流風一詩 第14話 ハン・ガン『夜の素描 4』




『夜の素描 4』

忘れていない

私が持っているすべての生き生きとしたものは
砕けるものたち

砕ける舌と唇、
温かい二つのこぶし

砕ける澄んだ二つの目で

とりわけ大きなひとひらのの雪が
黒い水溜まりの薄氷に降り立つのを見つめる

       何かが
       光る

光るときまで



(ハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』より
きむ・ふな 斎藤真理子 訳)

 今回の流風一詩は韓国の小説家・詩人であるハン・ガン (韓江) の詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』からいくつかの詩をご紹介したいと思っている。2024年にノーベル賞を受賞して一躍話題となり、今もなかなかの人気のようだ。韓国の作家については寡聞にして多くを知らない。キム・ヘスンをご紹介したことがあるくらいだけれど、この人の作品も素晴らしいと思う。なによりハンの作品では絵画などの視覚芸術がよく登場することが、絵を描く僕には嬉しい。

筆者 ハン・ガン

 ハン・ガン (韓江) は1970年に韓国の現在の光州広域市に生まれている。父は小説家のハン・スンウォン (韓勝源) で、母親を描いた『月光色のチマ』や 全羅南道の海を背景にクッといった巫俗などの土着の人々を描いた作品『海神の沼』で知られる。ちなみに兄と弟も文学者である。ハンの家族は既にソウルに移っていたようだが、1980年は光州事件の起こった年である。そのことが象徴するように80年代の韓国は民主化運動が高まりをみせ、詩がミリオンセラーになる時代だったという。ハンの青春はそんな時代のなかにあった。延世大学国文科を卒業。1993年頃から詩を発表し、翌、1994年にソウル新聞に短編小説『赤い碇 (いかり) 』で小説家としてデヴューを飾った。

 2005年には『蒙古斑』がイ・サン (李箱) 文学賞大賞を受賞したが、1970年代に生まれた作家としての初の受賞であり、父の勝源も1988年に同賞を受賞している。2013年に初の詩集となる本書『引き出しに夕方をしまっておいた』を上梓。2016年、『蒙古斑』などの三篇をまとめた『菜食主義者』でブッカー国際賞受賞。2024年にアジア人女性初のノーベル文学賞を受賞した。2026年、『別れを告げない』の英語版で全米批評家協会賞を受賞。韓国の作家の受賞はキム・ヘスン (金恵順) の詩集『翼の幻想痛』が受賞して以来2人目となり、小説部門での受賞は初めてである。


滲みる痛み

 ミース・ファン・デル・ローエの設計、フィリップ・ジョンソンのデザインという豪華メンバーが関わったニューヨークのシーグラムビル。そのビル内のフォーシーズンズというレストランを飾るための絵画がマーク・ロスコに依頼される。シーグラム壁画と呼ばれる連作が生まれるが、キャンバスに描かれている。彼には、ヨーロッパの前衛芸術家の血が流れていたのか、この作品について「この部屋で食事するろくでなしが、ひとり残らず食欲を失くすようなものを描きたい」と述べたという (ジェイムズ・E・B・ブレズリン『マーク・ロスコ伝記』/木下哲夫 訳) 。 ちなみにロスコは自分の作品を人目に晒すことに対して散々思い悩み煩悶するタイプの作家で、展覧会が近づくと実際に体がおかしくなり、嘔吐したり寝込んだりしたという。

 ロスコはロシア系のユダヤ人でアメリカで活躍した代表的な抽象表現主義の画家だった。その巨大なキャンバスに塗り拡げられる絵の具は見る者を包み込み塗り重ねられた色彩は茫漠たる形にも関わらず人に涙を催させるという作品で知られる。次のハン・ガンの詩はロスコをテーマにした二つの作品の内の一つである。



マーク・ロスコと私 2

ひとりの人間の霊魂を切り裂いて
中を見せてくれたなら こうなのだろう
それで
血の匂いがするのだ
筆ではなくスポンジで塗りつけた
永遠に滲んでいく絵の具の中から
静かな 赤い
魂の血の匂い

このようにして止まるのだ
記憶が
予感が
羅針盤が

私が
私であることも

染み込んでくるもの
滲んでくるもの

触ることのできる なみのように
私の毛細血管の中へ
あなたの血が

闇と光の
間に

‥‥


(ハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』より
きむ・ふな 斎藤真理子 訳)

 「霊魂を切り裂いて」とは魂の解剖なのだろうか。その中には身体と同じように血があり、キャンバスの上の毛細血管の拡がりのように、滲む赤い絵の具のように記憶や予感や羅針盤としての方向感覚が塗りつけられる。ロスコは人間の感情を喚起しうるような絵画を描きたいと願った。本人は宗教的な体験と呼んでいたが、そこには死の予兆も含まれていた。「死に寄せる深い関心――命には限りがあると身近に感じること (プラット・インスティテュートでの講演)/木下哲夫 訳 」と述べている。

 ロスコには亡くなる10年前ごろから大動脈瘤の疾患があった。それが悪化すると共に結婚生活は破綻し、生活は荒れて行ったと言われる。1970年の二月に台所で手首を切って血まみれで倒れている姿を助手が発見することとなる。このロスコが亡くなった年、ハン・ガンは生まれている。そのことはロスコをテーマにした最初の詩『マーク・ロスコと私 ―― 二月の死』に、こう詠われている。「死と命の間にできた/裂け目のような二月が/踏んばりに/踏んばって やがて癒えていくころ」。


ハン・ガンのヴィジュアル・イメージ

 今、話題と言うには少し時間が経過してしまったけれど『菜食主義者』を読んでみた。2002~2005年に発表された三篇の中編小説「菜食主義者」「蒙古斑」「木の花火」をまとめたもので30代前半の作品ということを考えると驚くべきものだ。揺るぎない完成された文体、物語の意外な展開、三篇に布石されたそれぞれのイメージ、無駄のない的確で飽きさせない描写などは優れた映画の場面展開を思わせる。(実際に映画化された。) 訳の良さもあるだろう。彼女の作品そのものが、とてもヴィジュアル的だと言える。

 僕自身も絵画よりも他のジャンル、例えば細川俊夫の音楽やパウル・ツェランやマフムード・ダルウィーシュといった詩人たちに影響を受けてきたので彼女の意図するところも何となくわかる。

 上記のマーク・ロスコの詩もそうだけれど、この作品で興味深いのはヴィジュアル・アートやそれに関連するイメージが登場することだ。とりわけ二篇目の「蒙古斑」は悪夢による精神的な失調によって肉が食べられなくなったヨンへに蒙古斑があることを知ったビデオアーティストの義兄が花のボディペインティングを施して、その蒙古斑をメルクマールとした映像を撮影したいと思うことから話が展開する。ヨンへは植物に近づけることを内心喜び、それを拒絶することなく受け入れる。ここから急に場面は色彩と性的なイメージに溢れる世界になっていく。


ボディペインティング
シアトルの夏至パレード 2009

 三篇目の「木の花火」では精神分裂症で拒食症と診断されたヨンへの病院でのシーンが語られる。鼻からの流動食も喉を固めてガードしようとし、ひたすら植物になりたがり、死を願う彼女は病院で長時間逆立ちする。イ・サンの詩句からの影響もあるかもしれないが、ここには人間が転倒した植物だという古代からのイメージが投影されていると思われる。

 下図はユダヤ神秘主義に登場するセフィロトを樹に見立てたもので、セフィロトは原人間であるアダム・カドモンから世界が展開する様子を表現したものであり、そこに逆さの植物が重ねられている。錬金術書などに登場する図だ。人間は転倒した樹木として表象されているのである。ヨーゼフ・ボイスの『進化
というデッサン (『ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻』収載) の右上には人間と逆さの樹が並べられて描かれている。中国にもこの手の図像はある。が、どこで見たか思い出せない。


『セフィロトの樹』
ロバート・フラッド『両宇宙誌』第二巻

 ヨンへは血がさがって顔を充血させながら逆立ちを続ける。彼女は夢の中で自分の体から葉が出て、手から根が生え、股から花が咲こうとするので脚をぱっと広げる。花は女性の生殖器に重ねられているのである。人間には植物的な相と動物的な相がある。循環器系、消化器系や自律神経系は、いわば意識しなくても活動してくれる植物相であり、その植物相が人間の中で反乱を起こして暴力的な動物相を拒否し始めるとどうなるのか。死に至る生命の間の裂け目。それが精神的な疾患として現れるのか、そんな想像もできなくはない。

 しかし、この人間樹のイメージが全編を貫くテーマではないと思う。ボディペインティングと同様に大きな舞台装置の一つでしかないのであり、テーマは人間の心を侵食していく痛みと嫌悪であり死と生の間にある孤独、ヨンへと姉との絆である。


さらに歩む

 ハン・ガンの詩には、「もっと暗いところを探して」、「ひりひりする舌で押して吐き出したあなたが」、「血管が黒く干上がっていく前に」、「血を流す目をもっている」「いいね あなたは/命がなくて」、「生き生きしたものは砕け散るものたち」などの詩句が散見されるが、それは決してグロテスクにはならない静謐な痛みの表現に昇華される。冒頭の『夜の素描 4』などは心敬の「冷え寂び」の世界を彷彿とさせるものがある。

 だが、この状況からの変化の兆しも見えている。『ある夕方遅く 私は』という詩では「ごはんをたべなくちゃ」という言葉で終わる。『菜食主義者』を読んだ人は、この言葉が随分ポジティブに映るだろう。それを意識したのかどうか知らない。本書の最後の詩『夜の素描 5』ではこのような詩になっている。


夜の素描 5

死んだとばかり思っていた
黒い木がしげっていくのを見つめていた

見つめている間に夜になり

黄緑色の目から血が流れ
暗闇に舌が浸かり

消えかけていた光が
見えない刀で切っていく

(生きているから)
その根元に手を差しのべた



(ハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』より
きむ・ふな 斎藤真理子 訳)

 ハンは『菜食主義者』の「著者あとがき」(2011年) の中でこの小説を書いた頃、バスを待ちながら、なにげなく街路樹の根本を触った時、その感触が冷たい火のように自分の手のひらを焼き、胸には氷のような無数のひび割れができたと述べている。「生きているものと生きているものが出会ったということを、そして、もう手を離して、さらに歩まねばならないということを、その瞬間、私は認めざるをえませんでした (きむ・ふな 訳) 」というのである。

 一歩を踏み出す勇気だろうか。詩集『すべての、白いものたちの』の冒頭には3歳頃から胃痙攣と共に始まり予告なくやってくる片頭痛が彼女の日常を停止させ痛みの雫は刻一刻と彼女の時間と心を削り取ると述べている。片頭痛については夜稿百話+α3 に書いておいた。フィクションではないだろう。光は何かを予兆していく。それでも、まだ生きられていない時間の中で書かれていない本の中へと彼女は分け入ろうとする (『すべての、白いものたちの』) 。この『夜の素描 5』の詩の最後は印象的だった。今は子供が傍にいる。そうするより他に方法はなかったのである。



夜稿百話関連リンク

第24話  キム・ヘスン/金 惠順 『死の自叙伝』
第25話 ゲルショム・ショーレム『ユダヤ神秘主義』最終回 

夜稿百話+α3 オリヴァー・サックス『見てしまう人びと』

ハン・ガン著作 一部


ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

「1 私」「2 彼女」「3 すべての白いものたちの」という三部構成になっている散文詩集である。巻末の補足によると一章は「私」が生後間もなく亡くなった「姉」について語り、二章ではワルシャワの街で見る白いものたちを「彼女」= 「姉」の目を通して語る。ハンの作品には現実と非現実における境界領域が描かれることがよくある。第三章は再び「私」が「姉」への別れの挨拶として亡くなった母のための衣装を焼く。結婚する際に両親への報告として弟が贈答する衣装だが、既に亡くなっているので燃やして天に送るという儀式のようだ。これらが、それぞれの章の著者の意図とされているが、この詩集全体は、ほぼ境界領域と言っていいのではないか。空から降る雪片が儚く地面に融けてしまうような感覚なのである。


ハン・ガン『菜食主義者』

ハンの代表作の一つ。本文中にいくらかをご紹介しておいた。


ハン・ガン『少年が来る』

物語は光州事件で遺体が一時安置されていた尚武館での追悼式から始まる。遺体は最初、道庁の住民課窓口の廊下にあった。女子高生だったウンスク、裁縫師だったソンジュ、デモ中に銃撃され軍人に連れ去られたチョンデ、その姉の行方不明のチョンミ、市民軍をまとめようとする大学生のチンス、母親に説得されても帰宅しない中学生のトンホ。それらの登場人物たちの後日談がオムニバスに展開される。とりわけ亡くなったチョンデを描く第二章「黒い吐息」は圧巻だった。


ハン・ガン『別れを告げない』

光州事件を扱った『少年が来る』に続いて描かれた済州島 四・三事件を扱った作品。
編集者を辞め作家活動を始めたキョンハのもとにかつて編集社で一緒に取材していた映像作家のインソンから電話がかかる。自分は手の指を切断して再接着の処置のため今は動けない、代わりに済州島の自分の実家で飼っているインコに水やエサをやってほしいと頼まれる。早くしないと死ぬという。ソウルから飛行機に乗り戸惑いながら、かつて一度行ったことのあるインコしかいない済州島の山間の一軒家を尋ねるが夜の猛吹雪の中で片頭痛の発作に襲われそうになり凍死に怯える。やっと到着したインソンの実家でキョンハは夢とも現実ともつかないインソンとの会話を通じて、 四・三事件における、その家族の運命を知る。収監され射殺されたかもしれない叔父とその消息を必死で追うインソンの母親の前半生を知り、同時に奇跡的に解放された父親の運命を知る。数万人が虐殺された済州島 四・三事件を契機として家族の絆を描く作品となっている。
直接この事件に関することは後半に集中的に纏められていて、ハンの構成力の見事さに引き込まれる素晴らしい作品となっている。


関連図書


ジェイムズ・E・B・ブレズリン
『マーク・ロスコ伝記』

ニューヨークの旧YMCAのビルの中にあったロスコのアトリエは、聖堂を思わせる洞窟のような部屋で、元来は体育館だったという。堅い板張りの床はロスコがシーグラム壁画を描くのに使った糊のような赤い絵の具の染みで覆われていた。金持ちのためのシーグラム壁画をロスコは貧困と飢餓、宿無しの横行する荒廃した地域で描いたというのである。

ロスコは現在のラトビア のダウガウピルス (当時はロシア領のドヴィンスク) にユダヤ人の両親のもとに生まれている。本名はマーカス・ロスコウィッツ。父の仕事が不調だったことから一家は弟を頼ってオレゴン州のポートランドに移った。結果的に殺到するコサックとロシアの反ユダヤ主義から守られたことになる。しかし、しばらくして父親は病死してしまい、母と兄弟姉妹に経済的に支えられながら高校を出る。詩や音楽や絵画を愛した。1921年に反ユダヤ主義が高まっていたニューヨークのイェール大学で哲学学士号を目指して学ぶことになるが、二年後には退学した。アート・ステューデンツ・リーグに通う友人を訪ねたとき、ヌード・モデルのスケッチする様子を見たことを契機に絵画に関心を持つようになった。一方で演劇にも関心を寄せ、数ヶ月ポートランドに帰郷しクラーク・ゲーブルが所属した劇団で演劇を学んだりしている。青春の彷徨であろうか。1925年の初めにはブロードウェイのニュー・スクール・オブ・デザインでアーシル・ゴーキーに学んでいるが相性は良くなかったみたいで、秋にはアート・ステューデンツ・リーグに移って美術を預言と啓示と捉えるマックス・ウェーバーに学んでいる。アメリカのキュビズムを牽引した作家だ。だが、そこも八ヶ月でやめている。ほぼ独学言ってよかったのである。1930年頃にはミルトン・エイヴリー、アドルフ・ゴットリーブ、ジョン・グレアム、バーネット・ニューマン、ウォレス・パットナムといった抽象表現主義の作家として知られるようになる画家たちと知り合っている。

ロスコは大柄なずんぐりした体格で動きがぎこちなかったが音感が良く耳で聞きおぼえた曲をピアノで弾くことができたという。感受性は当てにならない要素であり、知識による強化が望ましいと考えていたが、本人はイェール大学をいきなり退学し、恋愛期間が四か月で最初の結婚をしたり、急にフォーシズンズ・レストランから作品を引き上げたりと画家のロバート・マザウェルは彼のことをイワン雷帝なみに気が短いと評していたという。衝動的でありながら、沈思黙考するタイプであり、じっと絵画を見つめ次の手をじっくり考えたし、本を読み文章を書くことで感受性を知性によって強化していたという。

「私の見るところ、抽象はあり得ない。どのような形であれ、部分であれ、生身の肉と骨の脈動する具体性をもたなければ、喜びや痛みを感じるひ弱さがなければ、何ものでもない。生命が呼吸しうる環境を提供しない絵は、まったく私の興味を引かない。」(「第九章 生命を持ち、呼吸するアート」冒頭より 木下哲夫 訳)

参考画像


光州広域市 遠望


シーグラムビル ニューヨーク 
1958年築


ボディペインティング
ワールド・ボディペインティング・フェスティバル 2007


『宇宙樹』 D.A.フレアー 
ヤコブ・ベーメの作品より

宇宙樹には古来より数々のヴァリエーションがあり、普遍的なイメージとして知られている。



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