Inspired by the poetry of Suheir Hammad

something fusing into dawn feathers shed eyes/何かが暁に融 (と) けて羽根が目を払い落す
2025 117cm×91cm
SH1
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a casting of lead upon children/熱く鋳られた鉛
2025 117cm×91cm
SH2
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their heads roll off their shoulders into streets/首が独楽のように
2025 117cm×91cm
SH3
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buries sun onto trauma/トラウマの上に太陽を埋める
2025 117cm×91cm
SH-4
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Inspired by the poetry of Mahmoud Darwish

If the stars were but a hand’s breadth above the stones of the well./空の星が井戸の石よりほんのわずか上にあったなら
2025
117cm×91cm
MD1
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From the fences of the feminine within me./わたしに宿る女性なるものの垣根から
2025 117cm×91cm
MD2
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The iron sky erases its memory, and the doves depart./鉄の空がその記憶を消し、鳩が去ってゆく
2025 117cm×91cm
MD3
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There is the black of bitumen… and there, the thinning roses./あそこに瀝青の黒が‥‥あそこに少なくなった薔薇が
2025 91cm×91cm
MD4
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『Poetry of GAZA/ガザの詩(うた)』展
2022年2024年にかけて東京と広島で原爆詩人原民喜とホロコーストの詩人パウル・ツェランの詩にインスパイア―された作品を『ユダヤの傷と燃え落ちる夏の花』展で発表してきました。その頃、ガザの状況は極めて逼迫していましたし、今もなお状況は改善されていません。それ故ガザについての展覧会を開催したいと考えました。この度、ギャラリーGのご協力を得て開催することが出来ました。感謝いたします。
作画にあたってインスパイアーされた詩人たちについて
スヘイル・ハンマード
スヘイル・ハンマードは1973年ヨルダンのパレスチナキャンプに生まれたパレスチナ難民の3世である。多くのパレスチナ人と同様に故郷を追われたディアスポラだった。家族と共にベイルートを経由してニューヨークへ渡った。両親は食料品店を営み、5人兄弟の長女として成長した。ニューヨーク市立ハンター大学に学んでいる。23歳の時、処女詩集『パレスチナに生まれて 黒人に生まれて』が黒人文学をもっぱらとしていた非営利の出版社によって刊行された。さらに1997年から2000年にかけて、現在は廃刊となったヒップホップ雑誌『ストレス』にコラムを執筆したことで、さらなる注目を集めることになった。その夏、ニューヨーク・ヒップホップ・シアター・フェスティバルで『ブラッド・トリニティ』を上演し、劇作家としてもデビューしている。 (ナタリー・ホプキンソン ワシントンポスト 2022/10/13) 。また、詩や朗読の他に、2008年にはカンヌ映画祭でも上演されたアンヌマリー・ジャシル監督のパレスチナ映画『海の塩』で第一次大戦中に奪われた家族のものだった家と金をとりもどそうとするヒロインのソラヤ役を演じるなど多彩な活躍を見せている。
今回、絵画化した彼女の詩は、23歳の処女詩集『パレスチナに生まれて 黒人に生まれて』が再販された際に収載された「ガザ詩篇」からインスパイアされた作品である。
流風一詩 第1話 スヘイル・ハンマード『スカーレットの雨』
マフムード・ダルウィーシュ
フムード・ダルウィーシュは1941年に当時イギリス統治下であったパレスチナ北部アッコの近郊ビルウェに生まれた。7歳の時にイスラエルという国が生まれ、イスラエルの軍事組織が彼の村を襲い占拠した。一家はレバノンに1年ほど逃れたが、戻ってみると、その村は徹底的に破壊され、アラブ系住民は皆無で村の痕跡は跡形もなかった。
イスラエルの小学校の来賓の前で詩を読んだ。こんな詩だった。
「きみは太陽のしたで好きなだけ遊べるし、おもちゃだって持っているのに、ぼくには何もない。君には家があるけど、ぼくにはそれもない。きみにはお祝いがあるけれど、ぼくにはない。何故一緒に遊んじゃいけないのだろう ? 」
イスラエル軍の人間に呼ばれ、そんな詩をつくるとお父さんの仕事は無くなるよと脅かされた。その後の彼は、詩を朗読するたびに投獄されることになる。高校卒業後1960年にハイファで共産党の新聞の編集と翻訳に関わることになる。『オリーブの樹』など三篇の詩集を発表している。投獄や家宅捜査、官憲からの嫌がらせから逃れるためにモスクワに留学、1971年にはカイロに亡命している。1973年にベイルート移り、そこを拠点とした季刊文芸誌『アル・カルメル』を創刊し、詩作は爆発的に進行した。ベイルートは50年代から60年代に大きな発展を遂げ、70年代後半になると西ベイルートはパレスチナ居住区と化していたという。しかし、イスラエル軍によるベイルート空爆によって、さらにパリに亡命することになる。散文の作品『忘却のための記憶』は、その1982年のイスラエル軍のベイルート占領の様子をヒロシマへの想起として8月6日から書き起こした壮大な記録といわれている。ダルウィーシュにとってヒロシマは強い思い入れのあった土地であった。1983年にはレーニン平和賞を受け、PLOの執行委員ともなっていたが1993年のオスロ合意に疑念をいだいた彼はPLOから距離を取るようになった。
1995年にヨルダン川西岸のラマッラーに転居、翌年に長編詩『壁に描く』が刊行される。2004年には、サミエル・アブダラーとホセ・レイネスのドキュメンタリー映画『前衛の作家たち』とゴダールの『われらの音楽/邦題 アワーミュージック』に出演している。2008年8月、心臓疾患とその合併症のために亡くなっている。
ハンマード詩の展示にあたって
ハンマードさんの詩の使用に関しては、翻訳者の佐藤まなさんを通じてハンマードさんご自身の許可を得ました。また、日本語詩の展示については「現代詩手帳」編集部からの許可を佐藤まなさんから併せて許可を得ています。感謝いたします。
『Poetry of GAZA/ガザの詩(うた)』展 ギャラリー・トーク
2026年 4月 ギャラリーG/広島
●4月18日 『スヘイル・ハンマードの詩をめぐって』
出席者
佐藤まな(翻訳者)
田浪亜央江(パレスチナ・中東文化研究)
植田信隆(画家)
●4月19日 『マフムード・ダルウィーシュの詩をめぐって』
出席者
四方田犬彦 (翻訳者)
植田信隆(画家)
Production materials/制作素材
基底材 キャンバスに和紙 アクリル下地
絵具 オリジナル絵具(天然樹脂、油、蜜蝋)油彩、アクリル、テンペラ
Original paint (made from resin, oil and beewax), Oil, Acryl and Tempera
Japanese paper on canvas