用事があって市内まで出たので、久しぶりに図書館に踏み込んでみる。やっぱり、ネットで探すより本物がいい。不思議の国のアリスかひみつのあっ子ちゃんの気分だ。何か清楚なのに魅惑的なオーラを放つ背表紙が僕を呼んでいる。手にとってみると表紙のデザインがまた良い。カバンから老眼鏡を取り出そうとした‥‥がナイ。人目を気にしながら底まで物色したが‥‥ナイ ! 仕方がないので本の最初の方を開いて手に持ち、できる限り目から離して眺めてみた。なにか、ぼんやりした文字らしきものの羅列が見える。オオッ、ショックだ !
表紙から察するにイスラム圏の本のようだし、写本と書いてあるから古い文献をテーマにしたものらしい。デデ・コルクトの失われた書とある。借りようか書架に戻そうか、しばらく思案したが、『欠落ある写本』というタイトルに魂をグイと掴まれて借りることに決めた。タイトルは大切なものらしい。知り合いたちの話では出版の会議でもっとも重要な事項は、何とタイトルの決定だという。さもアリなんである。
話は国立写本研究所で12世紀の写本を司書さんに紹介されたことから始まる。それは普通のものだと言うにもかかわらず、この写本には、一つ「けれども」があるともいう。最初と最後が欠落しているのだ。著者は、この『欠落ある写本』を廃棄されなかった『デデ・コルクトの書』の下書きとして設定する。そこに謎を振りかけたのである。人間の記憶は、『イーリアス』や『オデュッセイア』、『デデ・コルクトの書』のような長大な物語詩を口頭で完全に未来に伝えることができるのだろうかと著者は問う。‥‥できるんですよ。主人公は、『デデ・コルクトの書』の語り手である老コルクト、つまりオグズ族の賢者として知られる人である。 デデは、古老を意味する。 この欠落ある写本には、デデ・コルクトのメモが全て散りばめられているとしたのである。
それは、古代オグズ国家のハーンの中のハーン、バユンドゥル・ハーンによってなされる審問の過程が描かれる。12世紀アゼルバイジャンの北西の都市ガンジャで地震があり、その後のスパイ事件がテーマになっている。スパイを逃がしたのは誰か ? 内オグズの長、勇士サルル・カザンか ? 婚礼の準備をしていたベイレキが襲われ、捕囚され、バイブドルの砦に16年もの長きに亘って監禁される切っ掛けとなる密告をしたのは誰か ? 栄えある英雄ベキルが足を折ったことを敵に通報し、襲おうとしたのは誰か ? この地震に襲われた寄る辺ない町を敵は無慈悲に襲撃しようとしているのだ。この審問によって内オグズと外オグズの間に起こる軋轢、内紛の原因が明かされる。本物の『デデ・コルクトの書』自体もなかなか魅力的なのだけれど、著者は、それを縦横に活用しながら一篇の推理小説に仕立てるのである。編集力がほとばしる傑作と言っていい。
今回はこのオグズの史詩を基に描かれたアゼルバイジャンの作家カマル・アブドゥッラの小説『欠落ある写本』をご紹介する。はて、アゼルバイジャン ? ‥‥何処にあったっけ。調べてみなければなりません。
著者カマル・アブドゥッラ
カマル・アブドゥッラは、1950年アゼルバイジャンの首都バクーに生まれる。父は教師で、母は医師という家庭で育った。アゼルバイジャン国立大学哲学部で学んだ後、ソ連科学アカデミーの言語学研究所でテュルク (チュルク) 語を学び、叙事詩デデ・コルクトに関する論文で博士号を取得。1977年から1984年までアゼルバイジャン科学アカデミーの言語学研究所において研究員やテュルク語学科長を務めながら1984年に『アゼルバイジャン語の構文の理論的問題』で言語学の博士号を取得した。言語学のエキスパートでもある。また、一時期、文学、芸術、科学に関するテレビ番組にも関わっているようだ。外交的な性格を窺わせる。
テュルク系民族の古代叙事詩文学の研究者として活躍し、アゼルバイジャン外国語大学、トルコのウルダッグ大学、アゼルバイジャン外交アカデミーなどで教鞭を執った。アゼルバイジャン・ロシア語・ロシア文学教育研究所センター長、バクー・スラヴィック大学、アゼルバイジャン言語大学で学長を歴任する一方で、国務参事官、文化財団理事長、バクー国際多文化共生センター評議会議長などの公人でもある。昔の中国で言えば、士大夫のような人だと言っていい。最近でいうと、アンドレ・マルローといったら言い過ぎだろうか。学術書、文学研究、文学批評、美学などの著書の他、『秘められた「デデ・コルト」』があり、邦訳があるものとしては本書『欠落ある写本』及び『魔術師の谷』がある。
僕は、『デデ・コルクトの書』を並行し読んで楽しんだのだけれど、もし、手に入れば併読されることをお勧めしたい。
バユンドゥル・ハーンの疑惑
その日、ハーンの中のハーンであるバユンドゥル・ハーンは、コルクトを呼び寄せ、良くないことが国に起こるという。スパイを捕らえたが、誰かが、その者を地下牢から解放し、逃がした。共に真相を明らかにしたいとハーンはいうのである。しかし、コルクトはハーンが全てを知っていて、自分からもその情報を聞きたがっているのだ、下手に何かを言えば、身の破滅にもなりかねないと心胆を寒からしめる。ハーンの影、懐刀のクルバシュだけがハーンの秘密の全てを知っている。
ハーンは、オグズの重鎮・勇者サルル・カザンを召喚した。最も信頼しているベグ (族長) だった。ハーンは問う、スパイの脱走を助けたのは誰だ。クルバシュが、カザンの頭を締め付けるとカザンは失神した。頭から水をかけられ蘇生したカザンは、馬の口のアルズ・コジャがスパイをさらいましたと母に誓ってと述べるのだった。かつて、サルル・カザンが狩りに出かけた時、留守に異教徒によって幕舎が襲撃され、カザンの母親、息子のウルズ、妻でありハーンの娘であるボルラ・ハトゥンが一族郎党と共に捕らえられる。ハトゥンは高貴な女性への尊称だ。彼らを救いに行ったカザンは、意外にも異教徒の首領に全てをお前に与えるが母だけは返せと迫るのである。(『デデ・コルクトの書』第二話 サルル・カザンの幕舎が掠奪された物語を語る)。アルズとは、カザンが若いころから仲の悪い叔父であった。
コルクトはハーンにこう語る。「我がハーンよ、聞かないでください。私に問わないでください。ここでカザンはアルズの名を挙げました――それはあなたも聞いての通りです。私に問わないでください。お望みの者に聞いてください、だが私だけには聞かないでほしい。よいですか――内オグズと外オグズは、今やもはや昔の全オグズではありませぬ。我がハーンよ、疑いもなく、彼らの間には憎しみが生じております。全能のテングリよ、ハーンをお守りください ! (伊藤一郎 訳)」しかし、コルクトは話さざるを得なくなり、話は、三日三晩続くが、その写本の箇所は、すっかり汚損され判読できない。話の展開のうえで写本の破損と途切れは、巧みに読者の意識のカーソルを変移させていく。
ヤクザ者のベイレキとべギルの屈辱
『デデ・コルクトの書』 1300年記念切手
アゼルバイジャン
コルクトは、ベイレキという若者の名付け親となるよう、その両親に招かれる。しかし、この若者の心はコルクトの心を凍らせ、黄色い毒蛇のような疑いを蠢かせた。この若者は、狂暴な敵から商人たちを守ったことで名声を得たが、一人で多勢を相手にして怖くなかったかとコルクトが聞くと、盗賊などはいなかったと答える。自分と仲間の狂言だったし、首を刎ねたのは、一人だけで、商人の一人に傷を負わせて奪った商品を自分のものにしようとした裏切り者だったが、それも、その双子の違う方を斬ったのだと平然と言うのである。このことは、自分の副官の他、あなた以外は誰も知らないという。
コルクトは雷に打たれたように立ちすくんだ。このヤクザ者は、自分に秘密を結わえ付け縄をかけたのだという。ベイレキの秘密を守る運命が自分に義務付けられたのだというのだ。これは辛い定めだった。罪を暴かれ辱めを受けた殺人者、自分の子の本当の父親を知っている母親、その子を疑う父親、愛されているのに愛せない者、愛しているが愛されない者、全てのオグズの秘密がコルクトに打ち明けられる。彼は、絶対に秘密を漏らしたりしないからだ。彼が重圧に耐え、生きてこれたのは、それを全て輝光石に托してきたからだったという。
ここからは、コルクトがハーンに語る場面が続く。『デデ・コルクトの書』の話が下敷きになっているが要旨は別枠に掲載しておいたので興味があればご覧いただくと良い。
バイブルトの城壁
コルクトは、バイブルド (バイブルト) の砦でベイレキが幽閉されている情景を幻視したが、敵の首領の娘とねんごろになっている場面だった ( 第三話 バイ・ピュレの子バムス・ベイレキの物語を語る) 。ついで、アルズ・コジャの子バサトが独眼鬼との一騎打ちの場面を幻視する。これは、デペギョズという独眼鬼を打ち殺す話 ( 第八話 バサトがデペギョズを殺した物語を語る) がベースとなっていた。『オデュッセイア』に登場するキュクロプスの一人オリュペーモスを連想させる話だ。
そしてべギルとカザンとが衝突した話が語られる。ある日、ベキルはハーンに呼ばれ、カズルク・コジャの子イェゲネキの遠征について相談を受ける ( 第七話 カズルク・コジャの子イェゲネキの物語を語る)。その後で、大掛かりな狩りに参加する。弓の名手だったべギルだったが、サルル・カザンは技量は馬のもので勇者のものではないとべギルを貶めた。カザンの腹心のベイレキもベキルをなじった。彼は、腹を立ててハーンからの贈り物を投げ捨てて自分の幕舎に帰るが、妻に宥められ、気晴らしに狩りに出た。ところが鹿を狩る最中に誤って岩に足をぶつけ骨折してしまうのである。間者がベキルの骨折を知ると敵が攻めて来るが息子のエムレンが迎え撃った ( 第九話 べギルの子エムレンの物語を語る)。エムレンは、斬り殺されるすんでのところでコルクトの輝光石の力によって救われるのだった。
かくして、カザンはアルズと反目し、アルズとベイレキは反目し、ベイレキはベキルと反目する。オグズは、かつてのオグズではなくなっていた。
孕み女とスパイ
『デデ・コルクトの書』 ドレスデン市立図書館所蔵 16世紀
バユンドゥル・ハーンはカザンの側近であるシェルシャムサッディンを喚問する。ハーンは、お前たちは〈異教徒の息子の異教徒〉を穴に放り込み、格子で覆い、鍵をかけ、その夜、ファティマという孕み女と会ったろうと問い詰める。答えを失ったシェルシャムサッディンは、危うく拷問にかけられるところだった。彼は、カザンの妻ボルラ・ハトゥンがベイレキと密会し、カザンにスパイが現れたと告げるように、スパイはアルズの息子バサトだと言うように彼に命じたとハーンに話す。
しかし、ベイレキはカザンにスパイの名を告げず、じれたカザンはコルクトから授けられた小箱の中にあった魔法の髪の毛を燃やして彼を呼び出した。コルクトは問い詰められ、とうとうスパイは孕み腹のファティマという女の一人息子だと語る。一人息子はシェルシャムサッディンによって捕らえられ、土牢の穴に入れられるが、彼の母親である孕み女がシェルシャムサッディンを訪ねて、息子は、お前との間の子だと語ったと述べるのである。ハーンをはじめコルクトたちも唖然とするのだった。
その後、カザンの部屋から孕み女が出てくるのをシェルシャムサッディンは見た。翌日、カザンは小規模な評定を開いた。オグズにスパイが現れ、ファティマの子が捕らえられている。全くの子共だが、どう扱えばよいかとカザンは諮問する。オグズに騒乱を持ち込むべきではないとベキルが述べ、アルズも賛成し、ベイレキはカザンの思うとおりにと答えた。カザンは、ファティマの息子を釈放するように命じたが、ベイレキは他国に追放するように進言する。解放された息子を母親は黙って肩を抱き、立たせるとゆっくりとカザンらのそばを通って行った、その後、母子の消息は杳 (よう) として知れないとシェルシャムサッディンは語り終えるのだった。
ヒズルとシャー
オスマントルコのセリフ1世とサファヴィー朝ペルシアのイスマーイール1世との歴史的決戦は、アナトリア東部のチャルディラーンで行われた。歴史上では、オスマントルコの銃火器が、サファヴィー門徒の不敗の騎馬軍団クズルバシュの神話を打ち砕いた戦いとして知られる。織田信長と武田勝頼との長篠の戦いによく比肩される。この戦いでサファヴィー朝のイスマーイール1世は捕囚される寸前で逃れた。
チャルディラーンの戦いの古戦場とモニュメント
『シャー・イスマーイールの歴史』 大英図書館
シャー・イスマーイールが、チャルディラーンの戦い (1514年) でアタク・ベグを倒す場面。
『欠落ある写本』に戻ろう。それより前、イスマーイール・シャーの側近フセイン・べク・レレは、秘かにシャー (王) の影武者を探していた。そして、ある村でシャーと瓜二つのヒズルを見つけたのである。ちなみに、『デデ・コルクトの書』で、ヒズルは聖者として描かれている。しかし、シャーが激しく、決然とした性格で、罪には容赦なく、君主あるいは最高指導者としての自己の使命を信じ、神に選ばれた者として振る舞ったのに対して、ヒズルは従順で柔和、かつ優雅で詩を好むような性格だった。ベク・レレは時にヒズルを哀れになることがあった。
チャルディラーンの戦いで、敵がシャーの天幕まで迫った時、ヒズルを引き寄せてシャーはこう述べた。「立つのだ、若者よ ! 」「立つのだ、我がシャーよ。戦いの命運は尽きた。私は去る。おまえは残るのだ。どうかお願いだ、少しだけ頭巾をとってくれ‥‥」シャーはヒズルの顔をじっと眺めた後、これからは私とレレなしで人々の前に立つのだと、シャーは決して死んではならないと諭した。自分はセリムを罰することなく捨て置くことは出来ないと述べ、戦いの中に身を投じていったのである。この時からヒズルはイスマーイール・シャーとなるのであった。
ヒズルは、後に、奇跡的に生きていたレレにこう回想する。私は、あの時、シャーにこう問いかけた。「我がシャーよ、我らは誰を欺くのですか ? 」シャーは答えた。「我らは誰も欺かぬ。内なる隠れた真実は多くの者たちにはいかなる意味も持たぬ。すべては外に見える本質の中にあるのだ。これを肝に命じておけ」
一見、全く異なる (時代も下って16世紀初頭の) エピソードとして挿入されたかのようなヒルズとシャーの物語は、バユンドゥル・ハーンの詰問の結果にも、そして、ガンジャ (ギャンジャ) の地震にも交響していく共通するある哲学的命題というべきものの調べを奏でていく。そして、それは『デデ・コルクトの書』を生きた素材として構築された素晴らしい大伽藍でもあるのだ。隻手 (せきしゅ) の声さえ引用する著者は、深い思索者と言える。
物語は、ここで折り返し点を迎える。後半は、カザンの妻ボルラ・ハトゥンとベイレキの妻バヌチチェキがハーンにそれぞれの夫のことで訴え出る。ボルラ・ハトゥンはスパイが誰だかは分からないと恍 (とぼ) け、ベイレキの妻バヌチチェキはスパイはアルズだと訴えた。ここで再びカザンが召喚され尋問を受け、バユンドゥル・ハーンにこう打ち明けた。〈四十人の愛人を持つ孕み腹のファティマ〉の息子、すなわちスパイに対する小規模な評定の前に、彼女から息子はお前の子だと告げられたと。ハーンはこみ上げる笑いを噛み殺していた。カザンを帰すと、コルクトにこう述べる。誰よりも賢かったのは、この孕み女だ。小評定を待ちきれずベクたちのそれぞれにスパイはおまえの息子だと信じさせたのだ。最後にアルズが呼び出された。ハーンとコルクトが導き出した結論とはどのようなものであったのか。後半をご紹介する。
主な登場人物
アルズの反論
バユンドゥル・ハーンに呼び出されたアルズ・コジャは、紛然として、すべては独眼竜を倒した息子のバサトにたいする嫉妬から生じたことだとハーンに述べる。バサトへの褒美としてハーンの娘ボルラ・ハトゥンとの縁組を望んだのは、ハトゥンもバサトに一目ぼれしていたからだ。しかし、ハーンが、娘のボルラをカザンと結婚させたことを再び蒸し返した。それに対して、ハーンは小評定の前に孕み女と会って何を話したのかと問う。そして、カザンから聞いた孕み女のセリフを全て繰り返してみせると、アルズは見る見るうちに青ざめたのだった。
アルズは、オズク全体が独眼鬼の犠牲になっていた時、敵地のバイブルドに逃げこんでいたのはカザンの腹心であるベイレキであり、スパイの一件は彼が自分に嫌疑をかけさせるために仕組んだ罠だと断言する。ハーンは、その情報の出どころをアルズに聞くと、彼は、ある峠でバイブルドからの隊商を襲った時に、その者からベレイキがその地に客分となっていたことを聞いたと答えた。しかし、襲撃はハーンの許しなく行えず、許しがあった場合でも戦利品の五分の一を納めなければならない掟だったが、アルズはそれをしていなかった。ハーンはアルズがオグズの中で反目の芽をそだてたことを指摘し、その目は深い悲しみに曇った。
バユンドゥル・ハーンの裁定
裁定が下される日、ハーンはコルクトと二人だけになった。ハーンは、コルクトにこの件について話すべきもう一人の人間はお前だと迫った。コルクトの胸は締め付けられ汗が滝のように流れたが、孕み腹の女をそそのかしたのは自分だと白状する。ハーンは、その答に満足すると、自分の審問の目的は、スパイのことではなく、オグズを内部から破壊しようとする〈やくざの子のやくざ〉を暴くことだったと打ち明けた。カザンは全オグズを内側から瓦解させようとしている獣だとハーンは言う。しかし、彼を罰すればオグズ全体の崩壊を招き、アルズを罰しようとしてもあれこれ言い逃れるだろうと述べた。そして、コルクトにこの件の処置はどうしたものかと問うた。彼は、犠牲者が一人必要ですと答える。その者の名は‥‥ この秘密は『デデ・コルクトの書』の中にある。
古い世界と新しい世界 そして、隻手の声
裁定の最後にコルクトは、輝光石が囁いた通りにハーンにこう述べた。「バユンドゥル・ハーンよ、我らの世界は古い。‥‥我らが考えたことは全て秘中の秘とならねばなりません。私はそれを自分の心の中に葬り去りましょう。だが、我らの世界は、それが永遠に消え去るとしたらいったい誰に秘密を伝えられるでしょう ? ‥‥ 我らの世界は経験でき、また経験され得ぬことを既に経験している。既に石弓に代わって銃が考え出され、もはや次に考え出すものとてありません (伊藤一郎 訳)。」これに対してハーンはこう述べた。
「だが、コルクト、我が子よ、お前が心配している世界は全く古くなどない。若い、生まれたてなのだ、我らの世界は‥‥望みなく若い。人の命の終わりは死が測り取る。我らの世界は果てがない、我が子よ、つまり我らの世界は死を知らぬ。よいか‥‥誰がこのことを打ち明けてくれたか分るか ? ‥‥わが父だ ! (伊藤一郎 訳)」ハーンの父親は偉大なシャーマンで、こうハーンに話した。ガンジャの地震の後、犠牲者たちの上を無数の鳥たちが舞い飛ぶ恐怖をある占星術師が鎮めた。彼はこう述べたのである。これは死者たちの魂だ、飛び回るのに疲れたら我らのもとから飛び去るだろうと。
「すべては外に見える本質の中にあるのだ。」チャルディラーンの戦いでイスマーイール・シャーが影武者のヒルズに述べたこの言葉を思い出してほしい。それは、隻手 (せきしゅ) の音声の意味を問うているのではないだろうか。
付 オグズ族の歴史と『デデ・コルクトの書』
6世紀後半の突厥 552年の成立、582年に東西に分裂し、741年に西突厥が745年に東突厥は滅んでいる。
東洋文庫の『デデ・コルクトの書』をめぐる歴史について林佳世子さんは、こう書いている。6世紀頃、バイカル湖の南からアラル海、カスピ海あたりまで広がっていたテュルク系遊牧民族の一部にオグズ族があった。テュルク系遊牧民は、人種としては、もともとモンゴロイドといわれている。その中にトクズ・オグズ (中国名鉄勒/Türkの音写) と呼ばれる部族連合体があり、同じテュルク系の突厥に従属と離反を繰り返していた。だが、8世紀に突厥がウイグル族によって滅ぼされるとオグズ族は西方に移動するようになる。遊牧民族の習いだ。10世紀にはアラル海に注ぐシル川 (ダリアはペルシア語で川の意) の中・下流域を版図とするようになった。
テュルクは、広義にはテュルク語を話す遊牧民族全般を指し、狭義ではトルコ人を指している。テュルク語は、日本語と同じように目的語や助詞に活用語尾の付く膠着語で母音の調音のための一種のクセがあると言われる。日本語のように主語ー目的語ー述語という語順になるものが多いらしい。ちなみに、トルキスタンとは「テュルク人の土地」を指す言葉だった。東トルキスタンは、およそ新疆ウイグル自治区の辺りを、西トルキスタンは、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの辺りを指している。
マー・ワラー・アンナフル地域 ギリシア・ローマではトランスオクシアナ(オクサス川=アム川より向こうの地)と呼ばれた。
10世紀の中央アジアには初のテュルク系イスラム国家カラ・ハーン朝 (840-1212) が成立し、999年に西トルキスタンにあったペルシア系のサーマーン朝に侵攻して、フェルドウスキーが『シャー・ナーメ』を完成させる前に滅ぼしてしまった。その領土は、ほぼ、シル川とアム川に挟まれたマー・ワラー・アンナフル (斜線部) とよばれた地域にあたる。これによって、イスラム化が少しずつ進行していったが、その北側や西側ではオグズを含め、キプチャクやウイグルなどが鎬を削っていたのである。こうした部族間の戦いの中で、君主の記憶や歴史的な戦いを伝える伝承が産み出されていった。それらが『デデ・コルクトの書』の原形となっていく。ちなみに、伝承によれば、カラ・ハーンの息子であるオグズ・ハーンがオグズ族の祖とされ、そこから内オグズ12氏族と外オグズ12氏族の計24の氏族に分かれたとされる。デデ・コルクトは、外オグズのバヤト氏の出身とされていて、吟遊詩人オザンとしての性格も持っていた。『欠落ある写本』ではトリックスター的な要素も見せている。
セルジューク朝版図 (1038-1157/滅亡年は異説が色々ある)
11世紀には、部族の一部が西アジア・イスラム世界、つまりイラン高原、アゼルバイジャン、アナトリアへと移動した。こうした西進の過程で、もともと、モンゴロイド人種だったオグズは、コーカソイドとの混血が進んで行く。ちなみに、遊牧生活をしながらムスリムとなったテュルク系遊牧部族のことをペルシア語でトゥルクマーンという。そうそう、最近トルコ語も分からないのにkuruluş osman/オスマンの組織というトルコのテレビドラマを見ているのだけれど、役者さんの容貌はバラエティに富んでいる。オスマン帝国の創始者のドラマだ。1038年には、オグズ族の中のクヌク氏族のリーダーであるトゥグリル・ベグがイラン北東部の二シャープルに無血入場してセルジューク朝を打ち立て、1055年にはバグダッドのカリフからスルタンの称号が与えられる。こうしてイラン北東からアナトリアに至る地域にはオグズ族の遊牧民が広く分布するようになった。
9世紀頃から始まる中央アジアのイスラム化は、吟遊詩人オザンが物語る「オグズ・ハーン伝承」や「デデ・コルクト伝承」などのオグズ族の伝承にも変化をもたらしていった。東アナトリアのオグズ族たちは、黒海沿岸やコーカサスのグルジア系やギリシア系のキリスト教徒たちと勢力争いを演じるようになり、かつてのテュルク系同士の戦い、つまりベチェネグ族やキプチャク族とのシル川での戦いの伝承の内へ、そういった異教徒たちとの戦いの物語が紛れ込むようになり、ホメロスやエウリピデスに関連しそうなものまで吸収されていくのである。このアナトリアでの新たなエピソードが加味され、かつての伝承が変化していったと考えられる。著者のアブドゥッラが、この小説『欠落ある写本』に設定した国立写本研究所の12世紀の写本とは、そのようなものをさしているのである。
『デデ・コルクトの書』に登場する地域
オスマン帝国とアク・コユルン朝(白羊朝/1378-1508)
エルズルム トルコ
時代は下って14世紀後半には、バユンドゥル (バヤンドル) 氏族のカラ・ユルク・オスマンがアク・コユルン (白羊) 朝の実質的な始祖として勢力を拡大した。そして、第4代君主ウズン・ハサンの時代にライバルの黒羊朝を倒して東部アナトリアからイラン西部までの覇権を確立する。しかし、ウズン・ハサンの死後王位争いが続き次第に衰退していった。
16世紀に入ると、神秘主義教団サファヴィーの教主イスマーイールによってアク・コユルン朝は滅び、サファヴィー朝が成立するけれど、イスマーイール1世の母はウズン・ハサンの娘だったし、サファヴィーの軍隊もアク・コユルン朝を支えた遊牧民族だったと言われる。それをペルシアの官僚が支え、国家を成り立たせていたのである。
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