比較哲学 ? 古今東西の哲学を比較してみる。そんなことができるんだろうか。1970年代の終わりころ、井筒さんは海外で教えることが多く、日本に帰ってくるとビックリすることが沢山あったという。一つは道元と密教ブーム、もう一つは比較哲学や比較思想などが流行になっていたことだという。座禅をしたこともない人が僕の愛読書は『正法眼蔵』です、などと言っている。確かに西洋でもキリスト教の絶対化が緩み、両大戦の反省は原理主義を否定する方向に傾いた。ビートルズはマハリシ・マヘーシュ・ヨーギに心酔し、デヴィッド・ボームはクリシュナムルティ―と昵懇だったし、チベットの『死者の書』が売り上げを伸ばした。様々な宗教や思想、文化に独自の価値が見いだされ、宗教の本質は一つだという考え方をする人も増え始めた。そして、20世紀末から21世紀初頭にはグローバル化の波が押し寄せ、地球の隅々の音楽や映像がネット上で見聞できるようになる。
東洋と西洋を比較する場合、西洋はいくら複雑でも単一体であるけれど、東洋哲学は考えられないと井筒さんは言う。地理的東洋さえ定義できない、そういった中で手掛かりとなったのは『ルーミー語録』でご紹介したスフラワルディーの「東洋哲学」という概念だったという。この「東洋 = マシュリック」という語は「マ = 場所」、「シュリック = 黎明の光」からなる語である。彼は哲学の根源的あり方を「東洋」の光の探求という形で成し遂げようとした。井筒さんは生きた日本語で第三の言語というものを比較哲学の共通の場として作ろうと考えるようになったという (井筒俊彦全集 第五巻 存在顕現の形而上学より「東西の哲学」今道友信との対談) 。それは、一体可能だったんだろうか ? そして、「東洋」とはどのように探究されたのだろうか。今回の夜稿百話は、言語学の天才といわれた井筒俊彦さんのこの途轍もないアイデアを英文で書かれた『スーフィズムと老荘思想』から探ってみたい。
著者 井筒俊彦
井筒俊彦さんは、1914年東京のお生まれ、父は書道家で禅の修行もする人だった。慶応義塾大学の経済学部で学ぶも、西脇順三郎に憧れ文学部に転科、夜学でヘブライ語を学び、ギリシア語、ロシア語、アラブ語、ラテン語を学んだという。学士号取得後、研究助手となる。1949年から同大学で西脇順三郎の後任として「言語学概論」を講義し、ギリシア語とギリシア哲学、ロシア文学の講義を開始した。アラビア語は習得するには極めて難しい言語で、タタール人のウラマー (学者) から学んでいる。1958年には『クルアーン』の全編の翻訳を完成させた。
これだけでも偉業だが、その翻訳の縁でロックフェラー財団の学術研究基金でカナダのマギル大学を訪れ、その後、同大学で教鞭を執った。1969年にはマギル大学イスラム研究所テヘラン支部が開設されテヘランに移住する。アラビア語が話せることを喜んだらしいが、彼が話すのは口語ではなく「ござります」調の文語 (フスハー) だったので現地の人たちから珍しがられたと言う。やがて口語も俗語もマスターした。その後、イラン王立哲学アカデミーで4年間研究を続けることによってイスラムだけではない中東、極東、ギリシアの思想を相関させ、共時的に研究できるようになった。だが、10年後の1979年、イラン革命のために救出機で日本に帰国することになる。エラノス会議などにも出席していた頃である。
日本に帰ると著術一本の生活が始まり、趣味として芸大の田中青坪 (せいひょう) 教授に日本画の手ほどきを受けたり、油絵を習ったりしていたと言う (井筒豊子『井筒俊彦の学問遍歴』) 。やはり、イメージの人なのか。帰国後の著作として『イスラーム哲学の原像』『意味の深みへ イスラム哲学東洋哲学の水位』、『露西亜文学』など多数の著作がある。
存在一性型の思想
本書には、井筒さんが「存在一性型の思想」と呼ぶ三人の思想家、イブン・アラビー (第一部) と老・荘の思想 (第二部) が俎上に上がる。そして、第三部はアラビーの思想と老荘思想との構造比較という三部構成になっている。老子や荘子は、ご存じのことと思う。アラビー (1165-1240) は、ムワッヒド朝のアンダルス (スペイン) の街ムルシアに生まれ、アル・スフワルディーと共にイスラム神秘主義哲学を確立した思想家である。一説には15、6歳ころにアリストテレス哲学の権威であるイブン・ルシュドに面会し、存在論に関する問題でルシュドを驚かせたという。その青年期に授かった神秘体験は彼をスーフィズムに接近させることになる。
老子の「中心」
「私の言葉は深遠な源に由来する。私の行いは根本的な原理 (君) に由来する。しかし、人々はそれを理解しない。だから彼らは私を理解しない。(道徳経70 井筒俊彦 訳)」
井筒さんは『道徳経』のような書を研究するには、その底流にある人格的統一性を把握することが重要であり、そのことによって、基本的概念が全てが配置される「中心」を探り当て、その微妙な象徴体系を見通し、形而上的な基本概念を精確に分析しうるという。
老子の生涯は闇の中にある。司馬遷は、いくつかの説の一つとして、楚の国の人で、孔子より年上の同時代人としているが、その用語を文献学的に調べると『道徳経』が世に出たのは、孟子 (前372-前289) より後、荀子 (前315-236) より前であるだろうという (津田左右吉『道家の思想とその展開』)。」道徳経の文章には既に確立された儒家思想が背景にあるからのようだ。それに、老子の世界が、楚の国と結び付けられるのは屈原のようなシャーマニズムの心性である「楚の精神」との関係を窺わせるからである。
「道の道とすべきは常の道にはあらず。名の名づくべきは常の名にはあらず (道徳経巻頭)。」ここでは、真の「道」と「名」が、通常の儒教的な倫理的生きざまである「道」と儒教の鍵概念である仁とか義といった「名」とは峻別された最高位の倫理的カテゴリーとなっていると井筒さんは言う。「道」は己れの「自然」の創造により段階を追って多の世界へと展開する。
「天と地が出現したのは『無名 = 名付け得ぬもの』からであり、『有名 = 名付け得るもの』は、万物のそれぞれを育てる母にすぎない。まことに『永久の欲望から解放されている者のみが〈妙 = かくされた本質〉をみることができ、決して欲望から解放されない者は〈徼/きょう = その結果〉だけしかみることができない』のだ。この二つは同じもの (鋳型) からできているが、それにもかかわらず名を異にする。この同じものを (われわれは) 玄 (神秘) と呼ぶ。(いやむしろ)「玄」よりもいっそう見えにくいもの (というべきであろう。それは)、あらゆる〈妙 = かくされた本質〉が出てくる門である。(『道徳経』1 小川環樹 訳)
アラビーの「己を隠す〈何か〉= 絶対者」
アラビーにとって私たちが現実と呼ぶ可感世界は夢、つまり想像の世界に過ぎない。それは〈実際の現実〉= ありのままの〈在る〉ではない。世界とは、現実だと想像してしまう何かである。絶対的な「実の在り方 = ハック」からの残響でしかない。アラビーはこう述べる。「お前自身が想像の産物である」、そして「これは私ではないと己に向かって言う、そうした一切のものもまた想像に過ぎぬのを。かくして、存在する世界全体は想像のなかの想像なのだ。(アラビー『叡智の台座』ユースフ章 仁子寿晴 訳)」。
様々な形、性質、状態から「なる」世界は空想と想像が織り上げる製作物ということになる。例えて言うなら「実の在り方 = ハック 」からの働きが感覚世界に向かって押印し、その痕跡が私たちの思う現実なのだ。これを脳科学で説明するなら、例えば、私たちの眼には明暗に対応する桿体細胞と色の認識に関わる錐体細胞があり、錐体細胞には赤・青・緑の光の三原色に対応する受容器官しかない。黄色や紫やその他の色は脳が合成しているのである。つまり、現実の光は存在していても全体としては認識されず、多くの部分は「イリュージョンになる」のである。世界は空想だの想像だのと言う場合、このような例は強力な説得力を持つ。ちなみにコンピューターとモニターの関係を想像してみてほしい。ビットの羅列が色や形になる。
アラビー思想の二つの底流
アラブ人がアリストテレスを初めて知ったのは新プラトン学派のアリストテレスの注釈書を通してだと言われている。それでも、彼らはプロティノスの名をほとんど知らなかったらしい。したがって9世紀に表れたアラビア語版の『アリストテレス神学』は、実際には新プラトン主義の入門書だと言う (レナルド・A・ニコルソン『イスラムの神秘主義』) 。つまり、「イスラム神秘主義 = スーフィズム」の底流にはプロティノスの「一者からの流出」があるということは踏まえておく必要がある。
それに、アラビーにとってのもう一つの底流は、アリストテレス哲学であった。これは、ムワッヒド朝の宮廷医や法官であり、アリストテレスの注解で西欧に名を馳せたイブン・ルシュドの影響と考えられる。青年期の彼はルシュドの近辺にいた。アラビーの神秘哲学は、アリストテレス哲学とプロティノスの哲学を底流に持っていることが窺えるのだが、彼の神秘的宗教的体験なくして、それらは結びつかなかったのである。
現象世界の背後には「己を隠す〈何か〉= 絶対者」があり「ハック」と呼ばれる。絶対的な〈実の在り方 = リアリティ 〉が個別に顕れたものが現実である。その〈実の在り方 = リアリティ 〉が「現実」へと、どのように自己顕現 (タジャッリー) していくかには五段階の地平があると考えられている。現象世界での認識においては勿論、神秘体験においてすらも見るものと見られる対象がなければ認識は成り立たない。神秘家は「神との合一」をいうが、それは誤解に過ぎないとアラビーは考える。「純粋一性」は崩れ、二になってはじめて最高の神秘体験が経験可能となる。後に、この「純粋一性」から諸段階が生じた後、つまり、神性が現前した後から振り返る時、絶対者が「聖なる発出」つまり、自己顕現したと分かるだけなのである。
本書は、いわば、アラビーの「己を隠す〈何か〉= 絶対者」と老子や荘子の考える「道」がどのようにシンクロするかが述べられているのである。
まず、アラビーのいう「己を隠す〈何か〉= 絶対者」に到達するための五段階の地平を最下層から順を追って見ていきたい。
絶対者が顕現する過程 アラビーの五つの地平
5. 感覚と感覚的経験世界
ムハンマドの言行録『ハディース』には「光と闇の七万ものヴェールで神は自らを隠した。もし、神がヴェールを取り去れば、神顔の放つ燦々たる光が、それを見ようとする被造物の眼を直ちに破壊してしまう」とある。闇のヴェール (粗い物質的なもの) と光のヴェール (繊細な精神的なもの) によって世界は世界自身に対するヴェールとなる。その上、人間は創造者を必要とし自己と創造者の区別を意識し、その知が更なるヴェールとなる。世界は神の自己顕現 (タジャッリー) からなる多様性であると同時に、人間にとっては、その完全な顕現を妨げるヴェールとなるのである。これは永遠の逆説と言っていい。私たちの感覚的経験世界は二重のヴェールで被われている。
4. イマージュと想像の地平
華厳密教を創始したと言われる明恵上人は、十九歳から六十歳までの約40年にわたって見た夢を『夢記』に書き残してきた。13歳 (文治元年 1185) の時の夢が『上人伝』に書かれている。弘法大師のお供として納涼房に参った夢である。納涼房の長押を枕にして弘法大師が寝ておられる。その二つの眼の水精の玉のようなものが枕元にあった。それを給わって袖に包みもち、宝物をいただいたと思ったら目が覚めた。夢の中には、このように心の深層からのメッセージであるものもある。
現実にあるものは、イマージュの世界にある表象によって象徴的に具現化されているが、夢は全くイマージュの世界である。イマージュの世界は感覚だけで捕えられる世界と純粋に精神的世界とをつなぐ中間領域、象徴の森と言える。感覚に捉えられ得るという意味では「夢」も「現実」も同じだが、それらは主観的な幻想ではなく、「客観的幻想 = 堅固な基盤を持つ非現実」であるとアラビーはいう。神の自己顕現 の末端であるからだ。アラビーの高弟であるカーシャーニーはこう述べている。
「不可視の世界から感覚経験の世界に己れを顕したものは、それが感覚の中であろうが、想像の中であろうが、別種の存在形態を持つイマージュの中だろうが、神からの知らせである 。」
3. 行為の地平
ここに登場するのは「主」と呼ばれる特殊相を持つ限定された絶対者である。個々人が神と取り結ぶ真の意味での個人的関係は「主性」と呼ばれた。人が神に祈り嘆願する時、病人が祈るのは「癒す神」であり、貧者が祈るのは「与える神」である。この類 (たぐい) の「名」のもとにある神は、ある特定の動機から祈る人の「主」と言える。これに対して、〈慈しみあまねき者、アッラー〉は、あらゆる名を包摂する統合的「名」といわれる。
9世紀のスーフィーの神学者タフス・トゥスタリ―は、「主性」は永遠に存在すると言い、どの在る者もその「主」のおかげで物質的な形を取らなくてもずっと存在していると述べる。そして、こう言う「主性には秘密がある。それはお前自身だ」と。これは、意味深だ。
神としての絶対者は被造物の人間からみれば、賞賛、畏敬、恐れ、祈り、服従の対象であるが、一方、「主性」は、被造物を経綸したり、存続させたり、支配したりといった神の行為に関わる「名」が現れる地平である。それは「行為の現前」と呼ばれる。この世のいかなるものも「在る= 神」の自己顕現の末端であり、その過程で成立した「特定の在るもの」には定められた働き (備え) があり、絶対者は己れを個々の存在に顕す時、或る特定の「名」によってのみ自己顕現できる。特定の名が実際に存在するものの姿 (形相) なのである。
ここに「名」= 言葉が持つ神秘学的意味が立ち現れるが、詳しくは part2 で荘子の天籟 (てんらい) と地籟 (ちらい) との関係のなかで解説します。
2. 属性と名の地平 意識の深層の中の神の現前
絶対者は、いわば「知られるために」己を世界に映し出す。完全な段階にいる人間だけが直観によって自らを開示した絶対者を己の内に内在者として見る。そこでは絶対者が自身を世界に対する神であると指し示す。絶対者は知られず知ることもできない「何か」だったが、ここでは「我々の神 = 彼」となるのである。それは、絶対者の自己収斂であり、同時にその本質の自己顕現だとも言える。その収斂によって「彼性」が実現する。これは、カバラにおけるイサアク・ルーリアが述べるツィムツーム (神の収縮) を思い起させる。
ハディースには「己れ自身を知ることで、己れの主を知る 」とある。その人は、絶対者の鏡を通して自身の姿と自身の形態を帯びた「絶対者の形態」を見るに過ぎない。しかし、絶対者とそれが現れる対象との間には超えられない淵がある。そこには、特定のバイアスがかかっているのである。
上記が第一段階だとすれば、第二段階は、人が自分こそが絶対者そのものの自己顕現だと気づくことによって神と世界の間の裂け目が消える。絶対者そのものの中で繚乱する世界のさまざまな形態や事柄が姿を現しあう。鏡の本体が絶対者の「ハック = 実の在り方 (リアリティ) 」であり、その鏡の中に像として現れるのが被造物なのである。これを自己収斂後の持続という。ちなみに、「名」や「属性」呼ばれるものは絶対者が自己顕現するための無限に多様化する可能態を神学的に表現したものであり、絶対者が世界と結ぶ無数の関係を整理したものだ。
世界は、「恒常原型」の形態を帯びて絶対者が自己顕現したものに他ならない。そのことが分かると感覚世界の無限に多様化した事物を高みから見下ろせるようになる。「恒常原型」は、ある種のイデアといってよいだろう。「名」は、直ちに物質化を実現するのではなく、「神の意識」の中の「恒常原型」の働きを通して現れる。ここで、「恒常原型」は第一質料と呼ばれるのである。これは、ちょっと驚いた。ただ、「名」や「恒常原型」といった事柄は第三段階の「主の行為」に深く関わる内容であることはお断りしておく。ともあれ、こういった神の本質の可能態である全ての関係性を現実のものの中に知るのは、やはり我々自身である。
これに続いて最後の開示が起こる。この段階では異常なほどの麗しい光景が現れる。あらゆる存在者が絶対者の鏡に現れ、それらが互いに他のものの中に現れるのである。事物・事象は皆それぞれの独自性を保ちながら互いに溶け合い重々無尽に相即するという。被造物の姿は己れを開示した限りの絶対者を隠さず、創造された〈多〉を己れを開示した限りの絶対者の〈一〉の深みにおける存在として知るようになる。「完全な者たち」の至高の知は、現象した多が絶対者の中で生起すると知るのである。
1. 顕現しない神秘の中の神秘
至高の段階において「神の自己顕現」は生起していない。ここには認識されるものが何もない静寂がある。言葉で表せば「一」であるが、多を包摂する一でもなく、多に対する一でもない。イスラム教において神はアッラーであるが、アラビーにとっては、アッラーでさえ、なんらかの限定を受けた存在であり、真の絶対者は何物にも限定されないという。この絶対者を彼は、「ハック = 実の在り方 (リアリティ) 」と呼び、この次元の絶対者に附すことのできる唯一の哲学的「表現 = 述語」は「在る」だと言う。それは、対象化され得ない〈存在〉、絶対者は知られておらず知ることのできない永遠の神秘の中の神秘とされる。
ちなみに、この「在る」は、アリストテレスのいう「エッセ 」という動詞から来ていることは想像に難くない。エッセは「である」という意味になる。「ペンが在る」と「ペンである」とは同義と捉えることができる。それが「ガアル存在のデアル化」と呼ばれるものだ。アリストテレスにおいても神は「自存するエッセそのもの」であり、「エッセ」は神の本質 (ザート) であるという。「エッセ」は動詞なのでデアル化できないと言えば身も蓋もないが、「ガアル」存在として存在しているものは、「ガアル」存在を何処から受け取ったのではなく「ガアル」存在それ自体であり第一原因と考えられるようになる。これに対して「エンス」 は、人間にとって最初に把握されるもの (存在者) であり、「在る」が自己展開する過程で各々のもの (存在者) に、その本質が分有されるという意味で、アラビーの「在る」はエッセとエンスを併せた二重性を帯びると井筒さんは言う。
荘子の象徴的寓話
荘子 (前369-前286 ) は、屈原 (前343頃-前278頃) や孟子 (前372-前289) と同時代に、かつての宋の国、現在の河南省にある蒙で生まれたといわれる。宋は、「鬼」と「上帝」を祭祀する国柄である殷の遺民の国であり、屈原の生国である楚と国境を接していることは留意してよいという (馮友蘭『中国哲学史』)。一説には漆園の役人であったともいう。
老子に影響を受けた十万語の著作は象徴的寓話に溢れていた。そして、論理性を魏の宰相であり友人でもあった弁論家の恵施 (けいし) と競ったと言う。その恵施と荘子の『知楽魚』の会話は頓智話のようで楽しい。荘子が「魚がのんびり泳いでいるのは魚の幸せだ」と言うと恵施は「君は魚でないのにどうして分かるのだ ? 」と問う。すると荘子は「君は僕ではないのに、どうして僕の気持ちが分かろうか ? 」と問い返して対話は続く。
荘子には豊かな想像力と自由な精神があり、それを疑う人はいない。荘子のイマージュと具体性は、老子があまり明らかにしなかった道家神秘主義の経験的側面が豊かにある。老子は、あらゆるものが起源に帰還していく上昇運動を主要に述べるが、絶対的絶対者がどのようにして自ら「一」になるのか、それがどのように「二」になり、「三」になり、万物になるのかは形而上学的にしか語られない。荘子は「道」を哲学体系としては練り上げることなく、「存在」の神秘を見通す特別な「経験」そのものを描こうとしたと井筒さんは強調する。
アラビーにおけるイマージュの優位
不可知論と擬人神観論 タンズィーフとタシュビーフ
タンズィーフとは、神があらゆるものを超えるという主張を指す。知ることもできず知られてもいない絶対者を想定する時、神は絶対的で被造物の持つあらゆる属性を超えると考える理性の傾きがちな態度である。極論すれば不可知論となる。絶対者の中の限定されることのない「絶対的側面」を強調する。これを主張する人々は、こう考えている。絶対者は感覚、理性、想像、表象、思考に由来するあらゆる限定を超越すると。
タシュビーフは、これに対して神を被造物に擬 (なぞら) えることであり、その極端に至れば粗野な擬人神観論となる。こちらは、絶対者の「境界づけられた側面」が想像によって開かれる。伝統的神学では、これらの二つは極端に強調され、なんらの調和もモタラサレルことはなかった。
想像のタシュビーフは、全ての形態に絶対者が浸透し貫通していることをイマジネーションによって明らかにする。この時、想像のタシュビーフは理性のタンズィーフ特有の絶対者を見るが、それも限定された絶対者であることを認識する。完全に純化された絶対者と言えど絶対者の帯びる特殊な形態でしかない。それゆえ、アラビーは人の中で理性よりも想像 = 表象が力を持っていることを強調する。それが人間の至高の権威となるが、想像のタシュビーフが確立されたところに理性のタンズィーフが行使されることを忘れてはならない。
神秘の開示体験が心の中に完全な知を造り出すと、理性と想像は完全に一致し、理性のタンズィーフと想像のタシュビーフとが神についての完全な知の中で結ばれるという。
さて、イブン・アラビーの絶対者の自己顕現に比べられるのは、荘子の「坐馳 (ざち) / 坐りて馳 (は) せる」 」から「坐忘 (坐りて忘れる) 」までの段階である。次回の夜稿百話は、井筒俊彦『スーフィズムと老荘思想』part2として 坐忘への道をまず、ご紹介し、老子の「道」から始まる形而上学とアラビーのそれとを比較することになる。そして、この途方もない企ての意味を探りたいと思っている。
コメント