‥‥それは数知れぬ苦しみをアカイア人にもたらし、
英雄たちの幾多の猛き魂を冥府に投じ、
その屍をあらゆる野犬や野鳥の餌食となした。
かくしてゼウスの意思は成し遂げられていった、‥‥
(『イリアス』第一歌 一 小川正廣 訳)
トロイア戦争は人間の大量虐殺を意図した神々の計り事であった。それは、ゼウスの企て、アキレウスの誉を高め、大地ガイヤの重荷を降ろすためである。それに嘲笑と諷刺の神モモスはヘレネという美しい娘を利用するように提言した。
神々はヘレネを美の道具にして、
ギリシア人とプリュギア人を相戦わせ、
とめどなく満ち溢れる人類の暴虐を
大地から取り除くべく、屍の山を築いただけなのだから。
(エウリピデス『オレステス』 小川正廣 訳)
親友パトロクロスの死を以ってアキレウスは、自分の命の代償として〈不滅の誉〉という虚構の価値を得ることに自分を賭ける。それは神の予言にもとづいていた。彼の友軍への離反はギリシア社会の根本的な問題を反映していたが、そこにあるのは現実社会の最高指揮官さえ気づかない枠組みを認識し、それを超えようとするアキレウスの〈自覚〉だった。その根本問題とは何か。そもそも『イリアス』における大量殺戮の神の意思とは何処から来たのか。
今回の夜稿百話はホメロスやウェルギリウス研究の泰斗である小川正廣さんの著作を二回にわたってご紹介する。今回の著作『ホメロスの逆襲』というタイトルは、ちょっとチープな感はあるけれど内容そのものは広範で深い。その一部をプロットしたい。
著者紹介
著者の小川正廣(おがわ まさひろ)さんは、1951年に京都で生まれている。京都大学文学部を卒業後、同大学の博士過程を中退。その西洋古典研究室の松平千秋、岡道男教授との出会いが大きかった。また、オクスフォード大学でギリシア・ラテン文学研究のジャスパー・グリフィン教授、ギリシア古文書学とパピルス学の研究者ピーター・パーソンズ両教授に学問的示唆と知的刺激を受けられたようだ。京都大学文学部助手、京都産業大学や名古屋大学文学部などで教鞭を執られ、名古屋大学名誉教授となられた。ウェルギリウスとの出会いは、学生時代、T.S.エリオットの「文明」「キリスト教世界」「成熟」などが散見される評論集の中にその名を発見したことからだという。ホメロスの研究は、ウェルギリウス研究と両方あいまって進められたようである。
暗礁に乗り上げた歴史の証言
ヨーロッパ文学の創始者としてのホメロスの地位は揺るがないもののローマ叙事詩の『アエネイス』やシェークスピアの近代演劇に比べれば、その影響力は希薄であったと言われる。古代ギリシア以降、彼は奥津城の中に鎮座する存在になっていた。しかし、19世紀になると、ホメロスに対する学術的な関心は異様に高まっていく。1873年にシュリーマンによるトルコのヒッサリアの丘でトロイアの遺跡が発見されたからである。おまけに1876年にはミュケナイの遺跡で〈アガメムノンのマスク〉を発見したとして『イリアス』に登場する王たちの存在を確信させることとなる。だが、そのマスクはアガメムノンの時代よりも200年も前のものだった。
考古学者たちはトロイア戦争の時期を前13世紀中ごろと考えているが、ホメロスが生きた時代は500年後の前8世紀ということになっている。様々な理由からホメロスの詩と史実との関係を疑う向きもある。その文学体験は歴史的価値とも無関係ではないけれど、ホメロスが伝えようとした真の〈歴史的価値〉とは、その中で生きることの価値、その中で生きるための価値のことではないかと小川さんは言う。
トロイアの敵方であるアカイアのミュケナイ文明がドーリア人という北方の民の南下や海の民の侵入によって急速に崩壊したのは前1200年頃のことである。その後、旧文明のギリシア人たちは小アジアの海岸や周辺の島々に散り、ギリシア全体が混乱と低迷に見舞われた。この400年以上にわたる暗黒時代が終わろうとしていた時期がホメロスの生きた時代だった。文字使用は絶え、新しい幾何学文様の土器と青銅にかわる鉄器の時代となり、中央集権的な王政社会からポリスが乱立しようとする。青銅の英雄の時代は終わりを告げようとしていた。
失われた民族意識を取り戻すための努力がなされるようになる。そのティピカルな行事が前776年に始まるオリュンピア競技だと言われる。本土のポリスと地中海に分散した諸植民都市を含めた汎ギリシア的な祭典だった。これにゼウスを中心とする宗教体系の復興とデルポイのアポロン神託の創設と権威付けが行われたが、もう一つの機運が英雄崇拝の復権である。絶好のタイミングでギリシア文字が発明・普及されホメロスの詩は記録される。それは口誦文化を取り入れるのに好都合な表音文字だった。トロイア戦争の伝承はミュケナイ時代の末期か、その後の古い口誦詩をホメロスが再構築して『イリアス』や『オデュッセイア』にまとめ上げたと言われるが、単なる英雄伝説ではないことは後に述べる。
神々の調停と勇者たちの破局
『イリアス』におけるアカイア(ギリシア)軍とトロイア軍の血で血を洗う戦いは、争いの女神エリスの発案によってユーノ、アテネ、アフロディーテら女神たちの埒もない美貌争いから端を発した。まるで家族内の嫉妬や諍いを思わせる神々の軽薄な行いは、下界の人間たちに過酷な「運命」として重くのしかかる。しかし、神界にあって神々の調停は、その諍いを収束させる機能を持っていた。トロイアの戦場から帰国の途上、オデュッセウスの放浪の旅は十年目に達していた。スケリアの国で彼は国王アルキノオスの宮殿に招待され、口誦詩人デモドコスの三つの歌を聞いた。第一の歌はオデュッセウスとアキレウスとの激しい言い争いの歌、二つ目がアレスとアフロディーテとの不倫問題である。
彼らの密会は夫のヘパイストスの知る所となり鍛冶の神である彼は目に見えないほどの鎖の網を制作し罠を仕掛けた、その交わりの最中網をかけられたアレスとアフロディーテは現場を押さえられる。こうして不倫は神々の知る所となりヘパイストスは妻のフロディーテを非難し結納品の返還を迫った。男神たちは野卑な笑いを浮かべ、ヘパイストスの機知を称賛する。ここでポセイドンはアレス釈放のための賠償金を約束させるが、ヘパイストスは釈放を拒否した。さらにポセイドンはアレスが賠償金を払わず逃走した場合の賠償金を保証してやり、和解が成立し二柱は釈放される。
(デモドコスの第二の歌)
これに対してデモドコスの第三の歌はトロイアの木馬がテーマになっていて先ほどの第二歌はこの第三歌のパロディーになっていると小川さんは指摘している。トロイアの陥落と人間の罠の物語は神々の諍いとその和解とは大きく隔たっていた。
アカイア (ギリシア) 軍は罠の木馬を残して偽装撤退する。木馬といういわば、結納品の処置についてトロイア側の意見は、胴を切り裂く、断崖から突き落とす、神へ奉納するという三つに分かれる。埒のあかぬ長々とした論議の末、神への奉納という誤った案が採用されトロイアは滅亡の道を進んだ。人間の調停は機能しなかった。アカイア軍は木馬から出撃しトロイアは破壊される。そしてオデュッセウスとメネラオスはヘレネの夫デイポボスの屋敷へ襲撃をかけ女神アテナに助けられて勝利する。これが第三歌の内容である。
アレスとアフロディーテとの不倫と同じようにトロイア戦争も男女の恋愛とパリスによるヘレネの誘拐という事件を契機としていた。しかし、天界の鷹揚な態度とは裏腹に人間界では凄惨な戦いとなっていった。口誦詩人デモドコスの三つの歌を聞いたオデュッセウスは涙を流す。『イリアス』で描かれた戦場の光景は悲涙と悲嘆をもたらすものでしかなかった。そこでの試練と苦難が追体験されたのである。
‥‥このように名高い詩人は詠ったが、
オデュッセウスはうちひしがれて、涙は瞼から溢れて頬を濡らした。
その姿はまるで、街と子供たちに無慈悲な敗戦の日を味あわせまいと
都市と同胞の前で討ち死にした愛しい夫に、
すがって泣き伏す女のようであった。
女は喘ぎながら死んでいく夫を見ると、
そのそばに崩れ落ちて激しく泣き叫ぶ。すると背後から、
敵兵たちが彼女の背と肩をやりで小突きながら、
苦役と悲嘆に耐える隷従の生活へと引きずっていく。
女の頬は、世にも哀れな悲しみにやつれ果てる。
そのようにオデュッセウスは、憐みの涙を眉の下から流した。
(『オデュッセイア』第八歌 小川正廣 訳)
ここにホメロスは英雄の時代の仲裁と調停のシステムの決定的な欠如を詠っていて、そのためにひたすら戦場に駆り立てられていくしかない勇者たちの悲嘆を描いているのである。
ポリス社会の戦争と平和
『オデュッセイア』においても、人間社会における「神々の社会での調停力」の欠如は明確に描かれている。オデュッセウスの妻、ペネロペイアに結婚を迫っては屋敷に居座り、息子のテレマコスの暗殺を企てたが未遂に終わった求婚者たちに危機を感じた彼女は息子が成人すると弓競技の勝者と結婚すると宣言するのである。ここで卓抜した美貌、貞節、思慮深さ、巧緻な織物の技を持つペネロペイアという報酬は男の名誉をかけた争いへと変貌してしまう。その競技に乞食の姿で優勝したオデュッセウスはたちまち英雄としての生か死のゼロサムゲームの主人公となり求婚者たちを皆殺しにし、百人を超える彼らの手勢を息子と二人の忠実な奴隷によって打倒した。こうしてオデュッセウスはオイコス (家) を再建し卓抜した有力者 (バシレウス) としての地位を保って物語は終わる。しかし、そこにあったホメロスの思いは何であったのかが問われる。
研究者のJ.P.グールドが指摘しているように、ホメロスによって描写される社会は、それぞれギリシア軍、トロイア軍、神々の社会、そしてアキレウスの盾に描かれる社会に分れる。ギリシア軍のそれは、人間関係や身分の序列・階層が明確ではなく、社会的役割や義務によるよりも同一集団内の人々の結び付きによって成立する社会であり、アキレウスにとって重要なのは「英雄の誉」でしかないのは象徴的だった。一方、トロイア社会はプリアモス王を家父長とする「家/オイコス」、つまり結束した大家族集団を形成していて、その相互関係は緊密で破綻しにくく外部に対して円のようだったと言われる 。それはギリシア社会を補完するものとして構想されたが、その中での卓抜なオピニオンリーダーの不在が明らかとなる。神々の社会はその中間であって、ゼウスを家父長とする家社会であり、種々のトラブルは人間との関係によって生じ、それらは結局ゼウスの裁定によって解消された。
アキレウスの盾とは親友パトロクロスの死を知ったアキレウスが自らの死と引き換えに戦士の誉を得ようと再出陣を決意した時、母神テティスから贈られた盾である。上左図の同心円にあるBには二つのポリスの情景が描かれている。ひとつは婚礼、祝宴、集会所の様子が描かれる平和なポリス、もう一方には都市の城壁を包囲する攻略軍とそれを迎え撃つ籠城軍の姿がある。財宝との見返りで和議をするか攻めるかで対立するギリシア軍を彷彿とさせる攻略軍、そして敵との徹底抗戦に準備する兵士と城壁の上で妻子や老人がそれを見守るトロイア軍のような籠城軍である。その盾には、まだ比較的小規模だったポリスの勃興の様子と同時に都市国家同士の戦闘の様子が繰り広げられている。アキレウスの盾の世界はホメロスの生きた時代のリアルな描写であった。上図左の C D は変わらぬ自然の中の牧畜や農耕の姿であり、自然が春から冬へと循環するように人間社会もまた勃興と滅亡を繰り返す。
ヘクトルの遺体を引き回すアキレウス アルフレッド・チャーチ画 1895
多くの友軍の犠牲者を出しながらも戦闘に参加しないアキレウスの行動は自分の愛妾を大将のアガカメムノンによって奪われことによる。それは自分の〈値打ち = 名誉〉への評価にたいする不満によるものであったが、その社会から完全に離れてしまうことは出来なかった。一方のヘクトルは、トロイア人の緊密な社会関係の中で死が約束されていてもポリスの秩序と倫理に忠実たろとした。二人とも敵への恐怖という人間的な弱さに捕らえられることはあっても英雄としての真の誉のために自らの命を引き換えにするのである。そこには自己の共同体からの永世の名誉を得るための死という矛盾する要請に向かって突き進まざるを得ない戦士の姿があった。
ホメロスは、自らの社会の存続と秩序のために社会から離脱して戦場で死なねばならぬ戦士とは、その〈犠牲者〉であることを示唆する。ポリスが成長すればするほど、それだけいっそう多くの「死ぬために生きる」男を生み育てなければならなかった。戦地から帰郷したオデュッセウスが〈有力者〉として秩序のために戦わねばならなかった事情とて同じだったのである。ホメロスのフィクションが示す英雄の倫理は、この現然たる歴史的事実に立脚し、真実性と普遍性を帯びていると小川さんは強調する。勝利か死かという二者択一には調停と和解の余地はなかったのである。彼らはそれを〈自覚〉して死地に向かった。
英雄の時代の終焉 ゼウスの意思とオリエントの神話
ゼウスの意思
そのとき天轟かすゼウスは、驚嘆すべきわざを巡らし、
広大な大地に大混乱を引き起こそうとした。
神は人間どもの種族をことごとく
滅ぼさんと意気はやり、半神の勇士らの
魂を死滅させ、神々の子供らが、我が眼で
[死運を]確かめつつ、以前と同じく[将来も]、
人間と離れて住んで暮らすようにと宣言した。
(伝ヘシオドス『名婦列伝』 小川正廣 訳)
ゼウスの意図は成就され、半神の勇士たちは滅ぼされ、英雄の時代は終わりを告げようとした。その英雄の時代とは神々が人間と結婚し、親しく共同生活を営んでいた時代であった。「トロイア戦争は、人類を滅ぼす大災害であるとともに、神と人間の幸福な関係の時代に終止符を打つためにゼウスが企てた事件であった。(小川正廣)」神々との黄金の時代の終わりを告げ知らせたのである。ヘシオドスはそう伝えた。
ある者はカドモスの国、七つの門のテーバイの下で
オイディプスの家畜のために戦って斃れ、
ある者は、髪美しいヘレネのために、
大海を船で渡って、トロイアで滅びた。
こうしてある者はその地で討たれ、死の果てに消えた。
だが、クロノスの子、父なるゼウスから、人の世を離れて大地の果てに、
命の糧と住まいを授かり、住まわせられた者もあった。
これらの者は、心に何の憂いもなく、
渦深いオケアノスのほとり、至福者の島に住んでいる。
幸せな英雄たちだ、彼らのために身の理豊かで肥沃な耕地が、
年に三度も、蜜のように甘い果実をみのらせるから。
(ヘシオドス『仕事と日』 小川正廣 訳)
このヘシオドスの田園や農耕に関わる黄金時代のノスタルジアとも言うべき詩は、やがてローマ時代にウェルギリウスに引き継がれてゆく。
左 ヘシオドス (前700年頃) 右 ウェルギリウス (前70-前19)
洪水伝説の意味
ギルガメッシュ叙事詩においても洪水は戦いのように表現され、神が人間を滅ぼさんとした。まず、典型的なオリエントの洪水伝説とその変容をご紹介する。メソポタミアの洪水伝説には三種類のヴァリエーションがある。いずれも楔型文字が刻印された粘土板によるもので、シュメール語による『洪水』、アッカド語による『ギルガメッシュ叙事詩』、やはりアッカド語による『アトラ・ハシス』の断片の三つだ。メソポタミアの神話体系における洪水伝説の枠組みはおよそ、こうなっている。1.人類創造 2.王権天降と都市建設 3.大洪水 4.人類再生
シュメール語による『洪水』では、主人公ジウスドラが神々から神の如き生 (永遠の生命) を与えられ、海の彼方にある東の国ディムルンに住まうことになる。
『アトラ・ハシス』では特に主人公アトラ・ハシスが死を免れると言う記述がない。
アトラ・ハシス神話のイピク・アヤ写本断片
紀元前1635年 モーガン図書館&博物館
左 エンリル神 前1800-前1600 イラン、ニップ―ル
右 エア神 (シュメールのエンキ神) 前2004-前1595
イラク
一方、アッカド語による『ギルガメッシュ叙事詩』ではこのような筋になっている。
1. シュルッパクの町に神々と人間が住んでいたが、大いなる神は人間を滅ぼすことに決める。
2. 知恵と創造の神エアがウトナピシュテムに箱舟を作るように命じる。
3. 一日の間台風が吹きつのり 速さを増し戦いのようだった。
4. 6日7夜暴風雨は軍隊の打ち合いのようだったが7日めに止み、人類は全て粘土に帰した。
5. ウトナピシュテムの供物に神々は集まったがエンリルは人間が生きていることに腹立てる。
6. エア神は秘密を洩らしたのではなく〈賢きもの/アトラ・ハシス〉に夢をみさせたら、その秘密を聞き分けたのだと釈明する。
7. しかし、ここでエンリルはウトナピシュテムと妻を再び上船させ神の如くにさせ、遥かな河口の地に住まわせる。
ギルガメッシュ像と有翼人頭牡牛像 ルーブル美術館
ここで、著者の小川さんが指摘するのは、人類の復活をたくらむエア神の裏をかくべくエンリル神がウトナピシュテムとその妻を神のようにしてしまうことだと言う。人類の再生に関する記述は、ここでは途絶えている。ウトナピシュテムは神々の秘密を察知するシャーマン型の英雄であり、生命の救済者ではなく黄金時代の最後の生き残りとなる。これに対してギルガメッシュが6日7夜の間、眠らない試練に耐えられず神々の秘密を授かることが出来なかったのと対照化されるのである。そのギルガメッシュの出自は不明だが三分の二が神、三分の一が人間であり、次の時代を代表する者として登場する。それゆえ永遠の生命を乞い求めねばならなかった。
ギリシアにおける洪水伝説
やがて、メソポタミアの洪水神話はギリシアに引き継がれる。ピンダロスの『オリュンピア』では大水の結果、青銅の盾の一族が生まれる。アポロドロスの『ビブリオテケ』ではゼウスが青銅の種族をほろぼすために洪水を起すが、デウカリオンが箱舟を作り、難を逃れ、水が引くとゼウスに供犠をおこなう。その褒美を問われると再び人間が生まれることを望んだ。石を拾い頭越しに投げると男になり、妻のピュラが同じく投げると女になったという。
左 ピンダロス(前522頃-前442頃) 右 オウィディウス(前43-後18頃)
オウィディウスの『変身物語』では人間に扮したユッピテルをアルカディアの王リュカイオンが、神であるかどうか試す話になっている。眠るユッピテルを襲おうとしたり殺した人間の肉を食べさせようとしたために怒りを買い狼に姿を変えられてしまう。こういった人間に怒りを覚えた神は洪水を起して滅ぼしたが、敬虔なデウカリオンとその妻だけは小舟にのって難を逃れた。テミス神に再び人間が作り出されることを願い、やはり頭越しに石を投げることになる。このように、メソポタミアの洪水伝承における人類の滅亡と再生の二つの要素がギリシアにも受け継がれている。それは、自然の循環と永遠回帰というオリエント的主題に繋がるものだった。『イリアス』ではゼウスの意思による戦争による人類の破壊へのモチーフへと変容していくことになるのである。
力への懲罰と文明の勃興と消滅
ホメロス像 大英博物館
‥‥それは数知れぬ苦しみをアカイア人にもたらし、
英雄たちの幾多の猛き魂を冥府に投じ、
その屍をあらゆる野犬や野鳥の餌食となした。
かくしてゼウスの意思は成し遂げられていった、
‥‥
(『イリアス』第一歌 一)
昔地上をさまよう無数の人間の群が、
胸深き大地のおもてに[重くのしかかった]。
ゼウスはそれを見て憐み、叡慮を働かせて
全てを養う大地から人の重みを減らそうと決めた。
神はイリオンの戦争の大きな諍いを引き起こし、
死によって重圧を軽くしようとした。かくしてトロイアで
英雄たちは死んでいった。ゼウスの意思は成し遂げられた。
(『イリアス』第一歌 五への古注)
上の古注はスタシノス作の『キュプリア』の一節と同じだという。『キュプリア』とはトロイア戦をテーマとした叙事詩環の中の一つで『イリアス』より後の作ではないかと言われている。プリキュアと一緒にしないでほしい。また、別の古注ではアレキサンドリアの図書館長であったアリストパネスとアリスタルコスの見解が示されていて、それによればアキレウスがアガメムノンとの争いの後、アキレウスの母神テティスがゼウスに息子の仕返しを頼んで、成立した企てとしていて、現在ではこちらが支持されていると言う。ともあれ、小川さんはメソポタミアの洪水伝承における人類の滅亡と再生というモチーフがホメロスの『イリアス』に取り込まれ、やがてウェルギリウスの『アエネイス』においても変容しながら、取り込まれていくと考えている。ウェルギリウスについては次回ご紹介する。
このように見てくるとホメロスが描いた叙事詩のテーマには調停と和解という術 (すべ) を持つことなく、名誉か死かというゼロサムゲームに向かって本来的な自己を時に自覚しながらも死に向かって突入していくしかない戦士たちの運命、ガイア (地球) への負担の軽減、神々による人間との断絶、人間の高慢な振る舞いへの報い、そして青銅の時代から鉄の時代へアイオーン (時代) の変化が展開されていることが分かるのである。ここには明らかにメソポタミア神話を中心としたオリエント神話の影響が見受けられる。自然と同じように文明は勃興と消滅を繰り返す永遠回帰のオリエント的モチーフが根底にあった。
シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)
これに加えて小川さんが注目しているのはニーチェからシモーヌ・ヴェイユにいたる〈力〉の問題だった。ニーチェは、ギリシア精神が闘争への激しい衝動を「自然」に属する「正統なもの」として承認することから出発したという。それを踏まえてシモーヌ・ヴェイユは、こう述べる。「『イリアス』の真の英雄、その真の主題であり、核心をなすのは力である。それは人間たちに操られる力であり、人間たちを従属させる力であり、その前では人間たちの肉体が委縮する、そうした力である。(『イリアス』あるいは力の詩篇)小川正廣 訳」と述べた。この主張が1939年から1940年の時期に書かれたのは意味深長であった。彼女は人間の文明に内在する闘争と暴力の力学を『イリアス』の中に見、〈ギリシア叙事詩の魂〉を構成するものは「ネメシス、すなわち勝者の力の乱用を必然的に罰する幾何学的厳密さに則った懲罰(小川正廣 訳)」であるとした。この「限度と節度と均衡の観念」はギリシア古典期以来、西洋では失われて久しいと述べているのである。諸行無常と因果応報はホメロスの叙事詩にもあった。
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