第79話 ノーム・チョムスキー『金儲けがすべてでいいのか』新自由主義と国益という妄念


ノーム・チョムスキー
『金儲けがすべてでいいのか』

 アダム・スミスは「国益」なるものが概ね妄念であると考えていた。国家内では利害が鋭く対立し、政策とその影響を考える時、権力が何処にあるのか、どのように行使されるのかを問う必要があるという。彼は、英国における「主たる政策立案者」は「商人と政策立案者であり、他者へ与える影響がどれほど耐えがたいものであっても自分たちの利益になるように国家権力を使い、英国民が被害を被ろうと考慮しないと指摘したと言う。ともあれ、彼の関心事は「諸国の富」であった。

 金融の自由化によって国力を回復しようとする試みはレーガン大統領とサッチャー首相に結びつけられる。1980年前後から経済危機に対して提唱された新自由主義だが、ここではワシントン合意と呼ばれる米国政府を中心としたIFMや世界銀行の取り組みが槍玉に上がっている。それは、米国政府の牛耳る国際的な金融財政機関が設計・実行するための市場を中心とした原理原則である。「新たな帝国主義時代」とか「事実上の世界政府」などと揶揄され、世界経済にグローバルな影響をもたらした。謳い文句は規制緩和、市場原理、小さな政府、民営化だったが、格差社会が世界中に広がっていったのである。


 サッチャー政権は低迷していたイギリス経済を立て直し、かつての大英帝国の姿をオーヴァーラップしようとした。そのために電気、水道、ガス、鉄道などの強力な民営化と規制緩和によって小さな政府を目指す一方で、増税、労働運動の抑制を行ったが、金融自由化による外国資本の流入を招き意に反して国内企業が弱体化して失業率の悪化を招くことになる。鉄の女といわれたサッチャー元首相は今では銅像になっているのだが‥‥。このような金融の自由化と規制緩和の流れに追随する傾向は世界経済に多大な悪影響を与えた。

 かつて米国のある政策立案者はこのように述べたと言う。人権だとか生活水準の向上とかいう曖昧で非現実的な事柄について語るべきではなく、直截な権力概念を用いて対処すべきであると。このような風潮は、極めて富裕な一握りの人間と千社足らずの大企業の利益を代表するものとなり、国内需要を高め民衆に十分な利益をもたらそうとする途上国の政策を妨害し、米国が投資に便利な政治的・経済的風土を維持し、原材料の確保を確実なものにしようとしてきたとチョムスキーの舌鋒は鋭い。新自由主義は、この傾向に拍車をかけたのである。

 今回の夜稿百話は、資本とは一体どのようなものか、米国が何をもたらしたのかをノーム・チョムスキーの『金もうけがすべてでいいのか』を中心にエリック・アリエズとマウリツィオ・ラッツァラートの『戦争と資本』を交えてご紹介する。


ノーム・チョムスキー



ノーム・チョムスキー1928-

 ノーム・チョムスキーは1928年、ペンシルべニア州フィラデルフィアのユダヤ人家庭に生まれている。父親はウクライナ出身で苦学しながら、大学の教授にまでなった人格者として知られる人で、母親はベルラーシ出身でやはり宗教学校で教員を勤めた人だった。1945年にペンシルベニア大学に進学し、哲学と言語学を学んで、言語構造の研究で博士号を取得し、ハーバード大学のフェローを経てマサチューセッツ工科大学に勤める。1961年に教授となっている。労働組合運動を中心としたアナキズム運動であるアナルコ・サンディカリストのルドルフ・ロッカーに傾倒、『動物農場』の著者で民主社会主義者のジョージ・オーウェルにも大きな影響を受けた。1953年には一時イスラエル北部のハゾレアというキブツに滞在したが失望したようだ。この辺りで彼の政治的・社会学的な意識の基盤が形成されていった。

 チョムスキーは現代言語学の父と呼ばれ、言語学の分野で群を抜く学者であると同時にゴットロープ・フレーゲやバートランド・ラッセルらで知られる分析哲学者の一人でもあり、その活躍は言語哲学や認知科学に留まらず人文社会学における巨頭と目され、戦争・政治・マスメディアに関する著作や講演活動を活発に行ってきた。UCLAやコロンビア大学などで客員教授を務め、プリンストン高等研究所やハーバード大学認知学研究センターなどでも活躍している。


世界の資本主義機構の安定という正当化


 チョムスキーは建前上は閲覧できることになっているが、ほとんど知られていない機密文書を引用しながら数々の例を俎上に載せていく。1954年グアテマラで最初の民主的な政府が誕生しようとした時、政府高官は「ホンジュラスとエルサルバドルの安定に脅威である」と警告し、この民主的な政府の転覆を用意する。その農地改革は上流階級と外国の巨大企業に対する挑戦であり、労働者や農民のための社会政策は似た境遇にある中央アメリカ諸国を揺り動かしかねなかった。

 1960年にアイゼンハワー大統領は米国の影響がブラジルに対して自由で民主的な高い生活水準をもたらすとアピールしたが無視され、ケネディ政権は、その軍事的影響力によって、ラテンアメリカの軍隊を対ソ連防衛から自国内の安全保障と治安維持へと方向転換させ、親米派の軍の指導者の判断で自国の政府を転覆させるクーデターを決行できるようにした。これによって外国の私的投資を受け入れる好都合な環境は大きく改善される。

 1970年にニクソン政権によって支持されたロン・ノルによってカンボジアでクーデターが起こると北ベトナムは、中立だったラオスやカンボジア内のいわゆるホーチミンルートを通って南ベトナムに侵攻し始め、これに対してアメリカ軍はカンボジア全域とラオスに爆撃を拡大し何百万の農民が犠牲になった。とりわけカンボジアでは農地の荒廃によって深刻な食糧不足となりポル・ポト派と呼ばれたクメール・ルージュが台頭する要因となる。それは、ラオスとカンボジアがべトナム解放闘争に参加するのを防ぐ目的だった。しかし、べトナムがカンボジアを開放し、ポル・ポト派を追い払った時、米国はポル・ポト派を正当な政府として帰還することを要求している。(『チョムスキーの語る戦争のからくり』)

 東南アジアで過去に起きたことは、ルワンダやウガンダ、コンゴ民主共和国でも起きている。フツ系とツチ系の民族紛争の火種がくすぶるルワンダにウガンダで難民となっていたツチ系の民族勢力が愛国戦線を組織し、ウガンダの支援を受けルワンダに侵攻する。これに対してルワンダのフツ系民族が占める政府と過激派が、ツチ系の人々を中心に虐殺を行い80万から100万の犠牲者を出した。この1994年のルワンダ虐殺後、ツチ系の愛国戦線が新たな政権を打ち立てることになる。この勢力は西側諸国、とりわけ米国の傀儡であったといわれる。

 半導体に必要不可欠なコルタンをはじめとするレアメタルの八割を占める豊かな鉱物資源を持つコンゴに向けてルワンダの軍事勢力による介入が始まり、1996年の第一次コンゴ戦争でコンゴのモブツ独裁政権が崩壊。2年後には第二次コンゴ戦争が勃発し、周辺諸国の介入もあって武力衝突が長年続いた。和平合意後2003年以降も紛争は続いていく。死者数は600万から800万人におよび第二次大戦後最大の死者数を記録した。国内難民だけでも520万人にのぼると言われている。『闇の奥』の闇は一層深くなっている。(『チョムスキーの語る戦争のからくり』) 

 これにハイチやソマリア、イラクを加えられるだろう。「(米国からみた)世界の資本主義機構の繁栄」に対する脅威に対しては「安定」を回復するためならテロや政府転覆は正当化されるのである。CIAの最初の仕事はイタリアの民主主義を破壊するためのプロジェクトに参加することだったという。米国は、150年間にわたる保護主義と暴力によって英国に続き桁外れに富裕となり競争相手を振り払って世界で最も力ある国家となったとチョムスキーは述べる。
1945年では世界の富の50%を占めていたが、日本や中国を中心とする東アジアの台頭と南アメリカでの影響力の衰退によって、その富は25%にまで縮小したと言われる。


戦争と資本



エリック・アリエズ +
 マウリツィオ・ラッツァラート
『戦争と資本』

 「真の戦争機械は金融化である」これを理解できなければ、我々は戦争機械の犠牲になるばかりだろうとエリック・アリエズとマウリツィオ・ラッツァラートは述べる。ここではフランスの思想家たちが経済と戦争との様相がどのように変化したかを述べているのでご紹介したい。

 ミシェル・フーコーは、通貨の所有が権力を生むのではなく、誰かが権力を握ったからこそ通貨は制度化されたというのである。通貨は、その起源が商業であるといった、単純な経済的「資本」ではない。通貨の役割は、社会における富の再分配にあることよりも、権力の座を拡大再生産することにある。通貨こそ、政治以上に、富裕層と貧民との内戦を継続させる要因となる。通貨は万人の在り方を変え、貴族、戦士、職人、賃金労働者といった階級の分断を生みだし、かつ、再生産し、内戦の火種を恒常的に煽るものだと述べるのである。

 植民地主義は、資本主義が生み出したと考えられている。そして、産業革命によって農民が土地から追い出され、賃金で働く労働者が生まれ女性が家庭に縛り付けられた。植民地政策、奴隷貿易、公的債務などでの利益が資本に転化されるようになるが、これが本源的蓄積と呼ばれるものである。賃金労働や植民地主義による破壊は、文明化された貧者たちや、植民地化された国の人々の生活の物質条件のみならず、彼らの宇宙観、神話などの実存的な領域や価値観の世界といった主体的な生活にまで及んだ。それは、国家間の戦争のように敵を「解体する」というより、人々の振舞いや行動の形態を資本の蓄積とその再生産の論理に適応させるという主体性の「転換」となった。

 現代のグローバル化は、「第三世界」からの略奪と同様の形で、暴力、詐欺、弾圧、戦争などの形をとって北の賃金労働者に対しても行使され、資本主義は益々その恩恵に浴すことになる。本源的蓄積は、イギリスの地理学者デヴィッド・ハーヴェイにとって「下層階級に対する暴力」であると同時に、技術革新や組織改革の巨大な潮流へと社会を開く肯定的側面を持っている両刃の剣だった。「資源の所有者」からの剥奪、賃金労働からの搾取、戦争、暴力、略奪と実体経済とが比類のない形で共存しているというわけだ。

 ハンナ・アーレントは、19世紀植民地戦争から20世紀の総力戦までの帝国主義を決算する。1870年あたりから始まる大不況はブルジョアジーに純然たる略奪という原罪を否が応でも意識させた。この原罪こそ本源的蓄積を可能にし、将来の蓄積を誘発するものだった。その突然の死を見たくなければ、この先もそれを繰り返さざるを得ない。それは、本質的に自転車操業だった。誰しも感ずる資本主義への不安はここに根差しているだろう。資本家生産者たちは、彼らの生産システムの形態と法則は「その初めから全地球規模で計算されていた (ローザ・ルクセンブルク) 」ということに気づかされる。

 やがて戦争と生産とは、ない交ぜにされていく。資本は総力戦の第二のマトリックスとなるのだ。この総力戦は戦争のみならず、何よりも諸産業の戦争、労働戦争、科学技術戦争、情報・通信戦争となる。「生産」という視点から見れば、「総力」という語が指示しているのは、資本を再組織化させる戦争経済に社会全体が従属することであるという。敵の打倒という軍事目標は、無制限化し住民とその環境を壊滅させることとなる。総力戦という新たな体制は、ついに「平和を軍事化するよう要求する」ものとなり、ハイブリッド戦争への道を開いた。


同意なき同意


 1995~1998年にOECD (経済協力開発機構) の加盟国で秘密裏に交渉されたMAI (多国間投資協定) は、企業が、投資先の国の法律、つまり環境保護や資源管理、医療や健康に関わる社会政策などのそれに抵触して利益が損なわれた場合に、政府を提訴できる条項が盛り込まれていた。結局、日の目を見なかったが、企業界は圧倒的にMAIを支持していた。しかし、民衆には知らされることのない密室で協議されていたのである。チョムスキーは、MAIがこま切れにされてどこかの場所で芽を出すのではないかと考えている。一方で人権侵害が行われる国では投資に関する規制がない。かつての南アフリカや今日のミャンマーである。権力者には条約や法律は効力を持たない。

 まともな民主主義社会では「統治される者の同意」が大前提であるが、同意する権利はあってもそれ以上の権利はない。人民は観客であっても参加者にはなれないのである。18世紀に英国内の愚民の制御を考えていたフランセス・ハッチエンスは、支配者が例え民衆が拒否する政策を課しても、後になって民衆がそれを心から同意するなら正当化されるとした。一方、フランクリン・ギディングス (1855-1931) は、フィリピンがアメリカによって武力によって征服されても彼らの進歩と自由や幸福といった利益のためだったと理解し認めるなら、権力は被統治者の同意があったと認めうるとして「同意なき同意」という都合のいい原理を持ち出した。どちらにしても愚民は飼い慣らさなければならないという分けである。


ジョン・デューイ (1859-1952)

 1792年に権利章典の父といわれた第4代米国大統領ジェームズ・マディソンは、資本主義国家が公的義務のかわりに私利を求めるようになれば上っ面な多数の自由の足元で少数者による支配が行われるようになると警告した。今日では、その少数者が会社法人の制度の下でより深刻な存在と化している。プラグマティズム哲学者で代表的な民主主義者として知られるジョン・デューイ (1859-1952) は、「企業が『生産、交換、広報、輸送、通信などの手段を支配することによって国民の生活を支配している (しかも大企業は新聞、新聞エージェント、その他の広報宣伝の手段による援軍を持っている) とき』民主主義は、ほとんど無内容であることを強調した (山崎淳 訳)。」

 民主主義的社会において大衆の意見と組織的習癖を理解して賢明なる操作を行って大衆の心を支配しなければならない。そのような流れを呼び込んだのは戦時中の驚異的な成功があったからだ。専制国家や外国の領土内なら力にものを言わせることもできるが、進歩的で自由主義的な社会の下では「同意の製造」という仕掛けを必要とした。巨大な広報産業とはそのために存在する。


グローバル経済への災厄


 第二次大戦後に国際経済システムを設計した人々は貿易の自由は唱えたが、資本は規制している。IFMも設立されたが、金融の自由化は貿易の自由を阻害するという予測があり、結果として民主主義や福祉国家への道を疎外すると考えられていた。資本の規制は政府が通貨と税金の対策を行い、資本の逃亡を恐れず完全雇用と社会政策を維持することを可能にすると指摘されたのである。高度に集中した資本は一般国民に低賃金、低福祉といった社会政策を課すようになる。そこから逸脱すれば資本流出によって政府を罰すると言うわけだ。そのような期待は、新自由主義のワシントン合意に一部盛り込まれたと言う。

 資本経済の奇蹟に対する熱意はグローバル経済の管理者たちの間では醒めつつあると言う。1970年代以降、金融が自由化されて加速度的な災厄が起きている。地球環境の悪化や地域紛争による難民や餓死者の増加、貿易戦争、国際援助活動の縮小、健康・福祉予算や大学・研究機関への援助費の縮減を考えていただければよい。国際決済銀行や世界銀行も反対の方向に動きつつあるとチョムスキーは述べる。重大な弱点が無視できなくなり、繕うことも出来なくなりつつあるというのである。

 19世紀に技術が進めば職人が退化すると述べたフランスの政治思想家アレクシス・トックビルは、すでに社会条件の不平等が恒常化していくことに対して警鐘を鳴らしていて、米国で成長している製造貴族階級、つまり世界に存在する最も冷酷な人種の一つが束縛から逃れれば民主主義の終焉となると述べたという。

 アダム・スミスの古典的自由主義は分業を評価したことで知られるが、働く人間を極力愚かで無知なものに変えようとする副作用をこき下ろしたことはあまり知られていないとチョムスキーは述べる。労働者のための規則は、たとえ、その主人に不利であっても常に正当であり、「見えない手」の破壊力を克服すべき政府の力によって防ぎ、その結果としての社会の平等を求めていたことも知られていないと言うのである。これこそが自由市場論の核心であった。

 本書は2002年に日本で出版されていて原著は1999年となっている。 したがって内容は主に20世紀後半の範囲に収まっていて2020年代の新しい動向に対する記述はない。内容的には、自国の資本獲得への飽くなき欲望が新植民地主義とテロや戦争への道を開いた姿に集中していて、政府を操る少数の資本家や企業へ非難は集中されている。『チョムスキーの語る戦争のからくり』などと共に極めて示唆的なものだが、翻って日本は何をしてきたのかを想像しようとすれば背中に寒いものが走る。






夜稿百話

チョムスキー 著作一部

ノーム・チョムスキー + アンドレ・ヴルチェク『チョムスキーが語る戦争のからくり』

日本では南京虐殺を否定するような著作もあるが、この歴史の隠蔽には米国も一枚嚙んでいると言う。第二次大戦後米国は日本とアジアのほとんどの地域で支配的だった。サンフランシスコ講和条約で日本が問われた戦争犯罪は1941年の日米開戦以降のものだった。それ以前の10年間の出来事は不問だったのである。その結果アジアの独立国のほとんど、インドもインドネシアも講和会議に参加しなかった。米国が影響を受けなかった日本の植民地主義による犯罪は無視されたのである。
これと似たことが、ルワンダでも起こっている。ルワンダ国際刑事裁判所は時間制限付きの犯罪捜査を行っていて、ルワンダ愛国戦線やその指導者であるポール・カガメは捜査から除外されている。イラク侵攻を例に挙げれば、ただの一つも犯罪と見なされていない。米国はどんな追訴も受けないように自分を法的に免除しているらしい。アメリカが国際司法裁判所に加入した時、どんな国際条約によっても裁かれないと言う留保付きで加盟したからだ。ニカラグアが米国のテロ行為を提訴してもほとんどが却下され、ユーゴスラヴィアが空爆したNATOを訴えた時も、追訴対象から米国は除かれている。訴えの中には民族虐殺が含まれていたが、米国がジェノサイド条約に調印した時、米国には適用されないという留保がつけられていた。ローマ条約で国際司法裁判所が創立された時、米国はアメリカ市民がハーグの国際司法裁判所に連行された時には、ハーグを武力で攻めることができるという法律まで制定していたのである。米国の自己免責の法の網の目はアメリカ先住民の出来事や目の前で起こっていることを目に見えないようにしているというのである。

米国とイギリスが何故イランを空爆したのか、答えはサダム・フセインが自国民を毒ガスで殺した悪の権化だから。しかし、イラン・イラク戦争でイランが基本的に降伏し、停戦になった五日後フセインがハラブでクルド人の町を毒ガスで攻撃した時、米国とイギリスは、それを支持し、イラクヘの支援を強めさえした。また、リビアは、1986年に米国によっていくつかの理由をつけられ、新聞には偽の情報が流されて二つの町が爆撃され、カダフィ大佐の幼い娘を含む数十人が殺された。そして、1998年には目標を間違えたと言い訳したが、スーダン最大の薬品工場を爆撃して破壊する。リビアの場合も、スーダンの場合も米国のテロ行為であったが、米国ではテロ対策と考えられているという。

ノーム・チョムスキー『チョムスキー 21世紀の帝国アメリカを語る』

第9章「米国の干渉・介入」で戦争への「合意の捏造」に関してオルタナティブラジオの創設者ディヴィド・バーサミアンとの対話があるのでご紹介しておく。

ニュルンべルグ裁判でヘルマン・ゲーリングは次のように述べたと言う。「民衆は常に指導者の命令に従わせることが可能だ。それは簡単なことだ。やるべきことはただ一つだ。民衆に対しておまえたちは攻撃されるぞと告げることだ。そして、平和主義者には、”愛国心に欠け、国を危険にさらす”と非難するだけでよいのだ。どの国でも全くおなじだ」と(寺島隆吉 訳)。米国でもそのやり方は通用するのかというバーサミアンの問いかけにチョムスキーは確実に通用すると答える。民衆を政府の政策から目をそらさせようとするなら彼らに脅威が近いと恐れさせればよいことになる。そういう例は本文でも紹介したように沢山ある。一方で、9.11以降出版された著作には『テロの時代』が大きくクローズアップされていた。米国は脅威となる地域への攻撃をテロ対策として正当化する。しかし、ボストンから資金をうけていたアイルランドのIRAがロンドンなどでテロを行っていたなら英国はボストンを攻撃しても良いのだろうか。だが、英国はテロには原因があり、それに対処しない限りどこにも到達できないことを悟った。イスラエルの秘密機関のトップは、もし、パレスチナ人のテロに対して戦争するなら永続的に戦争をすることになると述べたと言う。20年前に占領地でのイスラエル軍の残虐行為が行われ始めていた頃、諜報機関の元長官も同じ趣旨のことを述べたと言う。

ノーム・チョムスキー『グローバリズムは世界を破壊する』

マレーシアは景気が良かったが外国人所有の会社が多い。インドネシアはスハルト一族が所有する企業のようなものだが国内に膨大な資源がある。韓国は、米国の強要によって金融市場を開放し、巨額の投機資本が流れ込んで、その後引き上げられ見捨てられた。しかし基礎にはしっかりした経済があって持ちこたえた。日本の経済成長に続いて韓国や台湾の成長も前代未聞だった。厳しい個人主義と起業精神に満ちた資本主義モデルが喧伝されたが、失敗したのは市場であって日本的成長モデルではないとチョムスキーは言う。レーガン政権は自由貿易の端緒を開いたが、一方でアメリカ近代史において最も反市場的政権となり、輸入障壁を二倍にして日本製品の流入を防いだ。この政権はアメリカの産業を保護し、公的資金を先進技術につぎ込んだ。ペンタゴンはマン・テクやコンピューター制御といった未来の工場のための製造技術を開発し、民間産業に引き渡した。これが、厳しい個人主義と起業精神に満ちた資本主義モデルの実態だった。


関連図書

酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』

チョムスキーの主著の一つ『統辞構造論』が解説されているので参考程度にご紹介する。序章では、文そのものを生み出す装置は「生成文法」と呼ばれ、それは脳のことであるとされる。医学的には脳の左側の発語を司るブローカ野を含む下前頭回 (かぜんとうかい) を指していて、そこでの働きは、文の意味とは独立して働く。意味の通らない文であっても文法的に正しい場合があり、学習に依らなくても母語なら文法的に正しいかどうかは子供たちでも判断が出来ることが指摘されている。それは学習によるものではなく脳の機能の一部である。句は文中に現れる一定のまとまりで名詞句や動詞句を含む複数の句がツリー (木) 構造を作る。名詞句や動詞句には、それぞれ中心となる名詞や動詞があって主辞と呼ばれる。「私はリンゴを食べた」は「私は」の名詞句と「リンゴを食べた」の動詞句に別れ、後者は「リンゴを」の名詞句と「食べた」の動詞句にさらに別れる。「私」と「リンゴ」が名詞句の主辞となり、動詞句では「食べた」が主辞となる。自然言語の特徴、つまり普遍文法の特徴として、ツリー構造で枝分かれが生まれる節点では必ず下に主辞がふくまれること、そして分岐は必ず二股であることが挙げられている。ただし、プログラミング言語のような人工言語には二股でないツリー構造もある。

日本語と英語のツリー(木)構造
本書より

興味深いのはカウンター言語と呼ばれるものでaが「チ」でbが「ハ」なら aabb=チチハハとな、aの数とbの数をカウントする必要がある。そして、aabbaaといった連鎖による文は鏡像言語とか回文と呼ばれるものになる。その他「変換生成文法」と変換分析などがあるがこれくらいにしておく。


アダム・スミス『国富論』上中下

上巻11章の結論でスミスはこのように述べている。

雇い主は利益で収入を得る階級だがそのために使われるのは資本であり、それによって有用な労働の大部分が動かされる。使用する資本が多いのは商人と製造業者の雇い主だが、彼らは計画と企画に携わるため農村の大地主に比べて理解力が優れていることが多い。しかし、雇い主の判断は社会全体の利害に関するものより自分の業種のそれに関することの方をはるかに信頼している。雇い主の利害は常に社会全体の利害とは異なり、正反対ですらある。市場の拡大は社会全体にとって有利になる場合が少なくないが競争の制限は常に社会の利益と対立し、雇い主が利益率を高めようとすれば、他の人々に不合理な税を課す結果になる場合がある。雇い主の階級が商業に関する新しい法律や規制を提案した場合は十分注意すべきであり、時間をかけるだけでなく最大限疑い深く検討した後でなければ採用すべきでない。こうした提案は、社会全体とは利害が一致することのない階級から出されたものであり、この階級は一般に、社会全体をあざむき、ときには抑圧することすら関心を持っている。このため、実際に何度も社会全体を欺き、抑圧してきたのだから。

250年前から鳴り響いていた警鐘である。


参考画像

ルドルフ・ロッカー(1873-1958)

ドイツのマインツ出身の社会主義者で1891年からアナキズムの思想に傾斜していく。ロンドンのホワイトチャペルのユダヤ人共同体でのアナキスト運動を主宰したが第一次大戦で敵国人としてオランダに強制送還され、ドイツに帰国。ナチズムに反対するリバタリアン社会主義を指導した。1933年にはドイツを逃れアメリカ合衆国に移住し「ファシズムとコミュニズムという悪しき双子」と戦う著述家、演説家として活躍する。

ジョージ・オーウェル(1903-1950)像

イギリス植民地時代のインドに生まれる。社会主義者時代のスペイン内戦で共和派の義勇兵に加わったが、スターリン指導下の共産党による粛清をうけるところをフランスに逃れた。この経験により反ファシズムはもとより反スターリニズム=反全体主義を標榜する民主社会主義者となっていく。主著『動物農場』は農場主への革命を成し遂げた動物たちの二人の指導者の内の一人に支配されていく様子を描いていて前述の体験が背景にあることが窺える。


■ グアテマラの春(1944-1954)

1922年に22年間の独裁政治が終わるとクーデターがくり返され、軍事政権が誕生するとグアテマラは一層荒廃の度を深めた。革命の後、ハコボ・アルベンス・グスマンが大統領となりグアテマラの春と呼ばれる民主的な時代が到来した。利権を失いそうになった米国は「グアテマラは共産化」しているとしてキャンペーンを張りクーデターを画策して政権を転覆させ、親米独裁政権が誕生した。

ハコボ・アルベンス・グスマン(1913-1971)


■コンゴ民主共和国における活動の一端

MONUSCO (国連コンゴ民主共和国安定化ミッション) のネパール平和維持部隊の女性エンゲージメントチームとジーナでの女性たちとの会合。2022/6/29

デニ・ムクウェゲ (1955-)

コンゴ民主共和国の産婦人科医、社会活動家。コンゴ戦争における膨大なレイプ被害地とレアメタルの産地が一致することから世界に対してコンゴの現状を訴え続け、2018年にノーベル平和賞を受賞している。生後18か月の赤ん坊をはじめとする3万人のレイプ被害者の治療と精神的ケアにあたっている。

デヴィッド・ハーヴェイ(1935-)

イギリスの地理学者。マルクスの『資本論』を中心とした思想を地理学に応用して批判地理学の第一人者となった。邦訳には『空間編成の経済理論』があり、資本主義の危機が空間的にどのように形成されるかを論じている。


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