第69話 コンスタンチン・ケドロフ『星の書物』双曲幾何学は星を食べる


コンスタンチン・ケドロフ
『星の書物 東方的・詩的宇宙ヴィジョン』

 19世紀ロシアの詩人アナファシー・フェートは星座を「夢の象形文字」と呼んだ。星空は宇宙時計が過去から未来を照らすディスプレイだ。星座は、その象形と輝きを通して人間に作用し続ける。ケドロフは生物の生存に遺伝コードが必須であるのと同じように星が人間に影響を及ぼす星のコードが存在し、それを〈メタコード〉と名づける。それは自己の空間理解を変革することになった。日本人が初雪が降ると障子を開け放して外の空間と内の空間を融け合わせるように。そこに天の道を感受する境地と如何なる時間と空間も相対的であるというアインシュタインの宇宙論が交差する。

 今回の夜稿百話は第54話 亀山郁夫『甦るフレーブニコフ』part2 で触れたロシアの詩人・思想家であるコンスタンチン・ケドロフの『星の書物』を御紹介する。フォークロア=神話や文学と星座とのパースペクティブ、星々のヒエログリフは母音や子音それぞれの文字の如く〈時空細胞〉を形成する。彼は現代のジョン・ディーやロバート・フラッドと言っていい。神秘主義と現代科学が切り結ぶ独特な世界を立ち上げるのだ。


ロバート・フラッド『両宇宙誌』1617

著者 コンスタンチン・ケドロフ



コンスタンチン・ケドロフ (1942-)

ルイビンスク市街

 コンスタンチン・ケドロフは1942年ロシア西部に位置するヤロスラヴリ州のルイビンスクに生まれた。父は演劇監督で母は女優であり、早くから文学的才能を認められ15歳の時には「タタール・コムソモレッツ」紙にその詩が掲載されている。芸術的な環境の中では早熟となるだろう。モスクワ州立大学で1年間ジャーナリズムを学び、トルストイ、レーニン、そしてフレーブニコフの母校でもあるカザン大学で歴史哲学学部で学んでいる。


カザン大学

 1968年からはマキシム・ゴーリキー文学研究所の大学院で文学を学んだ。1973年、31歳頃にはモスクワ州立大学でプーシキンに関する博士論文『19世紀前半のロシア小説の壮大な始まり』を発表、翌年から1986年までマキシム・ゴーリキー文学研究所で講師として働く。その間、彼を中心とする学生サークルが結成され1983年にはメタファーとしての詩の一般原則、自らが「宇宙人の見方」と呼ぶ「あらゆるものが宇宙に繋がっているというメタファー」である「メタメタファー」を定式化、そして、「メタメタファー派」のマニフェストとなる作品『愛のコンピューター』を発表する。この頃、エコな名の「トンボ保護ボランティア協会」の設立宣言を行った。

 しかし、1986には反ソ活動の疑いで解雇の憂き目にあい5年くらい失職することになる。どうも大叔父で、シュルレアリスムの作家であったパヴェル・チェリシチェフの作品を売却して糊口を凌いでいたらしい。その後、海外で評価され、国際的な詩人としての名声を高めることになる。イズベスチアの文芸コラムニストを務めロシアペンクラブの重鎮でもある。幸いにも窓から落ちて亡くなることはなかったようだ。


フォークロア=神話は遠く星々へと焦点を結ぶ


 ケドロフの述べるフォークロア天文学は民話に登場する星の主題を解読するための幾つかの鍵となる。民話に名を留める星の王女や姉月といった天体の名は、星に関する主題や構造の符号として異民族間にもみられる。例えば、太陽型の主人公は旅をして人々に光をもたらす。キエフの英雄叙事詩ブィリーナで英雄ドブルィニャに任務を課すウラジミールは赤い太陽を意味し、『イーリアス』のヘクトルは輝く甲冑を身に着け、ドン・キホーテは銅の髭剃り用洗面器を兜の代わりに被り、騎士道精神で世界を照らそうとする。


ウラジミール一世 聖復活大聖堂

 文学型の月は主人公の破滅と再生がとりわけ心理面で起きる。ロシア民話の『アリョーヌシカとイワーヌシカ』におけるアリョーヌシカように死んで再び蘇る。オシリスもまたそうだった。ヤロスラフ・ハシュクの『兵士シュヴェイク』は銃殺刑の宣告を受けても苦境から逃れる。『罪と罰』のラスコーリニコフは歪んだ正義のために殺人を犯して精神的に破滅するけれど家族のために娼婦となったソーニャはラザロに奇蹟が起こったように彼が悔い改め再生することを願っている。

 スラブ民話『マリア・モレーヴナ』は「不死のコシチェイ」が登場する。乙女戦士・王女マリア・モレーヴナは、その偉大な魔術の力で悪の魔術師・不死のコシチェイを12本の鎖によって地下牢の中に縛りつける。しかし、夫のイワンは「開けるな」と戒められたクローゼットを開けてしまい、水をもらったコシチェイは鎖を切って自らを開放するとマリアを誘拐して脱走してしまう。ケドロフは王女は北極星でありコシチェイはどうみてもケフェウス座だと言う。

 『カエルのおきさき』では、コシチェイの魂は肉体とは別の場所である針の先にあり、その針は卵の中にあり、その卵はカモの中に、そのカモはウサギの中に、そのウサギは鉄の飾り箱の中に、その鉄の飾り箱はオークの老木のてっぺんにあり、それは大海原に浮かぶ島にあるという。彼の魂は卵を割って針を折ると死ぬという設定になっている。針が壊れない限り彼の体は不死なのである。彼の魂は動物+植物+鉱物+孤島というマトリョーシカ人形の中にある。


王女のマリア・モレーヴナと魔術師コシチェイ 
ヴィクトル・ヴァスネツォフ画

ケフェウス星座

北極星とケフェウス座 明るいグレーの部分

 ケフェウスは、ギリシア神話ではケペウスとも表記されるが妻のカシオペアが自らの美貌を誇り、海のニンフであるネレイスの怒りを買い娘のアンドロメダを海の怪物の生贄にせよと神託が降る。しかし、アンドロメダはペルセウスに助けられ連れ去られる際にケフェウスは彼を殺そうとしたためゴルゴーンの首によって石に変えられたと伝えられる。姉のアリョーヌシカや花嫁のマリア・モレーヴナを救い出すのはイワーヌシカやイワンといったペルセウスの役割である。


アンドロメダ星座

アンドロメダ『ウラノグラフィア』

 天の川は地上から天へと延びる柱か樹のように見える。それは頂上に北極星を頂く水晶の山、陽光を浴びて崩れ去るコシチェイの闇の王国でもあるという。12の蛇は大熊座と考えれば蛇と戦う巨大な英雄はオリオンとその神剣というように色々な星たちが繋がりを見せてくる。


大熊座 明るいグレーの部分

 ケドロフは神話に比べると文学では星の記憶はしばしば失われると言う。基本的な特徴のごく断片的なものが神話的人物に残っているに過ぎないと言うのだ。自分の娘を勘当するリア王と娘を娼婦として売る『罪と罰』のマルメラードフとは主題的にかけ離れてはいても、両者は構造的には似ているのである。星のコードを解読するためには「暗示の方法」が必要になる。夜空のスバルの星々はイワンが捕らえた火の鳥の羽に、ケフェウス座はクマに根こそぎされたカシの木から落下しながら回転するコシチェイの飾り箱にと連想が導かれる。飾り箱はウサギに、その中のカモに、そして卵に、その中の針として欠けていきながら、ついに針の新月へと至るという。

 このようなフォークロアは旺盛な詩的創造力に支えられているが故に宗教儀式や民間儀礼だけでなく歴史上にもその星空の痕跡を辿ることが出来る。そこには宇宙という明確な現実があり芸術家によって理性的にも感性的にも知覚しうるものなのだと言うのである。天の母型は定まっているが、文化によってその意味付けは異なってくる。


天を食べる


 かつて、動物の内臓占いや星占は同じ基盤を持っていた。星とは生きとし生けるものの内なる天であったのだ。ヨハネの黙示録では新たな預言を行うためには、頭に虹を頂き、太陽のような顔と火の柱のような足を持つ天から降った御使いが手にする巻物を食べなければならなかった。内なる天の獲得のために「天を食べる」と言う儀礼があり、葬祭に関連した秘儀の一部でもあると言う。スラブの文化圏では復活祭に食べる「星のパン/クリーチ」や法事に食べる「星の粥/クチヤー」というのがあるらしい。

 タルコフスキー監督の『僕の村は戦場だった』で「井戸が深いと日中でも星が見えるのよ」という死んだ母と主人公の少年との会話が思い出される。地中への下降は天の内なる獲得であり、いわば反転=インヴァージョンと言っていい。ケドロフは「誕生としての死」であり、裏返り生まれるために「生みの苦しみの前段階」を通過しなければならないと言う。それは、冥界降りや一つの針穴に入り別人となって針穴から出ることに象徴される。埋葬され狭い空間に閉じ込められた者が実は全宇宙を手に入れる。

 埋葬の祖儀礼には、そのようなものがあるという。黄泉国に降った伊邪那美はその国の食べ物を食べてしまい簡単には生者の国に帰ることが出来ない。伊邪那岐が垣間見た彼女の姿は蛆がたかり八種の雷神が体中に被さっていた。アッシリア・バビロニア神話のタンムーズ神は半年は下界に住み半年は天界で過ごす。生命を司る神である故に下界にいる間は植物や動物たちは繁茂・成長するが、地下に姿を消すと全ての成長は止まり人間の喜びは悲しみに変わる。ここでは地下が天界となっている。


タンムーズ(ドムジィード)前2000-前1600

 ドストエフスキーの妻が結核で亡くなった時、人間の精神的な成長を目指して生きてきたとしても、死の途端無に帰すなら、そんなものは無意味ではないかという思いにとらわれる。もし、天上の生があるなら、それは、どの惑星にあるのか、全人類の究極の理想は、人間を超えた未来の存在者が有する本性へと向かわなければならないのではないのか。『おかしな男の夢』では主人公が恐ろしく暗い底なしの夜空の斑点を見つめている内に自殺を決意する。復活の秘儀によって墓は開かれ、闇の中を突き抜けて飛んでいくと、やがてトンネルのはずれに一つ星の光が見える。それは自殺を催した同じ星だった。

 ドストエフスキーの空想の中では一人の人間の死も宇宙的規模の大事件である。地上と天とは目に見えない糸で繋がっていて死によって、そのつながりは強化される。かつて、人は死んで星になった。天界には二十億光年以上経てやっと地球に届く光を放つ星たちがある。その世界に孤独を感じるのは人が宇宙との繋がりを失ったからである。世界の構造と人間の内面世界との間にはパラレルな関係があるのだから。


反転する宇宙―非ユークリッド幾何学


 「もしわれわれが突然、裏返しに”反転”しえたとすれば、本来の自然のかわりに、全自我ないし空想を見、臓器 (肝臓、脾臓、腎臓) のかわりに金星、木犀、を感じだすだろう。惑星は実は臓器なのだ (アンドレイ・ベールイ『夢想家の手記』渡辺雅司・亀山郁夫訳) 。」 ロシアの詩人・小説家であり人智学者でもあったベールイは、こうも述べている。「‥‥自分自身の中から私は生の沸騰となって飛び出した。そして、球体となった。中心を多眼で見つめ、そこに震える私の皮を見つけた。まるで熟れた桃の核が私にとっての体のよう。私は皮膚もなく、万物の中に溢れる黄道十二宮。 (『ブロークの思い出』同上訳) 」彼は宇宙的反転を最初にイメージ化した人間であり、現代芸術は未だアインシュタインの新たな宇宙に慣れていないとケドロフは言う。

 神学者で数学者、物理学者でもあったパーヴェル・フロレンスキーは、光速に近い速度で宇宙を疾走する物体は、光に転化するか自分自身に対して”反転”するだろう(『幾何学における虚数』)と述べた。ベールイやフロレンスキーの考えた空間は、新たな物理的空間と心理的世界とが融合した創造空間と言えるものだった。

 「旅行者」は世界事象の地平 (シュワルツシルト圏) を横切る瞬間、観察者という分身を永遠に分離する。ブラックホールの中から旅行者が連絡を取ろうとしても観察者には届かない。だが、互いの存在を彼らは知っているという。いわば、その分身は見ることのできない影の分身 という虚数値なのだ。互いに別の宇宙にいる分身たち。それは民話にすら発見することの困難な外界と内面との相対的な世界なのだとケドロフは考える。ブラックホールの中心にある特異点へと進む時、旅行者は文字通り裏返って別の宇宙に飛び出すのである。そこで彼は未来の宇宙を見る。

フラムの双曲面
シュワルツシルト計量における空間の歪みの可視化

 奇妙な空間にはいくつかの先例がある。ジョルダーノ・ブルーノは、世界は無限の原因の無限の結果であり、神格は我々が我々自身にあるより身近だと述べた。ボルヘスは、宇宙は全てが中心であり、それは至る所にあるが周縁はどこにもないというニコラス・クザーヌスの考えを繰り返した。それは、まるで三次元超球 (欄外 参考図版参照) だった。非ユークリッド幾何学の創始者ニコライ・ロバチェフスキーは負の曲率を持つ曲がった空間を発案する。フレーブニコフやケドロフも学んだカザン大学で数学を教え、学長も務めた人だ。

ニコライ・ロバチェフスキー (1792-1856) 非ユークリッドの一種である双曲線幾何学の創始者。

ニコライ・ロバチェフスキー
(1792-1856) 
双曲幾何学の創始者。

双曲面

 二次元平面で生きている存在には三次元の世界は理解不能であるように三次元空間に生きている我々には四次元空間は理解しがたいが、やがて、それを認識できる時期が遠い将来くるかもしれないとケドロフは言う。そこでは裏返りの問題が重要になる。二次元に描かれた右手用の手袋を左手用にするためには三次元に出て裏返して元に戻さなければならない。三次元の手袋を左右反対にするためには手袋を裏返す必要がある。そこには負の曲率 (欄外 参考図版参照) が現れると言う。

 ケドロフはこのような現代物理学や非ユークリッド幾何学の示唆する空間に触発され、芸術家は、過去の経験で形づくられたものとは異なる「新たな起算システムを選び創造する権利を持っている」と宣言する。人間の精神圏は無限の宇宙にまで届く彼方にだけでなく自己の感覚を遠い宇宙の果てにまで延長した人間の自身の中にもあると言うのである。内と外を反転すること。ヴェルミール・フレーブニコフは、このような詩的視野を持っていた。

 「地上のいたるところで空を探すことに慣れた私は、ため息の中にも太陽や月、地球を察知した。そこでは小さなため息は、地球のように大きなもののまわりを回るのだ。(フレーブニコフ 渡辺雅司・亀山郁夫 訳)」


時間と空間を相対化するフレーブニコフ



ミハイル・ロモソーノフ (1711-1765)

 金星の大気を発見したロシアの博物学者であるロモソーノフは母音の A が上への方向を示す音として空間のイメージへと結び付けていたが、フレーブニコフは母音と共にそれを子音にも拡大した。空間内を運動する言葉の音の可視化であった。一部はフレーブニコフpart3で既にいくつかをご紹介しておいたが別のロシア語の子音の可視化の例を挙げておく。

 C (ス) は不動の一点からの複数の点の輝き、 K (ク) は多くの運動する点が線となりある一点で出会う停止あるいは凝固、P (ル) は横断面を貫通する点である。これらの可視化については口蓋内の舌などの運動感覚、空気の流れや摩擦などの感覚、運動としての音のイメージなどが考慮されている。それは時空間と人間の感覚とが絡み合う〈時空細胞〉のようなものだった。

 メタ宇宙があるなら多くの宇宙があり、その絡み合う物質的な統一体があるなら、単一のコードとしてメタコードが存在して良いし、メタ言語もあってよいのではないか。それは狂気の言語と言うべきものに思われるだろう。その多宇宙では諸神話は織り合わされ、互いに浸透しあいながら、同時に互いに不可視なのである。

 1984年にケドロフが「メタメタファー」という言葉で表した詩的ヴィジョンは、それ以前に「宇宙時代のメタファー」とか「アインシュタイン時代のメタファー」というような漠然としたものだった。明確な「メタメタファー」を闡明にした嚆矢はフレーブニコフだったという。彼は「詩人の眼と耳は、n 次元の宇宙、例えば四次元の時空間に在る」と述べる。高次元空間といった見えない空間に、透明人間に色を塗るように地上の服を着せた。彼の小説の主人公はビザンチンの目をしエジプト人の顔を持つと思えばチョウザメに呑み込まれた岸辺の丸石だったりする (フレーブニコフ『カー』)。


 彼には独自の時間論があった。相対性理論の宇宙論には時間がない。過去、現在、未来が単一となる世界事象の線はメビウスの帯のような形ではないのかと考える。二次元の平面世界のある地点で起きた事象は、その平面を周囲に向かって光の速さで移動する、これに高さの次元ではなく時間軸を付け加えると過去と未来に広がる上図左のような光円錐が出来上がる。しかし、四次元における円錐は、およそ上図右のような形態であり過去と未来は視点によって相対的な関係となる。フレーブニコフは、事件があれば、それが反転した反事件があると考える。このような独自の時空間論を基盤に、東方から西方への侵略があれば、それと相反する西から東への戦争があり、それらは周期的に起きることを計算によって割り出そうとしていた。それはいささか整合性に欠けるものだったが‥‥。

ダンテ『神曲』 平川祐弘 訳

ダンテ『神曲』 平川祐弘 訳

‥‥円周の長さを測ろうとして夢中になった幾何学者が、
いくら考えてみても、
自分に必要な原理を見いだせないでいるように、
その奇しき姿を見た私は、どうしてその姿が
その円に合致し、どうしてその像がそこにあるのか、
いくら考えても知ることができなかった。
それには私自身の翼だけでは十分ではなかったのだ、
だが突然、私の脳裏には稲妻のように閃きが走り、
私が知りたいと望んでいたものが光をはなって近づいてきた。

(ダンテ『神曲』天国篇 第三十三歌 平川祐弘 訳)

 これは神曲のクライマックスの場面である。ダンテは理性の翼では見ることのできない異空間の像を天啓とも言うべき想像力の光の中で見る。彼もまた〈時空細胞〉の一つとなったのである。フレーブニコフはこう述べる。

「僕は人間のための天の権利の盗っ人だ。(フレーブニコフ 渡辺雅司・亀山郁夫 訳)」


宇宙人間とメタコード


 『リグ・ベーダ』に登場する原人プルシャ、中国神話の盤古、ユダヤ神秘主義のアダム・カドモン、etc. それらは、世界がそこから生じる宇宙的人間=ホモ・コスミクスを表象している。しかし、ゴットルプ天球儀のようなプラネタリウム的宇宙モデルが登場した時、宇宙人間から遠く離れ、無底の淵となっていった。そんな宇宙を古典主義のロシア詩人デルジャーヴィン (1743-1816) はこう詠った。

死は無慈悲にも常に打ち負かす。
星たちも死に滅ぼされ、
太陽たちも死に消されよう。
死は宇宙を脅かす。

(ガブリ―ラ・デルジャーヴィン 渡辺雅司・亀山郁夫 訳)

これにエントロピーの原理が強烈な追い打ちをかけた。


ウラジミール・ヴェルナツキー
(1863-1945)

 19世紀末頃からロバチェフスキーの双曲幾何学や不死を信じるドストエフスキーが自分の小説の中で思い描いた非ユークリッド的世界が登場する。それ以後の科学理論については既に触れた。バイオスフィア (生命圏) に対してノウアスフィア (精神圏) の提唱で知られる地球科学者のヴェルナツキーは生物体の空間を非ユークリッド的だと述べている。そういった世界へ参入することは、いわば人類が地上的な空の境を突き抜け、あるいは地の底へと進んで別宇宙へと飛び出すことに例えられる。宇宙の暗い子宮から第二の宇宙誕生を経験することだとケドロフはいう。

 人間は宇宙へと”反転”し、新たな空間を獲得できるのか。それが可能なら人間は、あたかも全宇宙を包括し宇宙を自らの内部に取り込むことが出来る。かつて人間が宇宙の原基であったように。ケドロフは世界の文化には象徴的記号、すなわちメタコードが存在したと言う。それは人間と宇宙の一体性を反映し、全ての文化圏に共通するシステムであった。その言語は神話やフォークロアの時代に形成され、文学の発展期間を通じても存在していた。表面に見えるものも水面下に沈んだものもあった。それを再獲得するためには、かつて星々を結んで星座とした古 (いにしえ) の人々の壮大な想像力が文化の中に再び招来される必要があるのではないか ?

星座のイマジネーション 本書より

 人体が発する光から天体の発する光まで一つの波動に導かれるように人と宇宙とは、バラケルススが天と大地との照応をみたように本来一体ではないのか。今日、深淵に落ちて裏返り、再生するために必要なのは、ロバート・フラッドのような天界の音を聞き分ける聴力、ノヴァーリスのようなメルヒェンへの想像力、ベンヤミンのような思想を結合するコンステレーション、それらは宇宙からの情報をデコードする能力なのかもしれない。

 ケドロフの『愛のコンピューター』を抜粋でご紹介して終わる。それは反転して生じる言葉の星座だった。

‥‥
宇宙は、月の体
体は、月の体
体は、愛の月
船は、金属の波
水は、波の舟
‥‥
愛は、無限の触れ合い
永遠の愛は、愛の瞬間
帆船は、記憶のコンピューター
記憶は、コンピューターの帆船
詩は、泥棒の時間
詩人は、時間の泥棒
‥‥
手のひらは、花嫁のためのボート
花嫁は、手のひらの中のボート
ラクダは、砂漠の舟
美しさは、死への憎しみ
死への憎しみは、美しさ
星座は、愛の剣
愛は、星座の剣 オリオン座
北斗七星は、北斗七星の空間
北斗七星の時間は、北斗七星
一瞥は、天国の幅
天国は、一瞥の高さ
思考は、夜の深さ
夜は、思考の幅
銀河は、月への道
月は、発達した銀河
すべての星は、肉体の喜び
エロスは、すべての星
星々の間の空間は、愛のない時間
人々は、星と星との間の架け橋
架け橋は、人々の間の星
情熱は、飛んでいる
空を飛ぶことは、情熱の持続
声は、一つのものから別のものへの跳躍
友人は、涙するための理解
人と人との距離は、星で満たされ
星と星との距離は、人で満たされている

(コンスタンチン・ケドロフ『愛のコンピューター』マリ―ナ・ロザノヴァ 訳 一部筆者が変更している。)






夜稿百話
参考図書

『ロシアのむかし話』偕成社文庫
松谷さやか、金光せつ 編訳

『アリョーヌシカとイワーヌシカ』、『ころりんパン』、コシチェイが登場する『マリア・モレーヴナ』や『カエルのおきさき』などが収録されている。『マリア・モレーヴナ』を要約してご紹介する。

イワン王子には三人の妹がいた。王と妃は亡くなり、最初に結婚を申し込んだ者に妹たちを嫁がせよと遺言した。タカの化身は長女のマリアと、ワシの化身は次女のオリガと、ワタリガラスの化身は末娘のアンナに結婚を申し込み夫婦となった。イワンは旅の途中大軍を全滅させたマリア・モレーヴナと出合い、相思相愛となって結婚するが、彼女は物置をけっして見てはいけないと言い残して戦いに出た。イワンは、この「見るなの部屋」を覗くと不死身のコシチュイが12の鎖に繋がれていた。10年もの間苦しんできた自分に水をくれと言う。水を飲むとコシチュイは元の力を取り戻し、鎖を切って逃げると、途中でマリア・モレーヴナをさらって行った。
妻を探す旅の中でタカの化身のところでは銀のスプーンを、鷲の化身のところでは銀のフォークを、ワタリガラスの化身のところでは銀の煙草入れをそれぞれ残して旅立つ。三日目にマリア・モレーヴナを探し出したが、コシチュイの馬がそのことに気づきイワン王子に追いつくと、コシチュイは水を飲ませてくれた礼に今度は許すし、二度目も許そう、しかし、三度目はこま切れにしてやると言い放って彼女を再び奪っていった。再び、妻を取り戻したが、またも馬が気づき、「もはや、マリア・モレーヴナに会うことはできない、自分の耳が見られないようにな」とコシチュイ言う。三度、二人は逃げたが、コシチュイは王子を切り刻みタールを入れる樽の中に詰めて鉄のタガでしめ海に流してしまった。その頃、妹たちとその夫の元に残した銀の品々は皆黒く変色し、イワンの身の上の変化を報じた。ワシは海に飛び込んで樽を引き上げ、タカは命の水を、ワタリガラスは死の水をもたらした。死の水によってこま切れの体をくっ付け、命の水はイワンを生き返らせた。イワンはマリア・モレーヴナのもとに四度行くと、コシチェイの馬の秘密を聞きだすように妻に頼んだ。
その馬は火の川の向こうに住む 魔女バーバー・ヤガーの馬で、三日の間、牧童をやって一頭も逃さなかったので子馬を一頭くれた。火の川を超えるためにはプラトーク (スカーフ) を右に三回振ると高くそびえる橋が出来、左に振るともろい橋が架かると言う。 バーバー・ヤガーのところへ行く途中空腹のイワンはひな鳥をみつけ食べようとすると「いつかあなたの役に立つから食べないでほしい」と親鳥が言う。また少し行くと蜂の巣を見つけ食べようとすると前の鳥と同じことを蜜蜂が言う、子供のライオンを食べようとすると親ライオンも同様に言う。空腹のままバーバー・ヤガーのところに行くと12の棒の上に11まで人の頭が載っていた。彼女は、雌馬たちの面倒をみれたら子馬をやろう、一頭でも逃がしたら12番目の棒の上におまえの頭が載ることになるよと言うのである。一日目、馬たちは草原に散り散りになり泣き悲しんで寝入っているうちに前に出会った鳥が「私たちが馬を厩へ追い込んでおいた」と言う、二日目はライオンたちが、三日目は蜜蜂たちが馬たちを厩に追い込んでくれていた。イワンは出来物だらけの小馬に乗ってバーバー・ヤガーのもとを逃げ出した。そして火の川岸でプラトークを右に振って高い橋を架け、そこを渡ると右に二回振ってもろい橋を架けた。バーバー・ヤガーが、この橋を渡ろうとした途端、橋は崩れて火の川の中に落ちたのだった。イワンはマリア・モレーヴナを奪い返して、瞬く間に成長した子馬に乗って逃げる。コシチュイは彼らを追ったがイワンの馬に頭を蹴り砕かれて息の根を止める。その体を火で焼き、灰は風に吹き飛ばさせた。イワンは自分の馬に、マリア・モレーヴナはコシチェイの馬に乗って妹たちとその夫のもとを尋ねながら自分の国に帰っていった。
(アファナーシェフ民話集より)


ティヤールド・シャルダン『現象としての人間』

本書は形而上学的著作や神学的試論の類ではなく、科学的研究論文であるとシャルダン言う。しかし、二つの前提があり、一つは宇宙の素材において精神性と思考力とに優位性を持たせる。もう一つは社会的事実に生物学的価値を付与することだと言う。自然における卓越した人間の意義、人類の有機体としての特色を言挙げする。この点でノウアスフィア (精神圏) の提唱で知られる地球科学者のヴェルナツキーの思想に近いものだった。

シャルダンは四次元的時空が微細な流れのように人間の身体に浸透して魂をみたし、その力と混じりあい、魂がその流れと自己の思考とを見分けられなくなると言う。その流れからは何者をも逃れられないと言うのだ。四次元時空が心に影響を及ぼすことが、ここでも指摘されている。




参考画像

アナファシー・フェット (1820-1892)

アナファシー・フェート (1820-1892)

19世紀ロシアの詩人フェートは芸術至上主義者といわれ、その作品はツルゲーネフやトルストイなどに支持される以外は多く認められなかった。しかし、その詩はチャイコフスキーやリムスキー=コルサコフ、ラフマニノフなどの音楽家に歌詞として採用された。20世紀になると、新たな詩風として評価されるようになる。



金星
金星は麗しき乙女なる宵の明星と呼ばれる。エルショフの民話『せむしの子馬』では月のイワーヌシカは、花嫁をそう呼ぶと言う。金星に大気のある事を発見したミハイル・ロモソーノフは、母音に空間性を見出した人だった。

月と金星
月は満ち欠けの故に再生の象徴、連続する変化、蛇の脱皮など広範なメタメタファーとなる。
ロシアのお伽話『丸パン』では、天の川は粉の川とも呼ばれ月=丸パンが焼き上げられると、みずがめ座に比せられる兎が四分の一を食べ、射手座の狼が四分の一を、山羊座のクマが四分の一を、そして魚座の狐が全てのみ込んでしまう。月は徐々に細って行って黄道十二宮を転がっていく。


ガブリ―ラ・デルジャーヴィン
(1743-1816)
タタール貴族を祖先に持つ啓蒙主義時代のロシア古典主義の代表的詩人。 



ゴットルプ天球儀
ゴットルプ城 シュレースヴィヒ

1654年から1657年にかけて、リンブルクのアンドレアス・ベッシュが宮廷数学者、古文書学者、地理学者であるアダム・オレアリウスの協力を得て、ゴットルプ公フリードリヒ3世のために製作した。惑星はコペルニクス体系に従って太陽の周りを動いている。





ジョン・ディー『エノク語版アルファベット』
ディーは天使が語ったとされる旧約聖書に登場するエノクの言語を記録して残したとされている。それは天の言語だった。




オリオン座 『ウラノメトリア』

オリオン座






「星のパン/クリーチ」 正教会に伝えられるイースターに食べるパスカとよばれるパンの一種

「星の粥/クチヤー」 法事の際に食べられるスラブ料理。小麦や米にドライフルーツやナッツ類を入れて蜂蜜や砂糖で味付けしたお粥。クリスマスや大晦日に食べる地方もある。



アンドレイ・タルコフスキー (1932-1986)
『ソラリス』『ノスタルジア』『ストーカー』などで知られるロシア出身の映画監督 倫理的テーマと水や光に対する詩的な映像で知られる。


■超球面

立体射影した超球面




■ガウス曲率と立体

曲率円と曲率 
曲線の一部を円に当てはめた際の半径が曲率半径、曲率はその逆数 (ある数にかけ算すると答えが 1 になる数) 。曲線の曲がりが大きいほど曲率半径は小さく、その逆数である曲率は大きくなる。

正・ゼロ・負のガウス曲率を持つ曲面

立体の曲面のある一点での曲率は色々な値をとる、その中の最大の曲率と最小の曲率を掛け合わせたものが、ガウス曲率である。
正のガウス曲率を持つ曲面として球面。ガウス曲率が 0 の曲面としての円筒形。負のガウス曲率を持つ曲面は双曲面となる。


■カイラリティと渦
右と左の問題は素粒子のスピン方向やDNAなどの高分子の右巻きか左巻きか、あるいは植物の螺旋の方向、銀河の旋回といったミクロからマクロにかけて広範囲な問題を投げかける。人体においても解剖学者の三木成夫さんの言ったように血管から臓器にいたるまでほぼ螺旋形である。遠い古代においてもマリア・ギンブタスが発掘した古ヨーロッパの遺品や岡本太郎が発見した縄文土器の文様に渦の形象は顕著だった。クリミアにあるバフチサライの泉はプーシキンの詩の舞台ともなり、その文様も有名だ。渦は無言語的始原の形態という分けだが、とりわけ左巻きと右巻の螺旋が繋がる形態は興味深い。

バフチサライの泉

下部の二重

イオニア式柱頭

左右螺旋





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