第89話 クレチヤン・ド・トロワとアーサー王物語 part2『ペルスヴァルあるいは聖杯の物語』

 今回の夜稿百話は世界中にアーサー王のファンタジーを席巻させることになるクレチヤン・ド・トロワの作品をご紹介している。part1 では『獅子の騎士』をご紹介したけれど、今回はいよいよ『聖杯物語』の登場となる。映画インディ・ジョーンズの『最後の聖戦』でも、そのテーマになっていてショーン・コネリーがめちゃめちゃ渋かったのを憶えておられる方も多いだろう。しかし、英国の作家は勿論、ワーグナーや夏目漱石さえもその魅力には抗えなかったのである。

ウィンの夜

 昔は、別火の物忌みとかでお正月は火を使わないというしきたりもあったようだけれど、僕の子供の頃にはなかった。広島では既に廃れてしまっていたのか、我が家にはそういった慣習が無かったのか、よくは分からない。地方によって異なるのかもしれない。おせち料理は、主婦がお正月から働かなくてもいいようにと言う意味もあるのだと思うけれど、この物忌みのためだと言う人もいる。ともあれ新たな年神様を迎えるために門松を立て、鏡餅を供えるのだが、大晦日から元旦への夜は物も事も時も一旦死して新たな年が生まれるクライマックスだった。柳田國男さんなんかは、この来訪神は穀物神で山の神だと書いている。多分、はるかな昔は平地の田より水の管理が容易な山の棚田が主流だったのかもしれない。この山神様は、小正月にとんどの火を焚いて山に送られるのである。


 王の砦から見た捕虜の塚 タラの丘 アイルランド

 ところで、かつてケルトの社会では、大晦日は10月末日で、新年は11月1日だったそうだ。この古い年が死に、新しい年が目覚める大晦日の夜、彼らの神話では妖精の塚の扉が開かれて先祖の霊や異界の者たちがこの世に現れ、死者が未来を予言するのである。死者の訪れを待ち霊を供養する、これが、アイルランド・ゲール語で「夏の終り」を意味する「サーウィン」の夜だという (鶴岡真弓『ケルトの想像力』)。今日のハロウィン (10月31日) の起源だ。しかし、旧と新、生と死が交錯する夜に新たに来るものは、冬の暗黒でもあったから人々は浄化の篝火を焚いた。この冬の始まりは、古い王が殺され、新しい王が現れるとされている。この万霊節の夜、アーサー王は従者を従え馬でタラの丘を一回りすると言う (井村君江『ケルトの神話』)。

夏目漱石 『薤露行』日本のアーサー伝説

 最近では、アーサー王伝説と北東イラン系騎馬民族のスキタイやサルマティアの伝説との共通性を指摘する仮説が登場していて、東方起源説が取りざたされている。C・スコット・リトルトンとリンダ・マルカーの『アーサー王伝説の起源』という著書だ。「スキタイからキャメロットへ」という副題がついている。コーカサスのアラン人の祖先であるオセット人の「ナルト叙事詩」にも近いとされているようだ。アラン人がローマの傭兵として雇われてガリアにその伝承を伝えたというものだが、日本にもちゃんと伝わっている。


王妃グニエーブル/仏 (グエヌエラ/羅) 
ドラ・カーティス画 1905

  「百、二百、群がる騎士は数をつくして北の方なる試合へと急げば、石に古りたるカメロットの館には、ただ王妃ギニヴィアの長く引く衣の裾の響のみ残る。薄紅の一枚をむざとばかりに肩より投げかけて、白き二の腕さえあからさまなるに、裳のみは軽く捌(さば)く珠の履 (くつ) をつゝみて、なお余りあるを後ろざまに石階の二級に垂れて登る。」

 なんか、格調高い。英国留学の手土産にアーサー物語を夏目漱石は、こう綴った。その名も『薤露行/かいろこう』である。トマス・マロリ― (1399-1471) のアーサー物語は、簡素素朴で良いけれど、小説としては散漫だから自分はより小説に近いものに改めたと漱石は書いていた。大人の小説にしたかったのだろう。それに、アルフレッド・テニソン  (1809-1892) の『王の牧歌』の影響は大きかったと言われる。

 題名の『薤露行』の『薤露』は、漢の田横が自死した時に門人がこれを悼んで作った『楽府/がふ』にある哀歌である。人の命は、薤 (かい/らっきょうや大ニラ) の葉の上の露のように儚いことを指していて、「人死んで一たび去り何時か帰る」と詠われていた。薤露行というのは葬送の詩であろう。


江藤 淳『漱石とアーサー王伝説』

 漱石はそんな感じの小説にしたかったのだろう。漢籍の素養の豊かさが偲ばれる。テーマは貴人の葬送であり、古代の中国と中世の英国とが死を媒介に反響し合っていると『漱石とアーサー王伝説』の著者、比較文学者の江藤淳さんは書いている。罪と愛の甘美に身悶えするランスロットとアーサーの王妃ギニヴィアとの禁断の絆は悲劇を呼ぶ。因みにギニヴィアはグニエーブル/仏の英語読みである。

 ランスロットへの報われぬ愛に身罷ったエレーンが乗せられた舟が波に揺蕩 (たゆた) う時、シャロットの妖女の悲しき声が「うつせみの世を、‥‥‥うつつ‥‥‥に住めば‥‥‥」と尾を引いて消えた。最終章には、こんな葬送の件 (くだり) がある。最も美しい、涼しき顔を、雲と乱るる黄金の髪に埋めて、笑える如く横たわるエレーンの屍を載せた舟は杳然 (ようぜん/遥かに遠く) として何處ともなく去っていく。この葬送の舟は、彼女の魂を異界の扉へと導いていくようだ。

そもそもどうして円卓なのか ?

 ウァース『ブリュ』の円卓

 日本に飛び火するほど感染力の強い「アーサー王と円卓の騎士」だが、ファンタジーものの偉大な源流の一つと言っていい。『里見八犬伝』とか『水滸伝』なんかもそうだけど、何人かの登場人物にそれぞれ物語りを割り振って色々な冒険譚を創り上げ、それらを一つの環に繋げて壮大な物語集にしていくのは、なかなか興味深い手法だ。しかし、何故、円卓なんだろう。この頃の宮廷では円卓が流行っていたのだろうか?


 『ランスロットと聖杯』15世紀 写本 
五旬節を祝うために集うアーサー王と騎士たち

 どうも、円卓のもともとの起こりは、ノルマンディーの学僧ウァースが、part1でご紹介したブリタニア版の『アエネアス』といわれる歴史物語、ジェフリー・オヴ・モンマスが書いた『ブリタニア王列伝』を翻訳・翻案した『ブリュ物語』の中で高貴な武将達が自分こそ最高の騎士であると言い張って譲らないために上席権争いの調停として円卓を設定したことによるらしい。前回と同様、アーサー王伝説の研究の第一人者であるジャン・フラピエの『アーサー王伝説とクレチヤン・ド・トロワ』からご紹介する。名著だ。


 ウァース(1115頃-1183頃)『ブリュ』1155

 ウァースは、ウェールズかアルモニア生まれの学僧であると言われている。この『ブリュ』は1155年に完成し、プランタジネット朝のヘンリー2世の妻だったアリエノール・ダキテーヌに献呈されたもののようで、正式には『ブリトン人の偉勲』と題されたものだった。フラピエによれば、『ブリュ』の名称は、ブリタニアの創始者ブルートゥスに由来するらしい。この作品は、先行するブリタニア王列伝』の翻訳ものの群を抜いてしまった。

 これら翻訳ものは、ジェフリーの作品を基にしているもののウェールズ語に訳す時に、その固有の名前や伝承のディテールを挿入していて、ある種の改変があるらしい。一つの言語から別の言語に移し替える時、多くの名前は音声学的な法則の枠内で歪められる運命にあるとフラピエは言う。例えば、ラテン語の「エウゲニウス」は、ウェールズ語で「オウェイン」Owainとか「イウェイン」Ywainとなるけれど、「y」は「i」と発音されるために「イヴァン」の綴りがあらわれるのだと言うのである。なるほど。

 ウァースは、ジェフリーの作品の中の素材に対しては、ほとんど手を加えなかったが、ラテン語の散文『ブリタニア王列伝』にユーモアを加え、軽快で生命力あふれた八音綴りに訳しかえているという。とりわけ頭語、単語や文章のリズミカルな繰り返しと対句や交叉配列を取り混ぜて、後のクレチヤン・ド・トロワの作品に少なからず影響を与えたと考えられている。文章の見た目はかなり変わったはずだ。ともあれ、ジェフリーの作品やウァースの翻訳によってアーサー王伝説の信憑性は、いやが上にも高められた。この二人のおかげでアーサーはシャルルマーニュやアレクサンドロスと同格の地位を与えられるようになったのである。

ロベール・ド・ボロン『マーリン』に登場する円卓

 悪魔が郷紳の三人の娘を篭絡しようとする。下の二人の娘は簡単だったが、上の姉は、聴聞司祭にも教えをうけるような善良で信仰厚い女性だった。そこで悪魔は、夢魔を呼んで姉が眠っている隙に、交わらせた。姉は知らぬうちに悪魔の子を身ごもる。司祭は彼女に告解と改悛をさせ、金曜日に一日一食とする贖罪の行を課し、娘はそれによって救われた。子供は悪魔の力によって過去の全てを知る能力を得、キリストによって未来を見通す力を与えられ、この世で最も賢い予言者となった。その子の名をマーリン/英 (メルラン/仏) と言った。魔術師マーリンの誕生である。聖俗の両極端が結びついた存在なんて、なんかユングとか喜びそうだ。


ロベール・ド・ボロン『メルラン』13世紀写本 夢魔に犯される姉

 マーリン伝説は、もともと、ケルト系の「森のマーリン」とサクソン人に抵抗したアンブロシウスの系統の二つに分かれると言われている。既にpart1で紹介したネンニウスの『ブリトン人の歴史』には、夢魔にはらまされた父のない子として描かれ、搭が建てられる土台の下の壺が語られ、その中の天幕にある白い虫と赤い虫の戦いが述べられる。ブリトン人とアングル人との戦いが、この二匹の虫に象徴される龍の戦いの逸話として書かれている。その子の名はアンブロシウスと言うのである。このネンニウスの逸話を引き継いだロベール・ド・ボロン (12世紀後-13世紀前) が1210年頃書いた作品が、この著書『メルラン』(邦題は『魔術師マーリン』) で、1170年頃書かれた今からご紹介するクレチヤンの『聖杯の物語あるいはペルスヴァル』の後の作品となる。その中でマーリンをパンドラゴン王とその後を継いだ弟ユテル (後にユテル・パンドラゴンと名が改まる) の相談役となって次々に予言を行う聖者のような存在に設定している。ユテル・パンドラゴンがアーサー王の父となるのである。

アリマタヤのヨセフと第二の卓


アリマタヤのヨセフ 

サン・ジャン教会 フランス

 アリマタヤのヨセフはキリストの遺体を引き取った人物だった。ローマ軍によってエルサレムが破壊された後、一族の者らと共に砂漠の荒野に向かった。この時、ひどい飢餓に見舞われ、キリストに何故そのようなことが起こったのか解き明かし給へと祈った。主は最後の晩餐で裏切ったユダの席が空白となっていることを明かし、この第一の卓に真似た第二の卓を設けるように指示したのである。そこに御自分の杯を置き、この席に座るものには心の充溢が与えられると教えた。空腹と聖杯が結びつけられていることをご記憶願いたい。

 ユダの空席に坐るべきものはアリマタヤのヨセフだった。彼は、伝説ではブリテン島に渡るのである。マーリンは、このような卓をウェールズのカーデュエルに設えることをユテル・パンドラゴンに提案する。50人の騎士が参集したが、その中の一つの席が空いていた。面識のなかった彼らは、まるで親子のように互いに愛しあったという。ボロンのこの作品では、円卓は、このユテルから始まる。

 しかし、その空席に座ろうとしたものは消えてなくなるのだった。この空いた席の秘密をマーリンはこう語った。そこに坐るものの父親は、まだ妻を娶っておらず、卓の完成は次代の王の治世となる。この席に着くものは、その前に聖杯の卓の空席に着かねばならず、聖杯の守護者たちは未だ、そこが埋まることを見たことがないと。次代の王とはアーサーを指していて、クレチヤンの『聖杯物語』を補完する形になっている。

『聖杯の物語あるいはペルスヴァル』グラアルとは何か

ペルスヴァルの出自とアーサー王の宮廷

 さあ、聖杯の物語あるいはペルスヴァル』に入ろう。フランドル伯フィリップ・ダルサスに捧げられたクレチヤンの未完の作品である。ダルサスに「聖杯物語」の掲載された書物を与えられ、これまで宮廷で書かれたものの中で最高のものを韻を踏んで書くのだとクレチヤンは述べている。漱石みたいにやる気満々だった。後世に語り継がれる一つの神話といってよいものを形成することになるのである。この物語によって、聖杯という言葉の周囲に、何世代にも亘る思想や感情、夢が結晶化していくとフラピエは述べている。確かに ! 

フランス中世文学集2 愛と剣 クレチヤン・ド・トロワの『荷車の騎士』、『聖杯物語』及び、マリー・ド・フランス、ジャン・ルナールの著作を収載

フランス中世文学集2 愛と剣
クレチヤン・ド・トロワの『荷車の騎士』、

『聖杯物語』及び、マリー・ド・フランス、
ジャン・ルナールの著作を収載

 ペルスヴァルは、無垢な野人として登場する。騎士となった兄二人は戦死し、アーサー王の父であるパンドラゴンに仕えた騎士である父親は、その知らせを受けて気を病んでみまかった。母は、ペルスヴァルに騎士というものに一切触れさせないように育てたが、ある日、アーサー王を尋ねる騎士の一団に巡り合ってしまう。こうして、この無垢で素朴な若者は、それが定めであったかのようにアーサー王の宮殿に向かうのである。その後ろ姿を見ながら母が気絶するのを彼は見る。彼女は、しばらく後に亡くなってしまうのだが、そのことをペルスヴァルは知らない。

 アーサー王の宮廷へ行く途中、テントの中の乙女と出会う。礼儀を知らぬこの若者は、母親に教えられた通りに挨拶し、接吻し (物語によれば7回)、指輪をもらい (奪い)、ご馳走を勝手に食べ、乙女に神の祝福があるようにと挨拶して立ち去った。この間、乙女の意思など全く注意を払われた気配すらなかった。乙女は後で恋人にひどい目にあわされることになる。

 宮廷に到着したのは、カンクロワの森の真紅の騎士が、アーサー王の領土を要求し、彼の盃を奪い、その拍子に妃の頭の上に酒をそっくりぶちまけると言う乱暴狼藉を働いた後だった。ペルスヴァルには、そんなことは、どうでもよかったので騎士にしてくださいの一点張りだった。執事で口汚いことで知られるクーが、真紅の騎士の武具甲冑を奪ってくればいいと言った。

 ペルスヴァルは、真紅の騎士を追いかけて、甲冑を早く脱げと要求する。怒った騎士は、穂尖のついていない方の槍先で肩を激しく突いたのでペルスヴァルは馬の顎のあたりまで突っ伏した。騎士の恰好をしてない相手を脅かしたつもりだったのだろう。しかし、ペルスヴァルは真紅の騎士の目に向けて短槍を放つと、刃先は目から脳髄を刺し貫いて首の反対側へ血と脳漿と一緒に飛び出た。様子を見に来たアーサー王の騎士イヴォネに手伝ってもらって真紅の騎士の鎧兜を着けてもらい、武器と馬を頂戴し、アーサー王の金の盃をイヴォネに返してくれるように頼むのだった。

 ゴルヌマン・ド・ゴールという有徳の士がペルスヴァルに騎士としての技や嗜みを教え、饒舌を避けるようにと注意を与えて彼を送り出した。敵に包囲されて餓死の危機に会うブランシュフルール姫を救い、やがて深くて速い流れの川で病身の漁夫王が気晴らしに釣りをしている光景を見る。その王の城に迎え入れられると、金髪の乙女が携えて来たという、運命づけられた剣を贈られる。そして華麗な広間で豪華な食事が始まった。

聖杯と漁夫王の城

 ブルターニュものとケルト神話には基本的なテーマの類似はある。人と妖精との恋、魔法の武器や豊穣の釜、客人への歓待、物忌み、奇妙な姿への変身、そして、とりわけ他界への旅である。ケルト人の他界は西の海の極楽浄土の島、海面下の楽園、地中の宮殿といった場所だった。他界の冒険に参入できるのは、恐怖と謎に満ちた試練を乗り越えることの出来る英雄か、妖精に連れ去られる恋の幸運に恵まれる者だけであった。これがアーサー王の物語の中では、封建社会の騎士道や宮廷風といった衣装の下に隠れはするが、幻想の魅惑をその文学に与えることになるのである。


クレチヤン・ド・トロワ『聖杯物語』14世紀 写本 
漁夫王の城のペルスヴァル

 「室内は、館の中を蝋燭のあかりで照らしうる最大限の明るさで、とても明るかった。二人があれこれと話し合っている間に、とある部屋からひとりの小姓が、白銀に輝く槍の、柄の中程を持って入ってきて、炉の火と寝台に坐っている二人との間を通った。そして、その場に居合わせた人たちはみな、銀色の槍、銀色の穂尖を見、一滴の血が槍の尖端の刃尖から出てきて、小姓の手のとろまでその赤い血は流れ落ちた。その夜そこへ来たばかりの若者は、この不思議を見て、どうしてこんなことが起こるのか、尋ねることを差し控えた。(天沢退二朗 訳)」

 ペルスヴァルに騎士道を教えたゴルヌマン・ド・ゴールが、彼に教えた忠告は、「あまりしゃべり過ぎないように気をつけよ」ということだった。

 「そのとき、また別の小姓が入ってきた。手には、それぞれ、純金で、黒金象眼を施した燭台を捧げていた。この、燭台を持ってきた若者たちは大変に美しかった。それぞれの燭台には少なくとも十本ずつの蝋燭が燃えていた。両手で一個のグラアルを、一人の乙女が捧げ持ち、いまの小姓たちと一緒に入ってきたが、この乙女は美しく、気品があり、優雅に身を装っていた。彼女が、広間の中へ、グラアルを捧げ持って入ってきたとき、じつに大変な明るさがもたらされたので、数々の蝋燭の灯もちょうど、太陽か月が昇るときの星のように、明るさを失ったほどである (同上)。」聖杯=グラアルの登場である。


 アーダの聖杯 8世紀 銀製、金、金銅など
 アーダ砦出土 アイルランド国立博物館

 「その乙女のあとから、またひとり、銀の肉切台を持ってやってきた。前を行くグラアルは、純粋な黄金でできていた。そして、高価な宝石が、グラアルにたくさん、さまざまに嵌めこまれていたが、それらはおよそ海や陸にある中で、最も立派で最も貴重なものばかりだった。まちがいなく、他のどんな宝石をも、このグラアルの石は凌駕していた。さきほど槍が通ったのとまったく同じように、行列は寝台の前を通りすぎて、一つの部屋から次の部屋へと入って行った。若者は、それらが通りすぎるのを目にしながら、あえて訊ねようとしなかった、グラアルについて、誰にそれで食事を供するかを (同上)。」

 この聖杯には聖体が入っており、それに血の滴る槍となれば、キリスト教の秘跡や儀式と結び付けるのは容易だ。槍はキリストの脇腹を突いた兵士ロンギヌスの槍であり、杯はキリストの血を受けた聖杯と考えるのは自然なことではある。ロンギヌスの槍をアニメ、エヴァンゲリオンのオリジナルだと思ってはいけません。しかし、フラピエは、「グラアル」という名称が使われるのは聖杯や聖体器にはそぐわず、驚きだと言う。次に肉切台が出てくることからグラアルは食器の一つではないかと言うのである。

ジャン・フラピエ  1988年刊 『アーサー王物語とクレチヤン・ド・トロワ』

ジャン・フラピエ  1988年刊
『アーサー王物語とクレチヤン・ド・トロワ』
アーサー王伝説の原型を知る上で貴重な著作である。

 12世紀中盤に書かれた、シャルル2世と戦った9世紀のブルゴーニュの族長ルシヨンの武勲詩『ジラ―ル・ド・ルシヨン』には大杯や鉢、などの他に金ラメのグラアルが挙げられているとフラピエはいう。また、12世紀後半に書かれ、アレキサンダー大王を扱った『アレクサンドル物語』には「相手とともにグラアルで食べた」という記述が登場するらしい。13世紀の年代記の著者エリナント・ド・フロワモンは、「グラアル」が当時意味していたものの一つとして、次のように述べている。グラダリスあるいはグラダレとは、広くて些か窪んだ器を言うフランス語で、高級な料理を肉汁と一緒に入れて順番に裕福な人の前に給仕するための器だと。俗にグラールツとも言う。

 後の、隠者とペルスヴァルとの会話では、謎を解く隠者が、お前が槍やグラアルについて尋ねなかったのは、お前の出奔のためにみまかった母への罪ゆえだと語る。そして、かのグラアルで給仕を受けているのは漁夫王長者の息子にちがいない、そのグラアルの中にあるのはカワマスやヤツメウナギやサケではなく聖体なのだと明かしている。魚はキリストの象徴でもある。

 ケルトの神話にもまた槍や豊穣の器の話が伝わっている。それは異界の護符としての火の槍になったり、赤く血に染まった槍となり、復讐や破壊の恐るべき道具となる。英雄ブランの物語は、漁夫王の話と平行な部分があるとフラピエは言う。異界の王、海神であり、不思議な鍋と豊穣の角を持つ。そしてまた、戦闘中、槍によって負傷し、統治を断念した王でもある。わりと似た話は、マビノギの第二の枝『スリールの娘ブランウェン』にある。アイルランドの大洋周航が城の濠や川を渡ることに縮小され、異界の宮殿の不思議は深い川のほとりに忽然と現れ、住人は説明のつかない形で消え失せる。漁夫王の城は、中世のそれと言うよりアイルランドのタラの王宮や異界の神が主人であるブリュイデンの宴の間といったものが相応しいという。


グンデストルップの大釜 前1世紀 ラテーヌ期 銀製 
デンマーク国立博物館 グンデストルップ出土 
豊穣の釜のイメージを彷彿とさせる。

 1952年の『アーサー伝説と聖杯』の中で、ジャン・マルクスは、こう述べている。かつて、異界の王の魔法の城の周辺は特別に肥沃な地だった。しかし、王の護符の一つであった魔法の武器 (槍や剣) によって、邪悪で苦痛に満ちた一撃を加えられた王は男性の機能を、あるいは生命を失い、その地は「荒地」となった。この災害は地上の城にも影響を与えることになるだろう。地上の宮廷から出発する聖杯の探索とは、不毛と死とに脅かされている異界の呼びかけに答えるものである。選ばれた者である主人公は、聖杯の城に入ってゆき、試練に打ち勝ち、邪悪な一撃による王の苦痛を取り去り、病身の王を治癒し土地に豊饒を取り戻すなら、自ら聖杯と異界の王となると言うのである。

 フラピエは、我々が知っている『聖杯物語』とは、妖精界や魔術的な不可思議に属する要素を、キリスト教的な要素とまぜあわせていると述べている。ここには、かつてのケルトの伝承に関わる、料理をふんだんに生み出す魔法の鍋、酒やネクターを尽きることなくたたえる大甕、それらの延長線上にあるグラアルとキリストの秘跡による聖杯とが結びついたと考えてよいのだろう。詳しくは関連図書の欄のフラピエ著『聖杯の神話』を参照してください。行列の場面の周囲に広がる曖昧な雰囲気、聖と俗のまじりあったあの明暗は、二つの異なった構造を重ね合わせ、クレチヤンの完璧な才能と華麗な主題の恵みによって詩的創造に結晶したとフラピエは強調するのである。

生命の聖杯と言葉の槍

 このペルスヴァルの物語における「荒地」が、トーマス・スタン・エリオットの畢生の詩『荒地』のタイトルとなったことは、T.S.エリオット part1 『荒地』リシュヤシュリンガ・聖杯・アングロカトリックに述べた。ペルスヴァルの沈黙によって王の傷は癒されることなく、城の人々は消え失せるのである。彼はキリストの教えに背いて5年の放浪を続けて、とある隠者のもとに立ち寄り、回心する。そして、対位法的に進行するゴーヴァンの物語がアーサー王の母の住む城への到着と次なる展開が生み出されようとするところでクレチヤンの寿命は尽きた。荒地となった漁夫王の土地は回復するのだろうか。アーサー王伝説の源『ブリタニア王列伝』のアーサーは、アヴェロン島に向かったままその消息は明らかにされなかった。クレチヤンの死によってペルスヴァルの行へもまた謎のまま残されるのである。

 死と生が交差するサウィンの夜、ケルトの民は食べ物を供えて先祖の霊や死者たちを供養したという。そのとき、死者の霊たちから生命の活力を授けられたのである。今日、ハロウィンに子供たちにお菓子を与えるのはその名残だと言う。このケルトの本源的交換と食べ物を生み出し続ける豊穣の釜=グラアルは、人間の罪故に殺され復活したキリストの象徴としての聖杯に重ねられた。クレチヤンは、その巨大な二つの碁層を物語という言葉の血が滴る槍で諸共に突き刺したのである。死にかわり、生きかわる人間の生命の根源に達するまで。



夜稿百話
クレチヤン・ド・トロワの著作

クレチヤン・ド・トロワ『獅子の騎士』 + 菊池淑子『フランスのアーサー王物語』

クレチヤン・ド・トロワ『獅子の騎士』
+ 菊池淑子『フランスのアーサー王物語』
本書については part1 でご紹介しておいた。



関連図書

井村君江『ケルトの神話』

ケルト民族はドナウ川の水源やカスピ海付近から気候の変動に伴って前900年頃から前500年頃の間にアルプスを越えて南チロルやポー平野に至った。この「平原のケルト」は一時、ローマを脅かすこともあった。一方、スイス、北部フランス、西ブリテンへ広がった「山岳のケルト」たちもいた。前500年頃、ブリトン語を話すケルト族がスペインからブリテン諸島に渡り、ゴイデル語を話すスペイン系のケルト人たちがアイルランドに渡って「島のケルト」を形成した。インド・ゲルマン語族に属し、金髪で背が高いケルト族だったが、カエサルは島のケルト人をガリア人と呼び、大陸のガリア人より未開だとして、髪を固めて逆立て顔を青く染めた戦士のすさまじい戦いぶりや生贄の風俗、多様な神々について記した。彼らの古い伝承や物語は、語り部 (フィラ) 、王の宴で竪琴を奏でながら歌う吟唱詩人 (ポエルジ) 、王城を巡って歌を広める吟遊詩人 (バード) によって広められたが4世紀頃からラテン語かサンスクリット語をもとにしたのではないかといわれるオガム文字が登場するが複雑な文章には使えなかったようだ。ケルト神話や英雄譚は 1. ダーナ神族の神話群、2.アルスター神話群、3.フィニアン騎士団と分類され、創造神話は残されていない。

死と冥府の神はアイルランドの地下や南西の海の彼方にある常若の国に住むという恵みと災いをもたらすドンヌの神である。キリスト教が浸透した後に書かれた『侵略の書』にはエリン (アイルランド) に侵入した五つの種族の歴史が書かれている。西の海からやって来たバーホロン、ネメズ、フィルボルグ、トゥアハ・デ・ダナーン、ミレーの各種族で次々と滅んでいった。これらの内のトゥアハ・デ・ダナーンは「女神ダヌを母とする種族」であり、ダナーン巨人神族、あるいはダーナ一族とも呼ばれる。彼らはミレー族に追われて海のかなたと地下とに逃れ、目に見えない種族、妖精になったと言われている。魔の雲に乗ってやって来た彼らは金髪碧眼で背が高く美しい姿で音楽を愛した。この種族の四つの神器が知られていて、ダーナ神族の王でヌァダの持つ誰にも敗れぬ「ヌァダの神剣」、光の神ルーの「魔の槍」、大地と豊穣の神ダグダの「魔の釜」、リア・ファイルと呼ばれる「運命の石」である。かれらは妖精の丘と呼ばれる地下に宮殿を持ち、それらは先史時代の遺跡、石塚、ドルメン、円型土砦の下に存在すると信じられた。そこは光が射さない薄暗い場所を通り、水やそれが流れる場所を過ぎると草原が広がり、花が咲き鳥が歌う、死も老いもない場所で様々な宝石で飾られた宮殿では宴が催される。ここは中国で言う洞天なのである。常若の国では海神マナナーンは杖を振り海を花咲く野に変え、魚を羊の群れに、鮭を牛に変えた。やがて不思議な島に着いた。色とりどりの豊かな島で女性しかいない。リンゴはたわわに実り、食べるばかりに料理され、いくら食べても無くなることのない豚と飲んでも尽きることのないエールがある。ただ、常若の国の数年は竜宮と同様に数百年に当たり、そこから帰った者は、この世の土に足を触れた途端一握りの塵になって崩れ落ちるという。


C・スコット・リトルトンとリンダ・マルカー 『アーサー王伝説の起源』

アーサー王伝説の起源が「草原の海」を意味する古代スキティアとして知られた地域にあるとする新説が説かれている。アルタイ山脈からハンガリー平原に至る地域を指している。古くに知られた民族はヘロドトスが書き残したスキタイ族であったがインド=イラン語族の北東イラン語族に属していた。スキタイ人は狭義には、この部族集団を指すが広義には「草原の海」で暮らす集団たちをスキタイ人と呼んだ。彼らはローマ人や多くのケルト人とは異なり騎馬で槍と弓、そして切りつける長い剣で戦った。これが中世の騎士たちの騎馬と兜甲冑、槍、剣のいでたちのルーツではないかと考えられている。以下の図はスキタイ人と同じ東イラン系のサカ族のいでたちである。スキタイ人、サルマティア人、アラン人たちも同様であった。

骨のプラーク (ベルトのバックル) ウズベキスタン出土 ソグド人かサカ族の戦士の姿と考えられている。紀元前後~2世紀

サルマティア人のなかでもイアジュゲス族は紀元前20年~30年までにハンガリー北部に進出しておりローマとの仲も良く、時折傭兵として働いていた。ローマと敵対する175年の敗北の後に和平の条件として8000人の無重装備の騎兵傭兵部隊を提供することになり、彼らはブリテンへと派遣されたのである。ネンニウスの『カンブリア年代記』にあるサクソン人を敗走させた指揮官はイアジュゲス族の退役軍人とケルト人を上手く統率した人間であったと考えられている。アーサー王伝説ゆかりの地はイアジュゲス族が配置されたスコットランドの地であった。同様にアラン人たちもスペイン北部へと移動・同化していった。彼らはスキタイ人と同じように荷馬車で移動しながら生涯を過ごした。アラン・ル・グラン (アラン・ザ・グレート) はブルターニュの総督にもなっている。それに紀元前5世紀にはアラン人の中のオセット人はカフカス山脈の北に50万ほどの人口を持ち、独自の文化と言語の伝統を持っていた。特筆すべきは彼らがカフカス起源の物語群であるナルト叙事詩として知られる伝説を持ちアーサー王伝説との類似を見せることだった。

アーサーが生きていたとされる500年頃に、そのラテン語名に由来するケルト系のアルトリウスという人物はいない。ウェールズ語のアルシールはその人名から来ている。この頃、サルマティア人のうちのイアジュゲス族の最初の指揮官でありローマの軍団長であったルキウス・アルトリウス・カストゥスという人物が存在し、このサルマティア人の名を受け継いだ子孫がアルトリウスのケルト化した名を引き継いだのではないかと推測されている。もう一人のアーサー王のモデルには383年にブリテンで皇位を宣言したマクシムスがいる。ローマ軍を攻め、配下のブリトン人に大陸の領土を与えている。『マビノギ』ではマクシムスはブリテンの王女と結婚し、その兄弟のカナンにアルモニカの土地を与えている。もう一人、ブリトン人の王リオタムスはアルモニカに侵攻し、この戦いで重症を負った彼はブルージュから退却してアヴァロンという町に逃れたとされている。

アーサー王の死についてはオセット人の伝承との類似が知られていて、その伝承は神話学者ジョルジュ・デュメジルによって研究されている。バドラズは同僚のナルト族に父を殺され、その復習に大殺戮を繰り広げた。しかし、神の与えた苦悩と生き残りのナルトへの憐憫から自分の死を望む。彼が死ぬためには自分の剣を海に投げ込まなければならなかった。しかし、バドラズ以外にその剣を持ち運べることは出来なかった。

水中に投げ込まれたエクスカリバーの剣

剣を水辺まで運べないナルト族は、それを捨てたと偽ったがバドラズは「何か起きたか」と聞いた。彼らは「何も」と答えた。嘘は発覚し、しかたなく、彼らは重い剣を引きずって水辺に沈めると海は荒れ狂い、沸騰し鮮血色に変る。この様子を知ったバドラズは最後の願いが聞き届けられたとして安心して死ぬのである。




ロベール・ド・ボロン 西洋中世奇譚集成 魔術師マーリン  2015年刊


塔に監禁され、毛むくじゃらの悪魔の子を産んだ無実の母親は、その子が一歳半になり、やがて自分が裁きにかけられることを知っている。途方に暮れて泣いていると、その子は、心配しないでほしい、ぼくのことで死罪になるようなことはありませんと言う。母は心臓が飛び出しそうになるほど驚いて子供を床に落としてしまった。母親は裁判にかけられたが、その息子のマーリンは裁判長の出生の秘密を語り、実の父親の身投げを予言し、その通りになったことで、その予言の力を恐れた裁判長は母親を無罪とした。母親の無実を明かしたマーリンは贖罪司祭のブレーズにキリストとアリマタヤのヨセフとの友愛について、グラアル (聖杯) なる器の守護者について、ヨセフが杯を譲って死を迎えたこと、悪魔たちの密議、自分の誕生のいきさつを語って筆記させるのである。本書は、それと共に、その後のアーサー王擁立までのマーリンの事績を綴っている。

魔術師マーリン 13世紀写本






『マビノギオン』ウェールズの古潭

『マビノギオン』

今回は「タリエシン物語」をご紹介しておく。

高貴な生まれのテギッド・ヴォエル、その妻はブリテン一の美女であり魔女のケリドウェンだった。しかし、息子のモールヴラーン・アプ・テギッドは最も醜いキリスト教徒といわれた。時は、アーサー王の円卓の集いが催される時代、母は魔術師とされていたウェルギリウスの書の業によって息子のために霊感と知恵の大鍋を煮込み、博識と学識によって息子が名声を得られるようにしようとした。大鍋は一旦沸騰したら一年と一日、火を絶やしてはならなかった。母は従僕の息子のグウィオン・バッハに鍋の見張りをさせ、天文の書をさらい、薬草を集め回った。一年が終わろうとする頃、大鍋から沸騰した汁が三滴、グウィオン・バッハの指の上に飛び散った。この霊液を舐めた途端、彼は予知能力を持つようになった。しかし、大鍋は粉々に砕けて毒のある煮汁は館の下を流れる小川に流れ込んで、その水を飲んだ馬を殺した。グウィオン・バッハはケリドウェンの怒りが彼を害することを知り生国へ向けて逃げだした。ケリドウェンが追いかける。彼はウサギになって逃げるとケリドゥインが猟犬になり、魚になるとカワウソに変り、鳥になると鷹に変る。もう駄目だと思った瞬間に小麦の束の中の麦粒になったが、ケリドゥインは黒い雌鶏となりそれを飲み込んだ。九か月の間、胎の中にいて産み落とされた赤子はあまりに美しかったので、殺さないで皮の袋に入れて海に流した。アーサー王の時からマエルグンの時代まで40年の間、海を漂っていたのだ。裕福だったグウィズノー・ガランヒールの息子エルフィンは親の財産を食いつぶし鮭を取って金に換えようと思い立つ。簗 (やな) に掛かったグウィオン・バッハを拾い上げて袋を開けるとタリエシン (美しい額) と叫んだ。
その後、エルフィンは裕福になり王の覚えもめでたくなる。しかし、自分の妻は身の清らかさにおいて王国のいかなる女性にもひけを取らず、自分の詩人 (バルズ) は王のそれを凌ぐと語る。彼は不敬として牢に繋がれた。王は好色のフリンをエルフィンの妻のもとに送り篭絡しようとするがタリエシンはそれを予知し奥方と女中を入れ替えさせた。フリンは薬で主人に化けた女中を眠らせて交わった後に奥方の指輪をした指を切り取って証拠とした。しかし、エルフィンはその指が奥方のものではないことを証拠立てる。タリエシンはエルフィンを救うべくマエルグンの王宮に向かった。王宮では宴が開かれていて詩人たちが王の前に出ようとした時、タリエシンは「ブレルム、ブレルム」と音を出す。すると詩人たちは王の前で「ブレルム、ブレルム」としか言葉を発せなくなるのである。そしてタリエシンは自分の宗教的な出自と王宮に来た訳を歌った。彼が歌うと一陣のつむじ風が起こり、城が頭上から崩れ落ちそうに思われた。エルフィンがタリエシンの前に連れてこられると鎖が両足から外れ落ちた。エルフィンを助け出すとタリエシンは王の馬とエルフィンの馬との競争を申し込んだ。主人の馬に乗る少年に王の馬を追い越すたびに黒く炙ったヒイラギの枝で馬を打ち、馬が立ち止まった所で帽子を落とせと命じた。その場所を掘らせると金の詰まった大鍋が現れ、タリエシンはエルフィンに簗からとりだし、自分を育ててくれたお礼だと語ったという。



ジャン・フラピエ『聖杯の神話』

アーサー王伝説の研究者フラピエがクレチヤン・ド・トロワの聖杯=グラアルの起源について第八章で述べている。聖杯のテーマとその展開はクレチヤンから始まるが、その前段階の文学や武勲詩の起源の問題は避けて通れないという。これには三つの説がある。
1.キリスト教起源説
2.「祭儀」起源説
3.ケルト伝承がブリトン人説話へ、そしてフランスの物語へと伝播する説

1.キリスト教起源説
グラアルは聖体器と同時に聖杯であり、血の滴る槍はキリストの脇腹を突いたロンギヌスの聖槍とするものでロべール・ド・ボロンの作品では闡明になるが、クレチヤンには、その構想はないという。女性が聖体容器を持つのは病者の聖体拝領という極めて例外的な例しかなく、それには槍が登場しない。ビザンチン教会の典礼では僧侶の行列において聖杯の後に槍が来るがクレチヤンの作品では順序が逆になっている。クレチヤンはこれらの素材を好きなように変形し分解し、かき混ぜて不可思議と驚異と神秘のオーラを作り出したとするのは安易な説明だという。

2.「祭儀」起源説
祭儀説を推し進めたのはフレイザー卿に影響を受けたジェシー・ウェストンであり、聖杯伝説は植物と豊穣の祭礼と結びついていてアテュス、オシリス、アドニスらの神話と同じように漁夫王の話も古代の密儀との関係の内にあるとする。季節のリズム、植物の生命の死と再生が治癒による領土の歓喜と繁栄に結び付けられる。漁夫王は生命の泉に傷を受け生殖能力は失われる。だが、彼女はグラアルを女性性器、槍を男性性器の象徴という不自然な説にしてしまっているという。

3.ケルト伝承からの伝播説
ケルト神話やケルト文学は聖杯伝説との多くの比較が可能で、その核心が説明できるという。聖杯はケルト神話に登場する大盃、籠、豊穣の釜、壺、豊穣の角といった「死の国」の財宝や護符に属する豊かさと多産の象徴である。これらの容器は英雄たちによる「死の国」への探索や遠征によって獲得されることが多い。アイルランドの『幻影の予言法悦』ではタラの伝説の王コンがルー神のもとを訪れて至高の盃を手に入れる。クレチヤンはグラアルの通過を世俗の食事の豪華さに繋げている。
ケルトハールの燃え上がる槍の熱は、毒血をみたした釜の中に突っ込まれない限り冷まされることなく、そうすることによって血は川のように槍から流れてぽたりぽたりと滴り、ついに炎の槍に戻る。これに留まらず風から血を引き出すアーサー王の槍、巨人マック・ケヒトの赤黒の槍、ルー神の槍など、それらは復讐と破壊の武器である。クレチヤンは作中でゴーヴァンに銀の壺にまっすぐ差し込まれた槍を目撃させるのである。
ケルト説での漁夫王のモデルは「死の国」の驚異の大釜を所有するもてなし好きの王ブラン・ベニ、あるいはアイルランドの神ヌアドゥである。ヌアドゥは漁 (すなど) る者の意味で水の礼拝に関わるブリトン人の光と太陽の神であった。この神は、やはり「死の国」の抜かれれば誰も助からない銀の剣と豊穣の大釜を所有している。水の礼拝は植物崇拝に結びつき、漁られた魚も豊穣の象徴である。しかし、クレチヤンでは海の神は一介の釣り人に、海洋航海は城の濠を渡ることにまで縮小されていた。12世紀のゴーチエ・マップが書き残した『宮廷閑話集』にはアルモニアの教区でどんな動物の雌も子を産むことが出来ず出産が近づくと余所の場所へ妊婦を移したと記している。それは小ブルターニュの王であったアラン某がその教区で宮刑になったからだという。これは王の生殖能力が領土全体の不毛へと広がる事例であるという。
醜い乙女がペルスヴァルに「何故血を流すのか」「グラアルで誰に食事を供するのか」と何故問わなかったのかと詰るシーンはかなり謎である。前述した『幻影の予言法悦』にはアイルランドの至高の王コンが見る幻影の中でルー神は覇権と至上権である王権の食物である牛と猪の背肉を与え、乙女は「誰にこの盃をさしあげましょうか」と問う。ルー神は「コンに」と答えるのである。するとルー神はコンに続く王位継承者を挙げて、その一人ずつの杯に飲み物が注がれる。ルー神は消え去ったがコンのもとに壺と杯と小さなグラスが残される。「グラアルで誰に食事を供するのか」と「誰にこの盃をさしあげましょうか」との類似をフラピエは指摘している。
結論として、仮説の域は出ない部分もあるけれどクレチヤンの物語とケルト神話との強いつながりを支持している。





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