
葛飾北斎 『百物語』より「お岩さん」
古事記には、「いはね (磐根)・このもと (木株)・くさのかきは (草葉) もよく物言う」とある。コレゾ山野を浮遊する古代の霊魂そのものの表現だと膝を打ったのは澁澤龍彦だったが、その上で付喪神 (つくもがみ) は岩根などと同様に「生命を吹き込まれた物 (モノ) 」であり、古代に溢れていたフェティッシュと同様であったと言う。今昔物語の巻27にあるように王朝末期には追い詰められた霊たちが色んな物の中に潜り込んでいく。そこには『北の天神縁起絵巻』にあるような筋骨隆々の鬼たちはいなかった。ちょうどヨーロッパで石彫や壁画に醜悪な悪魔たちが民衆を畏怖させていたのはゴシック期までであったように室町期には鎌倉期とは別の怪異の表現の規準があったと言う。(澁澤龍彦 他 『百鬼夜行絵巻を読む』)
今回の夜稿百話は百話を記念して『百鬼夜行・百物語』をおおくりしています。この part2 では江戸期の『百物語』を中心にご紹介しながら、その意外な真実に迫りたいと思っている。
森鴎外 百物語

ちくま日本文学017 森鴎外
大発見、鼠坂、妄想、百物語 他 収載
鴎外には『百物語』という作品がある。脚本を試みている主人公は暑中を過ぎた頃、百物語の催しに生涯に一度だけ参加するのだが、その顛末が語られる。冒頭に百物語の説明があって、海外で翻訳でもされれば、説明しておかないと不都合だろうという妙な言い訳があるのだが、こんな解説になっている。人が寄り集まって、蝋燭を百本立て、一人が一つずつ怪異な話をして、一本ずつ蝋燭を消して行き、百本目の蝋燭が消された時、真の化物が出ると伝えられているという。柳橋の船宿から船で向島の寺島村に着き、こじんまりとした屋敷に入る。小さな物置を覗くと等身大で髪の長い幽霊の首を載せ白い着物を着せたのが萱 (かや) かなにかの後ろに覗かせてあるのが分かって鼻白んだ。
主人公は怪談よりもこの会を催す飾磨屋 (しかまや) という男に想像をたくましくしたが、今紀文と呼ばれた豪遊も昔のことで今では破産の噂もある。ゴーリキのフォマ・ゴルジエフを思い出しもし、ちょっと狂気じみたところもあるのかと思いもしたが、実際の沈鬱な様子に驚く。それに彼の傍にいる二十歳くらいの病人に寄り添う看護婦のように見える女にも興味が移った。それは東京で最も美しいと言われた太郎という芸者で尾崎紅葉たちとの集まりで二年前に見かけたことがあったが、今では芸者のようでもなく、さりとて奥様風でもなかった。
幽霊話など過去の遺物と思っていた主人公は、誘ってくれた友人と共に百物語が始まる前に帰ってしまう。それは、明治40年代という時代の怪談に対する意識の変化を物語っていた。もう一つは江戸以来の集い・物語る文化の衰退であったかもしれない。
ちなみに脳神経科医であったオリバー・サックスは幻視というのはかなり一般的な現象であって、例えばビンゲンのヒルデガルドのような聖人の幻視も脳神経学の立場から説明できるとしている。なにせ科学万能の時代である。ユングは集合的無意識は意識の支配に圧迫されているとしているが、深層心理学と脳神経覚を結び付ける研究があり、私たちが知覚として捉えている現実は脳の中の記憶と混ざり合っているという説もある。ともあれ、今では、怪異たちが逃げ出す場所は人間の深層心理か水木しげるさんなどのマンガやアニメのなかにしかないのかもしれない。
諸国百物語 三題


左 太刀川 清 校定 『百物語怪談集成』
「諸国百物語」「御伽百物語」「太平百物語」収載
右 志村有弘 訳 『怪談「諸国百物語」』
諸国百物語の現代語訳
江戸時代には百物語の流行をみた。『諸国百物語』『御伽百物語』『古今百物語』『好色百物語』などが次々と世に出る。百といっても数が多いということで百に満たないものがほとんどであったらしい。浅井了意が書いた『伽婢子 (おとぎぼうこ) 』に百物語についての具体的な記述がある。百物語には法式があって月の暗い夜、青い紙を張り巡らした行灯 (あんどん) を灯し百筋の灯心を点じ、一話に一つずつ灯心は消されて薄暗くなると青色の行灯が物凄まじくなり、語り続けられれば必ず怪しき事が現わるという。怪を語らば怪至るのである。
江戸の百物語の中でも『諸国百物語』が、その嚆矢といわれ、北は奥州仙台から南は九州筑前、豊後に及ぶ話が集められているが内容的には『沙石集』『奇異雑談集』『因果物語』などの話に拠るものも多く、特に『曽呂利物語』は21話に及ぶと言う。『諸国百物語』の第一話はこんな話になっている。
● 駿河の国の板垣三郎、変化の物に命を取られた事
魔性が住むという浅間神社に夜中、主君から預かったしるしを立てて帰るという肝試しが行われる話である。酒宴の座興だった。手を挙げたのは甲斐の国の剛の者、稲垣三郎、さっそく浅間にしるしを立てて帰りがけに、お歯黒の薄化粧の女房に行き会う、眼一つ、振り分け髪の下の数知れない角、げにも恐ろし気な物の怪にもひるまず「何者」と腰の刀に手をかけると、かき消えていった。板垣が主人の前に報告を行っていると、にわかに空は、かき曇り雷鳴と共に車軸を流すような雨が降り、「のう、稲垣、懺悔せよ」とのしゃがれた声がする。このままでは板垣の命が取られると長持の中に隠した。朝になり、長持ちを開けると姿が無い。驚いていると外で二、三千もの声が、どっと笑った。縁側に走り出てみると板垣の首が縁の下に落とされ、それらの姿は見えなくなっていた。

静岡浅間神社
これは『曽呂利物語』の第一話とほとんど同じで、「どっと笑った」は『平家物語 物怪之沙汰』に似た話がある。福原遷都後、平家の人々の夢見悪しく、変化の物どもが跋扈する。新たに建てられた岡の御所には大木もなかったのに、ある夜大木の倒れる音がして、人であれば二、三十人ばかりの声で、どッと笑う声があった。天狗の仕業として朝昼に番衆を揃えてひきめ (音の出る鏑矢の一種) を射させるが天狗にいる方向に射れば音もなく、いない方向に射ればどッと笑い声がしたという。続いて第九話をご紹介する。
● 京東洞院片輪車の事
昔、京の東洞院通りに片輪車という化け物が出ていた。毎晩、下京から上京へ上っていたという。日暮れともなれば誰も恐れて表に出る者は無かった。真夜中過ぎというにある女房がこれを見たさに格子から外を窺っていると下京から車の音がし始める。片輪の車が回って来るが牽く牛はいない。よく見ると輪は引きちぎれた人の股 (もも) のようなものを咥えているのが見える。女房が驚いて目をみはっていると、車輪から人の声がして「のう、そこにいる女房、わしを見るよりも家の内に入り、汝の子を見よ」と告げる。驚き懼れた女房が内に走り行ってみると三歳になる子の肩から股まで引き裂かれ、片方の股が失われていた。女は嘆き悲しんだが子は帰ってこない。あの車にあったのは我が子の股であった。


左 片輪車 『諸国百物語』 右 輪入道 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』
第60話にはこんな話もある。
● 賭 (かけ) づくをしてわが子の首を切られたこと
紀州の山里のこと、五、六人の侍たちが夜伽に折々死人が流れ着くと言う宮前の川にいって死人の指を切ったものに褒賞として刀をやろうではないかという賭けをすることになる。その中で臆病なくせに強欲な一人の侍が請け合ったが、恐ろしくて、そんな川までは行けない。気丈な女房が買って出た。二歳のわが子を背負って川まで行くと橋の下には女の死体があった。脇差で二本の指を切っているとしゃがれた声で「足元を見よ」とう声がする。仏様の授かり物と喜んで、その小さな包み (苞/つと) を拾って帰るが、家では震え怯える男に屋根の上から、どうしてお前は賭けに行かないのだと20人ばかりの足を踏み鳴らす音がする。女房は無事に帰りつき夫にあの二本の指を渡した。そして、嬉しいことがあったと包を開けてみると、なんと我が子の首が入っている。それでも強欲な夫は刀を手にいれるのである。
その他、魔王が僧の仏果を妨げる話、馴染みの男に幽霊となっても枕を交わす女の話、先妻の霊が後妻と相撲をとる話、比較的執心に関わる幽霊話が多いが、幽霊も化け物も登場しバラエティに富んでいる。
怪談マニア 泉鏡花

『泉鏡花〈怪談会〉全集』
柳田國男が『遠野物語』を発表した頃、柳田と昵懇だった泉鏡花が色々な人たちから百話ではないにしても怪談を聞く「怪談会」なるものを催し、岡田三郎助、小山内薫、鏑木清方、尾上梅幸らの語る話しが収録され、『怪談会』と題して出版されている。この『怪談会』なる書物は出版の経緯など謎だらけの本で鏡花自身の「一寸怪 (ちょいとあやしい) 」という話も収録されている。冒頭に「百鬼夜行シリーズ」で知られる京極夏彦への東雅夫のインタビューが収録されているので、その中から少しご紹介する。
鏡花の好む幽霊や妖怪の世界を「他に類をみない、美しい威厳」と積極的に評価していたのは芥川龍之介くらいだったと言う。佐藤春夫などからは、かなり貶められていた。後に鏡花の評価を高めたのは澁澤龍彦と「日本近代文学で他界に連れて行ってくれる文学はほかにない」と述べた三島由紀夫だった。鏡花には『高野聖』のような深山幽谷での怪異譚もあるけれど『妖術』のような都会での不思議譚もある。「薄化粧の艶な姿で、電車の中から、颯 (さっ)
と硝子戸を抜けて、運転手台にあらわれた、若い女の扮装
(みなり) と持物で、大略その日の天気模様が察しられる。」で始まる作品『妖術』は電車の中で出会った娘手品師だという高島田の美しい娘とのちょっと夢幻能を思わせるような体験を書いている。『草迷宮』のような絢爛な怪異ではない。いわば純粋な怪談とは言えない「現代の奇談」ぽい作品だった。
京極氏は最後のあたりでこう述べている。『怪談会』に出て来る話は、実体験の事柄で、ことさら怖がらせようという話ではなく表現自体も凝ったものではない。しかし、蝶が飛んできただけでも怖いと感じることはあり、逆に怖がらせようとすると興覚めになってしまうものである。そこは品性の問題かもしれないけれど、この時代の人たちの奇怪な出来事に向き合う姿勢だったかもしれない。それが明治以前の常套から抜け出した新しいスタイルだったと言うのである。
恩と福の意外な話

野村純一『怪異伝承の世界』
「百物語の位置」
次は口承文学の研究者として知られる野村純一氏の『怪異伝承の世界』から明治20年頃の新潟の山古志 (やまこし) 村の長島ツル媼 (おうな) が語った百話後に現れた幽霊が感謝し福をもたらしたという話をご紹介する。この展開は面白い。
● 恩義を感じる幽霊
葬礼場での話の後、若い衆頭 (しゅがしら) が、何が出てきても逃げてはいかん、しかし、さっきからおらの金玉をしゃっこい (冷たい) 手で押さえているのがいるという。他の若い宗は皆逃げてしまう。衆頭は「何もんだ、姿を現わせ」というと 女の幽霊が自分は庄屋の下女だが死んでも何の弔いをしてもらわなかった。だけど、百物語をしてもらって自分は姿を現すことができて感謝するのだが助けてほしいと言う。どうすればいいのかと問うとお経の一巻でも読んでもらえばよいと答える。そうしてやると無事成仏が叶ったと言うストーリーである。
次に幽霊が福をもたらす話であるが、『諸国百物語』の第百話にもあって、京の五条にいた米屋八郎兵衛とその惣領が幽霊を供養してやって大金を得る話になっている。ご紹介するこちらは、そのヴァリエーションの一つで新潟に伝わる話である。
● 福をもたらす怪異たち
百物語の後、感謝と共に現れた亡霊がこう語る。自分は若いころ金持ちになろうと必死に働いて金を貯め、村の橋のたもとの柳の木の下に金を入れた甕 (かめ) を埋めておいた。自分が死んで、使うあてもなく誰かにそれを授けてやろうと思うのだが、皆怖がって逃げてしまう。お前にその金の入った甕をやるからお経をあげて供養してくれという。夜が明けて橋のたもとに行ってみると雪の中に柳が確かにある。春になって、その根元を掘ると甕が出て来た。その金でお経をあげたり墓をつくったりして残りの金で一生安楽に暮らせたと言う。福を得たのである。
恩や福の話から、野村純一氏は土地の人々には、このような百物語の坐を設けることで弔われぬ霊への慰撫のための供養を目的としたものがあったのではないかという。それ故に納涼のためではなく年取りの晩などの特別なハレの日に語るものであったかもしれない。新潟などには、その遺風があった。年神様を迎える深夜の眠気覚ましであり、百物語の終わりに黄粉餅や金甕が天井から落ちて来る話もある。福は年神様の恩恵あるいは、その来臨そのものであったかもしれない。
神威と怨霊とお伽

折口信夫全集15
伊勢物語私記・
反省の文学源氏物語(後期王朝文学論)
「ものゝけ」という言葉は、霊 (モノ) の疾 (ケ) であり神に似て階級は低く、諸物の精霊を指した語である。この低級な霊による人身に及ぼす患いが霊之疾 (モノのケ) であった。平安時代には霊之疾 (モノのケ) の元をなす霊魂そのものをモノノケと呼ぶようになる。古い時代には威霊の憑依することが強く信じられていた。国々には其の国を領有する威力の源となる霊魂があり、それが当人の意思を超えて体に入れば国を治める力が身についたのである。その力は持つべき人の内に入るが、その体に悪影響を及ぼすという信仰の分化が起こったと言う。
大和の時代から平安朝へもちこした祭礼として鎮花祭 (ハナシヅメマツリ) があり、春の花の咲く時期に疫病退散を祈る。大神 (おおみわ) やその摂社に鎮座する狭井 (さい) の神を祀り、旧地の神々の霊が出でて祟りするのを鎮めた。平安時代に新たに祀られる御霊八所 (吉備真備・崇徳天皇・伊予親王・藤原大夫・藤広嗣・橘逸勢・文室宮田麻呂・菅原道真) では人の怨念が怨霊と化して災いするのを鎮めるのである。(折口信夫全集15『ものゝけ其他』)
暗い夜、外には化物がいて近づこうとしている。武家の家などでは宿直をしてこれに備えるが、そんな時に化物の話をして外からの脅威に対する威嚇をしていたのではないかという。屋内にはもっと怖い物がいるぞという示威行為であった。ここから怪談が発達し百物語も起こったという。これに関する重要な昔話に「古屋のもり」がある。盗賊か猛獣かが家の外で中の様子を窺っている。すると爺さんと婆さんの会話が聞こえてくる。「何が恐いというて古屋もり (漏り) ほど怖い物は無い」と貧乏をかこちながら語っている。立ち聞きの魔物は自分より恐いものがあると驚いて逃げ出すという話である。外部にいる魔物・妖怪に聞かせぶりをする。そのような話をしていたのは御伽衆だったという。(折口信夫『お伽及び咄』)
モノ言う怪異とモノ語り
「いはね (磐根)・このもと (木株)・くさのかきは (草葉) もよく物言う」、そんな時代の自然の霊威とも言うべきマナ (霊威) の疾 (ケ) や旧地の神々の祟りから平安時代の怨霊の時代となり、鎌倉時代の鬼たちの剛力な怪異、そして室町の器物の物怪を経て江戸時代には百物語が書き綴られた。しかし、このような変遷の末においても地方の民間に残された百物語から、かつての怨霊への威嚇という性格から慰霊のための催しという性格へと変化していたことが窺われる。さらに物怪たちが人間に福をもたらす話も残っていて、物怪が禍福を併せ持つ両義的存在としての性格を残存させていたことが分かる。彼らは、このような多層なレイアーを持っているのである。
唐の『龍城録』にあった「鬼を語れば怪至る (引用図書参照) 」は、本朝では「怪を語れば怪至る」となる。物語とは元々「物/モノ」、つまり霊自身が語るのである。それはホメロスがムーサの神々によってイリアスやオデュッセイアへの霊感を与えられたのと同じであった。かつて、霊自身が霊について語った。人に霊が憑けば人の口を借りて語る。この夜稿百話も沢山の本たちが語っていたことをまとめたに過ぎません。今回、めでたく百話をもって完結いたします。僕にとっては快い終わりとなりました。
読者の皆様と広島市の図書館関係者の方への感謝
最後に今までお読みくださった皆様に感謝するとともに色々とお手数をおかけした広島市市立図書館と広島県立図書館の関係者の方々に感謝を申し上げたいと思います。とりわけ、これら図書館の連携は素晴らしく、近くの区の図書館までリクエストした本たちを迅速に届けて下さるシステムには本当に有難く思っておりました。ありがとうございました。
百話を終わって次に何をするかはまだ決めておりません。これから考えたいと思っています。またお会いできる日がくればよいかなと思っております。それまで、どうぞお元気で。


柳田國雄全集20
月曜通信、少年と国語、新たなる太陽、炭焼日記、妖怪談義 収載
柳田國男の『妖怪談義』にはこんな話が紹介されている。
岩手の遠野の昔話には、夜に老翁が鹿追いをするために山小屋に居ると向かいの山に美しい娘が一人現れる。両脇に瓢箪を抱えて「おひょうらんこ、おひょうらんこ、ししつぼひのじい様さ行ってばっぼされたい」と歌を歌う。おひょうらんこの意味はよく分からないが、鹿追いの爺さんおんぶしておくれという歌である。爺さんは面白がって負ぶってやると言うと娘は飛んできて背におぶさったと思うと消えてしまう。爺さんの背には黄金の塊が乗っていた。
ウブメ (産女) という子持ちの幽霊は、通りすがりの人に子を抱いてくれとせがむから抱いてやると、それが藁打ち槌であったり石であったりする。一方で何か欲しいものがあると授けてくれるものもあると言う。江戸の『百物語評判』にはウブメは腰より下が血染めで「オバリョウ、オバリョウ」と啼くと記されているらしい。江戸の幽霊たちはなんとなく凄惨な感じがするのは僕だけだろうか。今昔物語や昔話の方にも頼まれて抱いている内に段々重くなり、辛抱していたらウブメが戻ってきて感謝して剛力を授けてくれたという。遠野の山の娘もウブメも「モノ言う」存在であることが面白いけれど、彼らは富と幸運をもたらす存在として信仰されていたのである。

『続百物語怪談集成』
「古今百物語評判」「諸国新百物語」「万世百物語」「新説百物語」
「近代百物語」「教訓百物語」収載
本書の解題によれば百物語なるものの初見は万治二年 (1659) 、続いて伽婢子 (おとぎぼうこ) 第13巻「怪を話さば怪至る」、『御伽物語』巻2「百物語して蜘 (くも) の足を切る事」と続く。この『御伽物語』の話は百物語が呼ぶ怪異目当てに血気さかんな若者たちが酒を飲みながら興じ戯れるのだが、その怪談が99話目に及んで皆が怪異の現れるのを待っていると天井から「ここへもひとつ」と大きな手が出てくる。席の中の一人が刀で切りつけると蜘蛛の手が三寸ほど切れて落ちたのである。『御伽物語』(延宝5年/1677) の作者は、この話を怪談のつもりとしていたのだろうが、笑い話にもなっている。天上の化け物が下の楽し気な酒宴を見て百話を待ちきれずに大きな手を出して酒を催促するのである。このように百物語は怪談と笑い話が背中合わせに同居していた部分もあり「咄の本」として一緒に分類されていた時期もあったという。怪談として文字通りの数を百集めたのは『諸国百物語』だけらしい。他のものは百に満たないのである。ともあれ戦国の世には武辺の鍛錬のための真摯な習俗でもあった怪談も元禄の頃ともなれば怪異が現れるかどうか試してみようと言う懐疑的な傾向が現れはじめる。

『泉鏡花〈怪談会〉全集』
『怪談会』から鏡花自身の怪談話である「一寸怪 (ちょいとあやしい) 」をご紹介しておきます。
怪談の種類には二種類あって、因縁話や怨霊といった理由のある怪談と、天狗や魔が起こす理由のない怪談である。これは柳田國男のいう幽霊と妖怪の区別にあたるものだ。鏡花は現実の世界とは異なる世界 (平田篤胤が言う幽界のような領域だ) があって魔だの天狗だのがいて、偶々その連中が、人間の出入りする道を通った時に人間の目に映る、それは、偶然にほうき星を見るような具合だと言う。
「膝摩 (さす) り」は夜中に四人で真っ暗な八畳座敷の四隅から各々一人ずつ中央に出て四人がぴったり座る。四人のうち一人が次の人の名を呼んで自分の手で呼んだ人の膝へ置く、呼ばれた人は必ず返事をして同様に次の人の膝に手を置く、それを繰り返していくと、その内に一人返事をしない人が増えると言う。「本叩き」も似た話で、暗闇で本を以って畳をたたいていると唯二人で叩いているのに何人もの人間が叩いているような音がすると言うものである。
鏡花が逗子に住まいしていた頃、近所の人から聞いた話。発端は5月に菖蒲の花一輪が戸棚の夜具の中に差し入れてあったことから始まった。下駄や傘がなくなり段々悪さが嵩じてゆき役所や警察に届けるまでになった。恐ろしかったのは水瓶の中に色々物を入れて蓋の上に大勢で大石を置いて、これなら動かせまいと言っている端から石がグラリと大きな音をたてて落ちた。縁側に動物の小さな足跡がついていたこともある。しまいにランプを戸棚に入れると言った物騒なことも起こったと言うので、とうとう転居したという話しである。房州の白浜や越前の天津群でも似た話があり、いずれも13、4の娘が、その家にはいて、その年頃の娘となにか関係があるのかもしれないという。こんな家は「くだ」付き家とよばれて怖がられた。「くだ」というのは猫の面、犬の胴、狐のシッポ、大きさはイタチの如くで泣声は鵺 (ぬえ) に似ているという。

野村純一『怪異伝承の世界』
本書によると小川真人編『小県郡民譚集』収載の『百物語』が昔話集に載った例としては一番古いそうである。こんな話になっている。
ある寺の小僧が友人を集めて百物語を催し、本堂に蝋燭を百本灯した。別の部屋で一人が怪談を一話語ると本堂に行って蝋燭を消す。剛の者ほど後にまわる仕組みである。多くの者は帰宅し、最後に刀屋の息子と荘屋 (しょうや) の息子らだけが残った。ろうそくの灯も2本となり、一本となりついに消えた。夜も更けたので寺に泊まることになる。その中の荘屋の息子が、モノの気配を感じて目を覚まし夜着の端から細目に見ていると、幽霊がうらめしげに小僧の夜着を持ち上げてフウと息を吹いて去っていったのを見た。しばらくすると刀屋の息子にもフウと吹いて去っていく。二人に呼びかけたが返事はなく、既にこと切れていた。今度は自分の番かと気を揉むうちに一番鶏が鳴いた。助かったのだ。その後、厄除けにと氏神様に願かけに通うといつも同じ女に会う。だんだん心安くなり女房に迎えたのだが、ある晩女房が、お勝手に入った所を覗いてみると、ちょうど一年前の百物語の時に見た幽霊が、そのままの姿で火を吹いている。わっと叫んで後ずさったが、女房は走りかかると一跨ぎにしてフウと息を吹きかけた。その一息に荘屋の息子は絶命したという。
この話はラフカディオ・ハーンの『雪女』に通じるものがあると著者は述べている。

話梅子 (ふぁめいず) 編訳『中国百物語』
中国にも怪異な話は沢山あって唐代の『龍城録』『広異記』、六朝期の『捜神記』、宋の『夷堅志』『稽神録』、清の『聊斎志異』など沢山ある。『聊斎志異/りょうさいしい』には「香玉」という牡丹の精たちとの、かなりロマンチックな話があるが、怨念の物語である本朝の『牡丹灯籠』は明代の『剪灯新話/せんとうしんわ』に収載された「牡丹灯記」の翻案であり清代の「香玉」の話とは対照的になっている。
ここでは唐の『龍城録』に載っている「鬼を語れば怪至る」の話があるのでご紹介しておきたい。作者は、はっきりはしていないようだ。鬼とは我が国のオニではなく中国では幽霊のことである。ある冬の夜、唐宋八大家の一人柳宗元、唐の士大夫である韓愈 (かんゆ) と君誨 (くんかい) の三人が怪談を語り合う。窓の外では雪が吹きつけていた。まるで蛍の群が飛んでいるようだった。しかし、光の点はどんどん増えて幾千万になると思うと一つに集まり鏡のようになる、そしてまたバラバラになるのを繰り返した。それは犬の吠え声のような大きな音をたてて、いずこかに飛び去った。彼らの中で最も豪胆な韓愈でさえ真っ青になり、君誨と柳宗元は目を伏せて突っ伏した。白日に人を談ずることなかれ、人を談ずれば害を生じ、昏夜 (暗い夜) に鬼を語るなかれ、鬼を語れば怪いたるという。こういう諺は古くからあるらしい。

水木しげる『妖怪百物語』
この漫画はゲゲの鬼太郎に登場するような子泣きじじい、ぬりかべ、一反もめんといった妖怪たちは登場しない。登場するのは猿神、河童、海和尚、人面樹、すねこすりなどで、諸国里人談、百鬼夜行、耳嚢、兎園小説、甲子夜話、絵本百物語、妖怪談義などが参考資料として挙げられている。

鳥山石燕 『画図百鬼夜行全画集』
画図百鬼夜行、今昔画図百鬼、今昔百鬼拾遺、百鬼徒然袋 収載

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「毛羽毛現/けうけげん」

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「ぬっぺっぽー」

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「人魚」

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「おとろし」

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「倩兮女(けらけらおんな)」

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