
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
『戦争は女の顔をしていない』
本との縁には色々なケースがあって、この『戦争は女の顔をしていない』に興味を持ったのはカンテミール・バラーコフ監督の映画『戦争と女の顔』(公式サイト) を見たからだった。戦争シーンなど全く出てこないのに強いリアリティを放つ映画だ。ドイツとの戦いに身を投じてPTSDを追った二人の女性の物語で、発作によって誤って預かっていた子供を窒息させてしまった看護師の女性に対して預けた側の帰還女性兵士が代理出産を強いるという話の展開になっている。
本書には、そんな500人以上の従軍女性の話がアレクシエーヴィチの取材を通して怒涛のように紹介されている。彼女たちの話は英雄的な行為ではない。我慢強く話を聞いていると、少しずつ心の奥底に秘められていた辛い悲しい思い出があぶり出されていく。それは原爆の体験を精神科医として面接し、著作に成したロバート・ジェイ・リフトンの『ヒロシマを生き抜く』に匹敵するかもれない。いずれの著作もPTSDにも迫るものがある。

沼野恭子 NHK100分で名著
『戦争は女の顔をしていない アレクシエーヴィチ』
とりあえず概略を知りたい人や戦争物はちょっとと思う人には沼野恭子 NHK100分で名著book 『戦争は女の顔をしていない アレクシエーヴィチ』をお読みになると良いでしょう。 アレクシエーヴィチの色々な側面がとても良くまとめられていて示唆的な内容も多い。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
(1948-) 2024
著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは1948年に当時まだソビエト連邦の一つだった現在のウクライナの西部、イヴァーノ・フランキーウシク (スタ二スラフ) に生まれている。ここは、ポーランド、オーストリア帝国、ドイツ、ソ連に占領されたり支配されたりした歴史的経緯を持つ地域だった。母方の祖父はウクライナ人で戦死し、ベラルーシ人の父方の祖母はパルチザンで活動中チフスで亡くなったが、その三人の息子の内二人は行方不明、ひとりだけ戻った息子が彼女の父だったという。彼女が育ったベラルーシでも、まだ戦争の傷跡が濃く残る時代だった。戦争とは、死とはどんなものかが最大の謎になったという。
ベラルーシ国立大学でジャーナリズムを学んだ後、新聞や文芸誌の仕事をしながら友人たちに5000ルーブルという当時としては大金を借りオープンリールのテープレコーダーを買って、勤務先の編集部から研究のための休暇を取り、第二次大戦に参加した女性たちの回想を録音するためにソ連の町や村を取材に尋ねるようになる (松本妙子『セカンドハンドの時代』訳者あとがき) 。1978年頃からである。こうして『戦争は女の顔をしていない』が生まれた。出版は断られ続け原稿は机の上にずっと置かれたままだったがペレストロイカが始まったばかりの1985年についに本格的な出版がなされ、その数は200万部に及んだという。
2004年には大幅な増補版が出ている。それは以前話せなかったこと、ちゃんと訂正しておきたいことなどが話を聞かせてくれた女性たちから続々と彼女に寄せられ、検閲で削られた部分も復活できたからだという。
その後は第二次大戦中に子どもだった人々の証言集『ボタン穴から見た戦争』、『アフガン帰還兵の証言』、『チェルノブイリの祈り』、ソ連崩壊後に自殺した人々を扱った『死に魅入られた人々』、同じくソ連崩壊後の社会を映し出す『セカンドハンドの時代』と作品は発表されてきた。2015年にノーベル文学賞を受賞している。プーチン大統領のウクライナ侵攻に抗議し、ルカチェンコ大統領の反体制派への弾圧に対抗し、2016年には震災後の福島を訪れている。
アレシ・アダモヴィッチとドストエフスキー

アレシ・アダモヴィッチ
(1927-1994)
ある時、アレクシエーヴィチは偶然『わたしは炎の村から来た』という本を手にした。アレシ・アダモヴィッチ、ヤンカ・ブルイリ、ウラジミル・カレスニクとの共著である。ナチス・ドイツは指揮官がパルチザンによって殺された報復としてベラルーシのハティニ村の村人149人を納屋に閉じ込めて焼き殺した。その虐殺事件を生き延びた人々からの証言を記録した著作だった。それは彼女に自分の進むべき方向を鮮やかに照らしたのだ。ドストエフスキーを読んで以来のショックだったという。ベラルーシ育ちの彼女にとっての文学的背景はロシア文学にあることを忘れてはならない。


この事件は後にアダモヴィッチの『ハティニ物語』を原作としてエレム・クリモフ監督によって『来たれ、見よ (邦題 炎628) 』というタイトルで映画化された。僕も見たけれど主人公の少年がヒトラーの写真にライフルの銃弾を撃ち続ける最後のシーンは忘れられない。アレクシエーヴィチは、そのアダモヴィチを師と仰いだようで、彼は例のテープレコーダーの資金を出してくれた人の一人でもあるようだ。ちょうど、スヘイル・ハンマードが、その文学的な道をジューン・ジョーダンによって開かれるのと同じだった。幸運な本との出会いだったと言える。
象徴的なことだけれど本書のタイトル『戦争は女の顔をしていない』というフレーズは、このアダモヴィッチの処女小説『屋根の下の戦争』の以下の文章から引用されている。「戦争は女の顔をしていない。しかし、この戦争において、私たちの母たちの顔ほど大きく、厳しく、恐ろしく、そして素晴らしいものとして記憶されたものはない。」(沼野恭子 NHK100分で名著book『戦争は女の顔をしていない アレクシエーヴィチ』) 本書にも母たちの多くの姿が紹介されている。
そして彼女は、この著書の中で学校や村の図書館の本は半数が戦争についてであり、学校では死というものを愛するように教えられたと書いている。自分が戦争を通して死の深淵へと呑み込まれていった。悪とは何か。どうして、そのようなことが起きるのか。人が生きるとは、死ぬとはどのようなことなのか。それをどのような言葉で伝えればよいのか。長い間の模索の末にたどりついたのがアダモヴィッチの著作だった。それはドストエフスキーのこんな問いにも通底していた。「一人の人間の中で人間の部分はどのくらいあるのか ? その部分をどうやって守るのだろうか ? 」
アレクシエーヴィチは続けてこう書いている。「悪というものが誘惑的なのは言うまでもない。悪は善よりずっと多様で、人を引き付ける。ますます深く戦争の無限に身をひたすと、他の全てが色あせて、さらにあたりまえのことになってしまう。戦争の世界は大きく恐ろしく獰猛だ。こうなると、そういう世界から平和な日常に戻ってきた人たちが感じる孤立感が理解できるようになった。まるで別の惑星、あの世からやってきたようなものだ。(三浦みどり 訳)」
小さな人たちの真実
アレクシエーヴィチは何度も「小さな人たち」という言葉を使う。学生時代に本を買うために並んでいると一人のおばさんが軍人や女優、英雄たちの本に囲まれながらこう話したという。「こんな本を読んでもしょうがないわ。私自身のことが出ているような本が読みたい。子供がいて、給料が少なくて、飲んだくれているだけの夫。でも何の意味もなく生きているわけではないのよ。(『スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチとの対話』)」こういう「小さな人々」にこそ真実が隠されていると感じた。
ソ連では第二次大戦中に百万を超える女性が従軍しているという。看護婦や軍医だけではなく中には狙撃兵や高射砲兵、パルチザンなどとして参加した女性たちも多く、志願して戦争に赴いていった。彼女たちはある種の高揚感に包まれ、兵隊になることを誇りとして是が非でも入隊しようとした。そして、男に負けない戦士になろうとし、戦争の現実を知った。おおよそ一般庶民と考えられる女性たちの方が大祖国戦争といったステレオタイプな固定観念を免れていたようだ。彼女たちが語るのは自分が何を成し遂げたかではなく何を感じたかにフォーカスされるのである。その痛みの強度は高く、男の語る戦争よりずっとおそろしかったという。

前線へ出発する女性兵士に話しかける
中央狙撃学校の政治部長 1943
リュドミラ・パブリチェンコをはじめ世に知られたソ連の女性スナイパーたちだが、初めて引き金を引いた時、全身が震えて骨がガタガタなるのが聞こえたという、人を殺したことの罪悪感だった。だが、小さな村で黒焦げのバラックの中に味方の階級章と骨を見たときから、いくら殺しても哀れみの感情はなくなったという。一方で、人ではなく隊の飢えを救うために子馬を撃ち殺して涙にくれた狙撃兵もいる。人と動物との繋がりは深い。ウィーンで勝利の日を迎えて動物園に行った兵士のエピソードもある。
子どもを送り出す母親の姿を語る例は枚挙にいとまがないが。こんな母親の姿もあった。ドイツ軍に包囲されたパルチザンの中に赤ちゃんを連れた母親がいた。沼地に漬かったまま隠れていた。自分自身が食べていないのでお乳が出ない。赤ん坊は泣き止まなかった。居所が知れれば全員が殺される。その母親は決断しなければならなかった。布に包んでその子を水に沈めたのである。
戦場にあっても恋愛はあり、結婚式もあった。敵のパラシュートや包帯を縫って花嫁衣裳を作り結婚式を挙げた。美しさや嗜みといった女性性へのアイデンティティも捨てられる訳ではない。しかし、過労から月経が止まってしまう兵士も多かったという。体の傷より心の傷の深さを語る人も多い。
砕けちぎれた手足が野戦病院の桶の中に投げ込まれているのを見て男性の大尉でさえも気絶した。はみ出した内臓を自分で腹に押し込む負傷兵、胸がそがれて心臓が動いているのが見える兵士、治療より早い死を望む重傷者。それらを何日も眠らず世話し、時には敵味方なく治療する従軍看護婦たちの話。
最悪なケースは戦後にあったかもしれない。身も心も捧げて戦ったあげくに「わたしの亭主を寝取ったんだろう」と女たちから侮蔑の言葉を浴び、嫌がらせも受けた人もいる。映画『戦争と女の顔』にもそんな場面が登場する。捕虜になった者は復員してもシベリアに送られた。二十歳そこそこで実際の歳よりはるかに老け込んで無気力になる女性たち。思ってもみなかった全くの異界に投げ出されてしまうのである。
「どの悲しみの実体にも無数の影がある (シェークスピア『リチャード三世』) 。」
小さな物語と情報社会
著者は大きな物語よりも小さな物語の一滴を書きたいという。その人間のスケールが戦争の大きさを超えてしまうような一滴を書きたいというのだ。そこには生の現実があった。それを集めれば一つの大きな交響曲になるのではないか。どのように人は死に立ち向かったのか、絶え間なく人が死んでいくなかでどうやって生き抜くことが出来たのか。アレクシエーヴィチはそれを捜したかった。500人の証言を一つの作品にする。それは単に寄せ集められたドキュメントではなく一つの文学だと彼女は考えるようになる。一方で、著作を書き上げる度に自己の考えやコメントを差し挟むことを極力しなくなったという。
それは、ちょうどネットがユーザーに提供する情報のマッスに近い。彼女たちの証言の中にも記憶違いや、ある種の創作、部分的な拡大と縮小、ある部分には意図した嘘もあったかもしれない。著者はそれでもいいという。それも戦争をめぐる証言の一部なのである。しかし、それが どのように編集され、一つの著作にまとめられ、著者の意図に見合うものになるのか、それは非常に興味深いものがある。ある意味で情報社会に生きる人にとってひとつの導きになるかもしれない。情報の洪水をどのように構成し、編集し、まとめるのかということである。以下に三つの連続した章をご紹介するが、ここには明らかに配慮と計算がある。
●「家畜のエサにしかならないこまっかいクズジャガイモまでだしてくれた」
この章では、自分たちのなけなしのクズ芋でさえ与えて助けてくれる農家を、そして家族の住む村がドイツ軍に占領され、母が地雷の盾としてドイツ軍の前を歩かされるのを遠くから眺めるしかなく、兄弟も殺されるといったパルチザンの女性たちの話が書かれる。
●「お母ちゃんお父ちゃんのこと」
農村の出征した夫の留守を守る主婦の記憶が書かれる。捕虜が各身内の家庭に返される時に偽って18歳の青年を引き取ったが密告されて青年は殺され、夫が戦死して自分の子供が父親のいる家庭に遊びに行って泣いて帰ったこと。そんなことが語られる。
●「ちっぽけな人生と大きな理念について」
スターリンを信じ、共産党を信じた女性が戦地で両足を失って復員しても党のために働く姿が書かれている。地下活動をしていてゲシュタポに捕まり尋問官にマルクス・レーニン主義を滔々と解説し、父親が医師だったおかげで奇跡的に助かるが拷問の痛みとPTSDに苦しめられる女性。
全体主義への批判は「大きな物語」の終焉を導いたといわれるが、それは男の理屈だと彼女は笑うかもしれない。しかし、人文主義の理想も投げ捨てられ、戦争犯罪者の政治指導者ばかりになるのだろうか。僕は、この「小さな物語」の交響曲が、どのような影響力をもたらしたのかを興味深く見ていきたいと思っている。
夜稿百話関連リンク
第29話 ロバート・ジェイ・リフトン『ヒロシマを生き抜く』
流風一詩関連リンク
第1話 スヘイル・ハンマード『スカーレットの雨』


スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『亜鉛の少年たち』
9月20日の手帳から(戦地にて)にはこう書かれている。「戦争は―ひとつの世界であって、出来事ではない‥‥。ここではすべてが違う ―― 景色も、人も、言葉も。芝居がかった場面ばかりが記憶されていく ―― 向きを変える戦車、響き渡る号令‥‥闇を貫く曳光弾‥‥。死を思う ―― 未来を思い描くように。死を目の当たりにしながら死を思うとき、時間の感覚になにかが起こる。死の恐怖がそばにあると ―― 死に魅入られる‥‥。
そして、こう述べられている。少年たちの話はむやみに好戦的だった。つい最近までソ連の高校生だったのにと思う。でも、同じ人間として、本音の対話がしたかったという。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『セカンドハンドの時代』
スターリンの収容所で17年間服役したシャラーモフという人は、こう覚書に書いたという。「わたしは、世の中を本当に一新するための、失敗した偉大な戦いの参加者だった」と 。ソヴィエト時代の人間は異なる四世代に分けることが出来る。スターリン世代、ブレジネフ世代、ゴルバチョフ世代、著者たちの最後の世代。この最後の世代は共産主義の思想の崩壊を受け入れやすかったという。共産主義の大量の血は既に忘れられ、若く、強く、破壊的なロマティシズムとユートピア主義への期待という時代は遠く過ぎていた。自由が突然降ってきた。インテリたちは落ちぶれ成金たちが闊歩し始める。新たな夢は家を持ち、いい車を買うといった俗物根性の復権となった。理念のことは誰も話さなくなったという。しかし、第一次チェチェン紛争の時、息子をチェチェンから取り戻すために戦地に向かおうとする女性に会った。彼女は自由だったのである。一方でソ連時代にしがみつこうとした人々もいた。ソ連時代の国歌に別の歌詞がつけられロシア連邦の国歌となり、親プーチンの青少年団体が出来、共産青年同盟があり、共産党をコピーした政権党がある。セカンドハンドの時代がやって来たのだという。ソ連崩壊後の人々がどのような混乱に遭遇したのかが本書では語られるのである。
ソ連崩壊後に自殺した人々を扱った『死に魅入られた人々』のかなりの部分が収録されている。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『チェルノブイリの祈り』
発電所が火事だという知らせを受けて夫は防水服を着ずシャツだけで出動した。病院に運ばれる救急車に夫を見たが全身がむくみ腫れている。医者たちはガス中毒だと説明し放射能のことは伏せていた。モスクワの放射線医学専門病院に移された。妊娠していることを隠して医学科部長に談判して会えたが夫はキスされるのを避けた。消防士たちの部屋は壁でさえ針が振りきれるほどの放射能を放っている。一日ごとに容体は悪化していった。無菌室に移されても夜を一緒に過ごしずっと彼の手を握っていた。看護師たちはあの人はもうあなたの夫ではなくて原子炉なのと説得しようとしたが聞き入れなかった。一時も離れていたくなかったが同僚の消防士の埋葬に参列している間に夫は亡くなってしまう。子供を産む時には放射線専門のあの病院で生みなさいと言われた。生まれた子は肝臓に28レントゲン、先天性の心臓疾患があり、4時間後に亡くなった。彼女は自分に問うた。愛で人を殺すことなんかあるのかと。どうして愛と死は隣り合っているのかと。

『スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチとの対話』
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、鎌倉英也、徐京植、沼野恭子
本書には『ボタン穴から見た戦争』を書くことになった経緯が書かれている。女性たちの戦争の証言をまとめていた時、原稿を清書してくれていたタイピストの女性が、戦争中の自分の体験を語ってくれたからだった。彼女は両親を失って孤児院で生活していた。ある時、黒い服を着た若いドイツ人がやって来た。子供たちは、いつかパパやママが迎えに来てくれると信じていて、その男をパパだ、パパが来た」と喜んだ。しかし、ドイツ人の目的は子供の血を抜いて傷ついた兵士を治療するために使うことだったのである。

コメント