流風一詩 第1話 スヘイル・ハンマード『スカーレットの雨』 



 スヘイル・ハンマードは1973年ヨルダンのパレスチナキャンプに生まれたパレスチナ難民の3世である。多くのパレスチナ人と同様に故郷を追われたディアスポラだった。家族と共にベイルートを経由してニューヨークへ渡った。両親は食料品店を営み、5人兄弟の長女として成長した。ニューヨーク市立ハンター大学に学んでいる。23歳の時、処女詩集『パレスチナに生まれて 黒人に生まれて』が黒人文学をもっぱらとしていた非営利の出版社によって刊行された。さらに1997年から2000年にかけて、現在は廃刊となったヒップホップ雑誌『ストレス』にコラムを執筆したことで、さらなる注目を集めることになった。その夏、ニューヨーク・ヒップホップ・シアター・フェスティバルで『ブラッド・トリニティ』を上演し、劇作家としてもデビューしている。 (ナタリー・ホプキンソン ワシントンポスト 2022/10/13)


パレスチナ映画『海の塩』

 また、詩や朗読の他に、2008年にはカンヌ映画祭でも上演されたアンヌマリー・ジャシル監督のパレスチナ映画『海の塩』で第一次大戦中に奪われた家族のものだった家と金をとりもどそうとするヒロインのソラヤ役を演じるなど多彩な活躍を見せている。

 今回ご紹介する詩はスヘイル・ハンマード23歳の処女詩集『パレスチナに生まれて 黒人に生まれて』に収録された作品の一つ「スカーレットの雨」の冒頭です。

『スカーレットの雨』

ママ スカーレット・オハラのために
泣くのはやめて
涙は取っておいて 
根こそぎにされたオリーブの木の土を潤すために
人々にはあなたの涙が必要なの
あのカーテンをドレスにして纏 (まと) って
南軍旗を掲げた奴隷所有者のためにすすり泣くのはやめて
信じて 彼女には
虐げられる人間など どうでもいいのよ

あなたは泣くべきよ
あの21歳のパレスチナの若者のために
両親は3時間をかけて
入植者の銃弾と軍の夜間外出禁止令によって
息子が血を流して死ぬのを見守った
あなたの涙はその血を止められたかもしれない

私たちの子供たちが標的にされた時
校庭の柵越しに狙われた時
ウージー短機関銃が少女たちを犯し
占領下の生活と報酬を約束して
彼女たちを屈服させた時
あなたの悲しい溜息はどこにあった?

あの古き南部の魅力は
本当にあなたを
テクニカラーみたいに
魅了するの ?
投獄と死とその他の戦争の犠牲によって
報われない愛に苦しむ何万人もの西岸地区の男たちは
到底レット・バトラーほどに
気楽じゃないのよ

‥‥‥

(第一~四連)

 この詩はスカーレット・オハラを主人公として知られる『風とともに去りぬ』の映画を母親が涙ながらに見る光景に娘が反発していると言うだけではない。その映画の背景には黒人奴隷の歴史と奴隷解放をめぐる南北戦争があった。

黒人文学との接点


ジューン・ジョーダン (1936-2002)

私は黒人女性として生まれた
そして今
私はパレスチナ人になりつつある
容赦ない悪の笑いに抗って
住む場所はますます狭まり
私が愛した人たちはどこに?

故郷へ帰る時が来たのです

(ジューン・ジョーダン『故郷へ向かって』)

 ジューン・ジョーダンの詩との出会いがハンマードの方向を決定付けたと言われる。ジャマイカとパナマからの移民の両親のもとに生れたジョーダンは黒人英語の復権と使用を提唱し、パレスチナ人との連帯を示す著作を発表していてた。彼女はレバノンのサブラとシャティーラの難民キャンプでの大虐殺の後、同キャンプを訪れ、こう記しているという。「ええ、詩人として稼いだお金が、爆弾や飛行機や戦車の代金になったことは知っていました。彼らはあなたの家族を虐殺するために使いました。…‥申し訳ありません。本当に申し訳ありません」(『パレスチナに生まれて 黒人に生まれて』著者 前書き)

 アメリカの納税者の税金によってアメリカの軍装備が製造され、イスラエル軍の武器として使われる。それは共犯関係だという指摘である。ハンマード家の遠い故郷レバント (パレスチナなどの地中海東部沿岸地方) と彼女の住むブルックリンの黒人を中心とした有色人種の苦難が結びつけられた。彼女の活動はハンマードの進むべき方向に光明を投げかけたのである。エドウィン・ボールドウィン (1924-1987) 、オードレ・ルルド (1934-1992) 、ハキ・マドゥブティ (1942-) といった黒人文学の先達たちの作品は、公民権運動、インターセクショナリティ(交差性)やフェミニズムなどに密接に結び付いていた。ハンマードの詩もそのよううな背景を持っていると考えてよいのではないだろうか。

ブルックリンの闇と光

 ブルックリンには4割を超える白人のほか3割を超える非ヒスパニック系の黒人、2割近いヒスパニック、多くはないがアジア人やアメリカ先住民など人種のるつぼだった。そんな環境の中で醸成されたヒップホップ文化の中で彼女は育った。

 彼女は『99セントの口紅』という作品の中で、安っぽい赤い99セントの口紅の陰に鈍い12金ドアノッカーのイヤリングを怖くて隠したと書き、若くして死ぬのが怖くて薬を打ち合ってた、薬を打ってない時は脂ぎった銃と汚れた針の陰に隠れ、互いのニガーやホースになった、誰にも属さないために、ただ自分だけに属すためにと詠う。『ご注文をお伺いしてもよろしいですか ? 』という詩には、自分はメインデッシュで、オリーブ色の肌、アーモンド形の瞳、苦い舌を持つこの顔はメニューであり、無礼で下品で卑猥な男たちは私の胸を吸いながら、まるでカフェオレのアイスクリームみたいに私の太ももに舌を舐めつけると書いている 。そこにはドラッグや売春、犯罪といったスラムにおける裏社会の現実があり、それにも眼をふせることはなかったのである。

 ニューヨークのブロンクス地区の街路から1970年代から西アフリカの吟遊詩人グリオにそのルーツをもつとされるラップがアフリカ系アメリカ人を中心に音楽やダンスを伴ったパーティーを軸にストリートカルチャーとして広がりを見せた。カラフルなスプレー缶を使ったグラフィティ、人間の口・声などによってサウンドを作り出すビートボクサー、踊られるブレイクダンスやラッパーたちの歌で路上は賑わう。そんな通りの中に彼女の青春があった。 ヒップホップと詩が大好きだった。そこには「言葉の簡潔さ、承認、そして自己肯定感」があったという。ヒップホップ文化はブロンクスの光だった。彼女の詩の中にも kinda (ちょっと、なんだか) 、aint (~じゃねえよ)、poppin (イケてる) などの日常会話やヒップホップの歌詞に登場するようなスラングが散見される。

 ちなみにラップが社会批判や体制批判の媒体となっている側面も見逃すことができない。冒頭の言葉を繰り返すスタイルを持つ有名な演説「I Have a Dream」で知られるキング牧師やアグレッシブな語りのマルコムXといった社会運動を牽引してきた指導者のスピーチはラップに大きな影響を与えたといわれている。

世界へ繋がる

 そんな多様な人々のエスニックな文化の中で育った彼女は自分は「パレスチナ人でありアフリカ人の子孫であり、女性である (ハンマード『Drops of This STORY』)」と述べているという 。家族のルーツであるパレスチナは、まだ足を踏み入れたことのない茶色の愛おしい憧憬の地となっていった。『壊れゆくベイルート』という作品の中で「家に帰りたい/ママとババ (父親)のもとへだけじゃない/私以前の家へ/私の中にある家へ 私たちの中にある家へ/」と彼女は詠う。ベイルートは彼女が両親と共にニューヨークに渡る前に一時的に過ごした場所である(佐藤愛『未来のパレスチナ』)

 一方で、彼女の詩の中では政治的・軍事的にネガとなった多様な地域が結びつけられていった。「独立記念日を、彼女の詩の中では政治的・軍事的にネガとなった多様な地域が結びつけられていった。「独立記念日をな負の連鎖として繋がっていくのである。

収奪された大地


マフムード・ダルウィーシュ
(1941-2008)

 ハンマードは勿論、パレスチナ人にとっては国民的詩人と仰がれるマフムード・ダルウィーシュは、ジャン・リュック・ゴダールが監督した『われらが音楽』の中に登場している。占領に反対するイスラエルの女性ジャーナリストであるユディットが激戦地であったサラエヴォの廃墟と化した図書館で実際の彼にインタヴューするシーンなのだが、その場面にゴダールはアメリカ先住民を登場させている。ユダヤ人のパレスチナへの入植をアメリカでの西部開拓史に重ねることによって批判しているのである (四方田犬彦『われらの音楽』) 。このアメリカ開拓史が黒人奴隷の歴史に連なっているのは言うまでもない。

 『風と共に去りぬ』は、南北戦争時代という背景としていて、スカーレット・オハラは南部の大農場の娘であり、タラの農場を引き継いで女主となる。ハンマードにとっての「私以前の家/私の中にある家」はパレスチナであり、破壊と抑圧に蝕まれる大地の人々の苦しみは、ジューン・ジョーダンによって有色人種への差別の苦しみに結び付けられていた。それゆえにハンマードは『スカーレットの雨』をこのように結ぶのである。「泣くのはやめて ママ ミス・スカーレットを地獄で燃やしてやれ。」


 ハンマードはパレスチナの外部に住む人間であり、ガザや西岸地区にはいない。パレスチナを愛し心の故郷とする人間にとって、ジレンマを感じるだろうことは想像に余りあるが、しかし、外部に居ることによって「風と共に去りぬ」を援用して『スカーレットの雨』のように容易に感情移入しうる作品を生み出せていると思うのである。その立場を有効に使っている。


* 詩の日本語訳は筆者の植田がおこなっており、至らぬ点も多いと思います。顕学のご指摘をお待ちしています。



関連図書


現代詩手帳 2004年5月号

特集 パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く
スヘイル・ハンマード、リフアト・アルアライール、ジョージ・エイブラハム他9名の詩人の作品を掲載している。



マフムード・ダルウィーシュ (1941-2008)『パレスチナ詩集』

マフムード・ダルウィーシュ
(1941-2008)『パレスチナ詩集』

パレスチナ最大の詩人といわれエドワード・W・サイードとも親友であった。





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