第71話 チャールズ・サイフェ『宇宙を複号 (デコード) する』 ブラックホールの中の情報は何処へ行く?


チャールズ・サイフェ
『宇宙を複号 (デコード) する』 2007年刊 

 相手に何かを伝えたい、コミュニケーションしたいという衝動は、群れて生活するものにとって切実である。非常事態宣言が出て外出自粛になっても、知り合いがスーパーにいれば、ついつい話し込んでしまうのは人情だ。そのコミュニケーションが、いつの頃か情報と呼ばれるようになる。他人と情報交換したいという欲求は文字の発明と同様に、あるいは人が言葉らしきものを操るようになる時期よりも古い衝動であるかもしれない。しかし、面白いのは、買い物という物を買う行為と互いに話し込むという情報交換がセットになって生じている事態だった。物と情報はセットになっている。その象徴的な場面と言える。ちょっと、コジツケたけれど、それは、互いに相補的と言えるんじゃないのかな。

 今回は、情報の著作のうちで量子と縁の深いものをご紹介したいと思っている。とても良い本に巡り合った。チャールズ・サイフェの『宇宙を複号 (デコード) する』である。

 前回「量子世界は表象可能か」では量子論が情報論へと傾斜してゆく端緒となった観測問題と量子もつれについてご紹介した。今回はその延長線上にあるので、もし、前回の記事を読んでない方は是非読まれることをお勧めします。今回は、熱力学の第二法則という僕にとって分かったようで分からない法則が、意外にもクロード・シャノンの情報論とシンクロし、あまつさえ量子の世界と連動していくという、臓器を再生できる iPS 細胞張りの破天荒へと (いや、失礼) 、奇想天外へと (これも、まずい) 、世紀の発見へと誘われるのである。しかし、本書が僕に大きなインパクトを与えたのは、量子という契機から世界を情報という観点で見た時にどのように見えるのかを概括しようとしていることにある。これはとてもレアな観点じゃないか! と思ったのである。ともあれ、一度読むことをお勧めします。


著者 チャールズ・サイフェ


 チャールズ・サイフェはアメリカ生まれのジャーナリズム論の研究者である。エール大学大学院で数学を学んだあと、コロンビア大学に移りジャーナリズム論で博士号を取得している。その後、サイエンスライターとなって「エコノミスト」「サイエンティフィック・アメリカン」「サイエンス」などに寄稿しはじめ、1997年~2000年まで「ニュー・サイエンティスト」の記者を務めていた。その後、ニューヨーク大学でジャーナリズム論の教鞭を執っている。著書に『異端のゼロ』があり、『Alpfa&Omega』でPEN/マーサ・アルブランド賞を受賞している。ただのサイエンスライターというだけでなく、ジャーナリズム論を研究しているというのが魅力的だ。なんせ文章が上手い。


熱は科学に確率をもたらした


 熱力学は蒸気機関の研究から19世紀に夜明けを迎えた。その世紀の終りにはエントロピーと呼ばれる熱力学の第二法則が古典的物理学に最初の楔を打ち込んだ。しかし、決定的な一撃はボルツマンがこの熱力学に統計学的な確率をもたらしたことによって起こる。そのエントロピーとは何か。確率が導入されるとはどのような意味があるのかが極めて明快に説明される。

カルノーとクラジウスとボルツマンの熱

 18世紀の終り頃、パリに生まれたサディ・カルノー(1796-1832) は、軍人、政治家、技術者、数学者といった多様な面を持ち合わせた有能な若者だった。軍隊を嫌い、熱機関に研究に没頭するようになる。とりわけ、蒸気機関の熱効率の限界と最大化を研究したことで知られる。経験的な事実のみから熱は運動に変換されることを発見し、気体と熱とに関する法則を打ち立てたが、天才の薄命はいつの世にも惜しまれた。


ルドルフ・クラジウス(1822-1888)

 こんどは、イギリスのジェームズ・プレスコット・ジュール (1818-1889) によって熱の仕事量の値が定式化される。それによって熱量の単位はジュールと呼ばれることになる。やがて、ドイツのルドルフ・クラジウス によって重要な二つの法則が打ち出された。熱エネルギーと仕事は互いに転換できる。これが、エネルギー保存則の一端である熱力学の第一法則である。器の中の温度が下がって周りの空気の温度と同じになることを熱平衡状態というが、元に戻れない不可逆的変化を示している。熱が常に温度差を失くす傾向を示して高温から低温へと移り変わるのを熱力学の第二法則とした。外からの熱の移動がない限りその逆は起こらない。それを、閉じた系ではエントロピーが時間的に増加するという。僕にとって分かるようでよく分からない法則だった。

 1884年、ウィーンに生まれたルートヴィッヒ・ボルツマンは社交下手だが優秀な物理学者だった。イギリスのジェームズ・クラーク・マクスウェルが気体の中で様々な速さで運動する原子が、ある速さで動く確率を少しズングリした釣り鐘型 (ベルカーブ) の分布で表した。それは、マクスウェル-ボルツマン分布と呼ばれている。ボルツマンの名がこの分布と結び付けられたのは、彼が数学的にそのことを証明したからである。気体は少しの間ほっておくとすぐに不可逆的平衡状態になりこの分布に沿ったありかたをする。しかし、それは実験に基づくものでなく純粋な推論であり数学的な定理としてしか見なされなかった。


ルートヴィッヒ・ボルツマン(1844-1906)

 彼は、物理に確率と統計を導入したのである。この第二法則には統計的な要素があることが明らかにされる。それは物理法則の土台を掘り崩すような不安を周囲に与えるものだった。ここでは、法則は「成り立つこともある」程度の確実性しか持たないことになるのである。極めて重要な要素を物理の世界に導入したにも関わらず、評価は冷ややかなものであった。それにマクスウェルの悪魔が追いうちをかけた。熱力学の第二法則は、人間に何ができないかを思い知らせた。永久機関は不可能であり、エネルギーは無から作ることは出来ないと裁可が下されたのである。エントロピーは普通、高くなるほど乱雑さが増すと表現されるが、これは間違っている。これをサイフェが巧みに説明しているのでご紹介する。


豆を投げればエントロピーが分かる


エントロピーと確率

図1 二つに仕切られた箱と豆の入る確率

図1 二つの豆 (本書ではおはじきになっている) を真ん中で仕切られた箱に少し離れた所から投げ入れてみると四つのケースに分けることが出来る。
1.一つ目の豆も二つ目の豆も箱の仕切りの左側に落ちた。
2.一つ目は右側に二つ目は左側に落ちた。
3.一つ目は左側に二つ目は右側に落ちた。
4.一つ目も二つ目も仕切りの右側に落ちた。これらは全て等しく25%の確率で起きる。豆が互いに区別できないとすると豆が仕切られた箱のそれぞれの側に入る確率は、25%、50%、25%になるのである。

図2 今度は投げ入れる豆を4つに増やしてみる。結果は16通りあるが、豆が区別できなければ5つの場合に分けられる。1.左が4つ。2.右が3つと左が1つ。3.右が2つ、左も2つ。4.左が1つ、右が3つ。5.右が4つ。これをグラフに表すと確率分布を表現できることになる。投げる豆の数を増やせば増やすほど、分布は釣り鐘状のベルカーブに近づいてくる。最も確率が高いのは豆の半分が箱の右側、半分が左側に落ちるケースで、最も確率が低いのは豆が全て右半分、あるいは全て左半分にある場合である。


図2 二つに仕切られた箱に4つの豆が入る確率

 どのくらい低いかをみてみよう。豆1024個をでたらめに箱に放り込んでみる。外さずに入れるのは至難の業かもしれないが、箱の片側に全ての豆が入る確率は10の290乗分の1となる。ちなみに観測可能な宇宙の原子の数は10の80乗個くらいしかないらしい。仕切りの片側にすべての豆が入ることが数学的には全くないとは言えないが、事実上はないと言ってよいだろう。

 ここで、重要なのは、この箱と豆から成る系におけるエントロピーとは箱の中の豆がなんらかの配置をとる確率ということなのである。ある塊の量をはかれば、はかりの示す数字はその塊の中にどれだけの物質があるのかという尺度になる。カップ内のお茶に入れた温度計の数値は、お茶の中の分子がどれくらいの速さで動いているかという尺度である。エントロピーとは温度や質量と同じく物質の塊に備わっているある性質の尺度なのである。これは、けっして乱雑さの度合いのことではない。ただ、エントロピーが特殊なのは、質量や速度といったものよりも数量化しにくい。物質の集まり全体の配置をある幅を持った確率によって表現するからだとサイフェは言う。


図3 仕切った箱に区別できない1024個の豆を
投げ入れた時にあらわれる確率分布

図3のように豆を1024個、箱に投げ入れた時、最も生じそうな結果は箱の両側に512個くらいがある状態で、最もエントロピーが高く、最もありそうにない結果は片側にのみ1024個ある場合で、最もエントロピーが低い。

 空っぽの容器にヘリウム原子を1024個入れて放っておくとブラウン運動で拡散して容器を覗けば半分は右側に半分は左側にあるような分布になる。それが最も起こりやすい確率で、エントロピーの最も高い状態、つまり一様に分布している状態である。それが一旦起きると元に戻ることがない。つまり、時間の矢が存在していることになる。その矢は、イリヤ・プリゴジンが『確実性の終焉』で述べているように新たな科学の契機となるのである。カオス理論や複雑系といった非線形性科学の流れが形成されてゆく。

 しかし、極く小さな系では極端な分布を見せることが時としてある。ラテックスと呼ばれる天然ゴムのような乳濁液がある。その中の微細な粒子をレーザーで小さな領域に押し込めて、解放後に系のエントロピーの推移を観察する。たいていは、エントロピーは増大するが、ごくたまに隅にかたまってエントロピーの減少を見せた。第二法則の破れだとして騒がれたこともあるらしいが、それは4つしかない豆を箱に投げ込む時と同じで、最も起こりにくい確率が小さな系では起こり得る。

 量子のようなスケールでは、真空の揺らぎと呼ばれるごく短い間に素粒子がパッと出現し消滅するような事象が起こってエントロピーが破れているように見えるが、それはこの場合と同じことなのだという。サイフェの説明はとても的確なもので感心することしきりだ。熱力学の第二法則がやっと腑に落ちた。エントロピーとは物質が空間に位置する時の起こりやすさの確率を示している。

 ルツマンによって20世紀の科学、とりわけその後半にとって重要な発見がなされていた。彼の周囲はそのことに気づかなかった。ボルツマンは、熱力学から最強の物理法則とサイフェが呼ぶ情報理論が生まれるのを見ることなく自ら命を絶ったのである。彼の墓石には S = k log Wという極めて簡潔な式が刻まれていた。Sは箱の仕切りの両側に豆が512個あるといった配置のエントロピーを指し、kはボルツマン定数、ある配置が現れる確率をWが指している。


情報とエントロピーには悪魔がいた


 ボルツマンの方程式は意外な方向からその有効性が確認されることになる。それがクロード・シャノンの情報理論である。それは、他人の空似ではないかという指摘もあった。しかし、それが決定的に等しいと思わせた要因は、皮肉にもボルツマンを悩ませたマクスウェルの悪魔だったのである。何故なら、情報論もまた物理的実在と不可分であったからである。

マクスウェルの悪魔

マクスウェルの悪魔

 1871年頃のこと、電磁場のモデルを定式化したイギリスのマクスウェルは、ミクロな情報が分かれば、エネルギーを低温部から高温部へと移動させることが可能だとした。この破天荒な説には、ミクロの分子運動が見える小人のデーモンが登場する。一定の温度の気体が入った箱を仕切りで二つの空間に分ける。仕切りには穴があり、そこを通過する分子をデーモンが見張っている。デーモンは通過しようとする分子の速度が平均以下なら左側に集め、平均以上なら右側に集める。こうすると箱の左右を温度の異なる空間に分けることが理論上は可能となる。必要な分子なら穴のゲートを開けて通過させ、不要な分子はゲートを閉じて通過させない。ゲート制御のエネルギーは無限小にできるとする。

ジェームズ・クラーク・マクスウェル
(1831-1879)

 重要なのは、エネルギーは保存されていて第一法則は満たしているが、低温部から高温部へエネルギーを持ち出すからエントロピーは減少していて第二法則に矛盾するのである。この問題は一世紀以上も科学者たちを悩ませた。ボルツマンにも、このマクスウェルの悪魔を退散させることが出来なかったのである。

 1948年有能なアメリカの技術者であり数学者であるクロード・シャノンが、情報は測定でき数量化できることに気がつく。この時、情報革命が始まった。そして、マクスウェルの悪魔の息の根は止められたのである。

情報とエントロピー

 シャノンはベル研究所で、一本の電話回線に幾つくらいの通話を流すことが適当か、それを計算するにはどうしたらよいかを考えていた。まず、問いと答えという領域からこの考察は始まる。単純な問いでは二者択一のイエス・ノー・クエスチョンとなる。コインを投げて出たのは表か裏か、ドジャースは今日負けたか勝ったか、物価は上がったか下がったかなどなどである。このような問いの答えは二つの記号で表せる。T (真) と F (偽) 、YとN、1と0というわけだ。二つの値のどちらかを記号一個で答えられる。それが二進数の記号、つまりビットである。

 シャノンが1948年「コミュニケーション数学論理」で初めて使って以来ビットが情報の基本単位となった。4つの答えがあるなら、00、01、10、11の2ビットで答えを表せる。8通りの答えなら、000、001、010、011、100、101、110、111というふうに3ビットとなる。1から1000までの中で私が頭に描いている数を当ててもらうとする。あてずっぽうを言っても正しい答えである見込みは1000分の一に過ぎない。しかし、「500より小さい?」「250より大きい?」という問いを投げかけると10回目の質問で100%正しい回答が得られるのである。シャノンは答えの可能性がN通りある問い x には x = log N ビットしか要らないことを発見したのである。これはボルツマンの式と本質的に同じものだ。


クロード・シャノン (1916-2001)

 書かれた言葉は記号の連なりであって、その記号はビットで書き表せる。アルファベットなら26文字だから5ビット弱で表現可能となり、漢字はもっと多くて16ビットらしい。こうなると、どんな情報もビットで表現できることになる。逆に考えれば文字の連なりから最大限含まれる情報を見積ることができる。

 ボルツマンが、1877年に原子群の運動状態数の対数が熱力学で導入されたエントロピーであると再定義していたことは先に述べた。シャノンが情報量を対数で表現するアイデアをフォン・ノイマンに話したら、ノイマンは一言「それはエントロピーのことだ」と言ったらしい(佐藤文隆『量子力学は世界を記述できるか』)。


佐藤文隆『量子力学は世界を記述できるか』

 話を戻そう。0、1の数字の連なりが、50%が0、50%が1である場合、その0,1の配列は最もランダムである。それは多くの情報を伝えることが出来る。シャノン・エントロピーが最も高いと言える。逆に00000‥‥や11111‥‥の場合はランダムではなく伝えられる情報はわずかである。これはエントロピーが低いと考えられる。もし、その75%が0、その25%が1であるなら、逆でも良いのだけれどシャノン・エントロピーは中程度となる。ここからサイフェは熱力学のエントロピーと情報とは双子の兄弟だというのである。ここの説明は絶妙だ。これだけでもこの本を読む価値がある。シャノン・エントロピーとは 0、1 の記号の連なりがどれくらいの情報を伝えられるかという尺度なのである。しかし、情報理論が真に革命的だったと言えるのは、物理的世界との確固とした絆を持っていたことだった。

マクスウェルの悪魔死す

 1929年にハンガリーに生まれたレオ・シラードは、マクスウェルの悪魔の改訂版である「シラードの悪魔」を創り出した。あれこれ分析している内に悪魔が扉を開いて、この原子を入れよう、この原子は入れないとか観測によって何らかの情報を引き出しているのだが、測定という行為によって何らかのエントロピーを増大させているのではないかと考えるに至る。情報を得るのに必要なのは、情報1ビットにつき kTlog2 ジュールであることが分かった。Kはボルツマン定数、Tは原子の入っている部屋の温度である。それによって宇宙のエントロピーは増大し、箱の中のエントロピーを減らそうとする悪魔の努力は水の泡となるのである。ここで、熱力学のエントロピーは情報と結びつくらしいということが示唆される。


レオン・ブリュアン (1889-1969)

 1951年、フランスの物理学者レオン・ブリュアンがシャノン流の情報エントロピーによって原子の熱力学的エントロピーの振舞いを説明したのである。こんな具合だった。悪魔は原子を測定するための道具を必要とする。原子に当たってはね返ってくる情報、つまり、熱いか冷たいかという二者択一の問いに対する答えによって扉の開閉を判断しアクションする。ブリュアンは、受け取った情報に基づいて行動するという行為は悪魔が減らしたのと同じだけのエントロピーを増加させてしまうと考えた。

 そして、1961年、観測によってエントロピーを消費するという現象はコンピューターの情報を消去することに繋がることをIBMのロルフ・ランダウア―(1927-1999)が、次いで1982年に同じくIBMのチャールズ・ベネットが示した。コンピューターがエルネギーを消費せずに情報処理することは可能だが、ビットを消去するためにはエネルギーの対価を必要とし、熱の消費が必要とされることを明らかにした。ここは、量子の観測問題と絡んで面白い所だ。メモリーのなかのビットを利用して扉を開けるか、閉めるかというプログラムを実行する。有限なメモリーを使い果たせば、データを取り除くためにメモリーポジションを消去しなければならない。熱を生み出してエントロピーを放出していることになる。それは、不可逆的な過程だった。悪魔が作業を続け、情報でメモリーを満たしていられるのは次の新たな測定と作業までということになるのだ。

 ついでに言うと、ビットを消去するための電力消費による熱量は大した量ではない。ちなみにパソコンが熱くなる理由なのだけれど、CPUでは細かく充電や放電して「0,1」状態を作っている。だが、回路を作動させるための電力消費、トランジスターから不要に流れる電流、またその導線による抵抗といった理由で発熱している。けっこうな熱がでているのだが、スーパーコンピューターとなるとその比ではないらしく、コンピューターの作動と冷却のために隣に発電所が必要になるくらいだという。


もつれても運べる量子コンピューター


 サイフェの情報論は、ここで一気に拡大してゆく。情報とは何かが洗い出されるのだ。量子の測定 (物理実験の観測とはいささかニュアンスが異なる) という問題は実は自然の止むことのない性向であり、けっして留まるとことがないという。量子の重ね合わせともつれは今や量子コンピューターを開発する要となっているが、微視的存在が測定によって重ね合わせが壊れてゆくように巨視的存在も外界との触れ合うことで重ね合わせは壊れる。そのことによって情報は環境に流れ出してしまうのである。実はそれが観測問題の要点だった。

情報移転という情報

 英語圏には、やかんをずっと見守っているとなかなかお湯が沸かないという諺があるらしい。昔の人の知恵というのは、あながち馬鹿にできない。ここでサイフェは非常に面白い例を挙げている。放射性原子を見続ける、つまり観測し続けているとその崩壊を防ぐことが出来るというのだ。これを「量子ゼノン効果」という。純粋に崩壊していない状態を (0)、純粋に崩壊した状態を (1) とすると、放射性原子のような量子は重ね合わせの状態にあるので、崩壊していない (0) の状態と崩壊している (1) の状態は重ね合わされた状態になっている。シュレディンガーの猫が生きている状態と死んでいる状態が重ね合わされていると同じだ。もっともシュレディンガーはそれに皮肉を込めて言ったのだけれど。

 この放射性原子の状態は、[100%] 0&[0%] 1という状態から[85%] 0&[25%] 1、あるいは[0.1%] 0&[99.9%] 1など色々の状態が重ね合わされているのであって、崩壊すれば最終的に[0%] 0&[100%] 1という状態になる。しかし、これに極く短時間に光を当てて測定を繰り返すと量子は崩壊・分裂することなく100%(0)になる。それによって量子の崩壊は防ぐことが出来るが、重ね合わせは崩壊し[100%] 0&[0%] 1状態という重ね合わせが生じる前の戻ってしまうのである。測定という行為は、情報を移転させることであり、物理現象に作用していることになる。量子情報は物質がどう振る舞うかを支配する法則と結びついているというのである。


超伝導量子ビットに基づく量子コンピューター
IBMリサーチ、チューリッヒ

量子コンピューター 

 量子の持つ重ね合わせの性質を使ってコンピューターを作ろうと現在色々考えられている。量子スピンの上か下か、光子の偏光の向きの縦か横かにビット情報である0と1を割り当てると、量子を情報として扱える。それを量子 (Quantum) という名からキュービットと呼ぶ。量子の重ね合わせともつれを使うと一度に一つの質問をしていちいち計算して答えを出すのではなく一度にすべての質問を出し計算させることが可能になるという。

 1000の中のどれか一つを選んで、その数を当てようとしてもらうとYES・NOクウェスチョンを10回行えば答えが出るので古典的なコンピューターでは10ビットのメモリーがあればよいことになる。しかし、キュービットを使うグローヴァ―のアルゴリズムでは4つで済むのである。四つのキュービットは初め釣り合いの取れた[50%]0&[50%]1という状態になっている。それを測定すると一つ目のキュービットが0か1かである確率は50%50%となる。この四つはもつれによって繋がっているので ([50%]0&[50%]1)([50%]0&[50%]1)([50%]0&[50%]1)([50%]0&[50%]1) という状態である。

 0と1の四つの組合せは、0000~1111まで16通りあり、この四つのキュービットには16通りの組み合わせが重ね合わされている状態にある。ここが大切な所です。次のステップは重ね合わされたこれらの対象を数学的な処理によってあるカギ穴に相当するものに詰め込むとそれぞれのキュービットの確率は50%50%からより正しい確率に変化する。例えば ([25%]0&[75%]1)([750%]0&[25%]1)([75%]0&[25%]1)([25%]0&[75%]1) といった感じだ。2回カギ穴に通すだけで正しい答えが得られるというものだ。

 1998年の最初期の量子コンピューターでは、原子のスピンを強力な磁場で制御して原子のスピンにグローヴァ―のアルゴリズムに対応するダンスをさせて (磁気的に制御して) 正しい答えを導きだしている。しかし、その進展は、順調とは言えないようだ。例えば、光子は1秒間に地球を7周半する。そんな落ち着きのないものを計算の間じっとさせておくのは難しいのである。だが、量子コンピューターの可能性は大きい。例えば30キュービットのコンピューターでは0,1の二つの値で示せる数は2の30乗個となり、全世界の人口の数が表せることになる。キュービットが増えると指数関数的に計算のスピードは速くなり、素因数分解が異様なスピードで出来るようになるらしいが今は置いておく。

自然は測定を行い情報は流れ出す


ヴェルナー・ハイゼンベルク
(1901-1976)

 サイフェは科学者は宇宙に意識があるとは考えないし、小さな悪魔が測定器具を持って駆けまわっているとも考えないが、自然はある意味、絶えずあらゆるものを測定していると確信しているという。測定というのは相互の働きかけくらいに考えてもらえば良いと思う。素粒子レベルでは何もない空間から粒子が絶え間なくパッと現れては消滅する。ハイゼンベルクの不確定性原理はこのゆらぎによって起こるとサイフェは考えている。位置と運動量という相補性は、エネルギーと時間という問題に比較することができる。空間のエネルギーがゼロと測定できるなら相補性によりそのエルギーを維持する時間の情報は得られない。測定できないほど短い一瞬の間だけネルギーがない。そして、そのあとエネルギーはいくらかなければならないのである。こうして空っぽの空間はエネルギーや運動量を持つのである。ズームイン領域が小さくなるほど粒子は多く、寿命は短く、エネルギーは大きい、これらの粒子は絶えずぶつかりあい、自分が出会った物体の情報を集め、それを環境に広め、真空の中に姿を消すという。

 自然はそのような粒子たちに測定を行わせており、それをやめさせるのは不可能だという。ただ、その測定はその情報がどのように保存され、ある場所からある場所に移転するのか、そして散逸するのか。その法則を理解すれば何故量子は一度に二つの場所にいられるのか、量子は猫のような巨視的物体とは何故異なるかが理解できるという。木には星々の光子が降り注ぎ太陽からの熱が届けられる。サイフェは量子と同様に木に光が当たるのは自然による測定であり、その情報は相互に受け取られ、環境に広がってゆくというのである。


フラーレン分子模型
炭素原子60個からなるC60フラーレンは

ハロルド・クロトー、リチャード・スモーリー、
ロバート・カールによって1985年に発見された

 アントン・ツァイリンガーは、フラーレンのような大きな分子も重ね合わせの状態におくことが出来ることを実験によって証明した。しかし、フラーレンも窒素分子などのアレコレとぶつかるとその窒素分子はフラーレンを測定することになり、その情報を得ると二つの分子はいくらか「からみあう」という。ここで、窒素の軌道を測定するとフラーレンがどこにあるかの情報が得られる。次は酸素とぶつかって‥‥ このようにフラーレンは環境ともつれあうことによってその情報は遠くまで広がってゆく。

 フラーレンから情報が流れだせば、フラーレンの波動は収束して重ね合わせの状態を維持できなくなる時がくる (それには実験物理で言う観測や後に述べる多世界解釈における世界の分岐という契機が必要だとする説もある)。ある対象から環境に情報が流れだすことをデコヒーレンスと呼ぶ (一般には外部環境からの揺動や散逸によって量子の重ね合わせ状態が壊れることをさす)。このデコヒーレンスが、量子とシュレディンガーの猫とを分ける鍵になるという。もし、猫からの情報一切を環境に流れ出すことを防げることができれば、本当に生きていて死んでもいる猫を創り出すことが出来るというのだ。しかし、完全な孤立系の猫などあり得ないし、巨視的物体の重ね合わせ状態はいとも簡単に崩壊する。いわば環境エーテルへの情報流出と呼ぶものから巨視的な物体は逃れることができないのである。

 ここで、またサイフェは重要なことを漏らす。気体の原子を容器中の隅に置くとたちまち広がって容器全体を満たし系のエントロピーはたちまち増大する。同じように物体の情報は粒子のランダムな運動とゆらぎによってその情報が広がり環境に散らばっていくという。エントロピーと同じくデコヒーレンスも一方通行であり、時間の矢を持つのである。違いは後者が、系の平衡状態にあっても流出が起きているということである。デコヒーレンスを新たな法則と考えれば、この法則には熱力学と相対性理論と量子力学の不思議な現象の説明が隠されているという。


ブラックホールの中の情報は消える?


 相対論は情報が光より速く届けられないという掟を残した。実は光を超える速さで移動する光パルスというようなものも存在する。しかしそれに情報を乗せても、検出器がその情報を見分ける時間も相対論的ゆがみの中で伸びるのだ。情報は光の速さを超えることはできないのである。しかし、サイフェにとって大きな障壁、その最も手ごわい敵はブラックホールだった。その中で情報が消え去ってしまうなら彼の情報論は整合性を失うのである。


楕円銀河M87の中心にあるブラックホール 2019年
直径100憶Km 温度の最高値 6
0億度

 スティーヴン・ホーキング及びキップ・ソーンとジョン・プレスキルとの高名な賭けは、ブラックホールに落ちた情報は破壊されるか保存されるかというものだった。これは自然がどのような法則に従っているのかの核心を探るものだったのである。情報移転の速さは光の速さを超えないという相対論の制約は量子論のもつれと衝突したことは前回述べた。1970年に物理学者のフィリップ・エバーハートがもつれ合う量子、つまりEPR対を使って光より速く情報を伝送することが不可能であることを数学的に証明した。二つは互いに影響を与えるのではなく、同時に収縮するのである。量子もつれは、以前は理解不能だったが、アインシュタインの遺産はそれに劣らず悪夢だった。それがブラックホールである。

 ジョン・ホイラーがその名を広めたブラックホールは時空の基本構造にぱっくり口を開けた傷、物質を飲み込むにつれて大きくなる無底である。太陽の何十倍、何百倍の質量は一点に詰め込まれる。密度は無限大で空間と時間の曲率が限りなく大きくなる点である。このブラックホールに探査機が下りてゆく。ビーという音を定期的に発する。しかし、事象の地平を超える。それでもビーは発せられる。この信号は探査機が何を見ているかの情報を含んでいるのである。そして中心に飲み込まれて姿を消す。問題なのは、このメッセージが探査機を送り出した母船に届かないことだ。相対性理論では重力は時間と空間に影響を及ぼすので母船から見る探査機の時計は進み方が徐々に遅くなり、探査機自体もだんだん見えなくなってゆく。そして、メッセージの締めくくりである「今超えました」も届かない。ブラックホールでは情報も飲み込まれてしまうのだ。


キップ・ソーン (1940-)

 そこでは、情報は保存されないのか。ここが問題の焦点である。しかし、生き延びていると考える理由があるという。自然が情報を残そうとする最後の試みは意外にも真空のゆらぎから来る。このゆらぎにおいて生成される粒子は対粒子をなす傾向がある。ブラックホールの事象の地平の縁でもこの対粒子は何億も作られる。時として、その片方がブラックホールに取り込まれ、もう片方が取り残されることがある。なんでも飲み込むが、この兄弟を失った粒子の形で物質とエネルギーを空間に放出する。それはむらのない放射で黒体スペクトルと呼ばれる。黒体とは外部から入射する電磁波を、あらゆる波長にわたって完全に吸収し、また熱放射できる想像上の物体のことだった。その放射は微弱だが測定可能であるという。

 ブラックホールに熱があるなら、それが小さくなると事象の地平を狭めながら熱くなり単位面積当たりの放射量は増加する。どんどん小さくなると放射するエルネギーは何処からか得なければならない。得るところは自分の質量しかないということになり、ブラックホールはやがて放射の閃光を放って消えてゆくのである。しかし、この爆発によって情報は放出される可能性が残されているかもしれない。ホーキングとソーンはこの蒸発が起これば情報は完全に消え去る方に賭け、プレスキルは常に純粋な量子状態になる方に賭けた。


スティーヴン・ホーキング(1942-2018)

 2004年にホーキングはダブリンでの一般相対性理論会議で自分たちの負けを認め、情報がブラックホールによって不可逆的に破壊されることはあり得ないとした。こう言ったのである。「ブラックホールに飛び込めばその人の質量エネルギーは‥‥その人がどんなだったかという情報を含むごちゃごちゃした形で、容易に見分けられない状態となって、宇宙に帰るのです。(林大 訳)」情報はブラックホールの究極の力にも耐えて生き延びることができるようだ。そうなるとブラックホールにはエントロピーもあることになる。こうして、失意のうちに自死したボルツマンの勝利は決定的になるのだ。

 2000年にMITの物理学者であるセス・ロイドは究極のラップトップコンピューターを思考実験した。装置の1キロあたり、1秒で行える計算数の最大値を割り出し、それを1リットルの空間に閉じこめたらおよそ、10の31乗ビットの情報量を保存・操作できるという結果を得た。しかし、情報の1ビットの操作にはそれだけ多くのエネルギーが必要になる。それで、ロイドはE=MC²に沿ってその質量全てをエネルギーに転換した。このラップトップコンピューターの質量は10億度のプラズマ球へと変身したのである。それを小さな空間に圧縮してブラックホールにした。おおっ! こうして読み出し不能ではあるがブラックホールコンピューターが完成する。人間の想像力には歯止めが無いらしい。彼の計算によると1キロのブラックホールが部分相互間で情報を伝達する時間は1キロの質量エネルギーで1ビットを反転処理する時間とぴったり同じだったのである。


宇宙はひとつではないかもしれない


 最終章では多世界解釈が登場してサイフェの情報論は「唯情報論」となってゆく感がある。ホログラフィック原理で説明される宇宙はその膨大な情報を光的境界の上に記号化している可能性もある。多世界解釈はそのような膨大な情報を記憶する媒体としての宇宙を担保しうるのかもしれないのである。

 ブラックホールは体積ではなく面積に比例する。その事象の地平の表面は二次元の平面で、そこに収まる情報は二次元に収まることになる。そういう意味でブラックホールはホログラムに似ている。ホログラムは光の持つ波のような性質を利用して作る特殊な写真である。弦理論の研究者であるオランダの物理学者ヘラルデュス・トホーフトはホログラフィー原理を提唱してブラックホールの物理を宇宙全体に広げたという。もし、このホログラフィー理論が正しくないとしてもレナード・サスキンドが証明したように物質とエネルギーのかたまりを表面積 A の想像上の球で包むと、その物質とエネルギーが保存できる情報量はせいぜい A/4 となる。これは情報学と熱力学から導かれ、ホログラフィック・バウンドと呼ばれる。しかし、そこでは、どんな小さな物質でさえ天文学的情報を記憶できる。それがホログラフィーの特質であるからだ。直径1cmの粒が10の66乗ビットを記憶できる。銀河にある原子の数に匹敵するという。


ヒュー・エヴェレット(1930-1982)

 多世界解釈とは、ヒュー・エヴェレットが1957年にプリンストン大学の院生だった時にコペンハーゲン解釈の代替案としてひっそりと論文の中に書き入れていたものだった。この論の核心はシュレディンガーの波動方程式は実在し量子は一度に二か所に存在することができるというものである。1でもあり0でもある粒子は二枚の密着した透明なシートのそれぞれにある。観測者が観測を始めるとシートは1である粒子と0である粒子を乗せた二枚に分かれ、観測者も同時に二つに分かれる。分離した二つのシートは全く異なる宇宙であり、二人の観察者の意思疎通は出来ないし、自分が分離したことにも気づかない。

 この多世界解釈は観測問題や量子もつれを矛盾なく説明できるが膨大で煩雑な別宇宙の存在を前提とするために認めたがらない物理学者も多い。それをサイフェはあえて取り上げる。ビックバン後の40万年後に生じた光が情報を運んでおよそ138億年後の今まで波動関数は宇宙のすべてのあらゆる情報を記憶しているのではないか。そして、その波動関数もまた無数にある。そして、もし、平行宇宙が存在するなら別宇宙の一つ一つにもそれらが存在することになる。そのような広大でめくるめく宇宙があるかもしれない。このパースペクティブは偉大と言えるだろう。情報は時間と空間の構造を作り上げているかもしれないのだ。一方で、生命もまた情報処理に頼っている。その限りにおいて有限な運命を免れることは出来ない。物理学は情報理論という道具を使って宇宙を、物質の根源を探ろうとしてきた。しかし、皮肉にもその情報理論は宇宙と生命の熱死を厳然と宣告するというのである。


反転する正四面体

 バックミンスター・フラーは宇宙の最小単位システムを正四面体として表した。実はその四面体は逆方向にインバージョンできる。そのネガの正四面体に存在するのは情報だとしていた。物質と情報はセットになっている。彼の場合、その情報には精神性や霊性といったものも含まれている。物質や事象に、拡散するエントロピーとそれに対抗する統合するシントロピーとがあるのと同様に、物と情報とは彼にとって相補的だった。サイフェは、情報とは物質的なものだという。彼のいう情報の中には精神性や霊性も含まれるのかどうかは本書だけでは判断できない。ジョン・ベルの言うように物理はテクニカルなものだ。そこに精神性が割り込むのは難しいかもしれない。でも、もしサイフェがこの情報論を哲学的に拡張していったら華厳や密教のような宇宙システムに創り上げることも可能ではないかと思わせるものがある。これは新たな情報宇宙論だ。面白い !




夜稿百話
サイフェの著作

チャールズ・サイフェ『ホーキング・ホーキング』

天才物理学者の一人、スティーヴン・ホーキングの評伝。大部の本だが、なかなか面白いのでお勧めの著作である。

2018年、ホーキングが亡くなる直前、イギリスのタブロイド紙であるデイリー・メールは「スティーヴン・ホーキングは『パペット人形』に入れ替わられていた ?」と偽の報道を流したらしい。一般大衆にその名を知られている科学者と言えば、ガリレオ、ニュートン、ダーウィン、アインシュタインといったところだが、ホーキングの名は知性の勝利を体現する究極の象徴となっていたとサイフェは述べていた。ご存知のように彼は筋委縮性側索硬化症 (ALS) を既に大学院生の頃に発症している。ベストセラーになった『ホーキング宇宙を語る』が出版された頃には電動車いすに乗って話すことが出来ず、ほとんど動くことも難しくなっていた。コンピューターを介しての発話は、本物の人間ではなくテクノロジーに支えられた人工物からの声と思い込む人もいるかもしれない。ホーキングの同僚やライバルたちも伝説ではない生身の彼を見極めるには苦労したと言う。友人の科学者レナード・サスキンドは「私は彼のことを魔法の椅子で宇宙を駆け巡る純粋な知識人だと言うつもりはないよ。彼はあくまで人間だ。もっとも、われわれは誰一人、彼のことを本当に知ることはできなかったがね (塩原通緒 訳)」と述べたという。
ホーキングの最初の大きな研究成果は、宇宙はビッグバンから始まったが、その始まりは特異点、つまり物理法則が意味をなさなくなる点のことだ。もう一つは量子力学的な「宇宙の波動関数」を計算しようとしたことだと言う。しかし、彼の最も輝かしい成果はブラックホールの中心部に在る特異点についてであった。そして、本文にもご紹介したブラックホールにおけるホーキング放射である。

電磁場を記述するマクスウェルの方程式には、微妙な欠点があり、運動が絡むと上手く機能しなくなる。1905年にアインシュタインは物理学の基本的な仮定をいくつか変更すれば、その欠点が修正できると考えた。その改正規則には厄介な哲学的な問題があった。その代表は「光線は常に同じ速さで進む」だった。光線は秒速29万9800キロメートル、すなわちCという物理量で通過していく。人が静止していても光源に向かって時速100キロで進もうと、光はCの速さで突き進む。光線に負けまいと光の99%の速さで移動しても光は、その横をCの速さで追い抜いていく。速さの概念になんらかの訂正を行うには、時間か距離について訂正しなければならない。従来、その両方の仮定が間違っていたことをアインシュタインは発見することになるのである。高速で運動している観測者の時計は静止している観測者の時計より、よりゆっくり進む。科学はもはや物差しの長さが客観的な事実であるという仮定を放棄する。測定した値が互いに矛盾していても皆な正しいと言えるのである。また絶対的な時間も無くなる。時間と空間とが場合によって変わるなら、観測者が光線をCで進むものと見なすことも説明がつく。時間認知と空間認知の違いが重なり合い光の速さをたった一つの普遍的な定数に仕上げるのだというのである。アインシュタインは、ある人が空間の中をどう動くかは時間の流れに影響与え、物体間の距離にも影響を及ぼすことを発見することになるのである。人の動く速さによってその人が、どの地点にいるのかも変わってくれば、どの時点にいるのかも変わってくる。1905年にアインシュタインが発見したことのもう一つは、重力が質料のある物体だけが持つ特別で不変な性質ではないということだった。アインシュタインは1907年から1915年までに質料とエネルギー、空間と時間、重力に関するこの洞察を一連の「場の方程式」にまとめている。
Gµv=(8πG/c4 )Tµv
これは一枚のシートを記述したもので、数学で言う「多様体」を表しているとサイフェは言う。右辺は空間と時間のある領域での全ての物質とエネルギーを記号化していて、左辺は、その同じ領域の曲率を記述している。重力は、その曲率を具現化したものだと言う。重力は空間を歪める。重力場の謎とは、ただの幾何学なのである。重力場の異常な歪みはブラックホールにみられる。そこでの重力はあまりに強いためにそこから何物も逃れることが出来ない。ホーキングの後期の重要なテーマは、このブラックホールだった。さわりだけをご紹介した。


チャールズ・サイフェ『異端の数ゼロ』

これもなかなか素晴らしい著作だけれど第一章を要約してご紹介する。

ゼロは極めて興味深い数字である。キリストの生まれる数世紀以前に肥沃な三日月地帯で生まれた。それには根源的な空虚を意味し、ゼロを忌まわしい数字と考え、使用しない文化もあったと言う。1930年にチェコでオオカミの骨に刻まれた55の徴が確認された。小さな刻み目は5本一組で並べられており。5進数であることが分かる。一方、ブラジルのバイカリ族やボロロ族では1、2、2と1、2と2、2と2と1と言うように2進数になっている。エジプトの『死者の書』ではメイドの渡し守アアケンは死者の魂が「自分指の数を知らないと船に乗せるのを拒んだ。そりため死者は数え歌を歌って自分の指を数えてアアケンのご機嫌を窺わなければならなかったと言う。しかし、人間は長い間ゼロなしで済ませてきた。バナナはゼロ本ですとは言わず、バナナはありませんと言えばいいからである。エジプトは10進法で絵で表現し、ギリシアはエジプトから10進法学んだが、数字は文字で表現した。最も進んでいたのはバビロニアの記数法であり、ゼロもここで発明された。バビロニアは60進数で変わっている。それに数を表現するのに二つの記号しかない。1と10の楔文字である。それぞれの文字で表現される。この三桁の数は、右からそれぞれ1、60、3600を表している。しかし、60を単独では表現できない、1と同じだからだ。それで2本の斜めの記号用いて空の列を表現するようになる。そのためこの目印が何の位いの数を表しているのか見やすくなる。36,001はと表現される。この時、は空位を意味しているだけで、未だゼロを意味していなかった。エジプトと同じくマヤも太陽暦だが20進数が基本だったため一月を20日として18ヶ月あった。それで360日だが、年末に5日間が加えられた。だが、彼らにはゼロがあったため日数をゼロから数えて19まで割り振った。この他に儀式用の暦があって、13日から成る20週があった。これと太陽暦が組み合わされて52年周期で一日一日名のある複雑な暦が出来上がると言う。エジプトにもギリシアにもゼロが無かったことは西洋文明にとって不幸だった。エジプト人は3/4を4に対する3の比とは考えず1/2と1/4の和と考えたため分数の計算が面倒だった。これに対してバビロニア人はゼロがあったため、今の私たちが1/2を0.5とか3/4を0.75とか表現するように1/2を0,30と、そして3/4を0,45と 表現できた。バビロニアの体系の方が便利だったが、ギリシア人やローマ人はゼロを嫌ったのである。
ゼロに対する古人の恐怖は空虚とか混沌への恐れだけではなかった。ゼロは数学的属性が不可解過ぎた。例えば、ある数に別の数を足すと異なる数になる。1+1は1ではなく2である。しかし、0+0は0なのである。これはアルキメデスの公理と呼ばれる。2ー0は2である。ゼロに何を掛けてもゼロである。ゼロには実体がない。ゼロは数学の枠組みを破壊してしまうのである。そして、この数は数学で最も重要な道具となり、西洋の根本的な哲学と衝突する運命となるのである。








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