Afterimage of Monochrome Ⅱ/モノクロームの残像Ⅱ



Op.36
2020  91cm×73cm
AM-36

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Op.37
2020  61cm×50cm
AM-37

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Op.39
2020  61cm×50cm
AM-39
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Op.45
2021  53cm×65cm
AM-45
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Op.44
2020  73cm×54cm
AM-44
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Op.41
2020  65cm×50cm
AM-41
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Op.17
2017-2020  45.5cm×33.3cm
AM-17
Private Collection



Op.34
2020  91cm×117cm
AM-34

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afterimageofmonochrome55-s

Op.46
2020  65cm×53cm
AM-46
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afterimageofmonochrome56-s

Op.30*
2020  70cm×51.5cm
AM-30
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Production materials/制作素材


基底材  綿キャンバスに和紙 アクリル下地
*紙にパネル アクリル下地
絵具   オリジナル絵具(天然樹脂、油、蜜蝋)油彩

Japanese paper on cotton, Acrylic Undercoat
*Paper on panel, Acrylic Undercoat
Original paint (made from resin, oil and beewax), Oil, Acryl


Afterimage of Monochrome Ⅱ/モノクロームの残像Ⅱ
2019-2021『日本の伝統から立ち上がる新たな創造―不足からのカオス』

カオスからのフォルム(モノクロームの残像Ⅰからの続き)

 私が徐渭に興味を持つのは、そこに何か東洋的な新たな絵画、それも自然に存在する形態の表象が内的に結びつくことができるような抽象と水墨画の間に存在するようなものの可能性を垣間見ているからである。その抽象と自然の形との関係は、オーストリアの画家マックス・ヴェイラーによって眼を開かされた。僕にとって徐渭は、今極めて重要な作家なのである。カオス理論によって明らかにされた世界像と中国の空間構造とは、位相幾何学的、カオス的な形態を通じて共通するものがある。そこには混沌から生ずる形と墨の不定形から立ち現れる<成る形>という極めて明快な相似性がある。

徐渭 『雑画図巻』 16世紀 明
同上
同上

 天地に先立つ世界には無があった。つまり太始が虚空を生み、混沌とした虚空から宇宙が生まれ、そこから気が生じるのである。気は万物を生成するが、その無は山の中や地下にもあり洞天福地という仙界となり、人体にあっては気を練るための丹田、あるいは瞑想のための内部空間となるのである。その空間に遊べば、そこに蓬莱山を容れ、洞天を容れ、ついには天地=宇宙までもその内部に容れることができるという。極大は極小に移行し、あるいは反転(インヴァージョン)して極小は極大を含む。ここには動的で位相的な立体幾何学があった。壺の中の宇宙である壷中天は、まさにクラインの壺を思わせる世界である。

博山香炉 前漢 前2世紀 蓬莱山を形どった青銅製の香炉

 このような特異な空間意識に支えられた中国の文人たちは、胸中の邱壑(きゅうがく/山水)を描くことを理想とした。いわゆる南画が理想とされたのである。この南画の系統に日本の文人画があり、池大雅、与謝野蕪村、川合玉堂などの作家に続いて田能村竹田や富岡鉄斎が現れた。一方で徐渭が影響を与えた八大山人や揚州八怪らの明末から清の時代の逸格の画家たちの作品が日本に影響を与え始める。逸格の画家の系譜が加わるのである。例えば、八大山人の『山水図』は辛亥革命後、日本の橋本関雪の手に渡っている。文人画にはある種、逸格の風味があった。

田能村 竹田 『暗香疎影図』

侘び寂ぶカオティックな形態

 私は、カオティックな世界像を追って30年近くを過ごしてきた。今は、自然に存在する形態の表象が内的に結びつくことができるような抽象と水墨画の間に存在するようなフォルムを求めている。それは、中国を経て日本に伝わった形の系譜というべきものの一つと言える。今、この系譜の形態をある種の生命的な衰退の美を、閑寂とした侘びた美学の基盤の上に生成させることができたらと思っている。何故なら、それが日本の誇るべき美学のメルクマールであったからだ。

 日本の美意識に幽玄があり、王朝のみやびに、「心の艶」としての幽玄を注ぎ込んだのは源氏物語だった。歌の世界の余情という言葉に窮(きわま)りない深さと縹渺 (ひょうびょう) 性とを求めたのが藤原俊成であり、それを拡張したのは息子の定家であった。この美意識は鴨長明を経て、14世紀の吉田兼好において仏教色、とりわけ禅の影響の濃い美学へと変貌する。絶頂ではなく、端緒や衰退に兆す美学、思いやり偲ぶ美学、欠けたるものへの思いが兼好の美意識にはあった。それを、和歌・連歌の正徹が心にとめ、その弟子の心敬 (1406-1475) は、定家と兼好を取り合わせて「艶深くや」と述べるが、その論は「氷ばかり艶なるはなし」に至る。そして、彼の「冷え痩せる」には死の冷たさが沁みる。それは「さび」ゆく命だったのである。同時期に村田珠光は「侘び茶」を創始し、それは千利休によって大成される。荘厳を排し、侘びる美学を形成した。私は、このような基盤のもとで新たな美を創造したいと思っている。今回の展示は、そのような方針のもとに作られる作品によって構成される。

細川俊夫 オペラ『松風』パンフレット

 そして、この展覧会では作曲家の細川俊夫さんとのトークを予定している。細川さんもまた、そのような活動をしてこられた人だ。日本を代表する世界的な作曲家であり、日本的な美を基盤に置き新たな作品を模索し続ける人である。その作品には、能をテーマにしたオペラ『松風』『班女』などがあり、世界中で公演されている。かつての武満さんのように琴、尺八、三味線などをオーケストラと共演させ、ベルリン・フィルやパリ管弦楽団など世界中のオーケストラや音楽家たちが演奏するような作品を創作される方である。そのような人と創作について語り合えることは、若い方たちの良き指針にもなるのではないだろうか。

植田 信隆