玉梓が怨霊~~‥‥おおっ~‥‥と『新八犬伝』に痺れていたのは何時の頃だったろうか。辻村寿三郎さんの縮緬 (ちりめん) ぽい肌合いの人形はとても新鮮だった。この人、かなり伝説的な予知能力があるらしかった。それは、ともあれ、筆者の馬琴自身が、本作は、婦幼が一日の芝居見物の代わりにこの書を楽しんで、春日秋夜の長さを忘れるのだと書いているくらいの自信作だったし、超人気だったのである。その作品を高田 衛 (たかだ まもる) さんが文外の隠微を尋ね、唱道の深意を探るまたとない本を書いてくださっている。それに作家並みの文章の上手さだ。
『南総里見八犬伝』は、文化11年 (1814) から28年の歳月をかけて書かれた全98巻、上下巻を含めて106冊に及ぶ超大作である。今回の夜稿百話は、馬琴の語りの見事さ、数学的とも言えるプロット、場面設定の妙、時代考証の卓抜、その学識と見識の深遠、これらに高田さんが推理小説のような切り口で迫ることになるのだけれど、八犬伝への導入としても虎の巻としてもお勧めできる見事な著作が、この『完本 八犬伝の世界』なのである。
この謎解きにとって『南総里見八犬伝』(以下『八犬伝』) の口絵は、極めて重要なものらしい。画工は葛飾北斎の弟子で、その長女お美祢の婿であった柳川重信がつとめ、後には二代目が引き継いでいる。そういう分けで作風は北斎のテイストを彷彿とさせて秀抜だ。本書は下に掲載した初輯 (しょしゅう) の口絵の謎解きから始まる。題して「八犬子髷歳白地蔵之図/はっけんし あげまきのとき かくれあそびのず」。関八州の各地に隠れ住む幼い八犬士たちがカクレボ遊びをする図で、はるか後に登場する配役の顔見世である。左は後々八犬士を助け出し、宿縁を諭して彼らの結集を主導援助する「ゝ大 (ちゅうだい) 和尚/犬の字を分解」という設定になっている。
読本 (稗史/よみほん) や草双子といった江戸の小説は挿絵の仕組み、口絵、表紙、見返しなどの造本デザインは全て作者の指揮下にあったと言う。だから作者は普通、原稿と共に挿絵の下絵を描いて絵師に渡すらしい。物書きも絵師顔負けの腕を持つ人もいて馬琴の先輩である山東京伝なども絵師としてもなかなかのものだった。意外に文章で表現していない意図が挿絵などに示唆されている場合があるのである。これは面白い。かつては文人画だけでなく絵画と大衆文学との蜜月があった。
著者 高田 衛
高田 衛 (たかだ まもる) さんは富山県砺波 (となみ) 市のお生まれ。生家は老舗の旅館だった。早稲田大学文学部、同大学院をご卒業後、東京都立大学で博士号を取得されている。日本近世文学の研究者で、滝沢馬琴をはじめ上田秋成、怪談などの江戸の幻想文学の研究で知られる人だ。文教大学女子短期大学、東京都立大学、近畿大学で教鞭を執られ、東京都立大学の名誉博士であられる。著書に『女と蛇』、『新編 江戸幻想文学誌』、『新編 江戸の悪魔祓い誌』、『滝沢馬琴―百年以後の知音を俟つ』、『秋成小説史の研究』などがある。
八犬伝について、明治大学教授だった徳田武氏との論争は有名らしく、高田さんが「八字文殊曼荼羅」をこの作品の原基イメージと考えるのに対して徳田氏は当時の政治状況に関わる「隠蔽」との主張であったという (大高洋司『書評 高田衛著「江戸文の虚構と形象」』) 。この「隠蔽」というのは「江戸幕府滅亡の予言」というものであったらしいが、どうも嚙み合わない論争だったようだ。
伏姫という名の聖女縁起
房総の安房にある竜田城主である里見義美 (よしざね) には三伏 (夏の酷暑の頃) に生まれたので伏姫と名付けた娘があった。三歳になっても物言わず、笑みもせず、うち泣くのみだった。蛭子のように奇異な子であり、素戔嗚のように泣き止まなかったのである。女房にかしずかれて伏姫は須崎明神の役行者の石窟に七日の祈願に訪れる。その帰り、役の行者が八十余りの翁として現れ、悪霊の祟りであることを見抜き、娘の禍福について予言すると夜泣き封じに水晶の数珠を与えたが、この数珠には八個の大玉に仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字が刻まれていたのは周知のことと思う。
この頃、竜田城に近い犬懸 (いぬかけ) の里で、母犬が狼に殺されて残された雄の子犬が夜な夜な鬼火か人魂に伴われて訪れる狸に育てられていた。白い毛の八ヶ所に斑毛 (ぶち) があり八房 (やつふさ) と名付けられ竜田の城に飼われて姫の遊び相手となる。やがて逞しい猛犬に成長した。姫が17歳の年、里見領は深刻な飢饉に見舞われ、かつて飢饉の援助をした館山城主である安西景連 (かげつら) に援助を乞うも逆に里見の城を包囲される。下剋上の世であった。
ここから『後漢書』などにあるの「槃瓠 (ばんこ) 伝説」やその翻案である太平記の卷二十二「畑六郎佐衛ガ事」に見られる話しと軌を一にするストーリーになってくる。特筆すべきはこの太平記では「犬獅子」と記されていることだった。進退窮まった里見義実は痩せさらばえた八房に向かって敵の大将の首を取って来るなら恩賞は思いのままだと戯れに語ってしまう。官職、領地にも興味を示さなかった八房だが女婿にと言えば尾を振りながら、それが望みだと吼えるのだった。その夜、八房は敵陣深く忍び入り、敵将安西景連 (かげつら) の首を咥えて戻ってくる。
しかし、犬に娘を嫁がせることはできない。最高と思える待遇を与えたが狂暴になるばかりで、姫の居室に押し入ってその袂を押さえて離さないまでになる。義実は長槍で八房を殺そうとするが、伏姫は「綸言 (りんげん) 汗の如し」、つまり天子の発した言葉は汗と同じく元には戻すことはできず、それを破れば「言の咎」となると父を説得し自分は畜生道へ伴われるも前世の因縁と覚悟を決めるのである。玉梓の「児孫まで、畜生道に導きて、この世からなる煩悩の、犬となさん」という呪詛が不気味に木霊してくる。
玉梓、悪霊となる
玉梓 (たまずさ) が怨霊となったのも「言の咎」によるものだった。馬琴は里見軍記・房総地誌を参考にしながら山下定包 (さだかね) の苛政に苦しむ上総や安房の百姓たちによる一揆に里見義実が頭領として迎えられるという設定にした。それを画策したのが、金碗 (かなまり) 八郎であった。彼は定包とその妻となった玉梓との姦計によって滅亡した安房の名族である神余 (じんよ) 光弘の家臣だった。八郎の郎党の二人が定包を討とうとして逆にその計略によって神余を誤って殺害してしまうのである。定包が征伐された後、仁愛の人である義実は玉梓の処刑を一旦は取りやめるも金碗八郎の必死の説得に斬首と晒首を命ずる。この時、一度は取りやめよと命じた義実の翻意を恨んで発する玉梓の呪詛が前節に述べた畜生道と煩悩の犬というキータームとなるのである。
玉梓は元々滅ぼされた神余光弘の愛妾だったが、奸臣である山下定包と通じ神余家の滅亡に加担したあげく定包の正妻に収まった女だった。忠臣の金碗八郎にとって不倶戴天の敵と言えたのである。こうして玉梓の怨霊が数々の祟りを呼び起こすことになるのだ。義実の「言の咎」によって因果の糸車は回り始めるのである。
八玉縁起
八犬伝の三大典拠は先ほどの里見軍記・房総地誌、そして槃瓠伝説、及び水滸伝を中心とした中国演義小説である。水滸伝の発端はこのような話になっている。北宋の皇帝仁宗は、疫病退散を張天師に依頼するために国防大臣にあたる洪信大尉を竜虎山に遣わした。その道観で「伏魔殿」という額の掛った建物を目にする。腕の太さほどもある鎖で閉ざされ珠印を押された数十枚の封印のある格子扉があった。かつて、老祖天師が魔王をその中に閉じ込めたのだと道士たちはいう。彼らが止めるのもきかず洪信は扉を開けさせた。ただ、石碑が真ん中に一つあり、台座の下の「かなめ石」である四角い石版を掘り出すと忽ち閃光が走り、三十六の天罡星(てんこうせい)と七十二の地煞星(ちさつせい)が天空へと飛び去った。それらの星が梁山泊の百八人の頭領たちだったのである。石が魔星を封じていた。
伏姫の自害によって八犬士の精が生まれ空中に飛散する。馬琴は「虚々相寓 (あいおう) て生 (なる) ゆえに、その子全くかたち作らずしてここに生まれ、生まれて後にまた生れん。これ宿因の致す所、善果の成る所なり」と第十二回に述べている。役行者が泣き止まない幼い伏姫に与えた数珠の玉は煩悩の数である百八であり、八つの大玉には儒教の八徳が刻まれていた。それが八犬士の精となるのだった。儒仏のシンクレティズムに役行者の修験道と仏教のシンクレティズムが重ねられている。
伏姫の物類相感と死
さて、八房と伏姫は異類婚姻譚と言うべき枠組みのなかに設定された。狸に育てられた八房だが、狸の異名は玉面であり玉梓に繋がると高田さんは述べているし、伏姫の伏は「人にして犬に従う」と読むと馬琴は書く。このあたりの緊密な言葉のネットワークは馬琴の真骨頂なのである。伏姫は八房に向かって、一旦義によって夫婦となり婚姻の分は守るも人畜のけじめはある。お前が情欲にでたなら自分は自害すると諭した。山中で暮らすある日、伏姫は水を汲みに水面に映った自分の姿が顔だけ犬になっていることに驚く。一瞬の錯覚だったが月のさわりは止まったのである。後に、またも役行者の化身である水牛に乗った笛吹童子が懐妊を告げるが、「相見て孕むことあり」と理外の理である「物類相感」を説く。
異類婚姻譚には中国の『捜神記』などにある槃瓠 (ばんこ) 説話があり、犬と夫婦になる経緯は八犬伝と同型だが異類の夫婦が異族の祖となる犬祖神話になっている。太平記にも似た話があるが生まれたのは一人の犬頭の男の子であった。特筆すべきは、そこに登場する猛犬を「犬獅子」と記していることである。日の下にも犬婿入りという伝承があって、ここでも犬と人間が親の言挙げによって夫婦となるが、犬の夫は妻に懸想した山伏あるいは猟師によって殺され、山伏が夫に収まるのだが、七人の子を成した後、殺害を漏らしてしまうために妻に殺されるという筋になっている。しかし、馬琴は獣姦タブーを破ることはしなかったのである。ちなみに犬婿入りは多和田葉子さんが同名の現代版小説に翻案している。
伏姫の処女懐胎は逃れられぬ因果であり、純潔であるがゆえに無限の苦艱にさらされ父にも人前にも出られぬ身となった。伏姫は遺書を書き身投げを決意し八房も後を追おうとしている。そこへ鎌倉へ救援を求めるために流浪していた金碗八郎の遺児である大輔が姫の奪還に向かい八房を狙撃したが、その弾は伏姫の胸をも射てしまうのである。自分の過ちに気づいた大輔は切腹しようとするが、姫の身を案じてそこに駆け付けた父親の里見義実が遺書を読んで切腹を思い止まらせる。それは伏姫の立場を救うものだったというのである。
伏姫は一旦蘇生するが、自らの懐胎を恥じて懐剣を腹に突き立て真一文字にかき切った。その傷口から白気閃き出で首にかけた水晶の数珠を包んで虚空に登るが忽ち千切れて一百は連ねたまま地上に落ち、残る八つの玉は流星のごとく光を放って飛び巡り入り乱れたのである。義実は大輔に出家するように命じ、大輔は「ゝ大 (ちゅうだい) 和尚」となって飛び散った八玉の行へを探す旅に出るのである。伏姫の壮烈な死は、ついに玉梓の悪霊を解脱せしめる契機となる。
北村透谷は、この「伏姫聖女譚」を全編の大発端であり八犬伝の脳髄であるとした。「伏姫の中に因果あり、伏姫の中に業報あり、伏姫の中に八犬伝あるなり、伏姫の後の諸卷は、俗を喜ばすべき侠勇あるのみ」と激賞していた。しかし、後の侠勇は水滸伝ばりのスペクタクルを展開するのである。
騎乗されるものの魔性と聖性
言うまでもないが、八犬士が何故八人なのかは八徳の玉に関係する。何故女装の犬士が二人いるのかは謎だった。高田さんは、ここに八犬伝の原基があるのではないかと考える。それは何か。高田さんは八房は玉梓が怨霊の呪縛によって成長した魔犬であり、悪なる魔犬は伏姫によって、その呪縛から解放され聖化されると考える。聖化された魔犬は狛犬のイメージに重なる。それは以下の二つの挿絵から発想された。
下の左図は金碗八郎が図らずも自分が主の誤殺の原因を作った責任から里見義実と共に主の仇をとった後に、切腹する図の部分である。全体図は冒頭に掲載しておいた。上右が里見義実、左が怨霊と化した玉梓、下の百姓に負われている子供が八郎の遺児。ここでは玉梓の右に描かれた唐獅子の襖絵が注目される。右の図は八犬伝第八輯の口絵に描かれた狛犬である。唐獅子の日本化したイメージが狛犬である。それは太平記に記されていたように「犬獅子」と言えるのではないか。ここから八房の聖化 → 狛犬 → 唐獅子 という図式が馬琴の頭の中にあったのではないか。それに加えて八房の斑 (ぶち) は牡丹状の痣のようだった。つまり、唐獅子牡丹なのである。
八犬士の初出である第二輯三巻は「庚申塚に手束 (たつか) 、神女に謁す」と題され犬塚万作の妻手束が八房の黒い神霊に騎乗した伏姫神女から孝を刻んだ玉を与えられる場面が描かれる。それは犬塚信乃の誕生の契機だった。シャーマンたちの世界では鹿や龍、獅子といった霊獣に乗って霊界を周遊することが知られている。それは魔獣であると同時に聖獣でもある。西宮の戎神はケルトのアーサー王の霊のように馬に乗って現世と冥界とを往復し、一言主も小栗判官も馬に乗る。道真や老子は水牛に、春日明神は鹿に乗り、鶴に乗る仙人もいる。八犬士の一人犬江親兵衛仁 (まさし) は神性の名馬青海波に乗るのである。そして聖なるものの騎乗する動物の極めつけと言えば普賢菩薩の象、文殊菩薩の獅子である。
文殊菩薩像 南北朝時代
八犬伝の基底 八字文殊曼荼羅
これから女装する二人の犬士の縁起に入りたい。日本で知られる聖数は、中世以来の北斗信仰を考えれば七である。七福神にしても奇数である。何故八なのか。ここで、高田さんは馬琴の文字の解体と合成による換義法に読者の目を向けさせる。伏姫の「伏」は「人にして犬に従う」であったし、八房を育てた「狸」は「里に従い犬に従う、すなわち里見の犬」である。八徳の八つの聖なる玉は八房にとっては「如是畜生発菩提心」の八字の聖玉となる。聖数八を窺わせる聖なるイメージ、犬と観念連合する聖なるイコンは八字文殊しかない。頭部を八髻(やつぶさ)に結い八童子を眷属とする八智尊である。
八字文殊菩薩 八大童子 13世紀 MOA美術館
文殊菩薩の八字真言は天台・真言密教において戦災、飢饉、自然災害などの危急の事態に修される呪術の際に唱えられた。その呪文の八字には、それぞれ童子が割り当てられている。ここで注目されるのは二人の尼童子がいることなのである。もう一度「八犬子髷歳白地蔵之図/はっけんし あげまきのとき かくれあそびのず」を見ていただきたいが、上から犬塚志乃、犬江真平、その下左が犬塚毛野、下右に犬村角太郎が描かれている。志乃と毛野は女装していることが分かる。八犬士の「六男二女」の根拠はここにしか考えることが出来ないのである。
ちなみに中国の七福神にあたる八仙においても女性性で表現される二人の仙人がいて、それが何仙姑 (かせんこ) と藍采和 (らんさいか) である。下の図で藍采和は一番下に顔を後ろに向けて寝転がっていて足元に花籠が置かれている。当初は女性として描かれたが、やがて両性具有のような存在になったという説もある。笛を吹いている韓湘子 (かんしょうし) は童子姿だが男性である。最終的に八犬士は八仙となって昇仙するのである。
張翀 (ちょうちゅう) 『瑤池仙劇図』明 17世紀 大英博物館
さて、かくして高田さんの八犬伝謎解きの序章は終わる。この後は八犬士のそれぞれの活躍が紹介されるけれど、今回はここまでとしたい。戦国乱世に里見家の勃興史を描く、この八犬伝がいかなる書物であるのか、お分かりいただけたのではないだろうか。その幻怪な景観が繰り広げられるその背景には実に驚くばかりのテクストが秘められていたのだった。
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