


左 『北原白秋詩集』 右 北原白秋(1885-1942)
乳母の背中から手を出して蛍の光とも見えぬ光を握りしめ、柔らかい乳房に頭 (こうべ) を圧 (お) され怪しげな何者かを感じた幼年時代。郷里柳河 (柳川) は静かな廃市、水に浮いた灰色の柩、白秋の揺籃の魔窟だった。嫁入資格として西国三十三番札所巡礼に旅立つうら若い娘たち、流暢で阿蘭陀訛りの溶け込んだ情緒のある京都風な夕方のささやき。更紗模様の浮き藻の中の薄紫のウオタアヒヤシンス、昼の日なかに現れる青白い幽霊、話に聞く生き胆取りの青い眼つき、白秋は自らの額に過去の烙印を焼きつけようとした。それが抒情詩集『思ひ出』だった。
26歳で発表ということを考えても15歳以前の鋭敏で儚い感覚、その痛みと癇癪、畏怖と残酷、そして性への予感、このような感覚をかくも「神秘に」かくも「鮮鋭に」表現できた作家は極めて稀ではないだろうか。
『青いとんぼ』
青いとんぼの眼を見れば
緑の、銀の、エメロウド、
青いとんぼの薄き翅 (はね)
燈心草 (とうしんそう) の穂に光る。
青いとんぼの飛びゆくは
魔法つかひの手練 (てだれ) かな。
青いとんぼを捕ふれば
女役者の肌ざわり。
青いとんぼの奇麗さは
手に触るすら恐ろしく、
青いとんぼの落ちつきは
眼にねたきまで憎々し。
青いとんぼをきりきりと
夏の雪駄で踏みつぶす。
(『思ひ出』「生の芽生」より)
青いとんぼを捕ふれば/女役者の肌ざわり。ちょっとゾクッとするけれど、ここにあるのは自然と少年とのある種の対決である。松脂の臭い、イモリの赤い腹、玉虫と班猫 (ハンミョウ) と毒キノコ、様々な草木、昆虫、禽獣の発する匂いは山中に充ちて彼の五感をふるわせた。少年の心に映し出されるとんぼのエメラルドのような不可思議な眼、羽衣のような繊細な翅、自然は妬ましいほど美しく綺麗でマジカルだった。
待望の夏休みには山をたずね、一郷も罪のない小君主は玉虫を捕えては針で殺し、蟻の穴を独楽の棒でほじり回し石油をかけ、毛虫を踏みにじり、女の子の唇に蝶の粉をなすりつけた。しかしながら彼はひとりぼっちだった (『わが生ひ立ち』) 。虚弱なびいどろ罎 (びん) のようなフラジャイルな少年は、あふれる自然から圧倒され、壊れかける心を守ろうとする。


左 燈心草 (イグサ) の穂 右 班猫 (ハンミョウ)
幼なごころ 童謡歌集
抒情小詩集『思ひ出』は童謡の風味のまさった詩集だった。童謡に本格的に手を染めるのは、鈴木三重吉と意気投合して『赤い鳥』に参画したことが契機だった。とんぼの眼玉については、こう始まる同名の童謡集がある。
山火事焼けるな、ホウホケキョ、
可愛いい小鹿が焼け死ぬぞ。
箱根の山火事を見ながら箱根の子どもたちが昔うたった童謡だと言う。昔の子どもたちは自然に導かれるままに喜怒哀楽を子供らしく歌った。学校唱歌や翻訳歌調はこころから歌い上げるという遺風を失わせ、純日本風の童謡は廃れていったと白秋は嘆いている。童謡には、「素朴な混り気のない子供の感覚」、さうした「溌剌いきいきとした感覚に根ざしたもの」から、「素裸な子供の心を直接にうつもの」をと心がけたという。こんな感覚は白秋の弟子だったまど・みちおを直撃した。
やまとうたは人の心を種とし、よろづの言の葉となる『古今集仮名序』、やさしく物のあはれに詠むべし (定家『毎月抄』)、詠ずるに詞続きが歌めいていて理屈っぽくなく幽玄にやさしくあるべし (『正徹物語』) と。その遠源は万葉にあるのだろうか。この延長上に白秋の童謡歌集はあったと言っていいのではなかろうか。
『とんぼの眼玉』
とんぼの眼玉は大 (でっ) かいな、
銀ピカ眼玉の碧眼玉 (あをめだま) 、
円るい円るい眼玉、
地球儀の眼玉、
忙 (せは) しな眼玉、
眼玉の中に、
小人が住すんで、
千も万も住んで、
てんでに虫眼鏡 (がね) で、あつちこつち覗 (のぞ) く。
上へ向いちゃピカピカピカ。
下向むいちゃピカピカピカ。
クルクル廻 (まは) しちゃピカピカピカ。
(童謡集『とんぼの眼玉』より 第一連)


北原白秋『とんぼの眼玉』 アルス版

『赤い鳥』 創刊号 1918
清水良雄 画
この童謡集『とんぼの眼玉』には母さんが帰らないので金魚を一匹ずつ殺していく『金魚』という作品がある。児童の残虐性を肯定するものではないが子どもの残虐性はあり得ることであり、常識的な現実的、道徳的判断は留保してもらわなければならないと白秋は述べている (三木卓『北原白秋』) 。
グリム童話にも子供の残酷さは表現されているものがある。そこには善悪・正邪を超えた心の深層にある両義的世界が表現されていた。この作品では、帰らぬ母を思い、涙がこぼれるが金魚の光る目が恐くなるという展開になっている。白秋は童謡においても詩的意図を貫いた。
童謡に関して白秋は極めて頑なだったといわれる。そもそも彼は学校嫌いで落第もした人間であり、北九州の豪商の息子として育ち江戸時代の民衆文化の色濃い土地で育まれている。(三木卓『北原白秋』) 子ども時代の子守唄やみんなで歌った遊び歌でなければ彼の心の琴線はふるえることはなかった。「子供に還ることです。子供に還らなければ、何一つこの忝 (かたじけな) い大自然のいのちの流をほんたうにわかる筈はありません」と述べる(『とんぼの眼玉』)。からたちの花、赤とんぼ、ペチカ、待ちぼうけ、赤い鳥小鳥、彼の童謡は山田耕作をはじめとする近代的な曲に乗って人口に膾炙していった。
退廃の匂いと子どもの心
『邪宗門秘曲』
われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。
黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂鋭 (と) き *1 あんじやべいいる、
南蛮の *2 桟留縞 (さんとめじま) を、はた、*3 阿刺吉 (あらき) 、*4 珍酡 (ちんた) の酒を。
目見 (まみ) 青きドミニカびとは陀羅尼誦 (ず) し夢にも語る、
禁制の宗門神を、あるはまた、血に染む聖磔 (くるす)、
芥子粒を林檎のごとく見すといふ *5 欺罔 (けれん) の器うつは、
*6 波羅葦僧 (はらいそ) の空をも覗 (のぞ) く伸び縮む奇なる眼鏡を。
‥‥
(『邪宗門』)
*1 あんじやべいいる 天使のヴェール
*2 インドのサントメ産の縞模様の綿織物
*3 阿刺吉 アラック 蒸留酒
*4 珍酡 赤ワイン
*5 欺罔 (けれん/ぎもう) 詐欺行為
*6 波羅葦僧 (はらいそ) ポルトガル語に由来するキリスト教宣教師の古称
明治になって和魂漢才から和魂洋才が叫ばれるようになり、明治三十年に島崎藤村の『若菜集』が近代詩の金字塔を打ち立てる。その三年後に白秋は、その詩集を感動をもって手にしていた。中学三年の時だった。十一年後の明治四十一年には蒲原有明の『有明集』が日本の象徴詩の夜明けを画した。そんな中で白秋は詩作を始めており新体詩の影響は当然受けていた。『邪宗門』は退廃的で斜に構えた異国の匂いがする。それは新たな詩への白秋のしたたかな挑戦だった。
柳川 (河) のトンカ・ジョン (大きい坊ちゃん) は九歳以後のえもわかぬ性欲の対象として『西洋奇談』に幼い心を掻き乱され、ボオドレールの「惡の華」をまさぐりながら解らぬながらもあの怪しい幻想の匂ひに憧がれた。西洋への、特にキリスト教というより切支丹文化へ好奇、退廃的で斜に構えた異国の匂い、白秋が影響をうけたであろうフランスの詩人ボードレールの作品「悪の華」。しかし、育ちの良さか白秋は退廃にも倦怠にも溺れ切ることなくバランスを保つ。子供の純粋さと頽廃の匂いが白秋の中には矛盾なく同居していた。何故なのか。
対峙する原初の二つの感覚
母
母の乳は枇杷より温 (ぬ) るく
柚子より甘し。
口つけて我が吸へば
擽 (こそば) ゆし、痒ゆし、味よし。
片手もて乳房圧し、
もてあそび、頬を寄すれ。
肌さはりやわらかに
抱かれて日も足らず。
いとほしと、これをこそ
いふものか、ただ恋し。
母の乳を吸ふごとに
わがこころすずろぎぬ。
母はわが凡て。
(『思ひ出』増訂新版)
幼い頃の性への感覚もまた、『思ひ出』をビビットにする重要な要素である。この詩は、増訂新版に加えられた、あまり知られていない詩だ。母の乳は柚子より甘く、こそばゆく、柔らかな天国的世界として描かれる。母は、ここでは乳房そのものなのだ。忘れ去らるべき乳児の原初の記憶はこのように想起され、白秋をすずろがせる (落ち着かなくさせる) 。
白秋が二歳の時にチフスに罹った時期に最初の乳母シカが、やはりチフスで亡くなった。自分の身代わりとして死んだかもしれない。実際に白秋を育てたのはシカと、次の乳母であるオノコである(三木卓『北原白秋』) 。それにシカの愛は、その激しさにおいて彼を脅えさせた。「乳母なれどわれは恐れき。/ 夜も昼も『和子よ。』と欷歔 (さぐ) り、/『骨だちぬ。』われを『死なば。』と、/ 母よりも激しき愛に、/ 抱擁 (だきし) めつ。――『かなし。』とばかり。(『恐怖』第一連)」
ここにも白秋が『思ひ出』において多用する対峙する二つの要素の魔術的結合がある。天国的な乳房と恐怖に駆られるほどの愛の執着である。それは、女役者の肌触りと妬ましいほどの憎々しさが同時に喚起される青いとんぼの放つ魔術とパラレルなのである。しかし、その両義的な奇妙なバランスは姦通罪として告訴されるまでとなった不条理な恋愛によって、どっと現実へと突き落とされるのである。

北原白秋のかなり纏まった歌集
「桐の花」「雲母集」「雀の卵」「観想の秋」「風隠集」他

三木 卓『北原白秋』
詩人、小説家、ノンフィクション作家、翻訳者と知られる三木さんが白秋のまとまった評伝を書いている。とりわけ人妻だった松下俊子との愛憎渦巻く恋愛は姦通罪として告訴されるまでとなり白秋の社会的地位は失われる。それでも続く俊子への未練と『桐の花』の後編やその後の歌集への影響、それらの記述は本書の大きなテーマとなっている。お勧めの著作。
老若男女に愛される童謡、大衆性のある歌謡や小唄などを通じて文学者白秋は伝説化され、白秋自身の魅力も相まって彼は日本を代表する人気文学者になる。新しい詩歌の時代が到来し、その浪漫的精神を胸いっぱい吸い込みはした。それは一時の熱狂ではなかったかと著者は述べる。白秋自身が詩についての次の目標を失っていた。「童謡が当面いくら愛されようと、彼の才能を発揮する場であろうと、詩同様、近代日本の不安定なジャンルである。」と三木さんは述べている。文学者としての盛名を維持しながら生きていく時、彼を支えたのは短歌であったというのだ。






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