夜稿百話+α2 ケヴィン・ケリー『インターネットの次に来るもの 未来を決める12の法則』 毎日アップグレードしなさい !


ケヴィン・ケリー
『インターネットの次に来るもの

未来を決める12の法則』

 2016年に出版された本書は今後30年を形づくる12の不可僻なテクノロジーの力について語られる。現在2026年から言えば今から20年後だ。ケリーはテクノロジーの進化について功罪相半ばすることを認めながらも、その進化の先に興奮と好奇心をもって眺めるタイプの人だ。それは彼のキャリアを見れば頷ける。確かにロボットやAIの発展は素晴らしいものだが、一方で私たちは「なっていく」ものに絶えず追いつき学び続けなければならない羽目に陥っている。今回の夜稿百話+α はそれがどんな羽目なのかを僕自らが体験することになるのである。今回は本書を詳しめに要約しておいた。

未来を決める12法則とは以下のものである。

1. ビカミング  なっていく/ becoming」
2. コグニファイング  認知化とAI/cognifying
3. フローイング  コピーの川/ flowing
4. スクリーニング  モニターと文字/screening
5. アクセシング ヴァーチャルな棚から探す/accessing
6. シェアリング デジタル社会主義/sharing
7. フィルタリング チョイスする/ filtering
8. リミシング 組み合わせる/ remixing
9. インタラクティング 双方向への没入/ interacting
10. トラッキング 追いかける/ tracking
11. クエスチョニング 問う力/ questioning
12. ビギニング 始まりの入り口/ beginning

著者は将来の予想をかなりな精度で行っていると思われるが、書かれている数値や内容は2016年当時のものであることはお断りしておきたい。

著者 ケヴィン・ケリー


ケヴィン・ケリー(1952-)

 スティーブ・ジョブスが若かりし頃のバイブルと述べた『ホール・アース・カタログ』。バックミンスターの『宇宙船地球号』の思想を背景にヒッピー文化を牽引したことで知られる雑誌である。ケリーは、その雑誌編集者にとオンラインで雇われる。32歳頃のことだ。パソコン向けのソフトを一般向けに紹介する雑誌の編集に携わった。それはコンピューターが出現する前の新聞用紙に印刷されたウェブサイトのような存在だった。

 大学を中退後、ほぼ10年間アジアを安物のスニーカーとヨレヨレのジーンズで放浪していたと言う。彼自身がヒッピーだったのだ。アメリカに帰ってくるとアメリカ大陸を西から東へ500マイルを旅した時、ペンシルヴァニアのアーミッシュの農園で過ごした。ペンシルヴァニアは彼が生まれた州でもある。アーミッシュは移民当時の生活を守るドイツ系移民のキリスト者共同体であるが、そこでもネット文化は浸透していた。


アーミッシュの農家

 28歳頃、コンピューター好きの知人が、工科大学の教授実験的に運営していた遠隔会議システムに参加できるようにしてくれ、その世界にヴァーチャルな共和国のようなものを感じた。そのシステムのおかげでオンラインのヴァーチャルシステムの世界で有名になったケリーは『ホール・アース・カタログ』に雇われ、1992年には初のデジタルカルチャーの雑誌『ワイアード/WIRED』の創刊に参加し、後に編集長も務める。それ以来ケリーはテクノロジーの最前線に立つ人となった。

 著書に『ニューエコノミー勝者の条件』、『「複雑系」を超えて』、『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか』などがある。

1. 何かになり続けていく ビカミング

 ウェブサイトもソフトウェアーもずっとは使えない。Windows10は11になり最新型のコンピューターもアップグレートが必要になる。周りのものすべてがアップグレートされれば、自分のデジタル機器もメンテナンスが必要になる。何か一つをアップグレードすれば、途端に他のデバイスやら何やらも、それが必要になり、億劫がっていると取り残される。OSも機器の性能も高まり、変化を続け、メニューは変り続け、現在のテクノロジーもアップグレードの連続になる。ユーザーはいつも新米ユーザーとならざるを得ない。誰もが新しいものに追いつこうとしなければならなくなるのだ。

 私たちが向かわなければならないのはユートピアでもデストピアでもなくプロセスの連続であり、著者の言う「プロトピア」である。古いものの見方を新しいものに適用としようとすると目の前のものを歪めてしまうことが往々にある。変化が止まない常に動き続けているものは、その変化に気づきにくい。40年前に立ち上がったオンライン世界も、その10年後のウェブ時代の到来も、その各段階で「なっていく」ものを見定めることは難しかったというのである。インターネットのバックボーンを運営していた米科学財団 (NSF) は資金を出しているのは研究のためで商売のためではないとして1991年まで商売を禁止していた。

 2000年代になって5000万ものブログが毎秒二つのペースで立ち上がるのは大きな衝撃であり、2015年にはユーチューブに毎分6万5000本、300時間の動画がアップされるようになるのである。ユーザーがコンテンツを創造するなど少し前まで考えられなかった。2050年には相互の送受の波によってウェブは常時存在している会話のようなものになるだろうとケリーはいう。

2. 認知化とAI

  医療診断、ゲーム、写真撮影、洗濯、マーケティング、不動産、看護、倫理、運転、あらゆるものが認知化され、ウェブ上に溢れる無料の共有物となって恩恵をもたらし始めている。何十億ものコンピューター素子で造られた超生命体としてインターネットはこの惑星全体を薄く覆い人間の全ての文明からフィードバックを受けて自動修正され改良され続けることになる。スーパーコンピューターでしか提供できなかったAIは、既に家庭で使えるようになり、やがてパーソナル・ロボットの頭脳としてのコンシューマモデル (一般消費者向けに設計されたモデル) が登場するようになるだろう。

 IBMのAIシステムであるワトソンはクラウド (インターネット経由で事業者のサーバー上の機能やデータを使えるサービス) のようにオープン・スタンダードなサーバー上に分散していて何百ものAIの事象を同時に処理している。その事象から学んだことをすぐ次に利用する多様なソフトウェア・エンジンの集合体となっているのだ。論理推論と言語解析のエンジンは別のコードで書かれ、それぞれ別のコンピューターや場所で動くことができ、それらが統合されて知能の流れを形成すると言うのである。

 2002年の時点でグーグルは、既に検索サービスではなくAIを目指していたという。2026年までにグーグルの主力はAIになるとケリーは本書の中で予測しているが、その通りになっている。懸念材料はある。AIは使えば使うほど賢くなるので早くから開発した会社は他社を圧倒して、2、3のクラウドベースの商用知能に支配されるかもしれない。


ワークボット 左からソイヤーとバクスター
この眼は人間を認識して傷つけないように配慮できる。

 AIに自意識をもってほしくはないだろう。自動運転しているAIが僕は本当は宇宙船を操縦したかったと悩んで欲しくはない。意識のあるコンピューターを開発しようとしている向きもあるが (マーク・ソームズ『意識はどこから生まれてくるのか』) 、欲しいのは専門化された知性だ。ワークボット (労働用ロボット) に搭載されたAIは人間との協働を可能にしている。量子やダークマターと言った複雑な問題に対処するためには、人間にはできない洗練された知能を作り上げ、それを媒介する知能をさえ発明することが可能になるかもしれない。

 AIは人間だけが可能と思われている事柄をクリアし続けている。21世紀が終わるまでに今ある職業の70%はオートメーションに置き換えられる (一方で、新たなテクノロジーは新たな仕事を生み出すが) 。こんな中で人間は絶えずアイデンティティの喪失に晒されることになる。AIは人間性とは何かを考えさせる契機となるのである。

3. コピーの川 フローイング

 インターネットは世界最大のコピーマシーンだ。21世紀の主要な経済セクターを支えているのは、メモリー、キャッシュ、サーバー、ルーターなどを駆け巡り、その都度、何度もコピーされるデータのビットだ。まるで超電動装置の中の電子のようにビットはそこから抜け出せない。単体のファイルの容れ物がページで、それを表示するためのソフトが Chrome や Edge といったヴラウザである。現在では Facebook におけるタイムラインやブログの RSSリーダーのようなウォールに流れる投稿が注視されるようになっている。ワッツアップやスナップチャットのようなアプリは現在のみの情報を対象としていて過去も未来もない。

 反応時間のスパンも数日単位から即日になり今やリアルタイムに変化しつつある。リアルタイムとは人間の時間の尺度なのだ。ATMならすぐにお金を引き出せ、ペイパルやアップルペイなら指先一つでお金を使えるストリーミング型サービスを提供してくれる。


コピーの数だけではなく、それ以上に重要なのが反応の数なのである。他のメディアにリンクされ、操作され、注釈され、タグ付けされブックマークされ、翻訳されるといった反応の数が決め手になる。つまり、その作品がどれだけ上手く「流れていく」かなのだというのである。

 さらに、音楽、文章、絵、ゲーム、企業向けソフト、3Dプリンター向けファイルといったコピー可能なものは全て無料でなされるようになる。一方で、膨大な無料のデジタルコピーが過飽和状態になると、コピーできないものが価値を高める。公開間もないもの、特別にパーソナライズされたサービス、信頼が特別に保証されたもの、所有する手間や空間を省いてくれるもの、実際に体感できるもの、お気に入りのアーティストなどへの支援、多くのプロダクトの中から発見を催してくれるもの、このような性質を持つものをクリエーターは求められるようになる。

4. 我らスクリーンの民 

 60年前にテレビというスクリーンが登場した時、テレビ世代の子ども達は文章が書けなくなるのでは心配されたものだった。しかし、21世紀の初頭に薄型のモニターを搭載したタブレットなどが登場すると人が文字を読む時間は80年代の3倍になり、2015年までにウェブ上に60兆ぺージの情報が UP され、スマートフォンでは毎日5億もの短い書き込みがされるようになっていると言う。さらにオンライン上の文字、ユーチューブ動画の字幕、画像テキストなどでなされていることはリーディングというより「画面で読む/スクリーニング」と呼ぶ方がふさわしい。それは読み終わるということない常にオンなスクリーンなのだ。

 読書は「読書空間」と呼びうるヴァーチャルな場を形成する。脳にとって物語性はエピソード記憶として重要な要素でもある。読書によるリニア―な論理思考はスクリーンによる同時並行的・モザイク的なものに変化すると考えていたのはマーシャル・マクルーハンだった。スクリーンに映るものは
いわばあちこち欠けたジグソーパズルを見るようなもので、それらのモザイク的な断片をユーザーは自分で埋める必要があるとされたが、やがてスクリーン上で誰もが能動的に断片を組み上げて自分の神話を作れるようになるとケリーは言う。

 スクリーン上の読書はソーシャルになり、本に対する反応、疑問、感想、注釈をシェアでき、読んでいる本の言い回しを以前読んだ本の文章やある映画シーンや画像などに、あるいは一冊の中にある文章と別の文章とにリンクを貼れるようになるだろう。ユニバーサル図書館はハイパーリンクによって映像や音楽を含めたものへと発展する。世界の全ての本が一つの流動的な構築物となって言葉やアイデアを相互に繋ぐようになり文化生活のプラットフォームになるのである。


グーグルグラス 2012年の試作品

 タッチパネルはかなりインパクトがあった。今ではいろんな工夫がされている。切手大のパネルで一語が次から次へと表示されるスクリーン、近くの壁などの平面に投射できるポケットサイズのデバイスも研究されている。キンドルの Eインクはくっきりと読みやすいものに工夫され、タブレット状ではなく紙のように曲げられ薄くしなやかなものに出来る。歴史的な建物の前でグーグルグラスのようなウェアラブル端末を使えば、その場所に書かれたものをあらゆる言語で、すべての時代について知ることができるようになるのである。それは色んな商品にもレストランのメニューにも使えるのだ。 
        

5. ヴァーチャルな棚へアクセスする

 現代社会では、ウーバーやフェイスブックの例に象徴されるように、物理的な資産を所有せずとも価値を生み出す「非所有」のビジネスモデルが主流となりつつある。軽薄短小化は現在でも力強く進行中であり、デジタルテクノロジーは製品そのものよりもサービスへのアクセスを重視する方向にシフトしており、家庭やオフィスにあるあらゆるモノまでもが知能を備えた社会資産へと変貌しつつある。電気自動車はネットに接続されインターネット自動車になり、そのネット接続速度は家庭のそれを上回り、車は交換されたりシェアされるようになるだろう。

 現在のプラットフォームは、デパートのように他の組織にプロダクトやサービスを作らせ、自分で生産していないものを売らせる場所である。競争と協調が混ざり合う新たな経済圏を形成している。アイフォン用のアイチューンズ (音楽・動画用ソフト) ではアプリの業者がヴァーチャルな小売店を展開したし、フェイスブックでは個人が自分のプロフィールを価値あるものとして売り出し、気の合いそうな友達とマッチングされ、個人が画面を注目する時間そのものが広告主に売られる。

 プラットフォームが個々の建物なら、クラウドはそれが建つ土地である。その上には、映画、音楽、本、ゲームなんでも存在する。ハイパーリンクされたデータがバックアップされているのだ。クラウドは何百ものコンピューターがコロニーとなって継ぎ目なく編まれた一つの巨大なコンピューターであり、ウェブやスマートフォンの機能のほとんどはクラウド・コンピューティングに依存している。それが全ての仕事をこなしてくれるので端末はその結果を見る窓となる。

 クラウドの出現は瞬時に遠隔の情報にコミュニケートする広大なネットワークに技術によって情報を分散化できるようになったことを示している。もはや中央集権的なシステムからネットワーク型のそれに移行している。フラット化できない唯一の例外がお金だったが、それもビットコインという完全に分散化し流動化できるマネーが登場した。オープンな分散型データベースが全てのビットコインの新たな取引を毎時6回更新することによって、システム自体がコインの価値を保証するというのである。

 今後はクラウド同士が融合するインタークラウドや、中央サーバーを介さないP2Pアクセスが主流となり、災害や監視にも強い分散型の社会が構築されていく。今後も非物質化やプラットフォーム化の流れは加速し、究極的には、個人が何も所有することなく、必要なものすべてにアクセスするだけで生きるという未来が到来するのかもしれない。

6. 社会的相互作用とシェアリング

 シェアリングを考える時、社会的相互作用が駆動する一連のテクノロジーを指すのに最適な言葉は「社会主義」であると言う。ケリーは「生産手段を持った大衆が共通の目標に向かって働き、プロダクトを共有し、自分の労働を対価なく提供し、成果をタダで享受していることを社会主義と呼ぶ不自然さはない」と述べている。それは動詞「シェアする」という言葉に象徴される。

 フェイスブック、インスタグラムなどには毎日18億枚の個人写真が投稿され、ユーチューブでは毎日何十億もの動画がシェアされ、位置情報、スクラップ画像も同様である。それらはデジタル社会主義の最も穏やかで基礎的な共同作業なのである。ペイシェンツライクミー (Patients Like ME) では患者同士が自身の治療結果をシェアして治療の質を高め、フェイスブックは自分のプライベイトをシェアしあい、Xは呟きを、モトリー・フール・キャップは資産運用をと、大陸をまたいだ人々の間でシェアされ協働している。

 デジタル創作ツールが普及してコンテンツを作るには特別なスキルは殆ど要らくなっている。消費者=制作者になっているのである。そして、組織的協働が大きな成果を生む。その多くは、たいてい支払いも受けずに市場価値の高い仕事をこなしていて、コラボレーションで作られたものを無料で使うのは当たり前になっている。新たなツールが協働の生産を支え、資本主義的な資本家を締め出し所有権を作り手たち (同時に消費者) の元に確保するという。そのことによって個人の自律性と集団の力を同時に最大化しうるのである。


キバ (KIVA) のロゴと初期のフィールドパートナー

 クリエーターはキックスターターなどのクラウドファンディングという新たなシェアテクノロジーを手にしている。それはファンを基盤にした株式会社を作り出せる。P2P方式のキバ (KIVA) は個人が途上国の農家や個人事業主に極少の融資ができるシステムを構築している。イノベーションにも不特定多数の人々に知恵や労働力を募るクラウドソーシングもある。これは新たなシェアの形であり最大の富の資源になりうるという。ユーザーが全部作り、ユーザがコントロールし、ユーザーが報酬を得る、そんな世界が近いのか。

7. 何がチョイスしてくれるのか

 私たちが生きているうちに、全ての本、ゲーム、映画、印刷文書は同一のクラウドやスクリーンを通して365日いつでも利用できるようになるらしい。この膨張するライブラリーから何をどう選択すればよいのか。それがフィルタリングの問題である。

 自分が好きだと思うものが手元に届いてほしいと思うのは人情である。こうした個人向けのフィルターはレコメンド・エンジンと呼ばれ、アマゾンやネットフリックス、X などのアグリケーションサイト (散らばった特定の情報を一つにまとめたサイト) で使われている。アマゾンを例にとると、自分の購買履歴、買おうかと迷ってそのページに留まった時間の履歴、あるいは自分に似た傾向の人の購買履歴が10憶もの過去の記録を通して精度の高い予測がなされ「この商品を買った人はこんな商品も買っています」が表示される。フェイスブックと同様に毎日何千もの実験がくり返されてフィルターが変更され、100万人単位の顧客の反応を用いてコンテンツをパーソナライズしているという。

 グーグルは世界の最先端を誇るフィルタリングサービスを誇っている。60兆ぺージの内容を毎分200万回フィルタリングしている。詐欺を取り除き、複製された広告が得たアテンションを数量化し、ウェブの他にメールをチェックし、迷惑メールを除き、ラベルや優先順位をつける。何千もの相互に絡み合った動的な濾し器であり、協調フィルターとなっていて、ある答えに価値を感じた人は、こちらの答えも良いと思うだろうといった手法をとる。

 しかし、その検索結果が最も人気のあるものなのか、信頼性の高いものなのか、最もユニークなのか、自分が一番喜ぶものなのかは分からない。理想的なフィルターは、友人たちが好きだが自分が知らないことを教えてくれる、好きではなかった好きになりそうなものを提示してくれるといった機能をもつものだろうとケリーは言う。一方で、検閲もフィルタリングであり、政府の検閲はフェイスブックやグーグルのように何をフィルタリングしているかは明かされない。

 フィルターは人間が何に注意 (アテンション) しているかに注目している。注意には一日24時間という時間的制約がある故に希少性がある。これからの20年間は、質の高いアテンションを大規模に増やすためのフィルタリング・テクノロジーをいかに利用するかがゴールになると言う。逆に、コピーではない人間の経験は一層貴重なものになっていく。経験やパーソナライズを強化するこのようなテクノロジーは自分とは何かという問いを突き付けると著者は言う。問題なのは人間が自分は何を望んでいるのかを理解できていないことなのである。

8. 組み合わせ進化のテクノロジー

 過去の古いメディアはリミックスの洗礼を受け、何百もの新たな分野が創出されつつある。バイン (現在はディバイン DiVine) はスマートフォンなどで撮られた6秒ほどの動画を高度な編集を施してループ動画にし、シェアして広めるアプリである。このようなものは今後数十年に現れる文章、音、動きがドンドン混ざり合っていく現象の予兆なのである。あるプログラムは他のプログラムを自在に模倣し、突然変異させ、ハイブリッド化される。アニメファンがアニメ動画をリミックスして楽しむ時代になっている。

 既にあるものを使って新たな価値を創るデジタルブリコラージュがマッシュアップと呼ばれるけれど、その編集には文章のリテラシー (特定分野の知識、理解とその活用能力) が使われる。言葉のカット&ペースト、素敵な言い回しへの変換、専門家などの説明文の正確な引用、既存作品の構成の援用、そのような種々の枠組みを動画の視覚言語として使うのである。編集が重要なのだ。本の持つ革命性は何度でも読みうるという事であり、そのような本は古典となっていった。何度も読ませる手管なら、信用できない語り手に語らせて読者に注意を引くウラディミール・ナボコフの小説や様々な隠されたヒントに満ちた『ハリー・ポッター』などは良い例だと言う。

 
今ではストリーミング (音楽や動画をダウロードしながら同時に再生する) で映像が流れ、何度でも見ることができ、逆からでも、あるいは、コマをスライドショーのようにも見ることができる。動画を要約するような機能が研究され、全ての映画ライブラリーを検索でき、キーワードを打ち込めば、それに関連するシーンがフィルタリングされ映し出される機能も間近い。それらはグーテンベルク的変革だとケリーは述べている。一方で、こういう流れにマッチングしていないのが知的所有権の法律である。著作者の独占的権利は70年になり、100年になる可能性もある。変換され、変異し、改良され、進化して「変わっていく」、「なっていく」ものが新たな価値を創っていくリミックスの世界のための新たな法律が求められると言う。

9. 仮想と双方向性への波

 1989年に著者は、「ヴァーチャル・リアリティ/ VR」という言葉の生みの親、ジャロン・ラニアーの研究室でヘルメットとグローブを着け、仮想の世界で少女のアバターになった体験をした。しかし、2015年になるまで大きな進展はなかった。救世主はスマートフォン用のスクリーンとモーションセンサーだった。これらによってVR用のゴーグルは解像度、及び頭や体の位置の検出精度が格段に高まったのである。VRのプレゼンス (存在感) は、映像や音響相互作用によって映画よりもリアルになりつつある。

 これに加えてライトフィールド投影という技術が拡張現実 (AR) の世界へと導いた。マイクロソフトのホロレンズやマジック・リープ社のマジックリープが先駆けとなった。半透明のバイザーにホログラムのように画像が投影され、日常の視野に重なる。通常の世界にリアルな映像が眼前のスクリーンよりも遠くに焦点が合わせられことによって、そこにあると感じさせてしまうのである。


マイクロホロレンズによるヘッドセットを使用し、
ホログラフィックによってゲストを火星探査に導く

ケネディ宇宙センターでのデモンストレーション

 VRのウリはインタラクティブであることは言うまでもない。仮想の空間が作られ、その空間でなりたいものに変身し、囲まれたいものが周囲に存在し、自由に移動できる。それは仙界と言っていい。想像力のある仲間同士で交流できるタイプは、スマートフォンの登場で誰でも参加しやすくなり、マインクラフトのような子供に人気のあるものが登場した。他のユーザーたちと関りを持てるということが深いプレゼンスを感じさせるようになるのである。一方で、大規模ビデオゲームにおけるヴァーチャルなプレゼンスの進化は止まることを知らずプレイ時間も野放し状態になっていると言われる。

 さらに人間の微妙な感情を検出できるソフトがMITメディアラボのロザリンド・ピカードとラナ・エル・カリウビーによって開発された。スクリーンからユーザーの視線をトラッキングできる技術は既にスマートフォンで使われている。それらを使うとスクリーンの文字を読んでいる自分がまごついている場合、その部分の注釈を映し出してくれたりする。自分のデバイスに眼、耳、動作といった感覚が加えられ、インターラクションできるようになったのである。

 シャツに組み込まれた網目状の繊維に音の振動を伝えることで聾啞者に音を認知させる試みやセンサーのついたヘルメットが脳波を検知して考えただけでパソコンを操作する試みもある。こうなると、あらゆるものにセンサーを取り付け視覚や音だけでなく位置情報、温度、嗅覚、触覚などをインタラクディブにすることができ、あらゆるものは可愛い機械になっていく。膨張型外骨格、つまりセンサー付きの宇宙服か潜水服のようなものに全身を包むとヴァーチャルな手で物を掴むと重さと感触が得られ、足に物がぶつかると痛みを感じるというレベルになるだろう。VRの波は今訪れようとしている。

 しかし、問題はある、VRがあまりにリアルを強化すると架空の世界を現実と見なし、オンラインの他人が現実の人間かどうか見定められなくなる。鼓動、歩き方、姿勢、表情、虹彩の色、微小な生物的特徴のインタラクティブな測定結果は指紋のようにその人に固有であり、それらを組み合わせることによって将来のパスワードになるだろうとケリーは言う。複合的な生体認証になるということのようだ。

10. 追跡能力の功罪

 VRの世界ではトラッキングされることがなければ、何も起こらない。超小型のデジタルセンサーのサイズは、この文章の文字 (16pxほど) やピリオドほどになってきている。そんな装置が腕時計、服、眼鏡、携帯電話などに装着され、靴紐に小さな電子万歩計さえ取り付けられる。広島の牡蛎が壊滅的になったのだが、牡蛎の海中での殻の開閉をセンサーを付けて監視したらどうかと中学校の生徒たちがアイデアを出す時代である。モノにインターネットを接続する技術は IoT (Internet of Things) と呼ばれ、今や自分の生活の全てや体の状態の全てを追跡し、保存し、必要に応じて引き出せる時代が来ようとしている。

 そのように集められる情報の総量は幾何級数的に増えている。あるデータを取り込めばそれに付随したさらに多くの情報が付加されてメタ情報になっていきジリオンビット (無限に近いビット数) になっていく。「ビットは動きたがり、他のビットとリンクされたがり、リアルタイムで気づかれたがり、複製され模倣されたがり、メタ情報になりたがる」という分けである。しかし、問題なのは、このトラッキングには全展望監獄のように、彼らは僕が何者か知っているが、僕は彼らが何者か知らないと言う薄気味悪さがあることだ。メールである商品のことを書いて、次に開いたネットのページにその宣伝が出てくるのは不気味だ。

 双方向の文明化された共監視が望まれている。ケリーはシステムがトラッキングするのを止められないなら関係性をもっと対称化するしかないと言う。政府がトラッキングしていてもその逆は無い。個人として尊重され、公平に付き合うには開放的で透明な関係が必要だが、窮極の透明性にはプライバシーはない。人々のシェアへの欲求はプライバシーを守りたいという欲求を上回りつつあるのかもしれない。プライバシーは信頼によってしか得られないし、それを得るには一貫したアイデンティティが必要なのは理解できる。だが、過剰な匿名性は社会を害するとケリーは考えている。なりすましはいけない。

 ともあれ増え続けるジリオンビットにたいするジリオンバイトのデータ潜在能力を引き出すにはマシンやAIが理解可能なビットを構成する必要があり、セルフ・トラッキングのデータをマシンが認知できるようになると新たな情報科学が生まれるかもしれないと言う。ジリオン単位の仕事をするのはAIだからだ。トラッキングされた情報は最小単位に分解され、リミックスされ、新たなテキスト、新たな最新ニュースになるのである。

11. 確かさのために問う力

 ケリーはウィキペディアが現在のように成功するとは思っていなかった。それが存続し発展してきた理由の一つは、過去の記事の履歴が全て保存され管理者や他のユーザーがいつでも一つ前に戻せることが出来たからだ。ウィキペディアはハイブマインド (集合精神) の有効性を示す証拠となった。それが不可能と思われていたことを可能にしている。このようなソーシャル・コミュニケーションは出来たばかりで、人間は世界規模の制度を作り上げる入り口にいる。しかし、詐欺やフェイクなど、それなりの負の可能性も秘めているのは確かだ。

 瞬時に繋がる時代は、あらゆるものにたいする確信を失わせつつある。真実は一つではなく、多面的な真実の寄せ集めとなり、ただでさえフェイクの混ざった玉石混交の情報から自分なりの真実を組み立てなければならない。インターネットのおかげで一つの疑問に答えを得る時間は図書館で調べるよりも極めて短縮された。検索エンジンは毎年2兆回の答えを提出している。だが、科学もそうだが、一つの答えはより多くの疑問を生み出すものだ。しかし、重要な本当の質問というのは、そう簡単に生まれるものではない。

良い質問とは、
・すぐには答えが無い。
・現在の答えに挑み、答えの枠組み自体を変える。
・思考の新たな領域を作り出し、イノベーションの契機となる。
・知られていることと知られていなことの中間にある。
・機械が到達できないかもしれないが、人間だからこそできる。

 ケリーは不確かさやカオス、流動性や質問の数々が広がっている中で答えを生むテクノロジーは必要不可欠なものとしてあるからこそ、質問を生み出すことを援助するテクノロジーは価値を高めるという。質問することは答えることよりも力強いと述べている。

12. 始まりの始まり

 初期のインターネットから協働型のインターフェイスが生まれ、感覚と認知を併せ持つ装置が誕生している。150億のマシンに繋がり、40億の人間の心をリアルタイムな対象とし、地球の5%の電気を消費し、人間の半日をトラッキングして、お金の流通経路にさえなっている、この巨大な発明は巨大な生命体となって、それまでの発明を包み込んでゆく。H.G.ウェールズが「世界脳」と呼び、ティヤールド・シャルダンが「ヌースフィア/精神圏」と呼んだものが実体化しつつある。しかし、人間を超えたレベルであるために全容を把握するのは難しく、古い秩序を混乱させ続けているという。

 ここから先は未知の世界が広がる。AIが人間を超える限界点、つまりシンギュラリティ―が訪れるかもしれない。我々は、それなしでは生きていけなくなる。氷が水になるような相転移が起きているのだ。それは力強いプロセスであり、私たちは、そのとば口に立っているとケリーは言う。


 かくして僕のアップグレードは終わりました。僕のようなデジタル文化に疎い人間には有難い著作だった。あふれ出る大量の情報によってユーザーの注意喚起力はネット共に流れ去っていくようで、物事を判断する思考能力は希薄になりつつあるのではないか。編集ソフトの進化は画像が本物であることに疑惑を抱かせる。そんな負の遺産もありはする。それも、デジタルテクノロジーの進化の一側面ではある。ともあれ、本書によってクラウドと AI の関係を理解できたことは僕にとって大きかった。でも、これもアップグレードのはじまりに過ぎないということのようですね。


夜稿百話関連リンク
第88話 マーク・ソームズ『意識はどこから生まれてくるのか』

夜稿百話
ケヴィン・ケリー 著作一部

ケヴィン・ケリー『TECHNIUM テクノロジーはどこに向かうのか ? 』

著者のケリーは「テクニウム」と言う言葉を作った。現在のより大きくグローバルで大規模に結ばれたテクノロジーを示す言葉である。ただのハードウェアの範疇を超え、あらゆる文化、アート、社会組織、知的創造の全てを含む言葉だと言う。彼は、テクノロジーの活動空間の進化を生命における生態系とパラレルと考える。生命における自己組織化や競争と協調が併存するエコシステムに近いと考えているのである。



参考図書

バックミンスター・フラー『宇宙船地球号操縦マニュアル』

フラーは冒頭この述べている。私たちの頭は特殊な経験を処理するだけだ。心だけがどんな特殊経験にも例外なく作用し、一般原理を発見できる。しばしば自分の中から湧き出る独創性を幼いころから潰してきたために、私たちは自分の可能性を肯定的に考えることが出来ない。偏狭な近視眼的専門分野だけに終始し、共通のジレンマの解決を人任せにし、政治家に任せておけば簡単だと考える。そのような大人の偏狭さとは反対に出来る限り長距離思考でぶつかってゆくことに「子どもじみた」最善をつくしたいと。フラーは地球をまるで自分の手のひらに載せてクルクル回しながら眺めていたような視野を持っていた。20世紀のレオナルド・ダヴィンチと呼ばれた人である。


エリッヒ・ヤンツ『自己組織する宇宙』

このような本のおかげで自己組織化という言葉は社会的に認知され、広まったのではないかと思う。ヤンツの功績は、自己組織化がプリゴジンの散逸構造や生命活動における解糖サイクルのような科学分野の概念だけでなく、情報をも含めた社会におけるリミックスな創造活動や意識変化にまで言及していることにある。とりわけプロセスの自己進化を強調しているのはケリーの考え方と近い。


マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』

マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』

印刷文化は西欧人を神の調和的世界から失楽園へと導いた。それは何故か。それを紐解くのが本書である。アルファベットが発明されて以来、人間の感性と知性は分裂し始める。そこには象形文字のような触知的でイメージ的な力はない。音素という均質な部品を組み合わせるというメソッドはグーテンベルクの活版印刷という技術によってますます視覚化され a という文字がいつも a であるように世界を均質なものとして人間の表象空間を規定していく。マクルーハンは、その延長線上にデカルトの二元論もニュートンの力学もあると考えている。もともと文字を読むと言う行為は人間の思考を線形的なものにしてしまう。ここには同時併存は許されない。何を先に述べるかには優先順位があり、近代化された人間の闘争心は、そこに由来する。世界を視覚的に把握することは、自分をどこに置くかを意識させ個人主義を培ったのだと言う。この電波時代には眼は本来の視覚的役割のみを果たし大脳に伝達された記号表象は触覚、聴覚などの情報に助けられながら意味を創造していくようになるという。特筆すべきはマクルーハンが無意識を生み出したのは文字文化のせいだと考えていることにある。(訳者解説より)



参考図版


マインクラフトで作られたゾンビ
四角いボックス状のものを積み上げて作り、箱庭状の空間で動き回
ることができ、他のユーザーとマルチプレイで協働して楽しめる。


VPLデータスーツ
腕・脚・体幹の動きを計測するセンサーを搭載したスーツ 1989
VPL (visual programming language) はプログラム要素をテキストではなくグラフィカルに操作する。


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