第25話 ゲルショム・ショーレム『ユダヤ神秘主義』part1 天の玉座とカバラー的世界感情



ゲルショム・ショーレム『ユダヤ神秘主義』


 遂に手を出してしまった『ユダヤ神秘主義』、いずれは読まなければならないと思っていたけれど、かなりハードルが高い。ユダヤ文化内の狭い範囲だけでなく世界的なスタンダードとして、ゲルショム・ショーレムの名を国際的に高めた著作です。「訳者後記」の言葉を借りれば、ディアスポラ (民族離散) ユダヤ人の中に連綿として生き続けてきた一筋の真紅の血潮のようなユダヤ魂。その核心をなす内発的系譜を繋ぎ、ユダヤ民族に流れる真の伝統を再生する。そのことによって、現代から未来への新たな展望を開くべく書かれた確信的マニフェスト。この訳者たちの力の入れようは尋常ではない。

 カバラーの世界への扉は、19世紀のユダヤ啓蒙期に事実上閉じられてしまっていた。一方で、エリファス・レヴィ (本名/アルフォンス・ルイ・コンスタン) やアレイスター・クローリーとその一党のような山師たちのあらんかぎりの妄想や突拍子のない絵空事の主張が行われるようになった。この等閑に付された分野に改めて歴史的研究の揺るぎない尺度をもたらすことが、自分に課せられた課題だとショーレムは述べている。この熱意と意気込みが、この冷静な著述の底にある。


著者 ゲルショム・ショーレム




ゲルショム・ショーレム (1897-1982) 1935


 ショーレムは、1897年ベルリンに生まれている。父は、ユダヤ教から完全に離れた中産階級のユダヤ人で印刷業を営んでいた。ベルリン大学で数学、物理、哲学を学ぶ一方で、ヘブライ語を学び始める。エルンスト・ブロッホの『ユートピア精神』に示された「ゾハール」に感激し、自己の根源に触れんとしていた同じ頃、ヴァルター・ベンヤミンとの友情を深めていた。ベルリンの「ユダヤ民族ホーム」での、とある講演のことだった。会後の討論の折、偶々、カフカの恋人のフェリーツェ・バウアーがいて、カフカにショーレムの発言を手紙に書き送っていた。その返信が50年後にカフカの手紙として公刊された時、ショーレムの驚きは例えようもなかったという。

 第一次大戦後、バイエルン国立図書館のカバリスト手稿などの一大コレクションに惹かれてミュンヘン大学でカバラー研究を行った。博士論文は、12世紀プロヴァンスで編纂された *3 『バーヒールの書』で、その後の研究に40年を費やしたという。しかし、その図書館で発見したものの中には、盗賊や故買家といった下層社会におけるユダヤ人と非ユダヤ人との密接な絡み合いをみた。彼は、秘教文書の中にこそ、ユダヤ哲学の中で歪曲されてしまった民衆の中に息づく確かな真実があると確信するようになる。この1916年から1918年までが、ショーレムにとって決定的な時期だった。

 彼は、カフカの作品の中に「現代の精神におけるカバラ的世界感情の世俗的表明」を見ている。カバラーの中には高い水準の本質的なものがあり、自分の世代には知覚できないにせよ、私たち自身の最も人間的な経験に触れずにはおかない領域があると考えるようになったのである。
1923年に英領パレスチナへ移住し、数学の教師よりも俸給の少ない司書の職を選んだ。ここでユダヤ神秘主義の研究に没頭する。イスラエル国会図書館のヘブライ・ユダヤ文献部門の責任者となり、後にエルサレムのヘブライ大学で、教鞭を執るのである。




第一章 神秘主義 ― 魂内の神との直接的な結合



 神秘主義とは神を直接知覚すること、あるいは、その実在の直接的体験に基礎を置く宗教――これが定義です。トマス・アクィナスは、神を経験することから得た実験的な知としている。神秘家たちは、一般のイメージにあるような信仰の枠を打ち破るアナーキストではなく、大きな宗教の忠実な息子たちであったとショーレムはいう。*1 タルムード時代 (紀元350年~500年頃) とその後に一つのグループを成した最古のユダヤ神秘家たちは、忘我の直観によって至高の神と天の玉座へ至る魂の高揚を見た。これは、本来のカバラーが形成される以前の時代に由来する神秘主義である。この古きユダヤ・グノーシス派の人々から *2 ハシディズムの神秘家に至る遥かな一筋の道が通じているとショーレムは言うのである。

 神的なものと人間的なものの分離以前の、いわばエデンの園の段階が宗教の第一段階とすれば、神秘主義が登場するのは、人間が神に対して相対することになり、無限の神と有限の人格との間に深淵が誕生する時代である。その割れ目を閉じるべく登場するのが神秘主義なのである。宗教の創造的時代といっていい。その舞台は、人間の魂であり、絶たれてしまった神話の世界と啓示の世界との統一を再び打ち立てようとする。硬化した血管に新たな脈動を伝搬させ、古き価値に新たな解釈をもたらすと言える。


 ユダヤ神秘主義は、神への道を宇宙創造説から辿って回帰しようとする点において歴史を往還しようとするものである。宇宙創造という前進と終末論という帰還とが一つの運動となり、収縮と拡散を繰り返す宇宙の生命として表象される。この点で新プラトン主義に接近する。このユダヤ神秘主義は、「伝統」を意味するカバラ―という名で知られるようになった。一見、個人的な内密な知が伝承された知として理解されていた。それは、秘教として極く少数者に制限されていたものではあったが、ある時代には民衆全体をその影響下に置こうとする。それは、古代ヘレニズム時代の秘教崇拝と似ているというのである。日本の中世に密教が御利益を求める大衆の心を掴んだのに似ているのかもしれない。


 カバラ―とは、宇宙論や終末論、メシア思想を伴う神秘主義と言っていい。ユダヤ神秘主義はカバラーと同義のように思われる向きもあるが、非ユダヤ的カバラ―もある。それらはキリスト教的カバラーとヘルメティック・カバラーである。ユダヤ神秘主義は、啓蒙思想の反動ではないとショーレムは断言する。哲学と、それとは異なるラビ的なユダヤ教の精神的遺産の中で働く様々な力とは、いわば、互いにがんじがらめになりながら交差しあってきた。哲学は生きた神を見失いそうになり、神秘主義は迷路の中に迷い込みそうになりながら互いに発展してきた。神秘主義は、哲学者によって哲学的概念の誤解のようなものだと小馬鹿にされるが、それが、カバリストの宗教的感覚からすれば、尊厳と偉大さをもたらすことになるのである。その気分は、この言葉に集約される。「あんた方はあの哲学者たちの学問を賞めるがね、あの連中は、われわれが始める処で止めちまっているだってことを知らにゃいかんよ (ブルゴスのラビ・モーセス/13世紀末)。」逆説的だが、しばしば、カバリストの誤解は、オリジナルな教説への道を開いてきた。


*3 バーヒールの書 1651年版


 宗教的思想の内に神話をクローズアップし、一神論者に抵抗していたグノーシス派の最後の一派が、ユダヤの神秘家にその言語表象を授けた。授けられたカバリストの象徴は常に神話的性格の異質な世界に強く関係していて、 *3『バーヒールの書』の編者たちに、ひいてはカバラ―全体のために遺産として残してくれた古い神秘的な形象は、その秩序を破壊してしまった律法を打ち破ることを志向していく。カバリスト神学には神話の復活と再構成への注釈があり、まさにそれがユダヤ史におけるカバラ―の成功の秘密であるとショーレムは言う。合理的哲学が、応えることのできなかった素朴な人々の生の不安や死の不安にカバラ―は寄り添った。


 悪の存在は、哲学者とカバリストを分ける試金石である。神話と魔法の中で宗教意識が脅かされた危険がカバラ―の発展の中で一度重大な形で現れる。カバラ―に深く入ろうとする者は、ある時は感銘し、ある時は嫌悪する、その感情の分裂を振り切れないという。つまり、両義的性格を持っているのである。今回 part1 は、カバリスト以前のメルカーバ
神秘主義とユダヤのグノーシステキストを概観したい。




第二章 メルカーバ―神秘主義とユダヤのグノーシス




ヨハナン・ベン・ザッカイ(紀元1世紀に活躍)の像



1. メルカーバーと賛歌



 ユダヤの神秘主義はパレスチナに始まる。紀元1世紀の終わりころ、*a ヨハナン・ベン・ザッカイの弟子たちのサークルから出たミシュナー (口伝律法) の教師たちから最も重要な担い手たちが現れる。その精神的遺産は、新たな宗教的世界像となり、3世紀から6世紀の時代に、と或るサークルによって文学的遺産として残されることになるのである。彼らは、自らを明かすことなく、ヨハナン・ベン・ザッカイや *b アキバ・ベン・ヨセフといった先人を神秘的行者や秘密の叡智の担い手や伝達者に仕立て上げて、著述していった。

 ユダヤ秘教の最も古い文学の中心は *4 メルカーバー文献である。天の軍団、天使の国家、幾重にも層をなす天上空間、大帝の王座などが登場する玉座神秘主義と呼ばれる。この玉座世界は、宗教史では *5 グノーシスや錬金術との関係が深いといわれ、ヘレニズム期の初期キリスト教の神秘家たちのいうプレローマ (充溢) と同じ潜勢力や *6 アイオーンや支配力を備えた神聖の光と同じ性格を持つ。それは、ローマ帝国時代におけるエジプトでのギリシア語やコプト語で書かれた魔術の呪文などの記述と解きがたく結びついていた。それは、旧約聖書の *4『エゼキエル書1-26』や聖書外典の *7『エノク書』にも見出すことができる



エゼキエルの「戦車のビジョン」 テウス・メリアン (1593-1650) 画



 その典拠は離散した大小の断片でしかないが『*8 ヘハロースの書』と呼ばれている。ヘハロースとは、天上の宮殿を指していて、その7番目の宮殿に神の玉座がある。聖書外典や黙示録文学の伝統にあるこの書には聖書の詩句解釈が登場せず、直接的な宗教的体験を記しているらしい。この運動の消滅段階になって逆に聖書解釈の要素が支配的になっていくという。このメルカーバー神秘主義に関わるのは、自分たちの秘密の知識であるグノーシスを倫理的人格的な条件を満たす者にのみに、その伝達を許す観想的な神秘家の学派だった。ヘハロースが書かれた大小の断片の内、大きいものが『大ヘハロース』だが、その匿名の著者たちにとっての最重要事項は、このグノーシスを *9 ハーラーハー (ユダヤ法) を行動の導きとするユダヤ教のなかに植え付けることだったと言われる。

 メルカーバー神秘主義の文章は、元来、天上の七つの宮殿、そして神の玉座への天路遍歴における光景描写とそれへの準備や技術が書かれている。2~3世紀のグノーシス派の人々や錬金術師が目指したのは、地上から宇宙の敵対的惑星天使や支配者の領域を抜けて神の光の世界の『充溢』の内へと、その神的故郷に帰り着く魂の上昇だった。メルカーバーは、それをユダヤ的に変質させたものだとショーレムは言うのである。


 最高天には七つの宮殿があり、非ユダヤのグノーシスでは七つの惑星界となっている。そこの支配者たちは、門番を置き、救いを求める魂たちが通行証を持たないなら追い返させる。特に、第六の宮殿の門は難関だった。参入者は、門のところで計り知れない大量の水が押し寄せてくるのを見るのだが、そこには一滴の水もなく、光り輝くエーテルと宮殿の透き通った大理石があるばかりだった。その水の意味を天使に尋ねようものなら嘘つき呼ばわりされ鉄の棒で頭を殴りつけられるのだった。第六の門の前で石と水とを勘違いしてはならないと *b ラビ・アキバは注意を促している。陶淵明の曽祖父・陶侃(とうかん/259‐334)は夢の中で身に八翼が生えて天に昇り、九重の天門のうち八つまで登ったが、最後の門の所で門番の杖に打たれて地上に落ち、その左翼を折って中には入れなかった(『晋書』陶侃伝)というが、中国でも似たような話が残っている。その通行証は、魔術封印で創造主の玉座に火の柱のように立っているという。最古のヘハロース・テキストである『小ヘハロース』には、このような魔術的要素に満ち満ちているといわれる。


 天上に君臨する王はゾハラリエルとかアディリロン、テトラッシュ、テトラスといった名で呼ばれ、そのような名で神の栄光の色々な側面が理解されたと思われる。これは、巫術への変質を物語っていた。秘密の名が支配力を持つようになり、巫術師が「神の風格をもった君主」を魔法で呼び出す際に執政官に向かって「いと高き、畏れかしこい、身もふるえる君主」と呼びかける。気高さと畏怖とが、このサークルの宗教感情の鍵となるという。その雰囲気を知る上で、最も重要な要素は祈祷や賛歌である。簡単明瞭な神への呼びかけであったり、メルカーバー世界に在る者と神との対話とその描写であったりするが、シナゴーグの詩歌 (ピーユート) の最も古いものの一つであるこれらの賛歌は、奇妙なほど内容が乏しいのにも関わらず詠唱されると祈る者に魔術的効果を及ぼすと言われる。こんな詩句だ。


万能と至誠は永遠なる生者のもの
明察と至福は永遠なる生者のもの
高貴と偉大は永遠なる生者のもの
知識と弁舌は永遠なる生者のもの
美観と偉観は永遠なる生者のもの
‥‥


 これは、ひたすら神の名誉称号を忘れまいとするかのような賛嘆の積み重ねなのである。いや増しに高まる呪文の繰り返しの中に、祈禱者の忘我の境が用意されているという。それに、この賛歌は神に語りかける被造物の最初の言葉と考えられ、救済された世界では全ての生き物は賛歌で語るという預言的思想が浸透していると言われている。ここにヘブライにおける原言語の聖性の意味の一端が明らかになる。

2. シェキーナーの体とその寸法 (シウル・コーマー)



 シェキーナーは輝くという意味だが、もともとは「留まる」「宿る」という意味だという。神の栄光が人間の間に留まる、あるいは宿るということから神の内在と関わる。しかし、メルカーバーにはシェキーナーも神への愛もない。そして、神の玉座の方が、その世界創造よりも優位に置かれるのである。メルカーバー神秘家は、飛翔しながら天使よりも奥へ突き進み、ラビ・アキバに示された神を見る。大ヘハロースには、「シウル・コーマー (身体の寸法) 」として伝えられる挑発的とも言える人間に擬せられた創造主の姿がある。当然、神秘主義的傾向を持たないサークルからの強い反発と憤りがあった。その手足の寸法は、色々なテキストでどうしようもないほど混乱している途轍もなく大きな数値で、神の指尺は全世界を包括するという。この「シェキーナーの肉体」を想像することは不可能とされている。

 2~3世紀の降神術を信仰しているグノーシスのテキストにも「父の肉体」とか「叡智の身体」に関するよく似た神の擬人観が見られるらしい。これは、シウル・コーマーに劣らず異常で不可解だという。*4 エゼキエルはメルカーバーの玉座に人間らしきものを見たが、この「シウル・コーマー (身体の寸法) 」は、イランに伝わる「原人」と一致するものかもしれないとショーレムはいう。近東で広まった思想をユダヤ教に逆輸入した試みの残滓ではないかというのである。この玉座の神には世界創造者の属性が意図的に付与されている。しかし、世界創造者は「真の神」に敵対していない。デミウルゴスは神秘的に擬人化されているが、実現できない現し身として、シェキーナーの肉体の寸法として定義される。それは、ユダヤ・グノーシスの最も古い要素の一つと言われる。これについては、アダム・カドモンの身体との関係も注目される。


3. メータトローン神秘主義




モデナ大聖堂の西ファサードの碑文 12世紀  左 エノク 右 エリア



 全ての天使の内で最高の天使である *10 メータトローン。ノアの種族からシェキ―ナ―の風に運ばれ第7天アラボースの宮殿に運ばれたエノクが見たものは、シェキーナーの玉座であるメルカーバーであり、怒りと憤怒の軍団、炬火のケルビーム、燃える炭のオンファニーム (原意は車輪/神の王座を守る天使)、炎の家来、閃光のセラフィームたち、天使団だった。この記術は、『エノク書』と深くかかわっている。エノクの肉は炎に、血管は燃え盛る火に、その睫毛はほとばしる閃光に、瞳は燃える炬火となる。エノクは神の玉座の隣を与えられ、メータトローンという新たな名で呼ばれることになるのである (『エノク書』「エノクの夢に示された異象」)。天使に高められたエノクは、紀元2世紀の初頭には、天使ヤーホーエルまたはヨエルと同一視されるようになるが、ヤーホー/ Jaho は、テトラグラマトン (聖四文字) JHWH の略語であり、神の名の一部を含んでいる。しかし、最高の被造物ではあっても創造主ではない。

 エチオピア語やスラブ語で書かれたエノク書にあるエノクの天の遍歴は、メルカーバー神秘家のエノク書では別バージョンとなっていて、メータトローン自身が、自己の忘我と変容、天使と玉座の世界のヒエラルキー構造をラビ・アキバに語る形式に変わっている。


 もう一つ、ラビ・アキバがメータトローンについて語る重要な要素に宇宙の帳あるいは、幕がある。神の玉座の前に架かり神の栄光を天使の群れから
隔てている。この幕の起源は、かなり古く、2世紀の *11 アッガーダー (聖者伝説) の中に、それらしきものがあるし、コプト語のグノーシス文献『ピスティス・ソフィア/知恵としての進行』にも同様にあるという。それは、創造の日々以来、天上世界に潜在的に存在しているあらゆる事物の形象を含む幕である。弦理論の研究者であるオランダの物理学者ヘラルデュス・トホーフトのホログラフィー理論を思い出させるが安易に結び付けるのはやめよう。ともあれ、この幕を見る者はメシアの救済の秘密にも通じると言われる。過去と未来のすべての歴史的経過はこの幕の中に形成されていると言われる。

 こアーカーシャ的な幕の存在によって、神の玉座の知識も、包み隠されているトーラーの戒律の理由も、メシアの時代には明らかにされると言われ、メルカーバー神秘主義の原動力の大きな要素となった。そして、アイオーンの連鎖の中で展開するグノーシス派のプレローマは、宇宙の直接創造と関わっているが、メルカーバーでは、宇宙創造との関りは、この幕を通じてでしかないとショーレムは述べている。グノーシスでは「我々は何処から来て、何になったのか、我々は何処に居たのかあるいは、何処に置かれたのか、我々は何処へ急ぐのか、何処から我々は救い出されたのか」という認識への努力がなされたが、ミシュナー (口伝律法) が禁じている「上に何があり、下に何があるか、以前に何があり、後に何があるか」という問いとメルカーバーは関係がありうるのだとショーレムは言うのである。


4. 神秘的宇宙創造説 ―「イェツィーラー」



 アイオーン思弁の残滓を留めるものにカバラ―文学最古のテキストと言われ、特異で晦渋なことで知られる12世紀の *3『バーヒールの書』があるが、『ラーザー・ラッバー/偉大な秘密』(詳細未詳) という東洋の文献が直接の典拠とされている。そこには、グノーシスの術語、象徴、神話のモチーフがどのように12世紀のプロヴァンスにもたらされたのかを説明してくれるという。

ヘブライ語のアルファベット 22文字


 メルカーバー神秘主義の外縁にはグノーシス的な理論的テキストとして『バーヒールの書』があるように、アマッセ・ベレーシース (宇宙創造説) の外縁にあるのが、3~6世紀に成立した *12 『イェツィーラー/創造の書』である。この小著は、セフィロースと呼ばれる10の原数と22のヘブライ語のアルファベット文字の持つ秘密の力の組み合わせによって、宇宙創造がなされたとしている。それが、「32の叡智の秘密の道」なのである。それぞれの文字の秘密の意味を論じ、人間、星辰世界、季節の循環における各文字の秘密の関わりを開示するという。後期ヘレニズムか、もっと前の後期新プラトン主義の数秘主義の理念が文字と言葉に関するユダヤの思想と結びついているといわれる。しかし、セフィロースに関する記述は、あいまいで、宇宙創造の根本においてさえ、セフィロースからの流出、あるいは、その相互作用による神からの流出説を唱える者もあれば、全く反対する者もいると言った具合だった。セフィロースを、神の神霊、エーテル、水、火、空間の六つの次元と直接同一視する者もあれば、それらの相互関係を見る者もいる。どちらにしても、古典的メルカーバーの遍歴者が全く知らない新しい要素であった。この書に関わる魔術や巫術もあり、天と地の秘密、デミウルゴスの寸法と容積などと同様に、あらゆるものを支配する力を与える秘密の名は魔術的作法の中で忘我に接することになるのである。

 こうして、メルカーバー神秘主義が純粋な魔術に傾斜していく支流が形成される一方で、もともとヘハロース・テキストが天界への上昇と道徳的完成度の段階とを同一視していたことを受けて、8世紀のバビロニアでは、贖罪行為としての上昇が取りざたされるようになる。また、4世紀のキリスト教神秘主義者の一人であるエジプトのマカリウス (アントニウスの弟子でスケティス修道院の創始者) が、人間を神の栄光の担い手とし、魂を栄光の玉座と考える転換と内在化を図っている。このようないくつかの支流の形成はあっても、元々のヘハロースのメルカーバー神秘主義には、人間そのものには取り立てて関心がなかった。



何回かに分けてお送りするゲルショム・ショーレム『ユダヤ神秘主義』ですが、次回 part2 は、舞台をドイツに移し、ハーシード (敬虔者) を巡って、その宗教的理想像、中世伝説のゴーレム、それに関わる数秘術と没我体験、激しい贖罪主義、汎神論的神の遍在、そして内的栄光 (見える光、見えない光) などの内容で中世ドイツのハシディズムをご紹介する予定です。




夜稿百話


ショーレムの著作 一部

ゲルショム・ショーレム『サバタイ・ツヴィ伝 上』

『サバタイ・ツヴィ伝 上』
ゲルショム・ショーレム『サバタイ・ツヴィ伝 下』

『サバタイ・ツヴィ伝 下』

ゲルショム・ショーレム『カバラとその象徴的表現』

『カバラとその象徴的表現』



参考図書


旧約聖書外典 

「スザンナ」、「ベールと龍」、「ソロモンの知恵」、「第四エズラ書」、「エノク書」収載。

収載されているのは、エチオピア語訳の「第一エノク書」である。

幻の中の風がエノクを天にまで運び去ると水晶で作られ火の舌に囲まれた壁を過ぎ、水晶の大きな家に着いた。天井は星辰が通る道のようでその間に火と燃えるケルビーム (ケルビム) がいた。家の中は、火のように熱く氷のように冷たかった。自分は畏れひれ伏した。そして、前よりももっと大きな炎で出きた壮麗で美しい家が現れた。火の床と、その上に稲光と星が満ちていた。その中には水晶のような高い玉座があった。その車輪は輝く太陽のようで玉座の下からは火が流れ出ていた。そこにもケルビーム (ケルビム) の姿が見えた。大いなる栄光の主の衣は太陽のように輝き、雪よりも白かった。誰一人その栄光の顔を見ることはできなかった。燃える火が周囲にあり、御前にはとりわけ巨大な火があった。何千万という大群が主の御前にいたが、主は一人の助言者も必要としなかった。主に侍る最高の聖者たちは夜もそこを離れなかった。震えてひれ伏す私に主が自ら口を開いてお召になり「エノクよ、ここに来て私の言葉を聞け。」‥‥「義人エノクよ、義の書記よ。‥‥」



ハンス・ヨナス『グノーシスの宗教』

ヨナスは、グノーシス主義を「救済」を人間にもたらしうる神を対象とする知であるとしている。ギリシアのテオーリアでは、普遍者を外界の対象として見る一方向性しか持たないのに対して、グノーシスでは客体としての超越的神聖と個別者である主体との相互の働きかけによって救済は起こると考えている。一般に考えられているように幼年期のキリスト教にギリシア的な知がもたらされたものではないと述べる。この知識は何かから派生したものではなく自律的運動から立ち上げられたと考えられる。解体しつつあったギリシア思想が、東方思想をその鋳型として押し込まれた際に生成された結晶だとヨナスは喩えるのである。



エルンスト・ブロッホ『ユートピアの精神』

ブロッホは、「カール・マルクス、死及び黙示録」の中の最終章で、『ゾハール』を取り上げ、「すべての世にとって二重の視線が存在することを知れ。その一つは外的なもの、すなわち世の普遍法則をその外的形態に即して示す。もう一つは世の内的性質を、すなわち人間の魂の神髄を示す。これに応じてやはり行為の二つの段階が存在する。すなわち業 (わざ) と祈りの規律である。業は世を外的なものの観点で完全なものにしようとするが、祈りは一つの世を別の世においても保持されるようにし、その世を上へと高める (好村冨士彦 訳)。」ブロッホにとって二重の視線とは、マルクス主義と宗教だったのである。おそらく、これはベンヤミンの考えにも通じるものだろう。



フランセス・イエイツ『魔術的ルネサンス』

イエイツは、ショーレムのカバラー研究なくして、本書は成立していなかったとまで述べている。

参考画像


フェリーツェ・バウアー(1887-1960)

カフカの恋人であり、婚約者であったが、結局、結婚には至らなかった。カフカの彼女に対する第一印象は散々だったが、一か月後には文通が始まっている。

フランツ・カフカ(1883-1924)1906

カフカは、1912年にプラハに滞在していた友人で作家のマックス・ブロートを訪ねた際、バウアーと出合っている。1914年に一度、婚約するが、執筆活動との両立に自信がないカフカは話しあいのもと婚約を解消する。しかし、交際はその後も続き1917年には二度目の婚約をするも結核にかかり、カフカ側から婚約は破棄された。


ユダヤ教カバラー用語


*1 タルムード

タルムード 研究を意味する言葉。
旧約聖書に書かれたモーゼの律法とは別系統の口伝律法を収録した文書群であり、6部、63篇ある。このタルムードは、口伝の「ミシュナー」(反復) と、その注釈である「ゲマラ」(完成する) の2つの部分に分れ、「ゲマラ」には、バビロニア版とエルサレム版の二種類がある。したがって、ゲマラの違いによって二つのタルムードがあることになる。
口伝律法=ミシュナー は、アキバ・ベン・ヨセフが集め、ユダ・ハ・ナシが200年頃に完成させた。その研究討議または注解をゲマラ と呼ぶ。ミシュナーとゲマラを収録した書が『タルムード』である。
2世紀ころ成立したエルサレム・タルムードは、350年~400年頃、主にパレスチナ・アラム語で書かれていて、ティベリアとカイザリアのアカデミーを中心とするイスラエルの地のユダヤ人学者によって編集され、350~400年頃に本の形に編集された。
バビロニア・タルムードは、紀元500年頃にバビロニアのスーラ、プンベディタ、ネハルデアの学者が編纂したもので、主な編纂者は、ラヴィーナとラヴ・アシである。ヘブル語とアラム語で書かれている。一般的に「ゲマラ」または「タルムード」という場合、この版を指している。


タルムード初期の印刷

バビロニアのタルムード 全巻



*2 ハシディズム

ハシディズムは、有徳で思いやりのある行動を意味するヘブライ語「ヘーセド」に起源を持つ「敬虔な者/ハーシード」という言葉に由来する、超正統派のユダヤ教運動のこと。一般には、18世紀にバアル・シェム・トーヴが開始したとされ、ガリツィア地方 (ポーランド・ウクライナ国境地方) を中心に発展した。敬虔主義運動とも訳される。神は宇宙にあまねく存在するとしている。19世紀後半には、正統ユダヤ教の中に組み入れられた。
ショーレムは、13世紀の中世ドイツのハシディズムについて記述していて、詳細はpart2でご紹介する。


ハシディズムの集会 ボヤンハシディズム王朝の仮庵の休日 2009年

*3 バーヒールの書

『清明の書』。1世紀のラビであるネフニャン・ベン・ハカナのミドラーシュとして知られる。ミドラーシュ (探し求めるもの) は、聖書解釈から派生した文学ジャンルの一つ。カバリストは、バーヒールの作者を、西暦100年頃に住んでいたミシュナイク時代 (第二神殿時代/前516年から紀元70年) の終わり頃のラビであるネフニャンに帰したが、中世のカバリストは、この書は統一された著作ではなく、散らばった巻物や小冊子に見られる断片を集めたものと考えている。出版されたのは12世紀のプロヴァンスのカバリストの学校だったが、その前にいくつかの写本が存在していたと考えられている。

バーヒールの書

バーヒールの書 1651年版

*4 メルカーバー

乗り物を意味するメルカーバーは、戦車で表象され、天の宮殿の玉座を同時に示す。旧約聖書には、エゼキエルの幻視において描写されている。『エゼキエルの書』には、おおよそ、このように記されている。

エゼキエルの「戦車のビジョン」 テウス・メリアン (1593-1650) 画

エゼキエルの「戦車のビジョン」 テウス・メリアン (1593-1650) 画

『エゼキエル書』第一章
バビロン捕囚者の一人、祭司ブジの子エゼキエルは幻を見た。北風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくる。その中には、琥珀金のように輝く四つの生き物の姿があった。彼らは人間のようなものであったが、それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。 翼の下には四つの方向に人間の手があった。脚はまっすぐで、足の裏は子牛の足のようで磨いた青銅のように光輝いていた。四つとも、それぞれに四つの顔と翼を持っていて、移動するときに向きを変えることはなく、翼は互いに触れ合っていて、それらは移動するとき向きを変えず、顔の向いている方向に進んだ。 四つの生き物の顔は、それぞれ人間の顔を持ち、その右に獅子の顔、左に牛の顔、そして後ろには鷲の顔を持っていた。 彼らは燃える炭火の輝きであり、火から稲妻が出ており、生き物自身も、稲妻が光るように現れたり隠れたりしていた。
四つの顔を持つ生き物の傍らの地に一つの車輪が見えた。 それらの車輪の有様と構造は、緑柱石のように輝いていて、四つとも同じような姿をしていた。その有様と構造は車輪の中にもう一つの車輪があるかのようであった。 車輪の外枠は高く、恐ろしかった。車輪の外枠には、四つとも周囲一面に目がつけられていた。
生き物の頭上には、恐れを呼び起こす、水晶のように輝く大空のようなものがあった。 生き物が移動するときの翼の羽ばたく音は大水の音のように、全能なる神の御声のように聞こえ、また、陣営のどよめきのようにも聞こえた。この大空の上に、サファイアのように見える王座の形をしたものがあり、王座のようなものの上には高く人間のように見える姿をしたものがあった。 腰のあたりは、琥珀金が輝いているように見え、周りに燃えひろがる火のようだった。周囲に光を放つ様は、雨の日の雲に現れる虹のように見えた。これが主の栄光の姿の有様であった。わたしはこれを見てひれ伏した。そのとき、語りかける者があって、わたしはその声を聞いた。
‥‥


*5 グノーシス

ギリシア語で「知識」の意。知的,理論的なものではなくて,神秘的,直観的な神の啓示の体験における英知 (霊知) をいう。初期ヘレニズム時代におけるギリシアではテュケ信仰が広く行われ,のちに神秘的なグノーシスに基づく神秘宗教となった。人間の本来的自己が、身体、国家、宇宙、人間の運命を支配する星辰などの現実世界における外的な要因によって疎外されているという二元論の立場をとる。そこから、宇宙を超える至高神と人間の本来的自己とが本質的に同一であると「認識」することが救済であると考える宗教思想。
また一般にグノーシス派という場合にはキリスト教の真理をグノーシスとして理解しようとした初期キリスト教内の異端的思想傾向を概括して指している。

ナシリヤにあるマンダアンベスマンダ

イラク南部のナシリヤにあるマンダ教のベスマンダ (知識の家)。

古代から生き残った唯一のグノーシス主義の宗教施設。マンダは「知識」を意味し、文字通り「グノーシス」と共通する。その文書はグノーシス主義のものとしては最大の原典でタルムードと密接に関係していると言われる。


*6 アイオーン

アイオーンは宗教的には、紀元2世紀から5世紀頃にかけて、ローマ帝国内やその辺境地域で興隆したグノーシス主義における高次の霊、あるいは超越的な圏界を指している。もともとは、古代ギリシア語で時間を意味した。

アイオーン パラビアーゴパテラ (古代ローマの銀板)

アイオーン パラビアーゴパテラ (古代ローマの銀板)

キュベレーとアッティスを中心として製作されているが、右上にアイオーンが登場する。ミラノ近郊のパラビアーゴで出土した。

*7 エノク書

『エノク書 (第一エノク書)』は、聖書外典の一つ。紀元前1~2世紀頃成立と推定されるエチオピア正教会における旧約聖書の1つで、ノアの先祖であるエノクの啓示という形をとる黙示である。天界や地獄、最後の審判、ノアの大洪水についての予言などが語られている。元々アラム語か、またはヘブル語で書かれていたと推定され、アラム語の断片が死海文書の中に発見される。現在エチオピア語訳が現存しているし、19世紀にエジプトにおいて、ギリシア語でかかれた『エノク書』の断片が発掘されている。

「エノクの手紙」終結部と「メリト」の受難の冒頭部 4世紀写本

「エノクの手紙」終結部と「メリト」の受難の冒頭部 4世紀写本

『第二エノク書』は、聖書偽典の一つで、スラブ語訳が現存していて、別名『エノク秘蹟書』と呼ばれるエノクによる黙示となっている。天界、天使、堕天使とその一団などの記述がみられる。天界に連れられ神に出会い、その書記となる記述があるのは、『第一エノク書』と共通する部分があるが、天界は10天に及ぶ。

第一天は大空のすぐ上にあり、天使たちが雪や雨のなどの大気の現象を司っている。
第二天では、エノクは、反逆の天使が拷問を受ける牢獄のような闇を見る。
第三天では、エデンの園に代表される楽園がある一方、悪人が拷問を受ける地獄がある。
第四天は、太陽と月の動きが詳細に描写されている。太陽の周りには、鳳凰(第六天にもいる)やカルキドリーと呼ばれる天使のような生き物がいる。また天使の兵士からなる合唱団があり、その歌声は素晴らしく、驚異的である。
第五天で、巨人であるサタンの兵士、グリゴリたちがいる。彼らはまだ罪を犯していない宙ぶらりんな状態で、エノクは彼らを説得して悔い改めさせる。
第六天では、宇宙と人間を支配する天使たちを見る。天使の上にいて、天と地のすべての生命を計る大天使、季節と年を司る天使、川と海を司る天使、地の果実を司る天使、すべての草を司る天使、すべての生き物に食物を与える天使、人の魂とすべての行いとその人生を主の顔の前に書く天使たちである」。
第七天では、今度はガブリエルに導かれたエノクが入ることを許され、玉座に座る主を顔と顔を合わせて見るが、遠くから見るだけだった。ここは神の天使の軍団が美しい光の中で生活している。
第八天は、星座の天空であり、季節を変え、星座を動かすムザロトが住んでいる。
第九天は、星座と季節は固定されている天空である。
第十天は、神の玉座があり、神の顔を間近に見ることができる最後の天である。ここでは、神の法廷がある。


*8 ヘハロース

宮殿を意味する言葉。玉座神秘主義であるメルカーバー神秘主義の典拠となる文献で、聖書外典や黙示録文学の伝統のうえにある。大小の断片があるが小さいものの方が古い。

大ヘハロースでは、世界の完成と世界の進路が基づいている組織の秘儀や驚くべき秘密の啓示が約束され、万有全ての翼と天なる高みの翼とが結ばれ縫合され、固められ、掛けられていく天と地の鎖が示されるが、その内容は明らかにされない。神の支配権力と尊厳が綿々と冗長なまでに示されるという。
その中には「ゾハリエル、アドナイ (主) 、イスラエルの神」に寄せる賛歌といったものがある。
「神の玉座は御前に燦然と輝き、その宮殿は絢爛豪華である。尊厳は神に似つかわしく、その栄光は神にとって誉である。僕 (しもべ) たちは神の前で合唱し、神の奇蹟の力を告げる。神は王者のなかの王者、君主の中の君主‥‥。」
このようなくどくどしい饒舌は、口伝律法 = ミシュナー の時代の古い玉座主義や黙示文学の賛歌の伝統を引くものではあるが、タルムードでは忌避する傾向にあった。

玉座世界での祈祷に関しては、このように述べられている。イスラエルという名の天使が中央に立ち、「神は王なり、神は王なりき、神はとこしえに王ならん」と呼びかけ天使の群れに礼拝を導入する。天使たちの一人、「大執政官」のシェムイエルが天の窓辺に立ち、下から昇ってくるイスラエルの祈祷の仲立ちをして、第七の天の住人たちに伝える。


*9 ハーラーハー (ユダヤ法)

ハラーハーは「行動の導き」であり、宗教的な律法だけでなく習慣法を含んでいる。ミシュナー(口伝律法) を含むタルムードの大部分はこのハラーハーが占めている。


*10 メータトローン

ユダヤ教の天使の一人で、キリスト教やイスラム教の分派の中にもメータトローンを天使としているものもある。しかし、その言及はバビロニア・タルムードに三か所、『大ヘハロース』といったカバラーのラビ文学にあるのみである。天使に高められたエノクは、紀元2世紀の初頭には、天使ヤーホーエルまたはヨエルと同一視される。アブラハムの黙示録の第10章に語られる「私の名はヤーホーエル‥‥ひとつの力である。それは私のうちに住む言い知れぬ名のおかげである」とある。ヤーホー/ Jaho は聖四文字 JHWH の略語であり、神の名を含んでいて、ユダヤ・ヘレニズムの諸説が融合していくテキストの中で頻繁に使われることになる。メルカーバー神秘家の間でも、メータトローンの異名が小ヤーホーであることが暗黙の裡にあったが、部外者にとって冒涜極まりないものであった


大天使メータトローンのイスラム教における描写 14世紀 『真実の程度』


*11 アッガーダー (聖者伝説)
聖書の注解や格言を通して教訓的なものを引き出したり、聖書に書かれていない物語、様々な逸話などのたぐいを指す言葉。



*12 セーフェル・イェツィーラー (創造の書/形成の書)

イェツィーラーは形成の書、または創造の書と訳される。初期の注釈者によって、カバラーとは対照的に数学と言語学の理論書として扱われた。この本は伝統的に家長アブラハムの作とされているが、ラビ・アキバが書いたとされる場合がある。ラビ・サーディア・ガオン (892-942/アッバース朝で活躍したラビ。ユダヤ神学を古代ギリシ哲学の構成要素と統合する最初の体系的な試みで知られる) によれば、この本の著者の目的は、この宇宙の物事がどのように生まれたかを文章で伝えることであった。逆に、ユダ・ハーレーヴィ(1075-1141/中世イスラム・スペイン時代を代表するへブライ詩最大の古典詩人、宗教哲学者) は、この本の主な目的は、一面では多形に見えながら、一様である神の統一性と全能性を理解できる手段を人間に与えることであると主張した。

10の数(セフィロース、後のカバラーにおけるセフィロトの原点)とヘブライ語のアルファベット22文字が俎上に上がる。3つの “母 “文字(アレフ、メム、シン) 7つの “ダブル”(ベット、ギメル、ダレット、カフ、ぺ、レッシュ、タウ) 12個の「シンプル」または「エレメンタル」(へ、ワウ、ザイン、ヘス、テス、ヨード、ラメド、ヌン、サメク、アイン、ツァデ、コフ)。これらの区分は、テトラグラマトン (ギリシア語で四つの文字を意味する/JHWH) の3つの最初の文字(ユード、ヘ、ヴァヴ)、ユダヤ教の週の7日間、イスラエルの12部族、ヘブライ暦の12ヶ月といったユダヤ教の概念、また、4元素(プラズマ、空気、水、土)、7つの可視惑星、10の主要方向、12星座、人間のさまざまな身体機能、人体の部分のリストといった初期の「科学」または哲学的な考え方に対応する。本書では、神が10のセフィロースと22のヘブライ文字をさまざまに組み合わせて使い、最後に、この秘密をアブラハムとの契約として明らかにしたことが書かれている。


ユダヤ神秘主義のラビ

*a ヨハナン・ベン・ザッカイ


ヨハナン・ベン・ザッカイ (紀元1世紀)

第二神殿時代 (前516年から紀元70年) 後期から神殿破壊時代の最も重要なラビの一人。ミシュナー (口伝律法) の収集に貢献したことで知られる。エルサレムに定住後、第一次ユダヤ・ローマ戦争の際、エルサレムが包囲されると、棺桶に入ってそこを抜け出し、軍司令官だったウェスパシアヌスに後に皇帝となることを告げ、エルサレムのヤブネにユダヤ人の宗教センターを据えることの許可を得た。彼の指導の下、神殿中心の体制を放棄は放棄され、各地のシナゴーグを中心としたコミュニティに重きを置く体制に移行されていった。

*b ラビ・アキバ/アキバ・ベン・ヨセフ (50-135)


ラビ・アキバの墓 


アキバ・ベン・ヨセフは、イスラエルの無学な羊飼いであったと言われ、後に文字と律法を学び、学塾を開いて多くの学者を輩出した。トーラーの口伝伝承を整理し、ミシュナーの基礎を築き、ハラハー(ユダヤ法)の発展に決定的影響を与え、聖書の『雅歌』の重要性を説いたことでも知られる。
132年、ローマ帝国のユダヤ教弾圧に対して、ユダヤ人が反乱(バル・コクバの乱/第2次ユダヤ戦争)を起こした際、バル・コクバ(星の子)とよばれる反乱軍の首領を当時高名な律法学者だったアキバは、『民数記』24章17節の「ヤコブから一つの星(コーカーブ)が出る」という句をバル・コクバと結びつけて解し、実際に彼をメシアと認めたと伝えられている。この場合のメシアはキリストのような終末論的救済者としてのメシアではなく、神によって任命された民族の支配者という意味と思われる。彼は、135年にローマに捕らえられ、処刑された。


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