁歌』の中でこのような意味を詠った。

 秋風吹き荒れて一面の枯野、その崋山の下に一人佇んでいる。二十歳にして失意の底にあり、沈み淀む憂愁に心は枯れ、衣は破れて鶉 (うずら) の飛ぶが如くはためき、乗る馬は痩せ犬のようだった。岐路に立ち、銅剣を抜き放って撃ったが、銅の吠え声のような音しかしない。飲み屋で衣服を形に酒を飲む。洛陽に近い宜陽の酒だ。美味い。壷中にあると言われる仙界、その天空に向かって叫んだが、鬱屈の雲は晴れない。真昼間だというのに四方には冷やかな静寂だけがある。店の亭主は「心骨を養って、錯綜する軋轢
など受け流しなさい」と道師のようなことを言う。(李賀『開愁歌』より)


崋山

二十 (はたち) にして心朽ちたり

 「長安に男児有り/二十 (はたち) にして心已に朽ちたり (『陳商に贈る』)」と李賀が詠ったには訳がある。父は唐の皇室と同じ李氏を姓とし「李二十九弟」と自らを呼び、名は晋粛 (しんしゅく) だが、辺境の小役人で早くに亡くなった。唐初代皇帝李淵 (566-635) の祖父李虎の次男が皇帝李淵の父であり、八男の亮が李賀の祖先と言われる。(原田憲雄『李賀歌詩編』) 

 李賀が生まれたのは中唐の791年、河南の洛陽にちかい宜陽 (ぎよう) の昌谷だった。河南の県知事となった韓愈 (かんゆ) は李賀の才能を評価し、中央の科挙の本試験に推挙する。その年の冬、李賀は喜びに気もそぞろに都の長安に上った。だが、彼の父の名が禁忌に触れるとして受験資格を取り消される。唐代の官吏試験では死者の生前の名である諱 (いみな) が試験問題の中にあれば試験を辞退する習いがあった。父の名である晋粛 (しんしゅく) の晋は進士の進に重なっていると言うのである。


長安と宜陽

 唐の康駢 (こうべん/8世紀後半) の『劇談録』には、こう述べられている。

 後に文公と呼ばれた韓愈に深く知遇を得た李賀の名声は官僚世界で広く知れ渡っていた。元和 (806-820) の世のことである。後の宰相となる元稹 (げんしん) は科挙の明経 (めいけい) 科に及第していて詩を書いていたことから李賀を尋ねた。たが、李賀は迎え入れもせず、明経に及第したような人が李賀見物かと下僕に言わせた。恥辱と怒りにまみれた元稹は礼楽・外交・科挙などを担当する礼部郎中となると「賀の父祖の諱 (いみな) に晋の字があり進士の試験を受けるべきでない」と言挙げし、他の軽薄な連中の排斥もあって不幸なことになった。韓愈が惜しんで弁明を行ったが受け入れられなかった。

 それは言いがかりであったが、良き詩人は良き官吏であることが求められた時代、彼の前途は閉じられたに等しかったのである。元稹が実際にそうしたかは僕には分からないが、賀が嫌われ疎まれていたのは確かだろう。ともあれ彼は自分の意を得られなかった。二十歳の春はかくも悲嘆に彩られたのである。科挙の本試験は受験できず、空しく故郷に帰還した李賀だが、おそらく名門の子弟への特別制度によって、翌年に奉礼郎の官職を得た (荒井健『李賀 李商隠』) 。父親の李姓が役に立ったのだ。しかし、宮中の儀典係の下役に過ぎず、李賀の心は朽ちたのである。この儀典とは国家儀式の進行係で祭祀や儀式を司る太常寺 (たいじょうじ) の管轄にあった。

 冒頭の『陳商に贈る』の詩の続きはこうなっている。

楞伽経が机の上に積まれ、楚辞がその後ろにある。
俺の人生はどうにもならない行き詰まりだ。
日が暮れれば酒を飲むことしかない。
今はお先真っ暗で、白髪頭を待つまでもない。
‥‥

 楞伽経と楚辞が李賀の愛読書と言われる。ここもまた楚辞が登場する。

韓愈と鴈門 (がんもん) の太守の行 (うた)


韓愈(768-824)
作者不詳 

 李賀と韓愈との邂逅であるが、唐代の張固による李賀の逸話集『幽閑鼓吹 (ゆうかんこすい) 』に、当時、洛陽の国立の官学院の博士であった韓愈に十七歳の時 (807年)に、この詩を見せたと述べられている。「百怪 我が腸 (はらわた) に入らん」と述べた怪異好みの韓愈は、この詩『鴈門 (がんもん) の太守の行 (うた)』のすさまじさに圧倒された。


黒雲城を圧し、城は砕けようとしている
鎧に反射する日の光は 開かれた金色の鱗のようだ
角笛の音が 秋空の内に 天に響き渡る
城壁の上の真紅の血汐は 夜、紫色に固まった
半ば巻かれた赤い旗は 易水の川へと垂れ
霜は厚く太鼓の音が 寒々と冴えることがない
黄金台を築きその招きに 報い
玉竜の剣をひっさげ あなたの為に死のう


鴈門 (がんもん) の太守の行 (うた)

黒雲 城を圧し 城摧 (くだ) けんと欲す
甲光 日に向い 金鱗開く
角声 (かくせい) 天に満つ 秋色の裏 (うち)
塞上 (さいじょう) 臙脂 夜 (や) 紫 (し) を凝らす
半ば巻ける紅旗 易水 (えきすい) に臨み
霜は重く 鼓声 (こせい) 寒くして起こらず
君の黄金台上の意に報いて
玉竜を提攜 (ていけい) し 君がために死せん

 城を圧する黒と輝く鎧の金、城塞の血潮の臙脂 (真紅) から紫への変化、天に届く角笛の音と霜のように思い太鼓の音、煌めく黄金と玉色の剣、鋭い二極の色彩と音響のコントラストがあり、時に鼓声が寒いと形容され共感覚の有り様を見せる。

 これまた李賀の熱烈なファンだっ
銭鍾書 (1910-1998/せんせいしょ) が『談芸録』の中でこう述べている。 色濃く、音すさまじく、香りは強く、一句、一句に石に刻むが如き文体は不可摩滅の世界となって人の意表を突くという。李賀の詩は濃厚にして強く流れ、不滅の世界を形づくるというのである。

 この表現主義的と言ってもいい詩風は、中国においては逸格であった。その強度において、トラークルの『グローデック』(参考図書参照) を思い出すが、トラークルは第一次大戦の東部戦線において看護兵として働き、その惨状に堪えられず自殺した若い詩人だった。

 ちなみに韓愈が戦地に赴くのは 817年(元和12年)で、唐の朝廷は、淮西 (わいせい/現在の安徽省中部) で割拠し、中央政府に反旗を翻していた節度使の呉元済を討伐する戦役だった。 韓愈は当時、宰相であった裴度(はいど)の行軍司馬(軍事顧問・事務方の責任者)に抜擢され、最前線へ赴くことになる。

李賀 詩法の革新と伝統

■革新

 李賀の詩は、幻想的怪奇美、陰鬱と悲哀の奔走、暗冥な心理、世の汚辱・人間社会への悪意といった言葉で形容される。「精神を傷つけるまでには悲しまぬ」が中国の文芸批評の尺度と言われ、李杜韓白 (李白、杜甫、韓愈、白居易) においても強い悲嘆があっても感情の平衡が崩れることはないという (荒井健『李賀 李商隠』) 。その意味で李賀は逸格だった。それに加えて難解で注なしでは読めないとされてきたようだ。

 鴈門 (がんもん) の太守の行 (うた) が特徴的だが、表現が硬質で暗く厭世的であっても時に極彩色でぎらつ
き、詩全体は流動する。彩色された陶片を乗せて流れるマグマといった感じだ。先ほどの銭鍾書は、剣=玉竜、酒=琥珀、秋花=冷紅、棗の実=垂朱といった代用語や「湿景」、「国路」、「旁古」といった造語の多用を挙げている。これでは確かに読んでいて混乱する。ここでは憂愁漂う19世紀フランスの象徴詩のような作品をご紹介する。


『駕を待ちて棲鸞 (せいらん) 老い』

隋の天子のお出ましを待つ間にそこに棲む鸞鳥は老い
古い隋の宮殿の山椒を塗りこめた壁は崩れた
リンリンと軒端の鈴の音が響き
流浪の臣下の孤独な悲しみが湧く
日陰の藤蔓が赤い錠前に巻きつき
竜の模様の垂れ幕は妖怪どもの巣となる
濃緑の美しい織物に赤い檉柳 (ぎょりゅう) の花の刺繍がされている
香しい褥が残された貴婦人の位牌の前に捧げられる
歌声は久しく起こらず塵は虫食われた梁に積もる
舞い上がる蜘蛛の糸が長い雲となって天井を覆う


駕を待ちて 棲*1鸞 (せいらん) 老い
故宮 *2椒壁 (しょうへき) 圮 (くず) る
鴻瓏 (こうろう) 数鈴響き 
羈臣 (きしん)  涼思 (りょうし) 発す
陰藤 (いんとう) 朱鍵 (しゅけん) 束 (つか )ね
龍帳 (りゅうちょう) *3魈魅 (しょうび) を著 (つ) く
碧錦 (へききん) 花檉 (かてい) 帖 (ちょう) し
香衾 (こうきん) 殘貴 (ざんき) 事 (こと) う
歌塵 (かじん) 蠹木 (とぼく) に在り
舞綵 (ぶさい) 長雲に似たり


*1鸞  五色の羽を持つ架空の鳥
*2椒壁 宮中の皇室の壁には香りがよく温暖になるとされたことから山椒が塗りこめられた。
*3魈魅 魈は山に住む一本足の妖怪。魅は
山林などの精気から生じるとされる化物。


檉柳 (ぎょりゅう) の花花檉 (かてい)

■伝統

 南宋の洪邁 (こうまい/1123-1202) は、李賀の詩の独自性が言祝がれてはいるが実際には杜甫の詩を発展させているのであって異端の詩人という扱いは不当だとして、次の例を挙げる。

 『羅浮山父一に人に作る葛を与うる篇』の詩の最後の二行「箱に収められた、まるで、江の雨空を映し出したような葛布を一尺切り取ってほしい。 呉の国の乙女よ、ハサミの切れ味が悪くて切れないなんて言い訳はしないでおくれ。」(「剪らんと欲す 箱 (湘) 中の一尺の天 呉娥道う莫かれ 呉刀渋ると」)

 これに対して杜甫の『王宰の書きし山水図に題する歌』では「どうにかして、并州(へいしゅう/山西省付近)産のあの切れ味鋭いハサミを手に入れられないものか。 そうすれば、(王宰のこの絵に描かれた)呉松江(ごしょうこう)の川の流れを、半分ほど切り取って持ち帰ることができるものを」(焉「いずくん」ぞ并州の快剪刀を得て、呉松半江の水を剪取せん)

 このように先人杜甫の影響を指摘している。
(小田健太『李賀詩論』)


『羅浮山父一に人に作る葛を与うる篇』

依依 (いい) 織るに宜 (よろ) し 江雨の空
雨中 六月 蘭台 (らんたい) の風
博羅の老仙 時に洞を出づ
千歳の石牀 (せきしょう) に鬼工も啼く
蛇毒 濃やかに凝り 洞堂 濕 (うるお) う
江魚 食らわず 沙 (すな) を銜 (ふく) んで立つ
剪 (き) らんと欲す 箱中一尺の天
呉娥 (ごが) 道 (い) う莫れ 呉刀澁 (しぶ) ると

 一字一句に過去の偉作の残響を寿ぐ中国では、この詩においても、杜甫の他に色々な関連が指摘されている。(原田憲雄『李賀歌詩編1』)

李賀 『羅浮山父』他者の詩句
依依 (慕わし気な様)陶淵明 「依依墟里の煙」
雨中杜甫 「雨中百草秋爛死す」
蘭台の風宋玉 「楚の襄王、蘭台の宮に遊ぶ。宋玉、景差待す。風あり颯然として至る。」(宋玉、景差は共に楚辞の作者)
千歳の石牀水経注 「一僊人の石牀上に坐するを見る」
鬼工岑参(しんじん) 「崢嶸 (そうこう/ 山などの険しい様) 鬼工の如し」

 などがあるが、賀が意識するしないに関わらず、このような間テクスト性が存在する。

 ちなみに葛の根は葛粉や漢方薬として使われるが、葛布は葛の茎の繊維から作られた布で夏用の衣服の素材とてして知られる。藤織りなどと似た風合いを持っている。


藤織り

屈原の『離騒』

 『楚辞』は戦国時代の楚の国の南方系の韻文を基に作られた17巻の詩集で、その中の『離騒』、『九歌』、『天問』、『九章』などが屈原の作とされ、その他に宋玉や景差ら屈原の後継者の作がある。とりわけ『九歌』は巫覡 (ふげき/シャーマン) の祭祀に関わる歌であり、登場するのは楚の当時の神々である。降神、娯神、送神という段階を踏む。この『九歌』における『山鬼』は、李賀の詩を彷彿とさせるものがあり特筆すべきものがある。それに『離騒』においても巫覡が重要な役割を担っている。そこで、屈原の『離騒』とやはり巫覡の登場する李賀の『神絃の曲』を比較してみたいと思う。まず、この章で『離騒』を概説し、次の章で李賀の作品をご紹介する予定です。『離騒』とは、一般に「憂いに遭う」と解釈されている。

 主人公霊均は名家に生まれ優れた才能と徳を持つ。しかし、王は悪行を改めず諫めても佞臣の言葉に惑い、霊均は疎まれ排斥されるようになる。沅湘の川を渡り舜の葬られた九疑に赴き義憤を開陳したが、答えはなかった。失望した彼は天に昇りその門に至ったが門番に拒絶され、虙妃 (ふくひ) といった理想の女性 (理想の君主の比喩) を求めようとする。天への伴侶探しの旅は占いでは吉だったが霊均は半信半疑だった。高貴な神巫 (かんなぎ) が天下って神々も出迎え、霊均は山椒の実と米を抱えて待とうとする。神巫はさらに遠くへと旅立てという。飛龍に玉と象牙で作った車を曳かせてこの世を離れ空高く馳せたが故郷を見て御者は悲しみ、馬も進もうとしない。故国を捨てた今は、既に亡き殷の賢大夫彭咸 (ほうかん) のもとへ行こうと自死を決意する。


‥‥
わたしは雷神に命じて雲に乗り
*1虙妃 (ふくひ) のいる場所を探し求めさせる
‥‥
霊草と竹の小枝を取って占い
霊気を頼んで占わせると
それが言うには美しいもの同士はいつか合う
だが今は誰がおまえの修潔を信じ慕おうか
‥‥
吉と出た霊気の占いに従おうとは思いながら
心はためらい迷う
神巫 (かんなぎ) が夕暮れに天降るとき
山椒の実と精米を懐いて迎えよう
多くの神々は空を蔽ってともに天下り
*2九疑の神々は揃ってお出迎えする
神巫は輝きながらその神なる霊気をあげ
わたしに遠遊の吉なるわけを告げる
‥‥


*1虙妃 伏義の娘で洛水を渡る際に溺れ河神となった。美しいが放蕩な君主の象徴と言われる。
*2九疑の神々 九疑は聖王舜の葬られた場所。舜には娥皇と女英の二人の妃がいたが舜の死後に湘水に身を投げ湘君と湘夫人という水神になった。

(『楚辞集注全注釈一 離騒』吹野 安 訳)

屈原を飛び越える

 李賀と屈原の作品との類似性はしばしば指摘されてきたが、屈原が『離騒』で述べた「好んで人の美徳をかくし妬む」社会、「ひたすら迎合をきそう」世人に対する思いは李賀とても同じであったろう。安史の乱後の社会は衰退の一途をたどっている。808年 (元和三年) 、宰相李吉甫 (りきっぽ) は国勢を調べ、その戸数は唐の最盛期の三割にまで落ち込み、兵力は逆に二戸に一人という割合にまで増加した。税制と兵農一致の府兵制は崩壊しかけ、内政の改革は功をそうせず、宦官が幅を利かせ、守備隊の節度使は地方の実権を握って独立を企てようとし、国境では異民族が侵入を繰り返していた。度重なる節度使や異民族の討伐に戦火は絶えなかったのである。(荒井健『李賀 李商隠』)

 本懐とは、ほど遠かったが宮中の儀典係の下役・奉礼郎の官職を得たことは既に述べた。儀典とは国家儀式の進行係で祭祀や儀式を司る太常寺 (たいじょうじ) の管轄にあった。ここは屈原の『楚辞』とも関わるのである。

『楚辞』の『離騒』に対して李賀のこの『神絃曲』の詩では、祭礼で神を楽しませるために演奏する娯神の曲を援用しているが李賀好みの怪奇なムードに包まれている。巫女は踊るが、落ちる実は山椒ではなく木犀である。神の出現を迎えるのは死を迎える狐狸であり、竜は登場するが壁に描かれていて何処にも飛べず、雷神に近いが雨神が登場し、天ではなく水底へと深く入っていく。


神絃の曲

西山に日は没し 東山はうす暗い
旋風が神の乗馬を巡って吹き 馬は雲を踏んで駆ける
美しい弦楽器 清楚な管楽器 神を迎えて楽の音が軽やかだ
花やかな衣装がさらさらと鳴り 秋の砂塵を巻きあげて巫女が踊る 
木犀の葉は旋風に払われ、その実は落ち、
神の出現と共に青い狸は血を流して叫び 哀れな狐は死ぬ
古びた壁に描かれた竜の彩色画 金色に尾が煌めいている
雨の神はこれに乗って秋の水底深く入る
百年を経た梟は木の精に化けた
笑い声 濃緑の鬼火が巣の内から起きる


神絃曲

西山 日没し 東山昏 (くら) し
旋風 馬を吹いて 馬は雲を踏む
画絃素管 声 浅繁 (せんはん)
花裙 萃蔡 (すいさい) として 秋塵に歩 (ほ) す
桂葉 (けいよう) 風に刷 (はら) われ 桂は子を堕 (おと) し
青狸 血に哭 (こく) し 寒狐死す
古壁の虯 (きゅう) 金 尾に帳 (ちょう) す
雨工 (うこう) 騎 (の) りて入る 秋潭 (しゅうたん) の水
百年の老鴞 (ろうきょう) 木魅 (もくみ) と成り
笑声碧火 (へきか) 巣中 (そうちゅう) に起こる

鬼才と呼ばれて


李賀 『列仙全伝』
道教に共感しないと言われる李賀だが仙人
扱いされている。

 李賀は鬼才と呼ばれた。この言葉は彼にのみ冠せられる。中国では鬼は亡霊のことだ。怪力乱神を詩に言挙げすることは、孟郊 (もうこう/751-814)や茶詩で知られる盧仝 (ろどう/795?-835?)などの例もあり、韓愈にもその傾向があったが、李賀は極端だった。宋の『南部新書』に、李白は天才、白居易は人才、李賀は鬼才と記されたのである。彼が鬼みたいだと言うわけではない。鬼を描いたのだ。かつての死せる美女への思いを詠った『蘇小小の歌』は有名だが、真夜中の墓場を描く『感諷 (かんぷう) 』をご紹介する。鬼雨という言葉が登場し、ほぼ、怪談ムードになっている。


感諷 (かんぷう) 五首』其の三

南山はどうしてかくも悲しげなのか
亡霊の咽び泣きは雨となり、人影もない草むらに降りそそぐ
長安の夜更け 秋風に幾人かの命が消えつつある
ほの暗い 黄昏の小道
ゆらゆら揺れる 青い櫟 (くぬぎ) の並木
月が中天にかかって 樹に影はなく
山はすべて 青白い暁の光
鬼火が死者の花嫁を迎え  奥深い墓穴には蛍が群がり飛ぶ


『感諷 (かんぷう) 五首』其の三

南山 何ぞ其れ悲しきや
鬼雨 空草に灑 (そそ) ぐ
長安 夜半の秋
風前 幾人か老ゆ
低迷す 黄昏の逕 (みち)
裊裊 (じょうじょう) たり 青櫟 (せいれき) の道
月午 (つきご) にして 樹に影無く
一山 唯だ白暁
漆炬 (しっきょ) 新人を迎え
幽壙 (ゆうこう) 蛍 擾擾 (じょうじょう) たり

 三年間の都の生活に見切りをつけて813年 (元和八年)に、賀は故郷に戻り、翌年、友人を頼って職を求め、潞州 (ろしゅう/山西省長治県) を訪れたが、その甲斐もなく、817年 (元和十二年) に故郷の昌谷で病没している。二十七歳だった。先にご紹介した李商隠の『李賀小伝』の中に彼の末期の様子が書かれていて、同時に、その宗教観を知る上で貴重な逸話になっている。

 長吉 (賀のあざな) が亡くなる時、赤虬 (きゅう/水龍) に乗り緋の衣を着た人が太古の篆書か隕石の模様のような文字の書付を持ち、天帝がお召しだという。長吉は母は病だからと否んだが、天帝が白玉楼の完成の祝いに君に文章を作らせたいのだと言うのである。彼は泣いて、やがて気を失った。窓からボウボウと煙が立ち車の急調の管楽器のような音がしはじめた。老夫人が皆の哭くのを止 (とど) めてしばらく後、長吉は息を引き取った。

 この話は李賀の鬼異な詩風に呼応する話にもなっているが、昇天を拒むのは唐代でゆるぎない地位にあった道教の否定であり、天帝の招きを拒むということは天をも拒むことであり儒教の否定にもなりかねなかった。この逸話の挿入は、儒学を崇めた唐代の人々が李賀を憎み排斥し誹謗したことへの李商隠の巧みな意趣返しではなかったかという
(原田憲雄『李賀歌詩編1』)

 李賀は不老長生と敗者の哲学と言われる道教にも、官府のバックボーンであった儒教にも組しない。楞伽経は、世界という現象は心の影であり、人間の無意識の底には経験の記憶を種子として持つと主張し、屈原はこの世を捨てて天界に旅立った。




夜稿百話関連リンク
第64話 『トラークル詩集』
第85話 識られざるもののイメージ part1 中国青銅器から山水へ (壷中天について述べた章がある)

夜稿百話



李賀詩集

原田憲雄『李賀歌詩編』1

『蘇小小の歌』を中心に李賀の女性観 (フェミニズム) を詠った詩がまとめられている。二首ほどご紹介する。

●『会稽から帰って』
国家の滅亡から会稽に避難した庾肩吾 (ゆけんご) が帰郷の後に詠ったであろう詩を李賀が想像して創作した詩。

「愛されなくなったのではない/夫が出征したわけでもない/お姿がふと見えなくなり/さまざまな愁いが胸いっぱい/‥‥」

●『湘妃』
舜に嫁した堯の娘である娥皇と女英が舜の没後に湘水に身を投げ水神となって湘君と湘夫人と呼ばれた故事にちなむ詩。

「斑の竹は 老いて 千年 なお死なず/ひさしく女神に伴って 湘水をおおっている/蛮社の女の歌声が 寒々とした空にみち/九疑山 緑しずかに 紅の涙の花/鸞と鳳 けぶる梧桐の樹海で 別れ/巫山の雲や蜀の雨が 遥かにここに通うばかり/憂愁の秋の気は 青い楓のこずえにのぼり/すさまじい夜 波間では 古代さながら龍の鳴く声」


原田憲雄『李賀歌詩編』2

『あなたとわたし』、『昌谷詩』といった独吟聯句の長編詩を中心に収載されている。中国の聯句と日本の連歌、連句を考えるという。

●『あなたとわたし』
「ボクハ宋玉 (前三世紀の美貌の詩人、屈原の後継者の名) 恋にヤツレテ (男) / わたしは嬌嬈 (きょうじょう) 紅おしろいで/ 歌ごえは春草の露 (女)/ 門オオウ杏ノ花ムラ/クチビルは小さな桜桃 (みざくら) (男) / 眉は濃い桂のみどり/ あかつきのお化粧さえて (女) /‥‥」

●『昼の短かきに苦しむ』
「飛び去る光よ/まあ一杯やらないか/ 知らんねえおれは なぜ青空が高くって/ 黄いろい台地がぶ厚いか/ ごらんのとおり月は冷たく日は熱く/人の命を煎るばかり/ 熊食えば太っちょ/ 蛙食えば痩せっぽち/ *1神君は何処にいる/ 太一なんて有るのかね/ 天の東の*2若木 (じゃくぼく) / 下にいるのが太陽をくわえた龍さ/ そいつの足をぶった斬り/ 食らおうか龍の肉/ そうすりゃ朝にも昇れまい/ 夜になっても沈めまい/ 老いぼれたちはくたばらず/ガキどももわめくまい/ 黄金丹に白玉散/呑む面倒もなくなろう/ *3任公子 (じんこうし) きどりで誰が/ 雲の上まで騾馬を走らす/ *4劉徹がくたばれば茂陵の墓は骨の山/ *5嬴政 (えいせい) の棺桶はどっと積んだる腐れ魚じゃて」

*1神君  漢の武帝が傾倒した巫術的な信仰の中で、不老不死の秘術を授けてくれるとされる超越的な存在(神霊)。長陵 (現在の陝西省) の巫女であった王児という女性が死後に霊となったものとされていて武帝には姿は見えなかったが会話出来たとされる。
*2若木 生命の樹
*3任公子 (じんこうし)  会稽山に腰かけ50頭の牛を餌に毎日を釣りをしたが一年経って巨大な魚がかかり大騒動の後にこれを捕え国中の人々にその肉を振る舞った。『荘子』外物篇に登場する人物。
*4劉徹 漢の武帝のこと、茂陵はその陵墓。不老長生を願い仙薬を多用したが甲斐もなく死んだ。
*5嬴政 (えいせい)  秦の始皇帝、旅の途上で死亡し死を隠すために棺桶の上に魚の干物を山積みして都に帰った。


原田憲雄『李賀歌詩編』3

『北中寒』などの戦場をテーマにした詩を中心に集められ李賀の戦争観をみる。

●『猛虎』
「長い戈(か)にも突かれぬよう/ 強い弓にも打たれぬよう/ 子に乳ふくませ/ 獰猛なやつに育て上げた/ 頭を挙げれば城みたい/ 尾を振れば旗みたい/東海の豪傑黄公も/ そいつの夜歩き見て見ぬふり/ 正義派騶虞 (すうぐ) の存在に/ 我慢できぬ公牛哀 (虎に変身して兄を殺した) の化物/ 刀はそいつに向かわず/ 壁で鳴るだけ雷みたいに/ 泰山のふもとで/ 夫人が泣いているのに/ 役所にいろいろ規則があって/ 役人は 聞いてもやらぬ」 

騶虞 (すうぐ)  「至信の徳あればすなわち之れに応ず」とある義獣。『和漢三才図会』

●『北中寒』
「一方 黒ク輝キ 三方ハ紫/ 黄濁スル大河 氷結シ 魚モ龍モ死ンダ/ 三尺ノ木皮 ズタズタ二裂ケ/ 百石ヲ積ム強力車 河水ヲ渡ル/ 霜ノ花 草ノ上二 銭ヨリ大キク/ 迷霧タチコメ濛々タル天二 刃ガタタヌ/ 荒レ狂ウ海水二 流氷ハ 砕ケ飛ビ/ 山ノ瀑布 声モナク 懸カッテイルノハ 白玉ノ虹」


参考図書

『トラークル詩集』吉村博次 訳

『トラークル詩集』吉村博次 訳

グローデック
ゲオルク・トラークル(1887-1914)

夕暮には、秋めいた森が死をまねく武器の響に/ 鳴りどよめく、黄金の平野も/ また青い湖も、そしてそのうえを、いつになく/ 暗い太陽がころがってゆく。夜が瀕死の/ 戦士たちをつつみ、そのうち砕かれた口を洩れる/ 荒々しい嘆きの声をつつむ。/ だが、静かに、牧場の窪地には集まってくるのだ、/ 怒りの神の住む赤い叢雲(むらくも)が、/ 流された血潮が、月明かりの冷たさが。/ すべての街路は黒い腐敗のなかへそそぎこむ。/ 夜と星たちが組みあわされた金色の枝の下を
妹の影が、おし黙った森をぬけてよろめいてゆく、/ 英雄たちの霊に、血を流している頭(こうべ)たちに挨拶しようと。/ するとかすかに、葦のなかで、秋の笛の暗い音いろがひびく。/ おお、つねにもまして誇らかな悲しみ !  おんみら青銅の祭壇よ、/ 精神の熱い焔を、きょうはひとつの巨大な苦痛が養っているのだ、/ あのまだ生まれてこない孫たちを。

(吉村博次 訳)

吹野安 『楚辞集注全注釈一 離騒』

本書は『楚辞』注釈書として名高い朱熹の『楚辞集注』の訳とその注釈である。

『離騒』において主人公霊均が虙妃 (ふくひ) の他に求めた神女たちをご紹介する。

娀 (ゆうじょ) 氏の娘簡狄 (かんてき) は、玄鳥(つばめ)の落とした卵を飲んで殷王朝の始祖・契(せつ)を身ごもった。優れた才能の象徴となっている。鴆 (ちん) を媒酌人と頼んだが、彼女は美しくないとそしった。仲介者がなく帝嚳 (こく) が先に娶ってしまうだろうと霊均は諦めざるを得ない。

鴆(ちん) 『本草綱目』
羽根に毒を持つ鳥で蛇を食べるとある。口先が上手く人に害を与える人に例えられる。

ズグロモリモズ 
インドネシアやパプアニューギニアに生息するコウライウグイス科の鳥。羽や肉に強力な毒を持つことで知られる。鴆 (ちん) のモデルではないかと考えられている。

有虞 (ゆうぐ) 氏の二姚 (によう)
舜に嫁いだ堯の二人の娘、娥皇 (がこう) 女英 (じょえい) を指している。堯は自らの後継者に舜を選んだが、その資質を試すために二人の娘を嫁がせ家庭内を平安に保てるかを試した。

小田健太『李賀詩論』

学位論文をもとに書かれた李賀詩の修辞に関する著作で専門書と言っていい。李賀詩について詳しく知りたい人向け。

参考図版


『唐代詩人李商隠』狩野常信筆
江戸時代

左から楊江と銭鍾書 (1910-1998/せん しょうしょ) 1934


魈 (しょう/山精)
鳥山石燕 『今昔画図続百鬼』



『屈原』 王圻 (おうき 1529-1615)


中国各省の地図


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