第59話 山東京伝『桜姫全伝 曙草紙』part1 勧善懲悪と江戸のグロテスク


山東京伝『桜姫全伝 曙草紙』


 夏は、七夕、夕涼みのかき氷、花火見ながら盆踊り、怪談ならきっと涼しかろ、幽霊・妖怪‥‥‥ゲゲの鬼太郎‥‥

 という分けで、今回の夜稿百話は山東京伝の傑作怪奇小説『桜姫全伝 曙草紙』をお送りします。前回の『完本 八犬伝』でとても鮮やかな謎解きを名文で綴っておられた高田 衛 (たかだ まもる) さんの著作に全面的に頼りながら歌川豊国の挿絵を道しるべにこの怪奇小説をご紹介することにいたしました。

 近世の奇談集には多くのグロテスクな奇聞、逸話が数多く収載されている。中世には女の嫉妬が病となり、仏儒の女性蔑視と重ねられて救いのない状態が続いた。近世はその病が徹底した時代だという人もいる (赤松啓介『女の歴史と民俗』) 。化政文化もどん詰まりに至って、そのイメージは葛飾北斎 (1760-1849) の『百物語』に異様な姿で映し出された。中国明代の怪奇小説集『剪灯新話』に巷の奇談とを織り交ぜた牡丹灯籠の「お岩さん」、室町時代の播州に起源が遡る番町皿屋敷のお菊さんを描いた「さらやしき」、石枕譚と言われる「笑ひはんにや」、それに異様に明るい背景に描かれた位牌に絡む蛇を描いたその名も「しうねん」なのである。蛇を執念の象徴にしたことには訳がある。


葛飾北斎 『お岩さん』百物語より


葛飾北斎『しうねん』百物語より
東京国立博物館



遊民 山東京伝



 山東京伝 (1761-1816) といえば井原西鶴 (1642-1693) や曲亭馬琴 (1767-1848) と並ぶ人気を勝ち得た戯作者であった。都市芸術としての浄瑠璃や歌舞伎などが持つ観衆婦幼をわくわくさせるような華やかさ、歓楽性、情緒性、戦慄の豪悪・怪奇、涙を誘う悲哀性などなどが人気のエンターテナー京伝の魅力となっていた。一方で浮世絵師としての腕も卓抜なものがある。画号は北尾政演 (きたおまさのぶ) であり、歌麿の面倒を見たと言われる北尾政重 (きたおまさしげ/1739-1820) が、その師である。一流の画家・デザイナーでもあった。


 宝暦11 (1761) 年、深川木場で質屋を営む家に生まれ、13歳の時、父親の転職に伴って京橋銀座の街屋敷に移る。通称伝蔵であったことから京橋の伝蔵こと京伝を名乗った。22歳ころから黄表紙が刊行されるようになり、『江戸生艶気樺焼 (えどうまれうはきのかばやき) 』などが大ヒットし、30歳にして江戸の狂歌、通俗文壇の主だった作家の一人となった。

 京伝より6歳年下の滝沢馬琴は24歳の時、酒一樽を持って銀座の山東京伝宅を訪れて門人になることを乞うたが、弟子は取らない、しかし心安く話しにきたらよい、出来たものは見てあげると言われたようだ。戯作者としての二人の社会的身分には雲泥の差があったが京伝は馬琴の人となり才能を窺い知り好意的に遇したことになる。馬琴は京伝の人としての優しさ、天稟 (てんりん) の異能をもって近世社会にある身分階層社会を超える遊民の論理を見抜いていたという (高田 衛『滝沢馬琴 百年以後の知音を俟つ』)


山東京伝の見世 () 東京国立博物館

 遊女菊園を妻に迎えるなど身分や社会的制約にこだわらない京伝だったが、寛政の改革のあおりを受ける。彼の洒落本が出版制禁の咎を受けたのである。50日の手鎖、版元の蔦谷は財産半減となった。京伝は恐れ入ったが、咎を受けたことで益々人気が上がったと言う。煙管や紙煙草入れを販売する店を出し、二階で創作する一方、紙烟包 (かみたばこいれ) などのデザインをする日々だが、別に生活を持ち、有楽のゆとりある者が、遊びと自己滑稽化を兼ねて行う行為が戯作である。だが、馬琴によれば執筆を職業となしうるのは自分と京伝だけだと述べたと言う (高田衛『滝沢馬琴』)


前振り 安積沼ーこはだ小平次


 京伝には、こはだ小平次を扱った『安積沼』という作品がある。顔が幽霊に似ていて、それが唯一評判を取れる役だったウダツの上がらない歌舞伎役者である。小平次には、お塚という女房があったが鼓打ちの安達佐九郎と不義密通を行っていた。奥州に旅興行に出た小平次は安積沼で佐九郎に突き落とされ落命するが、その亡霊が怪をなし、お塚はついに狂気となる。もともと幽霊に似た男の幽霊なんだからたまらない。ある日、見苦しい姿の祝部が来て、この護符を戸口に貼り三十二日のあいだ潔斎せよと告げる。結末は上田秋成の『雨月物語』にある「吉備津の釜」を踏襲 (剽窃) していて軒のつまにあるのは正太郎の髪ではなく、たけ長き女の髪であったということになっている。髪が怨念に繋がる道具となっているのである。返す返すも「吉備津の釜」は秀逸だった。

 歌舞伎の『東海道四谷怪談』の二幕目では、押し入れの戸板を外して、小平次の死骸をそれに打ちつけようとすると、この時ドロドロの鳴物とともに小平次の両手の指が残らず蛇になって蠢くのである。蛇もまた、怨念の道具なのであった。

 それに妄執としての蛇は安珍清姫伝説にある通りで、能の清姫の衣装には蛇のウロコ紋が使われている。転じて魔除けの文様にもなっているようだ。このヴァリエーションはわりとあり、恋する女が夜毎六里の道を通い、途中矢ばせの渡しを渡るのに高観音の常夜灯の光を目印に泳ぎ渡るという。男は女の執念に怯え、常夜灯の火が湖に映らないように板で覆うように寺の者に頼むのである。それから女は来なくなったが瀬田の橋へ女の死骸が流れ着き、そのわきの下に鱗らしきものが三枚ずつあったという。

 前口上はこれくらいにして、京伝の『曙草紙』前半をご紹介する。


曙草子 巻一 野分の方、嫉妬により玉琴を害す


● 第一 曙草子は子のない本妻が妾の妊娠を妬んで殺害させるという話が発端となる。夫は鷲尾 (わしのお) 十郎左衛門平義治 (たいらのよしはる) 、文武に優れ、富栄えて長者と呼ばれた人である。その妻、野分 (のわき) の方は、絶世の美女にして怜悧聡明、女の嗜みに優れ、武芸でさえ一方ならぬ腕とあれば、並みの男に勝る才女と言えた。桜町中納言成範 (しげのり) 卿の落胤で十歳ころまで貧しい農家に育ったが十郎左衛門の父である鷲尾三郎が見初めて養女として育てた女性だった。


弥陀二郎、淀川にて黄金の霊仏を感得す。

● 第二 鷲尾義治の郎党であった真野水次郎は両親が子なきを嘆いて神仏に祈った末に生まれたが、その乱暴狼藉により悪次郎と呼ばれ、ついに処払いとなり、漁師となった。ある時、頭陀沙門がその地方を訪れるようになり、その僧の来る日は獲物がすくないことを恨んだ悪次郎は、僧の額に焼け火箸を当て追い返してしまう。しかし、それが釈迦仏の化身であることを知った彼は、夢告により網を打って弥陀の尊像を得ることになり懺悔深くして悪業を改め菩提心を目覚めさせ弥陀二郎と呼ばれるようになる。


玉琴の怨念によって頭髪蛇となる。

● 第三 鷲尾義治は野分の方に子のないのを愁い、京から祇王や仏にも劣らぬ白拍子を贖って呼び寄せ、腹心の篠村八郎宅にあずけた。琴の名手で玉琴と呼ばれ寵愛されることになる。待女の告げ口で玉琴の懐妊を知るが口さがない待女を表面では叱っても胸の嫉妬の炎は燃え上がっていた野分だった。彼女は家士の兵藤太に命じて玉琴をとらえさせる。痛めつけられ、欄干の上で大男の兵頭太に胸を膝で押し伏せられ咽喉もと深く太刀で抉られ血だらけの玉琴は手足を拡げてのたうった。その刹那、燈火にわかに赤くなると玉琴の黒髪はさやさやと蛇と化して野分に向かって鎌首をもたげたのだった。


野分の方、密計の発覚を恐れて兵藤太を殺す

 待女達には、やれ賢女よ貞婦よと誉めそやされながら、玉琴を殺害した野分は証拠隠滅のために大江山まで背負い行き皮を剥いで谷川の深みに沈めよ、衣服や鎧びつは焼き棄てよと兵藤太に命じた。首尾よくやりおおせた兵藤太に褒美の金を与えて帰らせる刹那、野分は薙刀でかの首を切り落とし賊を成敗したと呼ばわるのだった。


曙草子 巻二 桜姫の誕生と零落の道行


● 第四 仏堂建立の勧進に諸国を旅する弥陀二郎は大江山を越えて谷川に差し掛かると一匹の犬が赤子の首を咥えていまにも食い殺そうとしている。犬を追い払うと近くには衣服なく顔の皮剥がれ、犬に腹食い破ぶれて五臓六腑が乱れ出ている死骸がある。この子の母に違いなかった。その屍から炎々たる心火が飛び出ると二郎の懐に飛び込んで中にいた赤子はたちまち蘇生した。子を思う母の気持ちを考えると、弥陀二郎にはその男の子を育てることが限りない善根になると思えるのだった。

● 第五 鷲尾義治から大事な玉琴を預けられた腹心の篠村八郎は主の命を待たずして切腹し、息子の二郎公光 (きんみつ) は玉琴の探索に出発する。

● 第六 一方、野分はそ知らぬふりで玉琴の失踪と八郎の死を嘆き悲しむ振りをした。やがて野分に待望の女子が生まれ、桜姫と名付けられる。

● 第七 十六歳になった桜姫は秋の蝉の翼に似てあでやかな両鬢、遠山の色の如くゆるく弧を描く美しい眉、秋の夜に山から現れる月の清光、夏の日に水を穿って出ずる紅いの蓮を見るごとくと描かれる。この頃、鷲尾に劣らぬ富家の信田平太夫勝岡 (しだへいだゆう かつおか) なる者が婿にならんと望むも容貌醜悪、性質奸佞 (かんねい/媚びへつらい悪賢い) によって鷲尾家から行いの悪しきを様々に誹謗されて、逆恨みし、桜姫が一旦零落する原因となる。

 桜姫が京見物で清水寺の桜を見に訪れた折り、敬月 (ぎょうげつ) 阿闍梨の徒弟で聡明、勤学、道心堅固で遍く児女の耳に触れた清玄という僧がいた。桜姫の笑みは、一陣の冷風のようにぞっと清玄の皮肉に冷えとおって、茫然とするのみだった。ところが酔いたる風情の武士たちが供の者を打ち倒し、桜姫を捕え、さらって行くのだった。  


田鳥造酒丞義長、清閑寺村にて四士と戦う

 清水の舞台の上からこれを見た桜姫の供侍たる田鳥造酒丞義長 (たとりみきのじょう よしなが) は清閑寺村あたりで彼らに追いつき、四人の武士たちと切り結び追い散らした。それらの武士は信田平太夫の家人たちだったのである。共に姫を追ってきた山吹とその場を逃れた桜姫は宇治川のほとりで倒れ伏した。その折りも折り桜狩りの舟が通りがかり姫を救うことになるのだが、年の頃なら二十歳ばかり烏帽子商人ふうの見るも鮮やかな若者だった。二人は胸ときめかせながら別れるが、その若者は播州の郡士である伴稀雄 (ばんのまれお) の息男、三木之助伴宗雄 (みきのすけ ばんのむねお) であった。


清玄、懺悔して正覚を祈るも不動明王が桜姫の姿に見える

同上 部分

● 第八 桜姫に恋した清玄は愛欲の水に智慧の火をかき消され懊悩の闇に沈んだ。滝に身を清め護摩壇を築いて不動尊に秘密の法を修し、一心不乱に祈ると護摩の煙は一室に溢れ金鐸の音が堂内に響き渡り不動尊の姿がありありと見えたが、なんとそれも姫の姿に成り変った。清玄は荒れに荒れながら落涙し、「奈落に落ちるとも姫ゆえならばいとわじ」と寺を迷い去るのだった。


曙草紙 巻三 降りかかる玉琴の呪い


● 第九 諸国を経めぐっていた弥陀二郎は18年の間、諸国を勧進しながら回国していたが故郷への道すがら旅の僧と出合う。二郎が勧進の理由となった弥陀の霊験を話すと弥陀がなり代わったのが山城の国の専修念仏のこの僧であることが分かり、二人は協力して勧進を行うことを約して別れる。不思議な出会いは続き、二郎は、ある堂で一宿の折り、盗賊の証である尾のある蝦蟇の干物を持つ男と組みあいになり、そのさなか、ともに鷲尾十郎左衛門の郎党であり旧知の二郎公光 (きんみつ) であることが分かる。彼は主の命により玉琴探索の旅に出ていることを語り、互いの再会を約して別れた。

● 第十 伴宗雄 (ばんのむねお) を慕う桜姫は気鬱の病となり保養のために下館に移ったが隣の空き家に妾の讒言に勘当されていた伴宗雄が移り住んでいた。蝶を追った猫の鈴が垣根越しの枝に引っかかっていたのを契機に凧に手紙を託すなどして二人の奇跡の出会いが生じた。

● 第十一 待女の計らいで逢瀬を重ねる二人だったが、宗雄は父からの書状で妾の讒言だと分かり勘当が解けたことを知り、急ぎ故国に帰らねばならないことになる。姫の守り女 (め) であり親の喪が明けた山吹は、ことの次第を問いただし、「何事も命にはかえがたし」と伴宗雄のことを義治・野分夫婦に告げる。宗雄の家柄、器量、人柄は申し分なく婿に迎えようとの話が進むのだった。

 姫を嫁に向かえる話を断られた上に、その行状を誹謗された信田平太夫 (しだへいだゆう) は復讐の機会を虎視眈々と狙っていたが、尾のある蝦蟇の干物を持つ盗賊一味の一人である蝦蟇丸を使って義治の首を打ち、屋敷に火を放させた。この者は鷲尾の曽祖父によって討たれた海賊の末裔で鷲尾に復讐を誓っていたのである。


野分の方、矢傷を負いながら敵中を切り抜け曾我部和五八に伴われて落ち行く

 これに呼応して野武士たちを多く味方に引き込んだ信田平太夫の軍が鷲尾の館に攻め込み、鷲尾の軍も応戦したが、不意打ちに主君を打たれ素肌の戦いでは防ぎきれなかった。姫は山吹や田鳥造酒丞 (たとりみきのじょう) と共に行方も分からず逃げのび、男勝りの野分の方は矢傷を負いながら姫を探すも敵に囲まれ馬も倒されたが、義治の乳母子 (めのとご) の宗我部和五八 (そかべわごはち) に助けられ落ちのびる。

● 第十二 和五八の親戚の家で矢傷癒えた野分の方に信田平太夫の追手も遠からず来る故、都にお連れするという和五八の言葉に二人は旅だったが、亀山越の山路で信田平太夫の手の者に囲まれ、和五八は打たれたが、野分は北嵯峨あたりまで逃げおおせた。喉の渇きをうるおそうと池水に近づくと美しい帯が浮いている。路銀のない野分がそれを取ろうと手を伸ばした刹那、水中よりの熊手によって水底に引き入れられた。旅人の金銀衣服を狙う元海賊の蝦蟇丸 (がままる) の手練だった。


蝦蟇丸、水中に隠れ、行人の財布を盗み、野分の方、水中に引き入れられる。

 水中に引き込んで絞殺せんとしたが野分の美貌に気を転じて水を吐かせて介抱してやった蝦蟇丸は、誤って水に落ちたのを幸い自分が救ったのだと偽って自分の隠れ家に案内するのだったが、気丈夫な野分は心ならずもその言葉に従うのだった。


インテルメッツォ うわなり打ち


 『曙草紙』は鷲尾義治の正妻である野分の方が妾の玉琴に嫉妬して殺害するという「うわなりうち」を端緒とする物語である。こなみ (先妻) が、うわなり (後妻) を打つのであるが、女の合戦と言うべきもので古くは藤原行成の日記に大中臣輔親 (おおなかとみ の すけちか) の先妻が供を引き連れて後妻の家へ侵入狼藉したという記録がある。これは離縁後にあまりに早く再婚した場合の相手の女性に対する意趣返しとも言うべきもので、相手に通告したうえでの殴りこみといったちょっと儀式めいた感がある。亀の前にたいする北条政子など、その後の例も多々あるらしいが京伝の頃には絶えていた風習のようだ。

 しかし、近松の『花山院后諍』や『弘徽殿鵜羽産屋』などを参考にしていると言われる京伝の野分による「うわなりうち」は、凄惨なもので。野分は
自分婦道道徳の鑑と見せかけ、玉琴を非道にも殺害し、凶盗蝦蟇丸の愛人となって、その妻の小萩を死に追いやり、継子である松虫・鈴虫を過酷にさいなんでゆく。悪に歯止めがかからないのだが、同時に玉琴による野分やその娘の桜姫に対する怨念が女の側の視点から対照的に描かれる。高田さんは、この『曙草紙』が女の「悪」とそれに対する女の執念の拮抗・葛藤が因果論の枠組みの中で描かれた作品だと言う。それは女の抜き差しならぬ業であり、相互的に怪物的で、解決不能な関係性を持っていると言うのである。(「怪異の江戸文学」)


 さて、次回Part2では野分と蝦蟇丸との関係が新たな悪事を呼び起こし、玉琴の怨念が桜姫に次々と災いし、弥陀二郎に拾われた遺児の意外な登場、伴宗雄と桜姫の再会はあるのか、いよいよ大団円を迎える曙草紙をお楽しみに。




夜稿百話


山東京伝 著作 一部

『山東京伝全集 第十六巻 読本二』
ペリンカ社 この全集は京伝作品を網羅するもので挿絵も極めて充実している。

●『桜姫 全伝曙草紙』歌川豊国 画
巻一~巻五

●『善知安方忠義伝 (うとうやすかたちゅうぎでん) 』歌川豊国 画 巻一~巻五

『前太平記』の天慶の乱を基にその後日譚として平将門の遺児である如蔵尼 と平良門を描いている。将門の反逆を諫めて自害した六郎公連の息子・次郎安方は、奥州外ヶ浜に逃れ漁や狩りをして生計を立て善知安方 (うとうやすかた) という仮の名を名乗った。朋友の武蔵五郎の討ち死の際の遺言で将門の遺児を後見することを頼まれる。妖術によって悪意に転じる将門の娘・如蔵尼を善知安方 (うとうやすかた) は諫めるが聞き入れられず、父と同じく自害し、幽霊となった。安方は殺生の報いに化鳥悪獣に責められるが、ここは能の善知鳥 (うとう) が引用されている。妻の錦木もまた幽霊となり共に鳥と化して空に舞う。蝦蟇の霊に自分の出自を聞かされた将門の息子・良門は越中立山に引き籠り野武士浪人を集めて将門の遺志を継ごうとする。未完の作品だが、結局、良門は頼光、頼信父子に誅せらるる結末が考えられていたようだ。

●『昔話稲妻表紙 (むかしがたりいなつまひょうし) 』歌川豊国 画 巻一~巻五

雲州尼子から足利義政のもとに出仕のため上洛した佐々木桂之助、その妻・銀杏の前、その子・月若、不道の執権不破道犬、その子・不破伴左衛門、名古屋山三郎、長谷部雲六、犬神雁八らが登場する。
話しの発端は不破伴左衛門が桂之助の妾・藤波に懸想したため桂之助が名古屋山三 (さんざ) 郎に命じて上草履で伴左衛門の面を打たせたことに始まる。一方、出仕もせず藤波との日夜の酒宴に興じる主・桂之助を忠臣・佐々良三八郎が案じ、その害を断つため藤波を切り殺し、妻・磯菜、息子・栗太郎、娘・楓と共に出奔したが二人の子供に藤波の死霊が憑りつくことになる。軍学に精通した清貧の賢士・梅津嘉門は彗星を見て凶作を予感する。悪心の執権不破道犬と手を結ぶ浜名入道は、嘉門を召し抱えようと使者を送るも、かの者の行状良からずと断る。逆恨みによって、その家臣岩坂猪之八に命じて嘉門を襲撃させるも千金弩、鉄砲、落とし穴によって皆殺しにされる。佐々良三八郎は藤波の冥福を祈り念仏を唱えたによって名を六字南無右衛門と呼ばれるようになるが、娘の楓の胴には蛇が巻き付き離れず、息子の栗太郎は蛇毒にあたり盲目となる。こうして因果の糸車は回り始めるのである。

●『梅花氷裂 (ばいかひょうれつ) 』
歌川豊国 画 巻一~巻五

粟野十郎左衛門は、禅僧絶海と共に明に渡り帰朝に及んで金魚二匹を持ち帰った。その金魚を唐琴浦右衛門が買い求めて主君に献上し、次第にその数も増えた。その中の何匹かを浦右衛門も拝領する。妻の桟 (かけはし) との仲は良かったが子が無かった。それで、妻に因果を含めて子をなすために妾の藻の花を召し抱えることとなった。しかし、隣に住む旧鳥蓑文太 (ふるとり さぶんだ) は浦右衛門の筆跡を真似て手紙を偽造し、女房の桟をだまして、藻の花が白拍子で鎌倉在勤の折りから深くなれそめ、懐胎したために本宅に呼び寄せられ、いずれは汝を殺害して本妻に据わる気だと言葉巧みに騙すのである。
騙された桟は蓑文太と懇ろになり、藻の花を縛り上げ、二人してお腹の子もろともに殺害した。ここはかなり凄惨な場面だ。藻の花が末期に吐いた血は金魚の水槽に流れ落ち、すべてその姿は血の如く赤い色となり、孕み女のごとき腹となった。二人は家の有り金と家宝の鎬藤四郎 (しのぎとうしろう) の刀を持ち出し姿をくらましたのである。すぐるのち、浦右衛門は蓑文太を追って刃を交えるが帰り打ちとなり、家来の鷺森右衛門も浪人粟野左衛門に切られてしまう。こうして物語は展開されていくのである。



扇屋かなめ・ 傘屋六郎兵衛『米饅頭始』 山東京伝全集 第一巻 ぺりかん社

扇屋かなめ・ 傘屋六郎兵衛『米饅頭始』 山東京伝全集 第一巻 ぺりかん社

この第一巻は大衆文芸誌たる黄表紙に掲載された作品を集めたもの。『将門・秀郷 時代世話二挺鼓』、『小倉山時雨珍説』、『真字手本 義士の筆力』、『八被般若角文字/はちかつき はんにゃのつのもじ』などが収載されている。





関連図書

『曙草紙』は鷲尾義治の正妻である野分の方が妾の玉琴に嫉妬して殺害するという「うわなりうち」を端緒とする物語である。こなみ (先妻) が、うわなり (後妻) を打つ場面は実際には兵藤太の手によるものであるが、その場面を原文でご紹介しておく。「玉琴はくるしい息をつき、『さわいかにいふとも殺し給ふか、殺さばとくとく殺せかし。物の報いはあるものかななきものか。生きかはり死にかはり、六道四生に怨 (あだ) をなし。おもひしらせでおくべきか』とて、声もたゆげにをめきければ、野分の方『あなかしまし、もはや殺せ』と命ずるにぞ、兵藤太ふた々び刀をとりなほして、玉琴の吭 (のどぶえ) にぐさと突きとほしければ、血しほ、さとほとばしり、手足をもがき牙をかむ断末魔のくるしみ、目もあてられぬありさまなり。」

「人はばけもの、世にないものなはなし」という西鶴の言葉 (『西鶴諸国ばなし』) が一つの現実認識となる中、一方で「罪無くして殺さるる者怨霊と成る」という『因果物語』の情念の道理化は近世の二極として併存し、いわば光と影との関係になると高田さんが言う意味がよく分かる場面ではある。




京伝が『曙草紙』を書いた折、大江文坡 (おおえぶんぱ/1725-1790) の法然上人と清玄・桜姫の関係を描いた『勧善桜姫伝』を補綴しただけだと謙遜したようだ。けれど筆者の高田さんは京伝の補綴は、それを大きく超えて極めて独創的なものになっていると言う。いわゆる翻案は読者公任の戯作の方法だった。とりわけ、馬琴と京伝、二人の初期の読み本には相互に影響しあった跡が窺えるらしい。馬琴の出世作『月表奇縁』では妻の唐衣の足元に絡まる縄が蛇と変じて唐衣は失神するが死霊の祟りが蛇に表象されている。それに、二人の主人公熊谷倭文と玉琴のうち、霊狐の計らいで玉琴には分身が生まれ、その一人が木曽でむごたらしく殺される場面がある。蛇と分身は『曙草紙』でも重要な要素である。だが、違いはある。馬琴の玉琴は一方が本体で殺される方は狐による化体であったのに対して京伝の二人桜姫は、いずれが本体かが分からない離魂病によるものと設定している。能で知られる「二人静」の一体二形を採用しているのである。それは野分によって殺害された玉琴の怨念によるものなのであった。その上に京伝は本体の桜姫自体も死霊とするのである。このドンデン返しは鮮やかだった。その因果応報が勧善懲悪の枠の中で展開されるのである。(「戯作者たちの〈女〉と〈蛇〉」)







参考図版

葛飾北斎『笑ひはんにや』百物語より




葛飾北斎『こはだ小平次』百物語より



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