
ヴァールブルク著作集 5
『デューラーの古代性とスキファノイア宮
の国際的占星術』
初期ルネサンス文化は個性表現へと目覚めた天才芸術家がもたらしたものでもなく、この時期固有のイタリア美術が、もたらしたものでもないとヴァールブルクは主張する。それは古代末期から中世を経由した伝統に対する自覚的で困難に満ちた対決から生まれたと言う。そこには寓意的解釈と占星術における図像の伝統が立ちはだかっていた。

デューラー『オルペウスの死』 1494
本書より

『オルペウスの死』 アッティカ陶器
前440
紋章やタロットカードへと委縮した星辰表現にも古代彫刻からの影響によって新たな命が吹き込まれることになるし、ボッティチェリの『ウェヌスの誕生』でさえ古代美術の影響により中世風の挿絵が姿を変えたものであるという。ハンブルクの市立美術館にデューラーの素描『オルペウスの死』とその素描の基になった作者不詳の版画がある。それは中世におけるテキストに忠実な挿絵から古代を模倣する形態へと移行する段階が見てとれる。デューラーの有名な『メレンコリアⅠ』もまた古代末期の星占いの図像と密接な関係を持っているというのだ。


左 フーゴー・グローティウス (1583-1645) による
『グローティウス星座図譜』より「天の川」
ソロイのアラトス(前4世紀末-前3世紀半ば)の著作
『現象』の復刻版とされる
右 アルブレヒト・デューラー (1471-1528) の銅版画
『メレンコリアⅠ』
今回の夜稿百話はいよいよイコノロジーの創始者アビ・ヴァールブルクの著作『デューラーの古代性とスキファノイア宮の国際的占星術』をご紹介することとなった。それは、情念定型と共にヴァールブルクとって重要な要素のもう一つの柱だった。彼はルネサンス期の作品を通して古代・中世・近世が互いに密接な関連の中に在り、如何なる図像も同等の権利を持つ記録として精査する。
ルネサンスと星辰世界
イタリア盛期ルネサンスにおけるローマ造形世界は、芸術的才能が中世の図解から自身を開放しようとした試みがついに成功する時期である。一方で占星術に関する画像は自由な芸術創造にとっては宿敵であった。それは初期ルネサンスにおいて古代の流入の意味を探ることに繋がる。古典古代の教養について、北方の中世では特別な関心が払われていた。12世紀の修道士アルベリクスに仮託された『神像小論』は図解入りで23の異神たちの神像について記述されていた。
それにオウィディウスのラテン語による教訓的な註解が13~14世紀に流浪の神々に居場所を与えている。フランスでは、フランス語によるオウィディウスの詩の翻案『道徳化されたオウィディウス』が書かれ、イギリスでも『変身物語』の英訳が出版された。15世紀になると印刷技術の発展に伴って、北方の惑星の七柱の異神たちはテクストと図像を伴う木版本を介してイタリアにおける再生を果たすようになる。この古代における図像世界と中世におけるそれとの二重の伝統を明らかにするのがスキファノイア宮のフレスコ画だとヴァールブルクは考えていた。
このローマ郊外のフェラーラに建てられた別荘の内壁にはフランチェスコ・コッサらの筆になるフレスコ画が当初12の月別に描かれていたが、上塗りされていた表面の漆喰を取り除いて復元できたものが7作品ある。それぞれ三層に別れていて上層はオリュンポスの神々が、中層には星辰世界に属する人物たち、下層はボルソ・デステ公の政務や宮廷における世俗世界が描かれている。この中層部の星辰世界の人物たちはギリシアから小アジア、エジプト、メソポタミア、アラビア、スペインと長い間彷徨いギリシア時代の明瞭な輪郭を失った者たちだと言う。
スキファノイア宮 フレスコ壁画

スキファノイア宮 暦月の間

同上
天球儀は古代ギリシアが発展させた天界を数学的に視覚化する能力、つまり天文学的能力と星々を空想上のイメージによって神話の神々や人物、生物にイメージ化する詩的能力によって生まれた。ソロイのアラトスは前3世紀に活躍した詩人で、その詩『現象』はマケドニア王アンティゴノス二世の宮廷で書かれたが、星座や天体現象を説明したことで知られ、恒星天において長く重要な文献となっていた。

ソロイのアラトスによる星座早見盤
17世紀オランダの地図製作者アンドレアス・セラリウスによる。
しかし、ヘレニズム時代に入ると、占星術のヒエログリフとしてより複雑なものが要求されるようになり、多神教的なものへと再構成される。前1世紀頃、小アジアのバビロニアで活躍したテウクロスの『異邦の天球』ではエジプト、バビロニア、小アジアの星辰名によって書かれた恒星が記述されることによって、その結実をみている。中世アラビアの星辰カタログや金石誌では十二宮をそれぞれ三つに分割するエジプト起源のデカン (十二宮は円形の360度に配列されているので1デカンは10度になる) が伝えられ、中世占星術の最大の権威であるアブー・マーシャルの占星術書へと繋がっていった。
アブー・マーシャルの占星術書はスペインにおいてヘブライ人アベン・エズラによってヘブライ語に翻訳され、ヘブライ人のハギンス・ア・マリネスにフランス語訳される。このフランス語版を基に中世イタリアの占星術師・医学者であったアバノのピエトロ (1257頃-1315頃/ピエトロ・ダーバノ) が1293年にラテン語訳するのだ。こうしてギリシアの星辰たちの旅はイタリアへと導かれていったのである。
フェッラーラのフレスコ画へと導くのは、このアバノのピエトロの『平面天球図』である。「三月」白羊宮を覗いてみよう。図上部にはデカンのそれぞれに登場するデカン神が描かれている。その下図では反りのある剣を持つ人物 (メドゥーサの首を切り落としたペルセウスとされる) の持ち物は鎌と石弓に変えられている。牡羊座の近くに登ってくるペルセウスはアラビア人のもとではマルス (火星) として伝承されていた (ヴァールブルク著作集 別巻2 『怪物から天球へ』) 。

ピエトロ・ダーバノ『平面天球図』本書より
しかし、真にコッサの描いた三月のデカンを説明するのはアブー・マーシャルの次の説明である。「インド人の言うところによれば、このデカンでは、赤い眼をもち、背が高く、勇敢さに秀で、感情を露わにした、黒い男が立っている。彼はゆったりとした白い服を着ており、その中ほどに一本の紐が巻きついている。彼は怒り、真っ直ぐに立ち、監視し、凝視している (伊藤博明・加藤哲弘 訳)。」アラビアでは武器を失い一本の紐の付いた服だけが残ったのである。

「三月」中層部 第一デカンの黒い男
権威と称えられた6世紀インドの宮廷占星術師ヴァーラーハミヒラ (505頃-587頃) は、西洋占星術の解説書とインド固有の占星術についての著書をサンスクリット語化されたギリシア語の天文用語を使って書いたといわれ、その著作の一つ『ブラッハッ・ジャータカ』には、白羊宮の第一デカンに赤い眼をした黒い男が表され、白い布を腰に巻いて恐ろしい容貌で斧を掲げ、マルス (ブラフマ) に従うと書かれていた。
アブー・マーシャルのアラビア語のテキストをドイツ語訳で読んでいた時、ヴァールブルクは突然、多年に亘った研究が徒労に終わっていたフェラーラのフレスコ画の中層部の人物たちが脳裏に浮かんだのである。そこにはギリシアの恒星天の古層が最下層にあり、エジプト起源のデカン崇拝が図像化され、その上にインド起源の神話層が重ねられ、おそらくペルシアの媒介によってアラビア圏に移行し、スペインではアブー・マーシャルの著作がラテン語やフランス語に訳された。そして、アバノのピエトロ (ピエトロ・ダーバノ) がアブー・マーシャルの著作をラテン語訳してイタリア初期ルネサンスの記念碑的宇宙論となる。それがスキファノイア宮のフレスコ画中層部へと流れ込んだのである。
スキファノイア宮の巨大な壁面に描かれたフレスコ画、その中の『三月の寓意』の、そのまた第一デカン神の黒い男の姿が占星術の遠大な歴史へとヴァールブルクを導いていった。まさに「神は細部に宿りたまう」のである。そこには古典文献によって裏を取ろうとするヴァールブルクの執心が見える。
暦月の間
「三月」「四月」「五月」の壁画はフランチェスコ・コッサが描いたことが、はっきりしており絵画的にも優れたものである。その他に一連のフレスコ画全体を手がけるためにフリッツ・ハルクやアドルフォ・ヴェントゥーリなどといった画家たちが参加している。比較的状態の良いフレスコ画をご紹介しておく。
■『三月の寓意』 白羊宮

『三月の寓意』

『三月の寓意』の上層部

ミネルバの凱旋 右側 刺繍や機を織る女性たち
『三月の寓意』の上層部には、凱旋車の上に損傷が激しいがゴルゴンを胸に付け、手に槍を持ったパラス・アテナが描かれている。左側には当時の知識人たちである医師、詩人、法律家の一群が描かれ、右側には「白羊宮の子供たち」を思い起させる刺繍をする三人の女性や機を織る三人の女性がいて彼らを優雅な女性たちが取り囲んでいる。1世紀頃のローマ帝国の詩人・占星術師だったマルクス・マリニウスは『アストロノミカ』で白羊宮について、こう詠っている。
‥‥そして、千の術 (すべ) によって
羊毛はさまざまな利益を自ら生み出す。
彼らは、あるときは生糸を編み、あるときは反対に羊毛を解し
あるときは細い糸をつくり、あるときは機で織り
あるときはさまざまな衣服を得るために売買する。
(伊藤博明・加藤哲弘 訳)

『三月の寓意』中層部
第一デカンに描かれた黒い男については既に述べた。第二デカンは赤い服を着て座っている女性でスカーフが両肩の所で翻っている。第三デカンは赤い衣装の金色の巻き毛の青年で右手に矢を、左手に金の輪を持って立っている。

『三月の寓意』中層 第三デカン
■『四月の寓意』金牛宮

『四月の寓意』

ウェヌスの凱旋『四月の寓意』上層部
四月はウェヌスと金牛宮によって支配されている。上層では白鳥の曳く凱旋車 (舟) に乗るウェヌスとその前に跪き鎖で繋がれたローエングリーン風の騎士として描かれたマルスがいる。右下に多産の兎たち、右上に三美神がいる。四月に生まれ金星に照らされた者たち、つまりウェヌスの子供たちは神話のウェヌスのように愛と安逸な快楽とによって生きると考えられていてヴォルフェッグ城の中世家屋帖などの図に多く描かれていた。自然と人間とを毎年、生きる喜びに蘇らせる宇宙論的なウェヌスの世界が図解されている。

『ウェヌスと子供たち』15世紀後半
ヴォルフェッグ城の中世家屋帖
中層には第一デカンに豊かに流れる巻き毛の女性と同じ色の服を着た子供がいる、第二デカンは大きな鍵を持つ坐った裸の男、第三デカンは右手に翼のある蛇を持ち、左手に矢を持つ。背後に馬がいて、横に犬がいる。

『四月の寓意』中層部

『四月の寓意』中層部 第一デカン
■『五の寓意』双子宮

『五月の寓意』

メルクリウスの凱旋 『五月の寓意』上層部
五月は双子宮とメルクリウスに支配される。馬に曳かれた凱旋車の上に円盤と弓を持つアポロンが描かれるが、手前の女性については不詳。凱旋車の右上には音楽の神であるアポロンとヘルメスを暗示する音楽家たちが描かれている。
凱旋車の右側には多数の裸の幼児たちの群が強調されている。『ホメロスの諸神賛歌』に収載された「ヘルメス賛歌」にはアポロンが自分の牛を盗んだ幼児ヘルメスに向かって冥府タルタロスへ投げ込むぞと威し「お前は地の下の小さな者たちの頭となってさまようことになるのだぞ」と言い放つのである。それは小さな人間の形をした魂を導く案内者でしかなくなると言う意味と自分と同じ生まれたばかりの子供たちの魂しか冥府へ導くことしかできないという二つの意味が考えられている (沓掛良彦『ホメロスの諸神賛歌』の「ヘルメス賛歌」註) 。どちらにしてもヘルメスが冥府への〈魂の案内者〉であることを指している。

『五月の寓意』中層部
第一デカンに右手に長い棒を持ち宮廷服を着ている男性の前に小姓が控えている。第二デカンは二人の裸の男で一人は笛を吹き、もう一人は胸の前で腕を交差させている。第三デカンは正装し、矢筒を携え右手に弓と矢を持つ男がいる。

『メルクリウスの子供たち』15世紀後半
ヴォルフェッグ城の中世家屋帖
馬上のメルクリウスの左には、「五月の寓意」の上層部
ほどではないが二人の裸の幼児の姿が見られる。
おそらく双子宮を表している。
■『八月の寓意』処女宮

『八月の寓意』
八月は処女宮とデメテル (ケレス) に支配される。上層はデメテルの凱旋が中心に描かれ、右上にはハーデスによるデメテルの娘ペルセポネの略奪が描かれているが、ハーデスの馬車を曳いているのは黒馬ではなく竜のような生き物となっている。おそらく、この竜は錬金術のイメージに由来しているかもしれない。デメテルの凱旋車を曳くのも同じ竜のような生き物で、その左に豊穣と穀物の神デメテルに因んだ牛たちがいる。

『八月の寓意』上層部

『八月の寓意』中層部
中層の第一デカンは胸をはだけて髪を垂らし、右手にデメテルにちなんだ小麦の穂を持つ女、第二デカンは半裸で右手に小板、左手に羽根ペンをもってしゃがみ、計算をしている男、第三デカンは年老いた修道女姿の女が祈っている様子が描かれている。

『八月の寓意』中層部 第一デカン
『九月の寓意』天秤宮

『九月の寓意』
九月は天秤宮とウルカヌスに支配される。上層はウルカヌス (ヘパイストス) の凱旋が描かれ、猿たちが凱旋車を曳く。その左側には卵形の枠の中にカピトリーノのオオカミ、鍛冶屋たちと続き、右側にはあからさまではないが妻のウェヌスとマルスとの不倫が描かれている。

『九月の寓意』上層部
中層には、第一デカンに右手に楽器を持ち左手に鳥をぶら下げている男、第二デカンには手の平を植えに向けて飛んでいるような男、第三デカンには裸体で体の右側で両手を合わせている裸体の男と弓を引き搾っている射手が描かれている。

『九月の寓意』中層部
イコノロジーの誕生
ヴァールブルクの造語に「パトスフォルメル/情念定型」がある。この言葉が初めて登場したのは、本書に収載されている『デューラーとイタリア的古代』である。デューラーはイタリアの画家たちと同様に高揚した生命感を表現するための様式を古代世界の中に認め、それを活用しようとした。最上級の身振り言語が、アテネ、ローマ、マントヴァ、フィレンツェと遍歴しながらデューラーのいたニュルンベルクへと到来する。
そして、イタリア人たちのバロック的と言うべき身振り言語の模倣熱とその退廃が頂点に達した時、あのラオコーン群像が発見されるのである。しかし、16世紀の初頭にデューラー自身は既にその影響を消化して現実の人体とその動きへの研究を深めていた。アルプスの北では情念表現のインフレーションは抑制されていったのである。ここに北方の優位性があったが、もはや、この時期にゴシック的北方とルネサンス的南方を分けて考えることは不可能だった。

上 マンテーニャ『海神の闘い』1493
下 デューラー『海神の闘い』1494
いずれも本書より
先にみたようにフェラーラのスキファノイア宮では、ギリシアで展開した占星術が、小アジア、エジプト、インド、ペルシア、イスラム、スペインを経てイタリアのフェラーラに到着するまでの経過を謎解きするものであった。ギリシアの神々の図像は東へ西へと伝播したのである。そして、古代の神話図像が中世の異教神の描写として生き残り、南イタリアの美術と共にルネサンスを形成したことを闡明にする。天文学という理性世界だけではない星辰に関する迷信という暗い闇をヴァールブルクは、まさぐったのである。
このように本書にあるのは、図像の国際的移住が述べられている。だが、それだけではない。彼の目標は、美術史を〈人間表現の歴史的心理学〉にすることだった。それが〈イコノロジー〉である。そのことについては第12話 ジョルジュ・ディディ=ユベルマン 『時間の前で』美術史は預言の学となるに書いておいた。


ヴァールブルク著作集 1『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』
本書は1891年に書かれた博士論文を収載したものでイタリアからシュトラスブルクに移りフーベル・ヤニチェックのもとで学んでいた頃の論文である。
スキファノイア宮のフレスコ画を描いたコッサとラファエルの間にはボッティチェリという架け橋が存在した。彼の二枚のウェヌスに関する絵画『ウェヌスの誕生』と『春』は、中世において神話誌と占星術という二重のバインドに縛られていた女神を解放して再びオリュンポスの世界へと導いた。それを彼は『ホメロスの諸神賛歌』とルクレティウス、そしてポリツィアーノの解釈によるオウィディウスの文学から創造したのである。
『ホメロスの諸神賛歌』の「アプロディテ賛歌第六番」ではこのように詠われている。
畏 (かしこ) い女神、黄金の冠戴く美しいアフロディーテ―を歌おう。
女神は海に囲まれたキュプロス全島に聳える城塞を、その領邑として知ろしめす。
吹きわたる西風の湿り気帯びた力が、
やわらかな水泡に女神にそっと包んで、
高鳴り轟く海の波間をわたって、この地へ運び来た。
黄金の髪飾りしたホーラーたちが女神を喜び迎え、
神々のまといたもう衣裳を着せ、不死なる頭には、
美しい、黄金造り見事な細工した冠を載せ、
孔穿った耳たぶには、真鍮と高価な黄金の花形の飾りをつけた。
軟らかなうなじと銀のごとく白く輝く胸を、黄金の首飾りで飾った。
‥‥
(沓掛良彦 訳)
ポリツィアーノは、ジュリアーノ・デ・メディチを讃えるための詩『馬上槍試合のためのスタンツァ』で、ウェヌスの宮殿の門柱に在るレリーフを描写してこのように詠う。
波立つエーゲ海、ティティス (海の女神) の胎内 (海原) に
見られる、あの男根が迎えられ、
星辰が幾たびも巡る間に、
白い泡に包まれて、波間に漂うのが。
その中に、優美で喜悦の行為のうちに生まれる、
人間のものではない容貌をした乙女が。
乙女は、淫らなゼフィロス (西風) によさて岸辺に押しやられる、
貝殻に乗って赴くままに。天もこれを喜ぶかのようだ。
(99スタンツァ 伊藤博明・富松保文 訳))
ポリツィアーノのウェヌスに関する詩は99~103スタンツァまであり、内容はホメロスの詩の内容を踏襲しながら細部を補うというものになっている。とりわけ特徴的なことはボッティチェリの絵でも同じであるが主人公たちの靡きほつれる髪の動きや優しく風に舞い上がるバラの小枝で巻き付けたホーラーの色鮮やかな衣装など「動く付帯物」といわれる描写である。
実はこの「動く付帯物」の描写は古代の詩人たちオウィディウスやクラディウスの表現の模倣ではないかと考えられていて、このような表現が見られる。
●オウィディウスの作品
「衣服ははためき、後方へと流れる」「衣服が風にはためいてふくらむ」「向かい風がそれに逆らう衣服をひるがえし、微風がほつれた髪を後ろへなびかす」(『変身物語』)
「飛沫をあげる海水が触れるのを恐れた」「微風が黄金の髪を揺らす」
(『祭暦』)
●クラディウスの作品
「彼女のほつれ髪は好色な西風によって吹あげられる」(『プロセルピナの略奪』)
このように、ここにもルネサンスにおける古代からの影響の一端がみてとれるのである。『春』においても三美神の透明な翻る衣装に焦点があてられる。それは通常いわれていた写実的な表現への傾斜とは異なる意図をもっていた。ヴァールブルクは、こう述べている。「一般的に動的な状態の記憶によるイメージは、後に新たな印象を統覚して理想化された形態を持つようになり、それは芸術作品の創造に無意識に投影される (『四つの命題』鈴木杜幾子 訳)。作品の依頼者、人文主義者、芸術家が、如何に古代の神話の世界を蘇らせようとしたかをヴァールブルクは説明しようとした。ちなみに、翻る衣紋は20世紀になってヘンリー・ムーアの彫刻に特徴的にあらわれる要素でもある。

オウィディウスの『変身物語(上)』

オウィディウスの『変身物語(下)』

ヴァールブルク著作集 6『ルターの時代の言葉と図像における異教的=古代的予言』
本書は1918年以来重度の精神病の陥り執筆できる状態ではなかったヴァールブルクが友人で古典文献学者であるフランツ・ボルのすすめで断片的な論文を集めて発表したものである。「迷信深い近代人の不自由」が隠れたモチーフであり、そのテーマは「ルター時代の言葉と図像における異教的=古代的予言」であった。
ヴァールブルクはこう述べている。「もっぱら形式的考察にのみ関わる現今の美術史がそれらをまともな考察対象としてとりあげることはほとんどない。そもそも、珍奇な事象から精神史的に価値ある認識を掘り起こしてくることは、美術史家よりも宗教学者にこそ向いているのだろう。しかしまた、これらの図像を宗教政治的傾向文書という薄暗い領域から取り出し、徹底した歴史的考察を付すことは、まさに美術史本来の仕事なのである。(伊藤博明・富松保文 訳)」
ヴィンケルマン以来、古典主義的な洗練された古代の神々の世界は人文主義者たちによって創造されたものであって、古代のダイモーン的要素を払拭したものに過ぎない。キリスト教教会によって黙認された異教の宇宙論、とりわけ占星術の精神的支配は副次的要素ではあっても誰にも否定できないものだった。例えば、ルター自身は占星術をいい加減なものと考えていたが、彼の片腕とも言うべきメラヒトンは占星術師ルーカス・ガウリクスの作成したホロスコープによってルターの生年を実際の一年後の1484年に改竄しようとしていた。その年は惑星の大合の年にあたり、何世代も前から西欧における宗教的な変革の新たな時代が訪れると信じられていたからである。

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『残存するイメージ』
ヴァールブルクの「残存」に関する最良の解説書である。前回72話に書いておいた。

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『時間の前で』
イコノロジーとはどのようなものかについて具体的に書かれている著作。ディディ=ユベルマンはヴァールブルクの最良の案内者と言える。

ホメ―ロス『ホメーロスの諸神賛歌』
「アプロディーテー賛歌」「ヘルメース賛歌」他収載
「ヘルメース賛歌」の沓掛良彦さんの解題によれば、ヘルメス神は原始的な形態を永く保っていた神で、道の神として道祖神 (ヘルマ) として信仰されていた経緯があり、やがて、道案内役として「魂の案内者」へとその働きは拡張されていった。牛泥棒の話は『ヴェーダ』におけるインドラの牛を盗むアヒの話と似ていて原インド・ヨーロッパ神話にまで遡るのではないかと言われている。
ちなみに、日本で道祖神と言えば支 (さえ) の神や荒神だが、本源的には、それに近いと言えるかもしれない。

『オルペウスの死』北イタリアの銅版画 ハンブルク市立美術館 本書より

ソロイのアラトス(前4世紀末-前3世紀半ば)
古代マケドニアで活躍したマケドニア派の詩人。『現象/ファイノメア』が代表作とされ、星座の配置や運行及び天気予報に関係した気象を扱っていることで知られる。

アブー・マーシャル(787-886)
『降誕の書』15世紀 より この図は獅子宮とソル・アポロンを表していると思われる。
アフガニスタンのバルフの生まれ、アッバース朝時代のバクダッドの西にあるバーブ・ホラーサーンの近くに住んでいたと言われる。ハディース (ムハンマドの言行録) の学者だったが占星術の学者となった。『キタブ・アル・ケラナット/占星術の科学への偉大な入門』は11世紀以降ラテン語やギリシア語に翻訳されたし、『宗教と王朝の書』はピコ・デラ・ミランドラやロジャー・ベーコンに影響を与えたと言われる。

『道徳化されたオウィディウス』1484
古フランス語によるオウィディウスの詩の翻案が書かれたが作者は不詳である。フランス王フィリップ5世の妻であるブルゴーニュのジャンヌに捧げられた。

アーサー・ゴウルディング(1536-1606)英語訳の『変身物語』
オウィディウスの『変身物語』をラテン語から英語に翻訳している。シェークスピアやスペンサーに愛読されたようだ。

アバノのピエトロ (ピエトロ・ダーバノ/1257頃-1315頃)
イタリアの哲学者・占星術師・パドヴァ大学の医学教授。パリで哲学と医学の博士号を得た。当時、最大の魔術師とされ二度、異端審問の裁判にかけられ一度目は無罪、二度目は結審の前に獄死したとされる。
■スキファノイア宮のフレスコ画『六月の寓意』・『七月の寓意』
『六月の寓意』巨蟹宮 (きょかいきゅう)


メルクリウスの凱旋『六月の寓意』上層部
六月は巨蟹宮と月とディアナに支配され、キュレニウス (メルクリウス) によって庇護される。凱旋車を曳くのは鳥なのか竜なのか未詳。

『六月の寓意』中層部
第一デカンは片手に果物や葉を持ち腰に葉の茂った枝をつけた半裸の男性、第二デカンは手に長い棒を持ち、豪華な衣装をまとった貴婦人と待女のような女性が前に立っている。第三デカンは亀のような足を持ち金と銀の塊を積んだ船に腰かけた男で龍が巻きつこうとしている。
■『七月の寓意』獅子宮

『七月の寓意』
「七月」の支配は獅子宮とソル-アポロンによってなされる。獅子の曳く凱旋車の上に塔の冠を頂いたユピテルと神々の母キュべレとが座る、その右手、切り立った丘の麓にキュベレの恋人であるアッティスが横たわっている。凱旋車の左にはビアンカ・デステとガレット・デラ・ミランドラ (弟はピコ・デラ・ミランデラ) の結婚式の様子が描かれた。凱旋車の右側にはガリア人の聖職者たち、さらに、その右奥には武装したキュベレに仕える神官 (コリュバン) たちがいる。

『七月の寓意』上層部
第一デカンは長い根を持つ樹の上に男が坐り、犬と鳥が枝にいる。第二デカンには花輪を被り右手に矢を、左手に弓を持ち、衣服が強くはためいている男の姿がある。第三デカンは黒い肌の醜い男で左手に肉の塊を持ち右手で口に何かを運んでいて、こちらも衣服が強くはためいている。

『七月の寓意』中層部

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