第78話 クロード・レヴィ=ストロース part1 『月の裏側』堆積丘としての日本


クロード・レヴィ=ストロース
『月の裏側』

 紀元前三千年に、この物語は書かれた。大神オシリスの後継者を決める裁定の場所に集まった神々の間では、母親のイシスが推すホルスか、あるいは、その母方の叔父にあたるセトを選ぶか意見が割れていた。太陽神プレー・ハラフティーはセト支持に傾いていたが、猿神ババから聞かされた「あなたの神殿には誰も来ない」という言葉に心傷つけられ、館に引き籠ってしまう。それがあまりに長いために娘のハトホルが父を訪ねた。娘が突然服を脱ぎ性器を露わにするのを見た太陽神は笑いだし、ついに起き上がって裁定場に向かった。文化人類学、民俗学の泰斗であるクロード・レヴィ=ストロースは、この物語と日本の『記紀』との類似にハッとさせられる。笑いの大きな役割、そして籠りと神々の集い。


ハトホル神 ルクソール博物館

 古代エジプト人にとって猿(狒々)は水星と特別な関係を持ち、夜明けに太陽の小舟が現われると彼らは歌を歌って迎えたといわれている。インドでも猿と天体、気象とは密接に関係していて、猿神ハヌマーンは風の神の息子とされる。中央アメリカのマヤ人は、猿をかつて風に変えられた人であると考えていた。猿田彦も天空と地上を仲介する役割を演じる神であり、天鈿女(アメノウズメ)の大胆不敵な笑と二度目の踊りによって陽気になり、天降った神々を東に導く。その役割は移動することへとシフトし、道祖神あるいは庚申と繋がるようになるのである。垂直性と水平性の軸上でその働きは展開されていく。

 その水平軸の壮大な移動は、ネイティヴアメリカンたちの歴史でもあった。彼らはベーリング陸橋を渡ったモンゴロイドの子孫という説が有力視されている。ポーラ・アンダーウッドの著書『一万年の旅路』はそんなイロコイ族に伝わる口承史だった。カリフォルニア先住民の多くの言語がシベリア西部のウラル語族であるという説を踏まえて、日本は、 ヨーロッパ=アメリカと呼んでよい台座の上にあって孤立した堆積丘に譬えられるとレヴィ=ストロースはいう。そうなれば、いわば月の眼に見える側、つまりエジプト、ギリシア、ローマ以来の旧世界の歴史からではなく、月の裏側、つまり日本学、アメリカ学の領分からの眺めは戦略的な意味を持ってくると指摘しているのである。太古の日本がヨーロッパと太平洋全体の架け橋の役割を果たして、日本とヨーロッパそれぞれのシンメトリックな――似通っていながら対極にある――歴史を発展させてきたという。遙かに広い視野から、人類の過去の最大の謎の領域に近づく重要な鍵を、日本が握っているというのである。これは、見逃せない。

 日本の東洋学者である(ご本人はそう呼ばれたがっていたようだから)白川静(しらかわ しずか)さんとこのレヴィ=ストロース氏の対談が行われたならさぞかし世界の文化にとって有益だったろうにと思うのだが、現実にはそのようなことはなかったのだろうか。不見識な自分にはよく分からないけれど、そんな本があったらいいなと、つい、ないものねだりをしてしまう。例えば、白川さんはこんな言葉を残している。「神話の体系は、異質的なものとの接触によって豊かなものとなり、その展開が促される、それには摂受による統一もあり、拒否による闘争もあるが、要するに単一の体験のみでは、十分な体系化は困難なようである。そのため孤立的な生活圏は、神話にとってしばしば不毛に終わる(『中国の神話』)。さまざまな出会いや軋轢の中で神話はより豊かになっていくというのである。


著者 クロード・レヴィ=ストロース


クロード・レヴィ=ストロース (1908-2009)1973

クロード・レヴィ=ストロース
(1908-2009)1973

 クロード・レヴィ=ストロースは、1908年に両親が滞在していたベルギーのブリュッセルで生まれた。両親は、パリに住むフランス系ユダヤ人で、いとこ同士であった。交叉イトコ婚であったかどうか僕は知らない。父親は画家であり、芸術的な環境で育つことになる。父に与えられた浮世絵は彼に日本への憧れを募らせたようだ。学生時代にはマルクス主義に傾倒し、法学、後に哲学を学んだ。メルロ=ポンティ、ボーヴォワールが哲学教授試験に合格した同期生だったという。

 1935年から2年間、サンパウ ロ大学教授としてインディオ社会を調査。1938年、さらに1年間調査を続行した。第二次大戦に従軍するもフランスの敗退に伴いアメリカに亡命する。これらの時期のエピソードについては自叙伝的な著作『悲しき熱帯』に詳しい。それは、沈潜する熱情、すばらしい文章だ。亡命先のニューヨークではアンドレ・ブルトンらシュルレアリストと交際し、人類学のフランツ・ボアズ、サイバネティックスのクロード・シャノンなどの知己を得る。そこには、やはり、アメリカに亡命していた言語学・民俗学学者のロマン・ヤコブソンがいた。

ロマン・ヤコブソン(1896-1982)

ロマン・ヤコブソン(1896-1982)

 1948年フランスに帰国。1949年の論文「親族の基本構造」で構造人類学の端緒を開いた。ソシュールやヤコブソンの構造言語学と『贈与論』で知られるモースの影響が大きいといわれている。1959年から1984年までコレージュ・ド・フランス教授を勤める。彼は、『野生の思考』において「未開社会」における秩序・構造の存在を主張し、実存主義を批判した。サルトルとも対立したが、それが、ひいては構造主義として、もてはやされる契機となったようだ。2009年に亡くなっている。

 レヴィ=ストロースは、1977年から1988年の間に5度日本を訪れている。日本に対して深い共感を持っていたようだ。今回ご紹介するこの著作『月の裏側』は、1979年から2001年までの日本に関する刊行物を集めたものである。


エジプト、東南アジア、日本を横断する神話


 古事記とエジプトの神話物語の間には三千年近い隔たりがある。比較論者の中には歴史の隔たりを飛び越えて始めと終わりを結びつけようとする試みがあまりに多いらしい。個別に確証を示せるもの以外は系譜上の繋がり、借用について想定すべきでないというのがレヴィ=ストロースの基本姿勢だ。しかし、古事記とエジプトのこの二つの物語は、おそらく古代神話と同じ層に属しているだろうと彼は考えている。それは、神話的思考の基本構造と呼びうるものに由来していて、この構造は、時として全体、ないし断片として表面に表れている場合もあれば、表現されない場合や消滅している場合さえある。

 この基本構造を追及する姿勢が構造主義と呼ばれる所以となっているのだが、それは一般に考えられているように静的なものではない。それについてはpart2で詳しく述べたいと思っている。エジプトのセトは地上から地下へと遁れ、日本のスサノオは、天上を逃れ地上へと追いやられた。二神とも気性の激しい荒ぶる神としての特徴も同じくしている。やがて、スサノオも地下の神と考えられるようになる。そして、エジプトのハトホルと同様にアメノウズメは水平方向への移動を催す役割を与えられる。


セト(左)と ホルス(右) 前12世紀 エジプト美術館

 この神話的な物語はさらに続く。太陽の東から西へという縦断方向の展開が、水の流れ、あるいは海の入り江を一方の岸から他方へと渡し守によって成し遂げられる横断と対比される。そのように神話的思考が展開されるのである。海の入り江を渡ろうとする者には、理論的に二つの解決方法があると彼は言う。一つは、動くものである渡し守、もう一つは動かないものである橋。アメリカ先住民の神話では橋の役割をするのはツルのような歩禽類で、渡す役をしているのはワニである。日本と東南アジアでは、いずれも二つの要素が総合される。複数のワニが橋の代わりをするからである。因幡の白兎を思い浮かべてもらえばよい。


星座と音楽


 クロード・レヴィ=ストロースは、その文化の中で育ったものでなければ、その内奥にまでは、到達できないし、諸文化は、その本質において、共通の尺度で測ることはできないと考えている。一つの文化を明らかにしようとする時、私たちが用いる基準は、対象とするその文化の中で設定されるか、他の文化の中で設定されるかのいずれかである。もし、前者なら客観性を欠き、後者では役に立たない。日本文化であれ、他の文化であれ、世界の中で位置づけるためには全ての文化への関わりを絶たなければならない。この条件が整ったときのみ、観察者の判断は、研究対象の文化そのものにも、観察者の属している文化にも左右されることがないと断言できるというのだ。しかし、これは現実にはありえないともいう。人類学の根底にはそのような困難な事柄が横たわっている。

 彼は、自分が異文化を眺めた時の、このような例を挙げている。18、9世紀の西洋音楽に慣れ親しんだ自分には、それ以外の音楽に反応しない傾向が強いのだが、日本の音楽は例外だったという。ただ、18世紀というほかは、どの日本の音楽を指しているかは述べられていない。彼は日本の音楽の抗しがたい魅力の秘密を探ろうとして専門家たちに尋ねる。それによると同じ五音音階でも日本のものはかなり特殊であること、「短三度と長三度の音程が旋法によって変化し、第五音で一全音の変化をつけることができる(注によると、この部分はレヴィ=ストロースの用語に混乱があるために作曲家の湯浅譲二さんの意見を参考に訳者の川田順造さんが文章を校正している)。」それによって人の心の動きを巧みに表現できるようになっているのだ。そのような旋律は日本の伝統に全く興味のない者でも平安朝文化の底流の一つである「もののあわれ」の感覚を呼び覚ますと述べている。音楽においても文学における「もののあわれ」が表現されているという。実際には、光源氏が設定された時代に演奏されていた音楽は、中国の様式に近いものであったかもしれないのだが。

 このように遠くからしか眺めることのできない人類学者は、詳細を知ることはできないけれど諸文化を通じて不変な性質を感じ取ることができるという。それは、初期の天文学者に似ている。望遠鏡も宇宙の科学的な知識もなしに夜空を眺め地球からの距離は全くバラバラな星たちを同一面上のある形に見立てることができるのは観察の対象が観察者から離れているためだが、天体の動きの規則性を早い時期から知ることができたのはこの距離の思い違いによるのだというのである。それ以上のことを文化人類学に求めるべきではないと言っている。「土着の人たちだけの特権である、内側から文化を知ること、これは人類学には決してできません。しかし、人類学は土着の人たちに、彼らが身近すぎて知ることがなかった全体の眺め、いくつかの図式化された輪郭に還元された眺めを提供することは少なくともできるのです(「世界における日本文化の位置)。」というわけなのである。


神話から歴史へ



本居宣長『古事記伝』
本居宣長 (1730-1801)

本居宣長 (1730-1801)

 日本の魅力のもう一つは、神話と歴史、相互の間に親密な繋がりがあることである。日本では書かれた歴史が比較的遅く始まったので、日本人はごく自然に歴史を神話のなかに根づかせたのかもしれない。それは、高千穂などの観光地でその神話の世界を満喫する多くの日本人観光客を見れば分かるとレヴィ=ストロースいう。彼らにとって、そこは、いまだに神話の舞台であるのだ。西洋では検証可能な出来事だけが歴史として考えるに値した。西洋人にとって歴史と神話は分離してしまっている。

 イギリスの人類学の創始者タイラーは1872年に古事記と日本書紀の概要を伝えた。1880年には英訳が、その10年後には独訳が出版される。それを読んだ人たちの中には、原初の時代の人類共通であったはずの「大原始神話」がそのままの姿で残ったのだと考える人たちさえいた。『古事記』と『日本書紀』はそれぞれ異なるやり方で、一方はより文学的、一方はより学問的に、世界神話のあらゆる大きな主題を比類のない技法でつなぎ合わせているという。これらの神話はその中で歴史に溶け込んでいるのである。


フィルターあるいは蒸留器としての日本


そこでレヴィ=ストロースはこのように問う。広大な大陸のマージナルな場所で、長い間、隔離されていながら、同時にその最古のテキストが他の地域よりも洗練されたやり方で総合できたのは何故なのか。アメリカの先住民と古い時代の日本に共通するすべての主題は、インドネシアにもあり、そのうちのいくつかは、この地域にしかない。この三地域の神話は細部まで同じで個別に考え出されたとは考えられない。その理由は、さきほど述べた大氷河期のベーリング海峡が陸続きだった時代に遡って考えれば分かる。


鮮新世(約500万年前~約258万年前)後期から  
更新世(約258万年前~約1万年前)前期ころの日本

 その頃、マレー半島と台湾、ニューギニア、オーストラリアはかなりの部分陸続きで、さらに、およそ一千キロメートルの幅の陸地がアジアとアメリカを結んでいた。この広大な土地は両方向への人々の移動の舞台であったのである。日本列島として、日本が完全に大陸から離れたのは、最後の氷期が終わって、宗谷海峡が海水面下に没した頃、約1万3,000年から1万2,000年前(更新世の終末から完新世の初頭)であるといわれている。他方、レヴィ=ストロースは、アジアとアフリカとの度重なる接触をも指摘する。その神話の主題の一部は日本だけでなく、アフリカにさえあるという。だが、この8世紀に書かれた記紀ほどそのバラバラな要素をしっかりと構成し、極めて大きなスケールにまとめあげた例はないと言うのだ。失われたモデルが元になっているにせよ、新しく創作したにせよ、これらのテキストは日本文化の特質をあますことなく伝えているという。

 日本は、なにより混淆の場であった。極めて古い時代に、比較的等質性の高い民族の型と言語と文化が、多様な要素によって形成されたのである。年古 (ふ) りた大陸の東端という地理的環境の中で断続的に孤立していた状況は、日本が一種の細胞膜のようなフィルターを持つことを可能にした。そして、歴史の流れによって運ばれてきた物語が日本で合流し、そこから一つの稀なエッセンスを分離させたのである。借用と総合、混合と独創とを交互に繰り返してきた。それこそが世界における日本の位置と役割とを言い表すのに最もふさわしいとレヴィ=ストロースは言うのだ。日本は模倣ばかりしていたわけではないのである。


残存する縄文精神


 縄文土器が他のどんな土器とも類似していないのはよく言われることである。それを日本人に知らしめたのはパリ大学でマルセル・モースに学んだ岡本太郎さんであり、レヴィ=ストロースもモースに強い影響を受けたことは、もっと知られていいことだろう。これほど古く遡ることのできる、あるいは、これほど長く(一万年もの間)続いた土器作りの技術はないとレヴィ=ストロースは言う。とりわけ縄文中期の火焔土器は、「非対称な構成」「あたりかまわぬフォルム」「ぎざぎざ、突起、コブ、渦巻き、植物曲線のからみあい」などという突飛な形容をされることが多いが、それは誤っているという。


火焔土器
前3000年-前2000年 伝 長岡市馬高出土
東京国立博物館

水煙土器

 これらの器の用途や、社会的、心理的、経済的条件は、私たちがほとんど何も知らない一つの社会に具わったものだろうとレヴィ=ストロースは考える。そして、こう言うのだ。「縄文精神と呼べるようなものが現代の日本にも存続していないだろうか」と。ひょっとすると日本的美意識の変わることのない特徴は、この縄文精神かもしれないというのだ。これも見逃せない。日本的美意識を支える、その特徴は、素早く、確実な創作にある。それには、技術をこの上なく見事に操る能力、制作を前にした熟慮という二つの要素が欠かせない。この二つの条件を満たすような様式上の原則が霊感を得た縄文人にも、はるかな時を超えて現在の日本人にも受け継がれているのではないかというのである。これには不意を突かれた。そして、僕の制作態度の中にもそのような要素が確かにあると感じるのだ。

 弥生時代の銅鐸の側面に繰り返し現れる様式化した線、何世紀か後の埴輪、さらの後の大和絵、そして、現在に近い浮世絵。そこここに表現の意図と手段の簡潔さが、はっきりと認められるという。グラフィックアートでは、色面と線が対立をなし、同時に補完しあっているというのだ。中国的な複雑な様式とは隔たっている。このように見ていくと、日本文化は両極端の間を揺れ動く驚くべき適合性を持っているという。日本の織物師が幾何学形と自然を写した絵柄を好んで取りあわせる。それは、相反するものを隣合せにさえするのだ。これも岡本太郎さんのいう対極主義を思い起こさせる。西洋でもその歴史の過程で様々な変遷をたどってきたが、一つのものを別のものに取り換えることはあっても、それをもとに戻すという発想はなかった。それは日本が、はるかな過去のアニミズム的な思考に畏敬をいだき続けていることと神道の信仰や儀式が、あらゆる排他的発想を拒む世界像を有していることと関係している。


縄文的美意識
1.銅鐸 弥生時代(東京国立博物館) 

2.土佐光吉『源氏物語図屏風』
3.葛飾北斎『東都浅艸本願寺』いずれも部分

 クロード・レヴィ=ストロースは、「月の隠れた面」の中で、こう述べている。日本は、あらゆるジャンルを一つにつなぎ、古びた出来事とさまざまな時代を混ぜ合わせ、ヨーロッパではその六、七世紀後になって現われる洗練され繊細で感性豊かな文学的様式とを、十一世紀から十三世紀のあいだに、私たちの前に一度にどっさり投げ与えるのだが、このような日本とはいったい何なのだろうかと。

 日本文化の明敏さは、極めて論理的な仕方で、必ずしも日本で生まれたものではない神話の主題を上手に繋ぎ合わせる。それは、世界の神話の諸要素全体が日本に見られるという点から言い得ることである。そういう特質は中世の文学にも明らかに見られるのだ。諸制度や登場人物たちの諸動機をあれほど綿密に分析している『源氏物語』のような物語文学、『栄華物語』や『大鏡』のような歴史物語や年代記によって社会学者や民俗学者が提起してきた大問題が完全に一新されうるのだとレヴィ=ストロースは言う。「交叉イトコ婚」と呼ばれる、性が異なる兄弟の子であるいとこ同士の婚姻(貴方が女性なら、父方のオバさんの息子と結婚するのが父方交叉イトコ婚である)とか父系社会(家督・財産が父から息子に継承される社会)における母系親族の役割などについて、日本の事例はアフリカ、アメリカ北西部の社会組織を考える上で貴重な助けとなると言うのだ。


日本式分割主義(ディヴィジョニズム)


 神話学や社会学で、日本の十世紀から十二世紀も前の文献が役立つのは、おそらく、その精神のいくつかの特質のお蔭であると言う。一つは、現実のあらゆる側面を網羅し、それぞれに等価な重要性をもたせることである。それは、職人たちが内側も外側も、表も裏も見える部分も見えない部分も同じ注意深さで扱うことに認められるという。こういったデカルトのような分析的な精神、同時に道徳的でもあり、知的でもある傾向をレヴィ=ストロースは日本式ディヴィジョニズムと呼ぶ。それは観念的なものでなく、感性的なものであることを強調している。感性的ディヴィジョニズムであるのだ。料理では素材や味を混ぜ合わせることが少なく、大和絵においては線と色彩を切りはなし、音楽においては西洋音楽とは異なり、和音の体系がない。音を混ぜ合わせるのを拒否するのである。そうそう、僕の娘のウィーンのピアノの先生は、日本には和音の変化を楽しむ文化がないと言っていた。


懐石料理

 レヴィ=ストロースの故国フランスは大陸の西の端にあり、日本は東の端にある。この二つの国は共通の運命を背負っているという。それはアジアに起源をもつ影響が逆方向に到達した最終地点にあたるからだ。フランスがモンテーニュとデカルトの系譜の中で他の民族にもまして分析と批判の力を押し進めたように、日本は、感情と感性のあらゆる領域で、分析を好み、批判精神を発達させた。日本人は、音も、色も、匂いも、味も、密度も、肌理も、区別し、並列し、取りあわせた。経験から得られた一つ一つのデータが他の領域に共鳴を呼び起こすとレヴィ=ストロースはいう。なかなか偉大な文化ではないですか。


現在進行形としての神話


 神話は不変であるといわれる。その不変性とは展開を続ける「変わりなさ」のことであるらしい。それは安定した静止状態にはなく、内容と形式間にずれがあり続ける。それゆえ衰退するのではなく展開し続けるのだという。確かにレヴィ=ストロースの神話学に関する記述は煩雑で読みにくい。それは彼の頭の中にきちんと整理されている膨大な神話群が、読者の頭の中にデータベースとしてないからである。次回は、そのレヴィ=ストロースの神話学に関する著作を取り上げたいと思っている。無謀としか思えないけれど一度は見上げなければならない山脈なのだろう。分析がバラバラにした、神話の素材が結晶して、どこから見ても安定し、確定した構造というイメージを呈することを期待してはいけないと彼は言う。最終段階に達することもありえない。一貫する差異としての神話。この言葉はギリシア神話に関するロベルト・カラッソ 『カドモスとハルモニアの結婚』 のブログで僕が使った言葉だ。神話という星座の見取り図あるいは体系的な一覧表をすっきり提示するのが神話論理の最終的な目標ではない。それでは神話論理とは何を目指しているのだろうか。神話は現在進行形らしい。だとすると、我々日本人の現在の神話とは何なのだろうか。私たちの悲劇は、そのことが見えなくなっていることにあるのではないのだろうか。

*2016年10月の投稿を再録しました。


夜稿百話
レヴィ=ストロースの著作 一部

クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』

第一章「具体の科学」では、このようなことが書かれている。

野生の動植物を家畜化し栽培植物に変え、粘土を焼成して陶器を作ると言った技術は何世紀にもわたる実験と実証を必要とする。それは長い科学的伝統の上にある。しかし、科学的思考には二つの方法があり、新石器時代から歴史時代初期と現代科学との間にはギャップがある。僕はその、ギャップを西欧の錬金術から化学が生まれようとしていたパラケルススの時代に置いている。
種村季弘さんは『バラケルススの世界』の中でこう書いている。
 世界の知性、世界の魂、世界の身体という三層構造が想定される。神的な知性に内在するイデアは世界の魂に投影され、その内に映像ないし形態として反照され、世界の身体内の物質の形態へと写り映えるとされる。その世界の魂の中にはイデアの数だけ「種子的理性」があり、世界の様々な物質ないし身体にその実体を宿すと考えられた。世界の魂にある理性と下位の形態との調和的符合は、ゾロアスターによって「神的な連結」、キュレネーの司教シュレシウスには「魔術的呪縛」と呼ばれた。この魂の内にある天界には様々な図像があると考えられた。
「具体の科学」では形なり色なり匂いなり、なにか目立った性質を持った種類は観察者にとって特別な鍵となり、外から分かる形状の特徴が同じく特殊でありながら表にでない性質のタグとなりうる。アナロジーと言ってしまうと危険なのはこれらの特性の類似には同様な構造を持つと言う但し書きがついているからである。歯の形の種子は蛇にかまれるのを防止するとか黄色の汁液は胆嚢の病気に効くとかは、記憶の構成に役立っている。神話や儀礼はこのような方法に似て自然を別の角度から攻略することに役立つと言う。神話の要素は知覚と概念の間に存在する。いうなれば感性によって感覚世界を組織化して役立てようとするための自然における発見である。それはフランス語でいう「ブリコラージュ/器用仕事」と呼ぶことができる。持ち合わせの材料は種々雑多で、まだ何かの役に立つ程度のものである。それらを集めて作るものは、特定の計画は無く偶然できたものである。そして、色々な機会にストックは新たに集められ、以前に作ったものや壊したりしたものの生き残りであったりする。
イメージと概念の間には記号という媒体が存在する。ブリコラージュの制作の可能性は材料それぞれの独自の歴史と、元の用途の名残、転用による変形によって当然限定される。神話の構成要素も言語から借用されるために意味が決まっていて自由の制限があり、結合の可能性にも制限がある。イメージ概念のように無限に関係は作れないが置換可能であり、他の要素との関係を作ることが出来、ある一つの要素に起こった変化が自動的に他の要素に影響を及ぼしてしまう。神話的思考も類推と比較を重ね、科学的と言えるが創作とは常に新たな構成要素の配列であり、その要素自体ではない。神話世界は出来上がったと思えは゛すぐに分解し、その断片からまた新たな世界が出来上がる。以前には目的であったものが手段になり代わるため、使用可能な手段が暗黙のうちに全て調べ上げられるか頭に入れられていなければ出来上がりが定まらないとレヴィ=ストロースは言うのである。



 


■神話理論Ⅰ~Ⅴ
『神話理論』シリーズについては次回Part2でご紹介する予定です。

クロード・レヴィ=ストロース 神話論理Ⅰ『生のものと火を通したもの』 この第一巻は音楽に捧げられている。

クロード・レヴィ=ストロース
神話論理Ⅰ『生のものと火を通したもの』
この第一巻は音楽に捧げられている。

クロード・レヴィ=ストロース
神話論理Ⅱ『蜜から灰へ』

クロード・レヴィ=ストロース
神話論理Ⅲ『食卓作法の起源』


クロード・レヴィ=ストロース
神話論理Ⅳ『裸の人 1』


クロード・レヴィ=ストロース
神話論理Ⅴ『裸の人 2』




関連図書


ロマーン・ヤコブソン『音と意味についての六章』 クロード・レヴィ=ストロース 序

ロマン・ヤコブソン『音と意味についての六章』 クロード・レヴィ=ストロース 序

ヤコブソンは1896年モスクワに生まれる。1915年からモスクワ言語学サークルの設立に参加し、2年後にオポヤーズ(詩的言語研究会)の創設に参加した。ロシアの政変を逃れて1920年からプラハに移り、1927年にプラハ言語学サークルの創設に参加するが、1939年のナチスの侵攻に伴い1941年にアメリカに渡った。ニューヨークには知識人移民の大きなコミュニティである高等研究自由学院があった。そこで、彼は文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースと出会い、互いにレクチャーを聞きあうことになるのである。その講義は『音と意味についての六章』として後にまとめられ、序文をレヴィ=ストロースが書いて出版されている。この熱い交流から、構造主義が培われ、思想界に新たな潮流の一つを生む契機にもなった

ヤコブソンは、詩の修辞的な技法が言語分析学の立場からみて、意図的で、意識されて使われているものなのかよく尋ねられると書いている(「詩における識閾下の言語パターン」)。それは、確率からいっても他の文学テキストからの比較においても偶然ではありえない。例えば、ボードレールがエドガー・アラン・ポーにおいて、その詩の創造が極めて意識的な手法によることを指摘していたのは有名だ。しかし、ヤコブソンは、ある場合に直感的言語の潜在が、そのような意識的検討に先行していて、その基礎をなしているのではないかと考えていた。彼の友人であった詩人のフレーブニコフは自分の詩「きりぎりす」の中に krýlyško(小翼)という意味の単語から作った動詞 krylyškúja(小翼を震わせ) の中に uškúj(海賊船)という言葉がトロイの木馬のように潜んでいることを見つけて喜んだと言う。それは、きりぎりすの方言である konjók(小さな馬)が木馬とのアナロジーとなっているからだ。これらの言葉はロシア語の「鍛冶屋」「悪辣な陰謀」「鋳造する」などの同語源語の強烈な結びつきを持っているというのだ。krylyškúja(小翼を震わせ)という彼の造語が詩の構成全体を示唆し、方向づけているとヤコブソンはいう。このようなアナグラム的な言葉の使い方は詩人パウル・ツェランも意識的に使っていたといわれている。ちなみに、フレーブニコフがこの「きりぎりす」を書いたのは、ソシュールがアナグラムの研究をしていた時期と重なっている。






川田順造『レヴィ=ストロース論集成』

「種間倫理探求する構造主義者 ?」から少しご紹介する。

1996年に渡辺公三氏の講談社「現代思想の冒険者たち」のシリーズの中の『レヴィ=ストロース 構造』が、レヴィ=ストロースについて書かれた最も重要な本の一つであると川田氏は述べる。レヴィ=ストロースの構造は「私」の個我を遠ざけることから生まれる。種々の要素間の関係の総体としての構造は、一連の操作による変換を経ても変わることがない。   構造主義の操作を実現するためには、「私」は認識上の謙虚さへの配慮から、空しくあるべきだと渡辺氏は言う。そしてロートレアモン伯の『マルドロールの歌』にある「解剖台の上でのミシンと雨傘の出会い」(正確には「解剖台の上でのミシンと雨傘との偶発的な出会い) についての詩句をレヴィ=ストロースは『離見』のなかのエルンスト論でこう述べていると言う。
 フランス語のミシン machine à coudre と洋傘 parapluie は単語の組成の点で微妙な対をなしており、洋傘は par a pluie という三つの要素に分解でき、その点でミシンと比較できる。しかし、実際には後者は para (防ぐという意味の形態素/意味を成す言葉の最小単位) と pluie (雨) という二つの要素で構成されていて外見上の対比とはズレがあり意味の上では明らかな対比が見られる。ミシンは布地の上に能動的に働きかけ雨傘は水に対して受動的に抵抗し、両者ともに尖った先端を持つが、傘のそれはドームの上に上向きに出ていて、ミシンの針は攻撃的下向きに突き出る。ミシンは硬質な部品の連結であり、その針は一番硬く布地を「貫く」、一方で傘は布で包まれ、雨を通さないだけでなく雨自体も硬質な部品ではなく流体の並置から成る。
この短い語句には、内的/外的、硬質/流体、貫かれるもの/貫くものといった対比が隠されている。物体としてのイメージの要素としても、ばらばらに解体しうるミシンと傘が本来解体する作業のための解剖台の上で出会うことで暗黙の対比を通じて互いに他を変形する比喩に変貌する。そこにこの一説の人の心を騒がせる詩的な秘密がある、とレヴィ=ストロースは言う。
 このような構造分析が意外な発見に導かれることを認め、それに共感しうるかどうかが構造主義への感性を持ち得るかどうかの分かれ目の一つとなる。このような対比に価値を認めるかどうか、その対比が「秘めやかな意味作用」すなわち意識されないものの領域に関わるという観点をみとめるかどうか、そのような二つの論点が分析者自身の知的な感性なのであると渡辺氏はいう。





関連画像


アテフの王冠を被ったオシリス像の頭部 紀元前600-550



コプトスのイシス (ハトホル) 花崗閃緑岩 トリノ・エジプト博物館
エジプト新王国 (紀元前1550年頃–紀元前1070年)



ヒヒに扮したトートのファイアン (色絵陶器) 像

知恵を司る神トート、トキかヒヒの姿で表現される。ジェフティとも呼ばれている。



尾形光琳 紅白梅図 右隻 18世紀



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